仕事は適当に

2020年06月16日 | Weblog


毎日まいにち体を使う仕事をしていては、体も疲れます。かと言って、何もしないでボーっとしていては、それがくせになってしまい、四六時中ボーっとしていることになる。
その結果、昔よく使われた言葉をおもいだしましたが、その結果「耄碌(もうろく)」してしまうことになる。それは早すぎる。

 

時々屋根に上がってしまい、下ろしてくれと鳴いているときがあります。
自分でも降りられるのですが、下ろせと鳴きます。仕方がないから段ボールの箱を持ってきてハシゴに登っていきます。
段ボールを出してやると、迷った末にやがて箱に入ってきます。

 

さてその、話の続きで何をするかのことですが、
てっとり早いのはテレビの録画をみることでしょうか。そればかりでも、センベイはすぐに食べ尽くしてしまうし、健康によくない。じっとしていると「これで良いのだろうか?」という思いが自然発生してきます。
その結果、外に出る。そして今日は草刈り機を持ち出して草刈りをし、大汗を流しました。
中途半端でおしまいにするのは残念です。せっかく着替えたことだし、作業をすれば作業着は汗をかいてしまうし。
その結果、大汗をかくことになります。でもまあ、健康のためには良いことですからね。
体にも良いし、気持ちも何かの仕事をすれば「やったぞ」と言う一種の満足感やら安堵感のような気持ちになりますからね。

 

疲れたせいか、その後お昼過ぎに見た録画は途中から夢の世界に入ってしまったので、結論が何だったか・・・???
まあ、録画ですから何度でも見られますけど。ただ、失われた時間は戻ってきませんが。
それはかまわないです。体が休まったのですから。と、良いことを見つけてそれに満足することですね。

 

沢山植えて育ったからと言って、その一部を隣からもらってきて植えました。
しっかり水やりをして、その後に十分に雨が降ったので、根付いたようです。

 

同じように植え、育てた物なのでしょうが、一輪だけもう咲きました。
植物にも性格とか、体力の違いとかがあるんでしょうかね。ほかより大きいとか言うのではないのですが。
まあ、何かの都合があるんでしょうね。人にはわからないだけで。
でも、学者なら知っているかも知れませんね。誰に聞いたらよいのでしょうか。
聞いて知ったとて、それが何になるのか? ならないので、聞く人を探しもしませんが。