毎日来る郵便配達の人に、来年の年賀状はいかがですかと聞かれました。もう、そう言う時期になって来たんですね。その人は、今日はバイクで走っているととても寒いと言っていました。これまた、そういう時期になったんだなと、二度思いました。
夕空晴れて秋風吹き~ と、本当に秋になりました。でも、日中は少し暑いかなと思う時もあります。
サツマイモも、そろそろ掘る時期になってきました。今年は異常に暑く、花が咲いてしまった畑もあります。普通はサツマイモの花は見られません。私の所では幸い花は咲きませんでしたが、試しに掘ってみたところ、腐りのようなものが入っている芋もありました。
水にゆっくりと運ばれる木の葉。さて、どこまで運ばれるのやら。水の行方次第です。私たちの定め(「運命」と書いて「さだめ」と読ませる例がけっこうありますね)も、時という水のような流れに乗ってどのように、どこに流れ着くことやら。
まあ、笛の音でも聞きながら・・・
廃 句
秋深しほんとに飯がうまいぞえ
こりゃいかん体重計に相談じゃ
かと言うて我慢は本当につらいもの
この時ゾならぬ我慢をするが我慢
赤とんぼ人の頭で一休み
昨日は用事があって、ブログを更新できませんでした。毎日更新というのは、時により難しいものです。
大根。大小不揃いですが、これは大きい方の苗です。大根は、種まきが下手なのでまばらに発芽してしまうことがあります。
あまり土をかけすぎると出が悪いのですが、種まきをしたあとで、あいにく強い雨などにあってしまうとまずい結果になります。その運がわるいことにぶつかることが多いです。前回は蟻の巣であったところに蒔いてしまいました。畑の蟻はこまります。無しにしたいです。
そろそろ栗も終わりになってきました。昨年あたりから枯れる木が多くなり、栗を集めにくる業者の方も来なくなりました。
枯れる原因は、幹を食い荒らす害虫のせいです。
近くの静かな住宅街にあるイタリアン・レストラン。とてもおいしいです。私はグルメではないので、自信を持ってここがこのように美味しいなどとは上手く言えませんが、ほかの店とはひと味違うような気がします。
廃 句
十月の半ばと言うのに蝉が鳴く
赤とんぼゆで栗葡萄蝉の声
草むしり解放されて良い日かな
青空がより青く見える解放感
いくつもの槌音高く新築家
秋になったら、草との戦いがずっと少なくなったのでほっとしています。夏は、毎日まいにち草とりばかりやっていて、無駄に時間を過ごしているようで、とても空しくなります。
熟するのを待つのは人だけではない 青 河
反面、撮る野菜も少なくなってきました。空しい戦いを減らし、年々歳も取ってくるしですので、作付面積を少なくしようと思っています。野菜の種類も減らしています。
茨城空港から見た筑波山です。正面に見えます。
こちらは家からの眺め。気球が浮かんでいました。
犬のお巡りさんは、稲刈りが終わって役割を終えたのでかくれんぼしてしまいました。
イヌサフラン。葉が出ないで、いきなり花が出てきます。
秋も少しずつ深まってきています。紅葉はまだです。日中は半袖で居たい時もあります。多少は暑い時もありますが、夏とは全く違うのは風です。生温かい風は吹かないので、過ごすのはずいぶん楽になりました。
これで、国際問題やら放射能のことがなんとか良い方向に向かってくれればと願うのですが、人の世は悩みのない時というのは無いのが普通なのですね。庶民は、些細なことで喜んだり悲しんだりしながら生きていくのが普通であるようにセットされているのだと思います。
なかなかこの、ちょうど良いあんばいというのは無いものです。風呂は熱すぎるかぬるすぎる。お茶は濃すぎるか薄すぎる。それと同じように、気温も暑すぎるか涼しすぎるものです。だんだんに涼しくなっていくなら良いのですが、崖から落っこちたみたいに汗だらだらの日からブルッと震える日になってしまう日が来た。かと思えばまた汗だくの日に。なんてことが今年はありました。
この頃は比較的安定してきましたが、もう10月の半ばですからね。すっかり秋らしくなってきました。
秋は良いのですが、なんとなく自然界から何かの力が抜けていくような感じもします。凋落(ちょうらく)なんていう言葉がありますが、時にはその言葉がぴったりなんてこともあります。
琉球アサガオはまだ花が咲いています。午前中はこのような色ですが、五語になるとピンクがかってきます。
アサガオなのに花が咲いても実が生らない。山吹みたいなものです。根で増えて行きます。それも、寒冷地では根は越冬できません。私のところでは何とか冬が越せます。
まだまだだいじょうぶです。このトマトは、ずいぶん生りましたね。手を立てるぐらいで、あとは世話無しです。わき芽を挿して数を増やしたりしました。
仕切られた空
廃 句
秋の夜は眠くなるまで読書かな
秋の夜はコーヒーの香り部屋に満ち
秋の夜は遠き昔を思い出し
秋の夜は静かにしずかに時が過ぎ
秋の夜はニュースなどは見るものか
世の中には、自分の考えと違う人もいれば、好みの合わない人、価値観の違う人がいます。違う人とは同席しない人がいます。違う人とも同席して、話の共通点を見つけ何か得て帰る人もいます。さまざまです。
いつ散歩に出られるのか、様子をうかがっているようです。歩き出すと何度かウンチをするので困ります。
それに力がありますからね。女性は嫌うでしょうね。そこのところの加減が分かるようなら素晴らしいですけどね。犬は犬ですから、しかたがない。
日照りだったり虫が発生したりして、さんざんな夏でした。
世の中腹の立つことも多いですが、個人に対しては腹を立てるということは無いですね。別に悟ったわけでも無いのですが。考えて見れば、ごった返しの娑婆ではあるし、互いに短い一生ですからね。
まあこんなところです。
長くは座っていられないような感じがするのですが・・・。
国の内外はいつも騒がしいです。それでも、何とか穏やかに暮らしていられるのは平和であるからです。平和というのは定義が難しいですけれど。
台風で倒されながらもインゲン
こんにちは
洟が出てくる季節になてtきましたね。
三輪車ってむずかしい
乗ることはできても、まだペダルを踏見込むことはできないようです。
一度刈った稲に実がついて、それが重たくなったのか頭を下げてきました。早く刈った稲は多少なりとも不完全ながらも実になってくるのでしょうか。
バッハ アリオーソ
夏の間は、どの家も明かりなどついていないのに、このごろは日暮れが早くなったので、家々の明かりを見ながら暗い道を歩くことも多くなりました。草や木の様子が変わって季節の移ろいがわかるだけではなく、そういうことでも移り変わりを感じます。
なるべく明るいうちに歩きたいので、歩く時間が早くなりました。空は、いろいろな表情を見せてくれます。空の様子が刻々変わっていくのを見るのが面白いです。
甘さ控えめ渋皮煮。そういえば、群馬県に渋川という町がありました。関係ないか。
沼のへりに桜が咲いていました。花の数が少ない。気の毒な感じです。咲かなければ良かったのに。「私も咲こうっと」と言って後をついてくる友達が実に少なかったのです。
ブロッコリーはこれくらいになっています。
市立植物園で
廃 句
おっとっと、うたた寝 風邪にご用心
今宵また虫の合唱聞いてます
良いニュース無い中ひとつノーベル賞
こりゃいかん。ご飯がうま過ぎ 秋の空
馬じゃなく人肥える秋、体重計
少し動くと暑いので、その気になって薄着で余所にいくと寒いことがありますから、いま時は注意が必要ですね。
少し離れた町で、産業祭があったので出かけてみました。海岸に近い広場なので風がちょっと強くて、少し寒かったですが、たくさんの賑わいがありました。
あまり人混みは好きでは無いのですが、絶対に行かないのも何ですから、今日は楽しんできました。
変わったものでは、こういうものが展示してありました。これで時速100km出るそうです。重さは忘れましたが、かなりの重量です。中に10人くらい乗れるそうです。
何か、こういう店は楽しそうですね。私はエスニックな食べ物に興味があります。
と思っていたら、ちゃんと買ってきたようです。もちろんおいしいですね。中を広げて撮るのもねぇ。
説明ができませんので、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%82%B5%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%A4 を見てください。とにかく、おいしかったことは確かです。
午前中、早いころは曇り気味だったのですが、その後はきれいに晴れました。
エシャロットです。植えてからあまり日数が経っていません。まだちょっと頼りないですね。そのうちしっかりして、分結してくれるのでしょうね。
格子のほうにピントが合ってしまったようです。デジカメも、オートフォーカスは便利なのですが、こういうところがまだ未成熟なんですね。
名前は分かりません。たぶんウツボカズラの一種なんでしょうね。手帳に名前を控えてきませんでした。几帳面な性格でないので、そんなことしていたら楽しみが半減しますから。
廃 句
明代秋やってと巡って来てくれた
秋よ秋このまま秋でいてくれよ
秋よ秋虫の合唱ありがとう
秋よ秋飽きるなんてことありはせぬ
秋よ秋夏が有りゃこそこの秋だ
よく降る秋の雨。ゆっくりしようと思っても、今日は市民運動会の日です。あちこちの学区で花火が上がるのが聞こえてくれば、落ち着いていられません。
小学校のグラウンドでは、小雨が降ったり止んだりした中でやっていました。私は、玉手箱を拾うという実に楽なものに出ました。
子どもの頃は小学校の運動会で、年寄りたちが玉手箱を目指してエッチラオッチラと走る姿を見て、「年寄りだなあ」と思ったものですが、いまは自分がそういう年になりました。
もっとも、あの頃の年寄りは今よりかなり年を取っていたように思います。今は、背筋が皆シャキッとしています。
市立植物園に行きました。
幸い、小雨の日でしたので混んでもいず、お日様に心を躍らされこともなく静かな秋の風景を楽しむことができました。
一昨日にバナナの木をもらったのですが、此処では大きな温室があり、実がなっていました。これくらい背の高い温室がないと実がならないんですね。無理だ。
いつはとは時はわかねど秋の夜ぞ
物思ふことの限りなりける 古今集 読み人しらず
秋ばかりではなく、いつという時に区別はないのだが、
秋の夜はこの上なく物思いをするものだ
少し動くと暑いです。いつまでもしつこいですね。しつこいと嫌がられますね。
保育園で運動会がありました。入場行進です。
小っちゃな子はお母さんの手に引かれて。
こんなシーンも保育園らしくて、とてもいいです。みんな毎日、一生懸命に練習していました。
白菜
さびしい曼珠沙華
秋来れば野辺にたはるる女郎花
いづれの人か摘まで見るべき 古今集 詠み人知らず
オミナエシを摘みもしないで見ているとは、どのようなお方なのでしょうか
今日は暑いです。少し。夏の暑さほどではありませんが、だんだん涼しくなってきているのに、夏が抵抗しているような感じがします。
あしたは運動会だそうです。
バナナの木をもらいました。冬は枯れるそうです。夏はバナナがなり、食べられるほどには大きくならないそうです。ハウスに入れる手もあるのですが、背の高いハウスで無くては栽培しきれません。苦労して少しばかりバナナをならせたって・・・。
ネギは二度目の追肥が終わって土かけが済んでいます。あとは冬の頃までこのままにしておきます。
畑は、トラクターが歩くので、土が締まってしまい、ロータリーと言う刃が回転して耕すものが届く、その下の部分に硬い層ができてしまいます。耕盤といいます。
これができると、雨水がしみ込みにくくなったり、根菜類が土の中を下へ下へと進む妨げになります。そこが問題です。どうやって硬い部分を破壊するかです。
夏の盛りには沢山とりましたが、今は少しずつ片付けています。これからは秋冬の野菜です。
いい日でした。
ホテルに食事の予約を取りに行って来ました。
栃の実 8月
栃の実 9月
トトキ
秋風にたなびく雲の絶え間より
もえ出づる月の影のさやけさ
左京大夫顕輔 さきょうのだいぶあきすけ
漢字はそれぞれの文字が意味を持っているので、なかなか面白い文字だと思います。表意文字と言われるのだそうですが、欠点は数が多いことです。一体いくつあるのか分かりません。漢字の辞典の冒頭の説明などには書いてあると思いますが、その漢字の辞典、日本では漢和辞典として出ていますが、全部の漢字を表記しているものは、ゼロでは無いようなのですがほとんどありません。
パソコンの世界では、この漢字があるのでややこしいです。特に人名や地名を表記する時には、よくパソコンのワープロに登録されている漢字だけではとても足りないので外字という文字を使うほかありません。昔は、仕事で文字をよく作ったものでした。
たとえば、人名で 「初江」 さんという人がいたとします。しかし、「初」 の文字の 「ころもへん」 を 「しめすへん」 つまり、カタカナの 「ネ」 という偏で書いてある戸籍があったのです。そのときには、そういう漢字を作らなければなりません。
しかし、これが職場内だけで使うのなら問題はないのですが、このように作字したものをネットに載せる場合にはそのままでは表現できないので困ります。その場合には手間がまたかかります。
それにしても、その 「はつ江」 さんは、自分の名前では一生苦労するでしょうね。
上に挙げた例は、ちょっと特殊な問題ですが、ふだん私はキーを打つ場合はブラインドタッチで、キーボードを見ないで文字を入力していますが、漢字変換の時には時間がかかります。間違えて変換させてしまうことがよくあります。これが問題です。
西洋ではこれが無いので、その分だけものすごく得をしているなと思います。この「とく」という文字を出すにしても、解く、徳、特、疾く、都区・・・・といろいろ出てきました。必ずしも狙った文字が最初にでてくるとは限りません。
西洋の文字でもフランス語、スペ以語、ドイツ語など、少しはその言語特有の Ã とか Ç とか ß など、いろいろな文字がありますが、漢字の数に比べたら知れたものです。
秋茄子はおいしいといいますが、本当においしいですね。何と言うものなのか分かりませんが、何かの成分が多くなるからなのかなと思うのですが。
ミニトマトは、とうとう片付けてしまいました。ずいぶんジュースにして飲んだり、サラダに入れてたべました。
スピードを出して文字を打とうとすると、漢字変換が行く手を阻むのです。漢字のクイズなどテレビでよくやっていますが、あの方式は面白いかも知れませんが、覚える間もなく次から次へと問題が出されたり、芸能人のレベルの低い冗談などに気を取られたりすることが多いので、知識としてはあまり定着しませんね。
廃句は、自分でいろいろと制限を設けてきました。たとえば痛烈な政治とか社会や国際問題の批判などはやらないようにしてきたのですが、それでは新聞のようなパンチのあるものは作りにくいです。その結果どうでもいいことを話題にすることが多く、飽きてきましたのでしばらく休みます。しばらくと言いましたが、ずーっとになるかも知れません。
日記は毎日つけるものです。ブログも意味からして日記ですから、毎日書くことにしていますが、時には都合により遅い書き込みやら、書くことができない日もあれば、何年かに一度くらいですが、何か用事ができたためにあとで書こうと思っていて、ついつい忘れることもあります。
月見からひと晩後の昨夜は名月が顔を出しました。雲が写っていますが、だんだん空は快晴になってきました。
そんな夜。なんとふた晩続けて月下美人が咲いたのです。葉の陰にかくれてしまって咲いているものも、せっかく咲いてくれたものですから撮りました。
今日は、子どもたちが栗拾いにやってきました。普段と違うことをやりますので、テンションが上がってとても賑やかでした。
しばらく前のことですが、パセリをすっかり舐めてしまったこの虫ども。こんどはミツバにかかっていました。ったく油断もすきもあったものではありません。
この頭のところから出すオレンジ色の角から強烈な匂いを出します。そんなことなどで尻込みなどしていられませんから、手でつかんでポイポイと地面に投げ捨て、なにげない仕草で歩いてしまいます。この虫は何と言う名前なのか分からないので、ニンジン虫と呼んでいました。何と言うのが正式名なのでしょうか。
廃 句
なかなかに快適な日は来ないもの
ひととせに何日良い日があるのやら
良い日だなだけど何だい嫌(や)なニュース
良い日だなだけど風邪気味の日もあったり
日が縮み体がその分楽になり 草との戦いからの解放
台風一過。良い天気です。しかし、あ つ い 。 なんでまたお彼岸もすぎ、神無月にも入ったのに、どうしてこんなに暑いのでしょうか。神様に、もう少し涼しくしてとお願いしたいと思うのですが、神様は遠い出雲国の方までお出かけのようで、今ごろはあちらにお着きになって、「あ~疲れた。」 なんて仰っているかもしれません。願いが届くかどうか・・・。
樹齢4~50年になる栗の木の芯を風に折られてしまいました。クワガタとかカミキリの幼虫が幹を食い荒らしたせいです。
それが鶏小屋の屋根に乗ってしまったので、鶏の遊び場になっているところが壊れて斜めになってしまいました。それで、この壊れた金網を張った部分を壊して、小屋だけにするという改造ををしました。
金網は U 字型した釘を使って木材にくっつけたので、抜くのが大変でした。それを一つひとつ根気よく抜いてから、木造の部分をばらして、それから屋根を剥がして壊しました。
それから、小さな小屋になっている部分に金網を張って、ドアを作り、やっとできあがったのが午後3時過ぎでした。
一時は25羽程度までいたので、この小屋だけでは飼いきれなくて、垂木を買ってきて柱にしてそれに金網を巻き付けたのですが、上からカラスが入ってくるので、押っつけ仕事として屋根をくっつけたわけです。ですので、大変不細工なものになっていました。この頃は古くなってきて汚いので気にしていました。
しかし、壊すとなると大変な仕事になりますから、渋っていたのですが、こんどの台風で一気にやってしまおうという気持ちになりました。
もともとは、この小屋に入れるつもりだったのですが、くれた人がたくさん持ってきたので入りきれなくなってしまったのです。
昨夜は、月下美人が咲くのではないかという気配がしましたが、台風の大荒れだったので、見に行くことが出来ませんでしたが、真夜中になり小降りになったので、大風の中を外に出て見てきました。
そしたら、見事に咲いていました。周りには風で飛ばされながらも良い香りが漂い気の毒なほど花びらが風に煽られていました。でも、しっかりと見てきました。
その時の空模様。あそこが月かなと思われるところが少し明るい程度でした。
廃 句
何でまた台風のあとのこの仕事
なぜ暑い暑い中のこの仕事
何を先にやったらいいのパニックだ
とりあえず鶏小屋が先だ小屋つくり
その次はあれをこうやり、これはこう