昨日の続きです。
風呂屋の裏口を通り過ぎ、右に折れて直ぐに左に折れると、商店街の外れに出ました。
右手の門前に「高札」が立っており、この門前を通る道は、昔「下練馬道」と呼ばれていたとの、説明が記されています。
それで、この“古道”の説明なのですが、
・・・・・・旧川越街道を板橋区上板橋一丁目(旧上板橋村字七軒家)付近で分かれ、練馬区に入り・・・金乗院を迂回して、須賀神社から開進第一小学校の南側を通り、中の橋で石神井川を渡り・・・練馬城址(豊島園駅西側)を通って清戸道と交叉し、中村の良弁塚前から鷺宮福蔵院方面へ・・・・・・。練馬区教育委員会
と、記されています。
練馬区教育委員会に一言云いたい!
これを読んで、『なるほど!そうか、そうか!』と判る者が、いったい何人いると思っているのか! えっ! どうなんだ!・・・・・・。
歳のせいか怒りっぽくなったようです。兎に角、この説明では判りません。現在の道路と「下練馬道」の両方を描いた簡単な地図があれば有り難いのです。
興奮を静め、もう一本の高札を見ます。
「如意山 金乗院 萬徳寺」と云うお寺です。金乗院と云うと、そうなんです!隣のお風呂屋と同じ名前なのです。
当然、お風呂屋が名前を頂いたのでしょう。まさかお寺が、銭湯の名前を“パクッタ”と云う事はない筈です。まして、宗教法人が“銭湯”を経営していることもない筈です。
真言宗豊山派のお寺で、開基は文禄年間(1592年~1596年)の頃だそうです。銭湯はそんな昔からありませんから、間違いなく金乗院が先で、後からできたお風呂屋さんが、“金乗”の名前を頂いたのです。
冗談はさておき、なかなかイイお寺です。参道から山門への眺めは、こじんまりとして気に入りました。親しみ易く、入り易い雰囲気がイイです。
真言宗と云えば、弘法大師の空海です。真言宗にも派閥ではなく、宗派がいろいろあるようです。豊山派って、どんな派なんでしょうか?
さぁ。金乗院を参拝します。
庭木の手入れも、掃除も行き届いています。松の緑、山門の朱、漆喰の白、なかなかの佇まいです。
三代将軍の家光公から「御朱印」を賜ったようです。なかなかそれなりの格式の寺です。
さぁて、これから、本堂にお参りをして、じっくりと境内を観察します。
それでは、また明日。