一に天皇、二に親、三はなし。
これが日本の青少年の美学だった。
小学校一年生から海軍に入るまで
ずっと、犠牲的精神を尊ぶ教育と、
言葉ではなく行動で示す事が
軍国少年の務めと教えを受けてきた。
息子と同じ17歳で
特攻に志願した林康夫。
坂上しのぶ著
「前衛陶芸の時代 林康夫という生き方」より
宇垣纏海軍中将は、
八月十五日正午に天皇の玉音放送を聞いたあと、
「未だ停戦命令に接せず。
多数殉忠の将士の跡を追ひ特攻の精神に生きん
とするに於て考慮の余地なし」と
部下二十二人を道連れに、沖縄へ飛び立ち、
自身を含めた十八人を死に至らしめた・・・
教育(と盲信)のおそろしさ。
私の言葉を添えなくても
二度と同じ道を歩まないために
どうすればいいのか
思いをはせるに充分な重み。
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