気持ちが麻痺をしてしまうのでは?

2021年01月18日 | Weblog


晴れました。気温は10℃程度です。テレビを見ようと思うと、コロナ、コロナ・・・。
確かに大変なことなのですが、余りにもこう頻繁にほうどうされていて、そして長々と
解決への道が開けないまま騒いでいると、次第に民衆の気持ちは麻痺して行き、大変な
ことが大変だと強く思わなくなってしまうのではないでしょうか。
むしろボワーっとした、緊張感のない状態に陥るのではないのかなとおもうのですが。
嫌なら見るなと言われそうですが、嫌でもあちこちのテレビ番組でやっていれば・・・。
そして、見なくても聞こえてくるし。

 
 曇りです。 木は、この頃少なくなった赤松。貴重な木になりました。
 神社の門松にと、もらいにきます。

知人に、足の治療にどうだろうかと、ある治療院に連れて行っていただき、紹介をして
もらいました。明日から治療を受けることになりました。
足は、動くのには先ず第一に、それこそ第一歩ですね。その一歩を踏み出すことのできる
体の器官ですから早く治したいです。もっとも、体のどの部分も大切でない部分は無いですが。

 

この頃は言われているように、ほとんど出かけなくなりました。不要不急のことが
多いですからね。
しかし、用事は無いのですが私の気持ちは鋼のように強いものかどうかは、私自身は
わかりません。

 

ひ弱な自分でも心が強靱であれば良いがとは願っていますが。
「なに、大丈夫だよ」とか「大丈夫なはずだ」と思っても、実際はどうか本人自身は
分からないですね。ただ、頑張ろうという気持ちは大ですが。
不要不急で出かけないのと、足が健全ではないので出かけられないということもあり得ますが。

 
 私の足だけでは無く、このコンクリートもボロボロに・・・。
 ある人に聞いたところ、たぶんセメントと水の量の配分を間違えて作って
 しまったのではないかということでした。

さて、そういう心理分析のまねごとなどはおしまいにして・・・・。
今日も、医院に出かけた以外は家にいます。いろんな本をかじる程度に少しずつ読み、
ここで止めちゃうのは残念だなと思うものはもっと長く読み、録画を見て「なるほど。
そうだったんだ」と納得したりしています。

例えば、菅原道真に関する番組の録画は、彼のことを詳しく知っている訳ではありませんから、
新しく知ることが多く、太宰府に左遷されたのにはいろいろな不運な事情があり、それを
具体的に知ることが出来たり・・・。
 
 
  サヤエンドウ  ネットの中なので風にふりまわされません

足が悪いと、「足が治ったら、今度はこんなことをしてみたい」ちか「コロナが去ったら、
ぜひこんなことをしたい」なんて思うものですね。
メモをしておかないと忘れちゃいそうです。「一難去ったらすっかり忘れて・・・」と
言うことは大いにありそうです。特に私は。
とにかく、今日と言う日はまだ続きますが、何とか無難に過ぎて行くように思われます。
幸いご飯はおいしいし、体の他の部分はストを起こしてもいないようですし。