歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

練馬工業高校は未だ残っていました!

2007年12月14日 | 東京の風景
昨日の続きです。

石神井川を渡り、二股を右に折れます。センターラインのある道路ですが、歩道はありません。確か、昔は砂利道だったような気がします。

高校に通っていた頃は、二、三人で横一列になって歩いていました。今回、歩くと車の通行量が多く、歩行者にはかなり危険な道になっていました。


道の傍らに、こんな「小さな祠」がありました。昔からずっと、ここに祀られていた筈です。あの頃は、気にも留めず前を通り過ぎていたのです。


車の往来を避けて、脇道に入ります。郊外の住宅地のノンビリと静かな風景。


公園が気になり始めました、ここには有りません。少し「貯まって」きたのです。公園と云えばトイレ、最近は防犯対策の為に公園のトイレが少なくなった気がします。昔は小さい公園にもトイレはありました。


何処の町でも見かける普通の風景。未だ、生活感が漂っていません。建物、電柱、路地が、景色としてして溶け込み馴染んでいないのです。


葱、キャベツ、白菜です。あの頃、家は疎らに畑の中に建っていました。


住宅地の一画に、あの頃の農家が一軒だけ残っていました。


予想外に早く、突然、校庭が見えてきました。昔は周囲は畑で遠くから校舎が見えたのです。

この高いフェンスは有りませんでした。それなりに風景に馴染んでいます。

この工場の建物はあの頃から有りました。鉄骨を切ったり、曲げたり、溶接したり、そんな工場だったと思います。今はもう仕事をしていないようです。


都立練馬工業高等学校です。40年前に通っていたのです。この門を3年間入ったり出たりしていたのです。


「練馬工高」とある下に非常階段が見えますが、あそこを「カエル飛び」で上り下りした記憶があるのです。上るだけだった?

そう云えば、いつの頃からか「カエル飛び」は身体に「害」があると云われ、運動部の練習から消えていきました。

当時、水泳部に入っていました。しかし、プールは無かったので、陸上トレーニングが主でした。

偶に、近所の中学校のプールを借りて練習するのですが、中学生に負けていました。陸上トレーニングばかりしていた「変な水泳部」でした。一年で退部したと思います。

私の通った、小学校、中学校は少子化で数年前に廃校となり、残るはこの「練工」だけとなりました。

小学校も、中学校も時代の役割を終え消えた訳ですが、この高校もそろそろ時代の役割を終え、消えかかっているように見えます。

何か、寂しい話しになってきました。

兎に角、時代は変わって行くのです。高度経済成長の始まった頃、時代の要請で都内に十数校の工業高校が新設されました。

当時、「新設校」と呼ばれ、古くからある工業高校より、偏差値が低く入り易かったのです。あの頃、都立の授業料は月980円でした。私立はその数倍も高かったのです。

あの頃は、兎に角く、安くて! 入り易い! 高校を目指しました。その先の事など何も考えていませんでした。

そんなこんなで、あれからいろいろ有りました。そして、今は、只、歩き廻っているのです。


それでは、また明日。



コメント (5)
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