放棄地

2010年02月05日 | Weblog


 昨日が立春ですので、もう春です。でもまだ寒い。立秋のときには、あの真夏の暑さの中で、何で秋なんだと強く感じますが、ピークの時に秋が始まるという話を聞いて、無理やりそう思えということになりましたが、まだ私の鈍い頭では納得がいきません。

 立春もそうなんですね。考えて見たら寒さのピーク、というのも変ですから、寒さの底つまりボトム、とは我々は言いませんから、やっぱり景気の話じゃないですが、「底」ですね、の時が立春と言うことに?


 

 昨日は載せきれませんでしたので、遅ればせながら今日・・・・・。枡の中の豆は自宅で煎ったものです。袋の豆はもちろん製品。鰯は食べやすいように小さいのを。信心ごころが五倍です。頭もしっかり食べました。見るもの聞くもの、皆信じてしまいそう。


 

 毎日通る道に、こんなところがあります。元、じいさんばあさんがやっていた、かなり広い栗畑の後地です。若い人たちは、商売が別なので栗は栽培できずに、リトルリーグのグランドとして貸していましたが、リトルリーグも下火になり、今は荒れ放題です。遠くの建物も、しばらく放棄されたままでした。


 

 ここもその一部。なにやら土砂が積み上げてありましたが、借りていたところも倒産でもしたのでしょうか。塩ビパイブを塀代わりにしておいたのがそのままに。美しくないですねー。

 時代が変わると、物の価値が変わり、すぐにこんな風になってしまうものです。荒れるのは早いですね。


 

 あまり作らなかったので、大事に少しずつ食べています。これを食べ始めると、やめるのに相当な努力が必要です。

 種をまいて、あとは時々気をつけて見ていれば、きちんと出来てくれますから、嬉しいものです。ありがたいですねー。


 


   ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし       寺山修司
 

   駄歌
    アクセント無き地域に育ちし我 モカ珈琲は良き香かな
    日なたにて本を楽しみ読みしかど冷たき風に部屋に追われぬ
    モーツアルト聴き惚れしピアノ曲協奏曲は二十番なり
    毎日をどのようにして過ごせしか何も買わずにうろつく年より
    寝不足を知らずしらずに補えりテレビ見るとき更新の時
    耕作地あちこち放棄されたまま世の中ほんとにどうかしてるぜ
    作る者採算あわなきゃやりきれぬこれじゃ放棄せざるを得ぬわ
    手作りの人形の顔眺むれば娑婆のひずみをしばし忘るる