以前このブログにコメントを下さった那智勝浦町の『加寿地蔵世話人会』の中田さんから
この土曜日に春祭りが行われるので・・・という案内をいただいたので久しぶりの青空に
なった土曜日、少し遅くなったけど家を出発しました。中田さんは峠へ車で上がって行ける
ようになりましたということを書いてくれましたが、国道のどこから入っていくのかわから
なかったので、前回加寿地蔵さんに行ったときと同じ、観光ホテルの駐車場から歩いて行く
ことにしました。歩くと言っても、地下足袋で歩く山道とは全然ちがうし、前回も楽勝で歩
けたし・・・。ところが駐車場に着くと、一台分の駐車スペースしか残っていません。
それも前に止めたところ同じスペースです。こんなこともあるんや~と思いながらも、
おとうさんと「この前より来てる人多いかも。それに、前は前方に歩く人がいたけどきょう
は誰もおらんから、遅かったのかも」なんて喋りながら歩きます。このところ、週末以外は
雨の日が多く、道がぬかるんでいたらどうしよう・・と心配もしたけど、この熊野古道・大
辺路(他の大辺路コースはわからないが)コースは地質が岩のようで水たまりがないという
か、坂になっているので流れていくみたい。ところどころに世話人会さんたちが土嚢袋に
がれきを入れて水はけがいいようにしてくれていました。中田さんは加寿地蔵伝説の映画も
撮影するようになるので平安室町民家も建てましたとも。
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『加寿地蔵映画撮影中』という看板が、昇り口に立てられています。加寿地蔵は峠の道より
高い場所に祀られていて、そこに上がるまでは手すりも付けられていますが人一人通るのが
精いっぱいで、上から人が降りてくればしばしそこで待機しなければなりません。でも、
すみません、という声をかけあうのでしぜんとみんな穏やかな顔になるのです。私たちは
完全他所者なので、知った人がいないけどなぜか、隣りに立った人と話をついしてしまう、
なんか不思議な気がします。どこのお寺や宮様に詣でてもあんまりそんな記憶ないのに。
そこが、加寿地蔵の力か世話人会の中田さんの力なのか・・・。
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たくさんの人の後ろ姿、そこが加寿地蔵の祠を安置している少し広場になっているのです。
この下は峠道で、なんとびっしりとおばさん達が新聞紙を敷いて座っていたのです。じつは
春祭りに餅まきがあるので、たぶんそれを目当てにやってきた人たちで場所取りをしている
のです。だから祠にお参りしないのか私たちがおばさん達をぬって祠まで行こうとしたら
「お餅をみんな上に持って行った」とまるで、祠前で餅まきをしてしまわないか心配そうに
訴えてくるのです。そう言われても、今私たちは着いたばかり、おまけに信者ではないとい
うか(ならば何故祠に行こうとする?)、やはりあの穏やかな中田さんの顔を見に・・かな
私たちは結局、この上がっていく道の一番最後で待つことにしました。前に進めない以上、
本当の信者さん達の邪魔をしてはいけないからです。が、どうやら、御祈祷もすんでしまっ
たようで、ここに並んでいる人は祠にお参りして餅まきに参加するようです。私たちも
一番最後にお線香とお賽銭を・・。加寿地蔵は腰から下の病気を治してくれるせいか周りは
ほとんどが女性です。私の横に立ったおじさんは「ほんまに天気がよくなったのでよかっ
た」としみじみ言うので「世話人会のかたですか?」と聞くと「いやいや、そんな・・。
ちょっとこのあたりをきれいにしただけで」と控え目!!
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お供えはお菓子やお酒、果物。お菓子はお餅といっしょにまくそうです。それも、「ホラ貝
を吹いている間に、餅まきをして下さい、その前に奉納舞い、チーム雅龍のみなさんが踊っ
たあとです。」という中田さんが話している声が聞こえるのですがそこで雅龍のメンバーの
一人が「踊る場所がないのです」と言っています。中田さんは「?」な顔をしていましたが
峠道で踊ってもらうつもりだったようですが「道はトンデモナイことになってます。人でい
っぱい」というメンバーの言葉に「いやぁ~、下のことは全然わからない。なんとか場所を
確保して踊れませんか?」世話人会はどうやら祠前に集まり過ぎて、峠道の状況を報告して
いなかったみたい。私たちは餅まきには参加しないのでというか、どうみてもお餅が少ない
ようで横に立ったおじさんも「足らんなぁ、配ったほうがみんなに行きわたるかなぁ」と
心配していたくらい。人ごみを避けて私たちは祠のある山と峠道を挟んだ反対側に登り、
そこから奉納舞と餅まきを見物することにしました。そこには老婦人と数人のカメラを
持った新聞社のひとだけ。足元も道になっていて世話人さんたちの工夫か、小花やネコヤナ
ギなどが植えられていました。
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緑の衣装を着た若者、小学生のような女の子が一人と若い男の子二人、あと五人が女性。
雅龍は紀南地方のイベントに参加することも多いようで、場馴れした感じですが、まさか
このような山の中の今立っているような狭いところで踊ることはなかったんじゃないかな?
でも、元気よく踊り、峠道の観客も私たちもいっしょによさこいソーラン踊りに手拍子。
見ての通り、観客のいる幅が峠道の幅です、写真の右奥まで観客です。写真中央の山腹の
道を上がって行くと祠があります。
この土曜日に春祭りが行われるので・・・という案内をいただいたので久しぶりの青空に
なった土曜日、少し遅くなったけど家を出発しました。中田さんは峠へ車で上がって行ける
ようになりましたということを書いてくれましたが、国道のどこから入っていくのかわから
なかったので、前回加寿地蔵さんに行ったときと同じ、観光ホテルの駐車場から歩いて行く
ことにしました。歩くと言っても、地下足袋で歩く山道とは全然ちがうし、前回も楽勝で歩
けたし・・・。ところが駐車場に着くと、一台分の駐車スペースしか残っていません。
それも前に止めたところ同じスペースです。こんなこともあるんや~と思いながらも、
おとうさんと「この前より来てる人多いかも。それに、前は前方に歩く人がいたけどきょう
は誰もおらんから、遅かったのかも」なんて喋りながら歩きます。このところ、週末以外は
雨の日が多く、道がぬかるんでいたらどうしよう・・と心配もしたけど、この熊野古道・大
辺路(他の大辺路コースはわからないが)コースは地質が岩のようで水たまりがないという
か、坂になっているので流れていくみたい。ところどころに世話人会さんたちが土嚢袋に
がれきを入れて水はけがいいようにしてくれていました。中田さんは加寿地蔵伝説の映画も
撮影するようになるので平安室町民家も建てましたとも。
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『加寿地蔵映画撮影中』という看板が、昇り口に立てられています。加寿地蔵は峠の道より
高い場所に祀られていて、そこに上がるまでは手すりも付けられていますが人一人通るのが
精いっぱいで、上から人が降りてくればしばしそこで待機しなければなりません。でも、
すみません、という声をかけあうのでしぜんとみんな穏やかな顔になるのです。私たちは
完全他所者なので、知った人がいないけどなぜか、隣りに立った人と話をついしてしまう、
なんか不思議な気がします。どこのお寺や宮様に詣でてもあんまりそんな記憶ないのに。
そこが、加寿地蔵の力か世話人会の中田さんの力なのか・・・。
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たくさんの人の後ろ姿、そこが加寿地蔵の祠を安置している少し広場になっているのです。
この下は峠道で、なんとびっしりとおばさん達が新聞紙を敷いて座っていたのです。じつは
春祭りに餅まきがあるので、たぶんそれを目当てにやってきた人たちで場所取りをしている
のです。だから祠にお参りしないのか私たちがおばさん達をぬって祠まで行こうとしたら
「お餅をみんな上に持って行った」とまるで、祠前で餅まきをしてしまわないか心配そうに
訴えてくるのです。そう言われても、今私たちは着いたばかり、おまけに信者ではないとい
うか(ならば何故祠に行こうとする?)、やはりあの穏やかな中田さんの顔を見に・・かな
私たちは結局、この上がっていく道の一番最後で待つことにしました。前に進めない以上、
本当の信者さん達の邪魔をしてはいけないからです。が、どうやら、御祈祷もすんでしまっ
たようで、ここに並んでいる人は祠にお参りして餅まきに参加するようです。私たちも
一番最後にお線香とお賽銭を・・。加寿地蔵は腰から下の病気を治してくれるせいか周りは
ほとんどが女性です。私の横に立ったおじさんは「ほんまに天気がよくなったのでよかっ
た」としみじみ言うので「世話人会のかたですか?」と聞くと「いやいや、そんな・・。
ちょっとこのあたりをきれいにしただけで」と控え目!!
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お供えはお菓子やお酒、果物。お菓子はお餅といっしょにまくそうです。それも、「ホラ貝
を吹いている間に、餅まきをして下さい、その前に奉納舞い、チーム雅龍のみなさんが踊っ
たあとです。」という中田さんが話している声が聞こえるのですがそこで雅龍のメンバーの
一人が「踊る場所がないのです」と言っています。中田さんは「?」な顔をしていましたが
峠道で踊ってもらうつもりだったようですが「道はトンデモナイことになってます。人でい
っぱい」というメンバーの言葉に「いやぁ~、下のことは全然わからない。なんとか場所を
確保して踊れませんか?」世話人会はどうやら祠前に集まり過ぎて、峠道の状況を報告して
いなかったみたい。私たちは餅まきには参加しないのでというか、どうみてもお餅が少ない
ようで横に立ったおじさんも「足らんなぁ、配ったほうがみんなに行きわたるかなぁ」と
心配していたくらい。人ごみを避けて私たちは祠のある山と峠道を挟んだ反対側に登り、
そこから奉納舞と餅まきを見物することにしました。そこには老婦人と数人のカメラを
持った新聞社のひとだけ。足元も道になっていて世話人さんたちの工夫か、小花やネコヤナ
ギなどが植えられていました。
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緑の衣装を着た若者、小学生のような女の子が一人と若い男の子二人、あと五人が女性。
雅龍は紀南地方のイベントに参加することも多いようで、場馴れした感じですが、まさか
このような山の中の今立っているような狭いところで踊ることはなかったんじゃないかな?
でも、元気よく踊り、峠道の観客も私たちもいっしょによさこいソーラン踊りに手拍子。
見ての通り、観客のいる幅が峠道の幅です、写真の右奥まで観客です。写真中央の山腹の
道を上がって行くと祠があります。