軽み

2017年08月26日 | Weblog


昨日と同じように、穏やかではありましたが暑い日でした。

早朝、朝食前に仕事をしました。

先日、トウモロコシを処分したのですが、その根っこの部分が残っていましたので、マルチのビニールを取り除きつつ、根を鎌で切りながら抜き取りました。けっこう力が要りました。

 

仕事は次から次へとあるもので、気がつけば柿の枝が実の重さに耐えかねてか保育園に貸してあるサツマイモ畑の方に垂れ下がってしまっています。柿は豊作のようです。

のこぎりを持ってきて、柿の実は惜しかったのですが枝を切りました。それも一本切ると次の枝も切った方が良いかということになり、またもう一本と・・・。

切った枝は片付けなければなりません。それも含めて結構な仕事量になりました。それに、朝とは言え、かなり汗をかきました。やっぱり夏ですね。

 

8時ころ、「 ひよっ子 」 を見ながら朝ごはんをたべました。食べながらですと、もぐもぐ食べる音が邪魔するからでしょうか、よく聞こえません。テレビの音量も高くなります。

このドラマを見ていると、自分が同じ年頃のことを思います。彼女らの時代と年齢を考えると、ほぼ同じくらいの年ですからね。

 

昨晩の夕焼け。コロをつれて散歩していましたが、夕焼けは背中の方向だったので、気づかないで歩いていました。

振り返ってびっくりしました。雲の具合のせいでしょうか、何かが燃え上がる時の煙のように見えました。

 

 
   やがて死ぬけしきは見えず蝉の声   芭蕉

生き物は、いつも一生懸命に生きていますね。先ほど追い払った蚊でさえ一生懸命に生きているに違いありません。

見ていると、生き物は皆、正直だなと思います。蝉は本当に、わずかな命を燃やて懸命に鳴いています。死を知らないからでしょうか。芭蕉はさすが良く言ったものです。

芭蕉は 軽み と言うことを重要なことと思ったそうです。日常の生活を営んでいて、何気ないことを句に詠み、それが読む人の心の中に深みと重みを残すという方法のようです。

確かに、蝉が一生懸命に鳴いている様子のことを詠っているわけですが、何かを考えさせられます。