「差別は、自分の恵まれた立場に気づいていない無知から生まれる。」
この文章をみて、どう思うだろうか。
ああ、そのとおりかもしれない。
私はそう感じた。
同時に、不安にかられた。
「自分の恵まれた立場に気づいていない」
という部分について
我が娘たちは大丈夫だろうか。
実は、当たり前に環境を整えてあげることに必死で、恵まれていることについて、感謝するように伝えること、少し足りないかもしれない。
上の娘は気がついてきている。下の娘も解ってる気がする。まあ、中学一年生だもの、まだ、あまり考えても仕方がないけどね。
周りとくらべ、自分が置かれている環境を考えること。出来ているかな。
与えられた環境の中で、のびのびとできることを.やりたいことをやれたらいい。
それが親の願いだなぁ。
差別は、無くならなくて
でも、ちゃんと自分の置かれている状況を踏まえた上で、周りの人と接して考えれば、違ってくるような気がしている。
うん。
そう思う。
上の娘が弦楽部の友達と、卒業生を計画している。
3月28日、29日でTDL夜行バスで行き、夜行バスで帰るらしい。
娘の後期日程の補欠合格の連絡が入る日が3月28日なのと、夜行バス行き帰りが心配なんだけれど。
今回ばかりは、なんとか本人の意思を尊重してあげたくて、家族会議中。
やはり妻は心配なよう。
あとは。後期日程の補欠合格の連絡先を、娘自身の携帯にしてしまったので、当日連絡がつかないと、補欠合格がダメになる可能性。
これも心配しすぎだと思うんだけれど、心配らしい。
うーむ。
私としては、折角の卒業旅行
行かせてあげたいんだけれど。
失敗したり苦労するのも経験。
若いうちに、信頼できる仲間のいるうちに
失敗できる幸せを噛み締めるべきだと思う。私たち親は。もう干渉する時期を終えているのだから。
子離れしなきゃ。

昔書いたデザイン誌の記事を久々に見返していて、思いだした。
ああ、そうだ。
これが伝えたかったけれど、うまく言葉にならなかったことだ。
少し前に脛骨欠損のお子様を授かったご家族と話す機会があった時。
この記事のような内容を伝えようと思い、なぜかうまく説明できなかった。
なんと言えばいいか、思い浮かばず。
伝え損ねたような後悔が残った。
だから、せめて、ブログに残そう。
まだ、読んでくれていることを祈ろう。
日本の伝統
たしかに尊いし大切なんだけれど。
だからこそ、起こる問題もあるということを知ってほしい。
そう思った。改めてね。
7年前に書いた記事がある。


いまも続けている、デザイン誌の記事
これが、Facebookをやっていたら、急に過去記事として目に飛び込んできた。
衝撃的だった。
書いた本人が言うのもなんだか、すごい記事。
完全に記憶はなく、改めて読者として読んで泣いてしまう。
なんだろう。
人間ってそんなものなのかもしれない。
この瞬間の想いや辛さ、憤りや怒り。
実は7年もすると忘れていることもある。
あらためて、我ながら思い知らされた。
いや、悪い意味ではなくて
それだけ、今が幸せであり、過去に捉われなくなって久しいと言うことなんだろうな。
でもさ。
やはり、忘れてはいけない。
だからして、遺しておくことの大切さをあらためて感じた。
本当に。
ブログの記事も、デザイン誌の記事も。
きっといつか、誰かのためになる。
そんな気がする。
毎日が怒涛のように、過ぎていく。
いろんなことが変わるがわるおきて、
対処に追われ続けていく。
振り回されているな。
仕方がないんだけど。
身体を大切にするために
ビール類を辞めて、ウイスキーに変えた。
毎晩、ビオフェルミンや鉄剤、亜鉛剤などを飲み、タンパク質を取りながら、ウイスキーを飲む。
最近の自分なりにストレス発散が、そんな感じ。
運動不足が否めない。
なんか、ハードル高いんだよね。
誰かに案内してもらえないかしらん?
やれやれです。
上の娘の悩みの一つ

靴
先日、ふと靴を見てつぶやいていた。
「いいなぁ」
どうやら、こういう靴が履きたいらしい。

はけないわけじゃないような気がするので、なぜそんなことを言うのかきいてみた。
どうやら、こんな感じ。
①靴の踵部分が柔らかくて、義足だと履きづらく、履けても毎回大変。
②内側のベロの部分が紐を通す穴がなくて、義足で履こうとすると内側に入っていってしまう。
なるほど。
でもさ。
そんなことなら、少し工夫すればなんとかなるような気がして。
でも、本人はその一手間が面倒で。
私にそれを頼むのすら気が引けて、欲しいものを欲しいと言いづらい。
そういうことらしい。
どうだろうか。
②は、ベロに自分で切り込みを入れて、紐を通せば解決する気がする。
①は、どうかな。
かかと部分に内側からなにか補強ができればいいような気がするんだけれど。
アイデアは浮かばないな。
どなたか、いいアイデアがある方、教えてください。悩みます。
これからの長い人生、そんなことで履きたい靴を我慢して欲しくないから。
まあ、手間をかければ履けるのだから、贅沢を言うなとも言われそうなところが、微妙な悩みではあるんだけれども。
はい。(^^)
私が以前から応援している、ダンサー
森田かずよさんの言葉に
ものすごく同意したものがあります。
以下、WEBより
『障害は「個性」ではない、障害は「事実」だ』と書かれたキャッチコピーを見て
心臓を矢で射抜かれたような衝撃をうけました。
私も常日頃から「障害は個性」という言葉が嫌いで、
「障害はそれ以上でも以下でもない。障害だ。」と言っていました。
まさしくその通り。
その事実から、自分の人生を描いていくのです。
そこから他者と繋がっていくのです。
個々の才能や努力、チャレンジが
輝く社会になっていって欲しいな、と思います。
どうでしょうか。
私はものすごく同意しました。
そうそう、これが言いたかったんだと改めて思いました。
ふと、思い出したので書いてみました。
娘が離断を2歳前にしたのは、事実を当たり前に受け入れるために、一番スムーズになるようにという、親のお節介でしか無くて
事実を受け止めて、どう生きるかは娘次第で。
ただ、娘が受け止めたとき、とりうる選択肢は出来るだけ多く残してやりたい。
それが私がこの15年、一番大切にして生きてきたこと。それに尽きるのです。
ふと、酒を飲みながら思い出しました。
読んでいただいてありがとうございました。
梅雨続きの久々の晴れ間
平日だから、あっという間なんだけど
少しほっとする。
今夜はまた、雨が降り
もしかしたら非常配備当番かもしれず。
憂鬱なわけだけど。
被災地は大変で
いろんなニュースが流れてくるわけで
心からお見舞い申し上げると共に、明日は我が身だと思うようにしています。
そういえば、昨夕
上の娘の通学帰りに、娘の荷物が重そうだといい、助けてくれようとしてくださった男性がいたそうで。
初めてのことで戸惑い、「大丈夫です」とお断りしたけれど、リュックを後ろから持たれて、バランスが崩れて転びそうになったらしく。
でも、好意でやってくれているように見えるから、やめてくれともいえず困ったらしい。
たまたま、乗換駅で5分くらいだけだったから、なんとか無言で耐えたらしいけど。
どうしたものか。
善意はありがたいけれど、ありがた迷惑もあって。無闇に手伝った気にならない方がいいなと改めて考えさせられた。
荷物を後ろから支えるくらい、いいじゃん
と思うのかな?
バランスが崩れるの怖いの、わからないんだろいなぁ。
次回からは
「支えられるとバランスが崩れて怖いのでやめてください」
と言おうと娘とは話したけれど。
なんかそれを言うと、逆ギレする人とかいそうだから怖いよねと娘。
たしかになぁ。
ようやく小学4年の下の娘と、高校一年の上の娘の夏休みが決まった。
結果として、家族皆が休みなのは8月8日から16日までしかないらしい。
衝撃的だ。
しかも、下の娘は休みなのに上の娘は学校という夏休みが三週間以上もある。
いろいろとどうするか考えないと。
まだ、先の話ではあるけれど
なんだかね。
仕方がないことと思いつつ、かわいそうになるね。
夏休み。
暑い中、通学や授業環境、心配だ。
真夏に7時間授業とか、本当にやるんだろうか。
炎天下での体育とか大丈夫だろうか。
心配は尽きない。
今から、だんだんと議論されていくんだろうけど、各学校の裁量が大きいから、しっかりみていてあげないと。
特に上の娘は、こうしたときに忘れられがちだから。
しっかりと毎日あったことを都度聞いていかないと。
そうしたこと。
あまりわからない義肢装具使用者の親の気持ち。
なかなか判ってもらいづらい。
だからして、やはり
私はこうして発信を続ける。
誰かの助けになりますように。
いざとなれば、寄り添えますように。
上の娘の、修学旅行が近い。
6月中旬にむけて、三年生が始まり次第、畳み掛けるようにじゅんびがはじまる。
並行して、学力テスト。
忙しいね。
中でも、班決めは悩ましい。
中学校のこうした課外活動の班決めは、人数を指定して、生徒で好きなように組ませることが多い。
それも、少し前から予告して考えさせる。
そうなると、皆誰と組むかを休み時間を問わず考えはじめ、決める頃にはすっかり話が出来ている。
娘はというと。
自分が班に入ることで、班のメンバーに制約が加わることを知っているから、自分からは誘いづらく。
仲良しの子がいても、その子とすでに組んでいる子がどう思うかに遠慮してしまう。
自分が出来上がっているグループに最後に入る形だと、精神的にきつい。
また、自分を誘ってくれたグループに実は苦手な子がいた場合。雰囲気的に娘に拒否権はない。
「せっかく誘ってくれたのに、断るなんて」と思われる。そういう恐れがある。
結果。先生が班決めの条件を発表してから、その班が決まり、班のメンバーと打ち解けるまでは、娘に取り地獄である。
今年は、悪いことに、それを決める時期が4月初めだという。
しかも、年度始めの実力テストを跨いで考えさせて決める案もある。
それはきつい。
テスト勉強をしなければいけない、テスト前に不安にかられ、勉強どころではなくなり、眠れなくなる。
そんなことが起ころうとしている。
親は無力だ。
それがわかっていても、どうすることも出来ない。いっそクジで決めてくれたらな。
何度そう思ったかわからない。
でも多分、普通は自分たちで班も決めて、知った子と班行動をしたいんだろうな。
すっかりグループ、出来ているもんね。
娘はグループに属していない。理由はいろいろ
でも、今までの学校生活のなかで、なんども繰り返されるこうした「好きな子同士で組みを作って」という先生による指示が娘を追い込む。
「もし、グループに入っていると、そのグループの子は、こうした機会ごとに悩むのでは?」
そういう心理も働いているように思うのだ。
何というか。
わかりづらいかもしれないが、多分娘に限らず、ハンデを持っている子ならば、学校に限らず起こりうる現象。
大人になってからも、あるだろうね。
だから、慣れろという人もいるけれど。
やっぱり可哀想だな。
何とかならないかな。
そんなことばかり考えてしまう。
自分には何も出来ないけれども。
ああ、あと一週間もするとその時期が来る。
娘があまり精神的に追い込まれずにテストに取り組めるといいな。
中学三年生初めのテストって、全国統一だ大切だもんね。うーむ。
6月中旬にむけて、三年生が始まり次第、畳み掛けるようにじゅんびがはじまる。
並行して、学力テスト。
忙しいね。
中でも、班決めは悩ましい。
中学校のこうした課外活動の班決めは、人数を指定して、生徒で好きなように組ませることが多い。
それも、少し前から予告して考えさせる。
そうなると、皆誰と組むかを休み時間を問わず考えはじめ、決める頃にはすっかり話が出来ている。
娘はというと。
自分が班に入ることで、班のメンバーに制約が加わることを知っているから、自分からは誘いづらく。
仲良しの子がいても、その子とすでに組んでいる子がどう思うかに遠慮してしまう。
自分が出来上がっているグループに最後に入る形だと、精神的にきつい。
また、自分を誘ってくれたグループに実は苦手な子がいた場合。雰囲気的に娘に拒否権はない。
「せっかく誘ってくれたのに、断るなんて」と思われる。そういう恐れがある。
結果。先生が班決めの条件を発表してから、その班が決まり、班のメンバーと打ち解けるまでは、娘に取り地獄である。
今年は、悪いことに、それを決める時期が4月初めだという。
しかも、年度始めの実力テストを跨いで考えさせて決める案もある。
それはきつい。
テスト勉強をしなければいけない、テスト前に不安にかられ、勉強どころではなくなり、眠れなくなる。
そんなことが起ころうとしている。
親は無力だ。
それがわかっていても、どうすることも出来ない。いっそクジで決めてくれたらな。
何度そう思ったかわからない。
でも多分、普通は自分たちで班も決めて、知った子と班行動をしたいんだろうな。
すっかりグループ、出来ているもんね。
娘はグループに属していない。理由はいろいろ
でも、今までの学校生活のなかで、なんども繰り返されるこうした「好きな子同士で組みを作って」という先生による指示が娘を追い込む。
「もし、グループに入っていると、そのグループの子は、こうした機会ごとに悩むのでは?」
そういう心理も働いているように思うのだ。
何というか。
わかりづらいかもしれないが、多分娘に限らず、ハンデを持っている子ならば、学校に限らず起こりうる現象。
大人になってからも、あるだろうね。
だから、慣れろという人もいるけれど。
やっぱり可哀想だな。
何とかならないかな。
そんなことばかり考えてしまう。
自分には何も出来ないけれども。
ああ、あと一週間もするとその時期が来る。
娘があまり精神的に追い込まれずにテストに取り組めるといいな。
中学三年生初めのテストって、全国統一だ大切だもんね。うーむ。