みなさまに支えられ…本日、劇団カプチーノHPのカウンターが6000を越えました。
久しぶりにほころんでみようと思います。
「しゃべれども しゃべれども」にどっぷりつかりながら、「言葉」について考えている。
「以心伝心」という言葉に最初に出会ったのは小学校の校庭。
体育館の入り口、右手に黒い大きな石があり、そこに白字で彫り込まれていたのが「以心伝心」
その意味を朝礼で、教室で、幾度となくきいた為か、いつの間にやら
私の中に美徳としてすり込まれていった。
高校時代、授業中の雑談。
織田信長が真夜中、ぱっと目を覚まし、ばっと襖をあけると、そこにはすでにお濃の方が!
濃姫の差しだす刀を手に信長が出て行く…二人に、会話はない。
当時の私は先生の話す濃姫の素敵さにしびれた。
どうも私の中で以心伝心→気のつく女性への憧れの図式ができあがっていたようである。
勤め始めて、驚いた。
予定がわからない。来客のアポイントメントのあるなしがわからないので、
お客様への対応はお約束の有無を尋ねるところから始まる。
事前に冷暖房の準備ができない。会議に参加するこちら側の人数がわからない。
ドアをノックして開けると、お盆の上のお茶碗が少なくてひきかえすこともしばしば。
なまぬるい部屋にご案内することも、一つだけ足りない茶碗を出す為に再び会話を遮るノックも、
私にはストレスだった。
不透明な中で何かをいつも推し量る息苦しさに…疲れた。
以心伝心も美しいが、一言で相手を楽にすることもできる。
こんなんで私ちゃんと地に足つけて社会に生きてるって言えるのかな?
私が生きた証って?
私の友人は小さな子供のいる専業主婦が多い。
私が職場でふと思うことを、友人も家の中で思っている偶然に驚いた。
何の為に生きてるのか迷ったら、わが子を見なさいよ~
あなたにはそんな証があるんだから。
ママがいなくちゃね。子ども達があなたを求めてるんだから。
私が憧れても手にすることができない家族がいるんだから。
妻やママであるすばらしさを味わいなさいよ~
などと返信しながら、私の励ましよりも、きっとだんな様からの「ありがとう」が
彼女の心に届くような気がしていた。
友人の存在をだんな様に認めて欲しかった。
この夜ばかりは日本の男が以心伝心派でなければいいなと願った。
最近は、何も言わずではなく、何でも言うでもなく、言葉を選択できる女性に憧れている。
言葉が凶器と化す境界線を越えないようにと反省してもしょっちゅう越えてしまうけれど…
あぁ難しい。
公演の準備中、少しずつあがるカウンターを見ながらなかなか口に出して言えませんでしたが…
今宵ばかりは以心伝心に頼らず、言葉を交わしたいと思います。
更新のできていない日も、カプチーノHPとここほころび茶話んを絶え間なく
覗いて下さったあなたへ 心より感謝申し上げます。
毎日、毎日、ありがとうございます。
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