園の駐車場手前で前の車が停まった。
そこからだと駐車場の空きがあるかどうか見えない位置、
右折(駐車場のある方角)の指示もなし、
お迎えを急いでいた私はこの2点からその車を(同じ目的地の車だと思わず)追い越し、
駐車場内を見ると満車。だと思った瞬間、タイミングよく一台の車が出た。
そこに入れるところで、サイドミラーに光る右折の合図。
もしかして、私、順番を抜かしてしまったのかしら?
動揺しながら入れた私の車は空いたスペースにうまく入りきれておらず、
思いきりバックしてやり直したいが、後ろには先の車。
クラクションを鳴らされ、焦る。
逃げ場なく、短く前後走行を何度も繰り返し、なんとか駐車。
息子と共に車に戻ると、先ほどの車の主に声をかけられた。
「順番抜かし」の罪である。
右折の指示が出ていなかったので追い越したことを説明すると、
右折の指示を出していたという。
勘違いとはいえ、気づいた時すでに遅し。
運転が下手であの狭いスペースではどうしようもなく、あぁなってしまったことを
とにかく謝罪。
先の車の主は息子と同じクラスのママで、
去り際、息子のお友達の「K君のママ、順番抜かしたん?」の声にガツンとやられた。
知らず知らずのうちの罪。先方の怒りと後味の悪さ。子供を前にしての話。息子の悲しみ。
落ち込みながら、正しさについて考える。
吉野弘さんの「祝婚歌」を思い出す。(以下、思い出した抜粋部分)
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい
もし私が逆の立場なら? いうのか、いわぬのか。いうなら、どういう風につたえるべきか。
そして、もし私がやり直せるとしたらあの時、どうすべきだったのか?
同じ過ちを繰り返さないよう自分なりの答えを出しておく。
どきっとすることを言う。
こういう時、「絶対、生きている。約束する」というのが普通なのだろうが、
後で契約違反にならぬよう
「ママもずっとそばにいたいけど、それは神様が決めることだから・・・」と答える。
納得できなかったようで「絶対、亡くならんといてやって。約束やで」
「ママ、亡くならんといてや」
最近、よく言う。
「パパとママ、僕より長生きしてや」
それは、困る。
「パパとママよりKが長生きしてや」
「そんなん、僕、さみしいやん。」
こんな時、兄弟がいないと困る。
私には弟がいるので、弟夫婦がいることを息子に伝えるが、
「僕、まだ道もわからんし、車も運転できひんし・・・だから、一人は無理」
「僕、ママのこと、大好きやから、絶対、亡くならんといてや」
「ママもずっとKのそばにいたいと思う」
バス(旅行)で映画を観るといえば、「釣りバカ日誌」かと思いきや、
この日は「BALLAD 名もなき恋のうた」
戦争・戦場映画が苦手な私。合戦ありげにどうしたものかと思っていたが、
物語は小学生男子の日常から始まる流れでなんとなく観てしまう。
この「BALLAD」、アニメの実写版だと知ると、
実写にリメイクする時、どこをどうしたのか比較したくなる性格。
クレヨンしんちゃんか・・・
これまで一定の距離を置いてきたが・・・
アニメ映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」を借りて、観る。
しんちゃんのおしりも、みさえの裾細身ズボンも、物語の進行につれ気にならなくなった。
実写版には実写版のよさがあるが、このアニメ、実によくできている。を知ると、
どうしてクレヨンなのか? 歴代映画ランキングは?と検索してしまう性格。
次回、きっと「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国」を借りて観てしまうであろう・・・性格。
追記
有言実行。
「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国」を借りて観た。
やはり、アッパレ!戦国大合戦の方がいい。
他人のランキングより、私ランキング。
さらに、観た。
「嵐を呼ぶ黄金のスパイ大作戦」
このへぃ域に踏み込むとは・・・肩の力を抜いて楽しめる作品ですね、これは。
きっかけは合唱体験から。
この時、手渡された楽譜は金子みすずの「わたしと小鳥とすずと」
母音を大切にしながら、久しぶりに歌を歌う。
その数日後、公演「歓喜の歌」へ。
この演劇が偶然、コーラスグループのお話で(第507話)
この時、受け取ったフライヤーの中に朗読鑑賞のチラシ。
なぜかこの講座が気になり、参加することにしたのだが、
息子と共に大遅刻、会場に着いた時にはすでに朗読が終了・・・
がっくりきたところに最後、参加者の朗読体験があるという。
母音を大切にしながら、詩を音読。
その時の詩が谷川俊太郎の「生きる」(第510話)
詩の合唱に、詩の朗読・・・偶然は続くものだなと。
放っておくと体も心も固くなる。
日本語は英語と違ってあまり口を動かさなくても話せるらしく、
意識して口を動かさないと無表情になりやすいというようなことをきいたことがある。
歌を歌うのも、朗読をするのも口先だけでできるものではない。
母音を大切に、腹式呼吸。
不思議な共通点にこれは私の日常生活に取り入れよという神の思し召しかなと
実践(第511話)
が一連の流れ。
映画「しあわせのパン」冒頭の原田知世の朗読(絵本「月とマーニ」)もよかったな・・・
私も練習してうまくなったら、ここに音声をアップしたいな(目標)
初の試み、私と一緒に朗読体験。(第510話にテキストあり)
あ、ここは音読に耐えませんのでもう声に出して読まなくていいですよ(笑)
ここからまたいつもの黙読で。
昔した教科書の音読を懐かしく思いながら、
久方ぶりに自分のよそ行きの声をきいた方も多いのでは?
私もその一人。
感情にのせて話すのとは異なる、イメージをひろげて発する声。
話し言葉とは違う自分の声が新鮮に耳に届く不思議な気持ち。
読み方が無数にあるのが面白く、あれから一人何度も読んでおります(笑)
いつもご高覧ありがとうございます。
ご拝読はいつも黙読では?・・・たまには音読してみませんか?
きっと読後、あなたの中で何かが変わるはず。(ちなみに、私は変わりました)
さあ、照れずに、騙されたと思って、さぁ!
もちろん私のつたない文章を音読しろと申し上げている訳ではなく、
谷川俊太郎さんの「生きる」(詩集『うつむく青年』所収)を、
私と一緒に・・・
生きる
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球がまわっているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと
生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ