The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
2018年GWで過ごしたこと
ゴールデン・ウィークGWに入って報道も休暇ムードとなった。
だが、実はそれは国内ニュースに限っての話だ。米朝の首脳会談をめぐっての両国の準備協議は順調で、南北首脳会談の行われた板門店での開催へと話し合いは進み、プロトコル等会談内容詳細が詰められているようだ。
国内の問題、特に安倍スキャンダルはGW明けでどのように進展するのだろうか。日本の民主主義度が問われている。
どうやら安倍政権は、カジノを含む統合型リゾートIRの開発実施のための法案通過を推進するための閣議決定を予定しているようだ。私はそれが日本経済の成長に資するものとは思わない。何ら生産的な内容を含まず、国民を消耗させるだけのものではないのか。国民を消耗させる一方で、金儲けする胡散臭い産業ための推進政策に何故躍起になっているのか。そこに又安倍スキャンダルが全く存在しないと明言できるのだろうか。
そもそも多数の外国人を受け入れての観光立国は外国語の苦手な日本人にはなじまないし、それで日本経済を浮揚させる量的効果も期待できるはずがない。東京に集中投資しておいて、一方で地方経済立て直しにはIRしかないと言うのは奇妙な議論ではないか。地方は胡散臭い産業でさらに消耗させたいのだろうか。
それよりも各地域の都市の自治を強化して、独自の文化を醸成しつつ地域経済の活性化を図るのが本来ではないかと思う。文化・教育・研究にまつわる部分での投資やサービス産業の育成が日本の政策の中心にあるべきではないか。そうした政策によって第2次産業中心から、第3次産業中心への産業構造の脱皮を積極的に推進することが最優先されなければならないのではないかと思うのだ。第3次産業は“人”が中心の本来クリーンな産業のはずだ。
“米百俵の精神”とは、貧しい中でも先ず人材育成を優先させようという政策を指すと聞くが、そうした一見迂遠と思えるがしっかりした方針の下で未来を見据え、着実に推進させる必要があると思うのだ。しかしながら、現在の日本では教育がおざなりになっている。私の娘は東京で公立中学校の教師にようやくなったが、いきなり障害者担当になったらしい。そうした過程を経て教師を育成するというのだが、何の経験もない初任者にいきなりこうした子供達を相手にせよ、という難題を要求するのはブラックそのものではないか。その上、通常の教員達でも正規の教育活動以外にクラブ活動の推進も任されるという。これによって休日も返上で奉仕しなければならない。従って、連休があっても娘は殆ど我が家に帰って来ない。多くの同僚教員もクラブ活動で疲弊しているという。これが日本の公教育の現場である。日本の公教育がブラック企業同様で、健全な教育行政だと言えるのだろうか。教員が疲弊しては肝心の良い教育が出来るとは到底思えない。
こうした政策の基本を放置して、IRだカジノだというのは浮ついた安倍氏らしい話ではないか。これでは“立派な国家観”をお持ちの人物とは思えず、いかにも腐敗し堕落した人間の考えることではないか。こんな人間に安易に欺かれて怒らない日本国民とは一体どういう人々なのだろう。衆愚の極みだ。
GW中の憲法記念日周辺では、改憲の是非が例年のように語られる。
5月1日に発表された朝日新聞のアンケート調査によれば“安倍政権のもとで憲法改正を実現することに「反対」は58%(昨年調査では50%)、「賛成」は30%(同38%)で、昨年調査よりも「反対」が増え、「賛成」が減った。安倍晋三首相が昨年の憲法記念日に打ち出した9条1項、2項を維持して自衛隊の存在を明記する改正案には、「反対」53%が「賛成」39%を上回った。”とある。「(人として信用できない)安倍政権の下」でなければ改憲はどうなのだろうか。
憲法記念日当日の5月3日の朝日新聞には次のような記事が載った。駒村圭吾・慶応大教授の“普遍的価値か、国家の「物語」か”という記事だ。それは、人々にはそれぞれ“物語”があるし、それはペルソナ個性そのものであり夫々尊重されるべきだが、国家がそれを語り始めたら警戒すべきだと言う指摘だ。国家がその“物語”に沿った文脈で個人に“死の意味”を与えるようになったのが戦前の実態だった、という。その背景には満州国での利権を守ろうとする日本国内の勢力があった。安倍氏の祖父・岸信介氏は満州国の有力な官僚だったが、何故か戦後のパージを逃れて狡知を尽くして政治家として生き残った。こうしたことを“日本らしさ”として“美しい国”だとして戦前回帰する安倍氏の主張なのだが、それは人類の普遍的価値観とは対立する“国家観”なのだ。その人類が獲得した普遍的価値観を示したのが日本の憲法だが、端的に言えば安倍氏はそれが気に入らないのだ。それが利権にまみれたい安倍氏の主張だし、“立派な国家観”の実態なのだ。駒村教授は“日本国憲法の普遍的な価値か、国家の「物語」への回帰か。私たちはその綱引きの中にいる。”と締め括っている。
また、白井聡・京都精華大専任講師の指摘も掲載されていた。“憲法が国家権力を縛るという立憲主義の考え方は戦争の記憶が生々しい世代には切実な思想だった。”という。しかし、生々しい苦しい経験を持った人々が続々亡くなってしまう現在、“切実な思想”も失われつつある。それは戦後日本が近現代史を明確な形で総括しなかったため、苦い経験が国民的記憶として残らなかったためなのだ。したがい汚辱にまみれた安倍氏が公的記録を曲げてまで政府の体制すら歪めようとしているにもかかわらず、国民の怒りが総体として巻き起こらないのだ。これが衆愚の原点にある。
白井講師は最後にこう言っている。“国民が怒るべき時に怒らなければ、いくら憲法に主権在民だと書いてあっても、文字通り紙に書いてあるだけだ。”
さて、このところこのブログをエンタメで糊塗しているが、再三にもかかわらず今回もGWに沿ってこのカテゴリーでの投稿とした。このところDVD鑑賞が重なり興味は古い映画に及んで来ていて、子供の頃見た映画をもう一度見直してみたいとの気持ちが強くなっている。実は、1年以上前からその気持ちが強くなり、神戸、大阪のブックオフ店で探していたが見つからず、とうとうこのGW直前でアマゾンで発注した。すると当初5月9日以降の“お届け”とあり、少々がっかりしていた。だが、E-mailでの途中経過では4月30日での到着予定となり、慌てて現金を用意したが実際にそのようになった。
発注したのは“秦の始皇帝”、“海底二万哩”、“喜びも悲しみも幾年月”で、GW中に見ることが出来た。やはり、子供の頃見た印象とはそれぞれ違った。それは子供では台詞やストーリー展開の理解そのものが詳細までに至らず、画面の雰囲気に頼っているのが殆どだったからだろう。
①“秦・始皇帝”
公開日:1962年11月1日、監督:田中重雄、キャスト: 勝新太郎、市川雷蔵、山本富士子、中村玉緒、宇津井健
大映が総力を挙げた記念的作品、70ミリ映画の“釈迦”に次ぐ第2作とされる。中国古代の戦国時代、戦乱は果てしなく、勝新太郎扮する若き秦王政は平和の理想に燃えて、紀元前221年全土統一を成し遂げる。これにより世界初にして最大の帝国が誕生。政は自らを始皇帝と名乗り諸王を封じる封建制を廃し、中央から官吏を派遣する郡県制による中央集権制度を確立したところから、映画は始まる。ストーリーは始皇帝の有名なエピソードを整合させながら連ねていく。ラストは史実とは異なる経過となるのが残念。勝新の目力と言うより、ギョロ目が過ぎて気になった。
市川雷蔵の刺客・荊軻の漢詩、風 蕭蕭として 易水寒く,壯氏 一たび去りて 復た還らず、の演舞。映画で最初に見た時は美しく思ったが、改めて見て何となく滑稽に思えてしまった。果たして中国の伝統的演舞に依っているのだろうか、という疑問が湧いてしまうのだ。具体的にはそんな印象だが、全体的に時代考証は十分だったのだろうかと思える部分が多々あるように感じた。特にこの時代 中国では、君主が馬に騎乗して戦うのは一般的ではなく、馬に引かせた戦車で戦場に臨んだはずではなかったか、という疑問も出て来る。にもかかわらず、映画では始皇帝政は騎乗しながら出血に耐えて、戦いを進めるという無理なラスト・シーンだった。
いろいろと映画のアラ捜しとなってしまって、素直な子供の目で見れなくなったことが残念と言うか、その後に知識が豊富になったためと思うべきか、そんなところだろうか。場面、風景、セットの壮大さに欠けるのも、十分な資金力のない時代の映画の限界だろうか。さらにもっと映像が綺麗だった印象があるが、これはどういう影響だろうか。
②“海底二万哩”
公開日:1955年12月23日、監督:リチャード・フライシャー、キャスト:カーク・ダグラス、ジェームズ・メイソン、ポール・ルーカス、ピーター・ローレ
ディズニーによるシネマスコープ映画の第1作だという。原作はフ仏ジュール・ヴェルヌの同名のSF。1868年(明治維新の年)、世界の海で航行中の船が、怪物に襲われ沈没する事件が多発。海洋覇権を目指す米国政府は調査軍艦の派遣を決定し、それに海洋学者とその助手と捕鯨の銛打ちの名手も参加。ついにその調査軍艦も怪物に襲われ、そのため海洋学者等3人の同乗者は海に投げ出され、漂流することになった。その後、当時あり得ない潜水艦に漂着し、何だろうと中に入り込んだ結果、この潜水艦の囚人となってしまう。艦長はネモ、艦名はノーチラス。しばらく、そのまま艦長ネモの下での冒険物語。
さすがにディズニー映画らしく1955年の作品ながら特撮が上手い。映像も問題なく美しい。南洋の土着民に襲撃されるシーンで、艦体に電流を流して追い払うのだが、それが分かるようにスパークする部分をフィルム修正で表現しているが如何にも巧みだ。巨大イカに襲われるシーンも不自然さがないのはさすがだ。このシーンは子供の私にも鮮明に記憶していたが、その時の映像がそのまま再現した。この点、“秦の始皇帝”とは全く異なっている。
ただ、子供の頃はストーリーの詳細まで理解できていなかったが、これで全体がつながったように思う。
③“喜びも悲しみも幾年月”
公開日:1957年10月1日、監督:木下惠介 、キャスト:佐田啓二、高峰秀子、有沢正子、中村嘉葎雄
上海事件の昭和7年、燈台員有沢四郎は父親の危篤の知らせで職場を離れていたが、父死亡後そのまま見合いして新妻きよ子を伴い、東京湾の観音崎燈台に戻ったところから始まる。その灯台職員の戦後までの人生を描いている。原作・シナリオは監督・木下惠介によるものという。
灯台は殆どいずれも日本の最果てにあり、職場環境としては過酷で最悪。そこでの人生を描いたのは、目の付け所は良い。私も親に連れられて見た時は子供ながら、人生とはこういうものだと何だか悟ったような気になったと覚えている。
どうやら、灯台職員は台長以下3~4名での24時間勤務ではないかと各シーンから推測できる。仕事は設備機器の維持・保守・点検と気象観測。国としても明治以降、近代化と海洋国家建設のため重要性を認めていたようで、職員は兵役免除だったようだ。戦前から戦後しばらくの産業技術力では、機械化による無人化は無理で人手に頼らざるを得ず、過酷な環境での単調な繰り返し仕事となっていたのだろう。恐らく、現状では殆どが無人化できていて、時折現場に出向き保守点検するという業務体系になっているものと思われる。
灯台職員住宅は高松の四国村で見たことがあるが、当然そこで見た様式の住居だ。今から見れば狭い居住空間だが、戦前では珍しいモダンなコンクリート製の頑丈な住処だ。また職員は概ね周辺住民からは尊敬の目で見られていたようで、様々な地域の食糧提供もあったようだ。
灯台職員は戦後は海上保安庁の所属だが、保安庁は戦後創設の官庁なので、戦前は灯台職員は逓信省(戦後郵政省)所管だったようだ。国家直属の職員のため、常に中央と無線等で連絡があり一般国民よりは国家の動向をいち早く知る立場にあったと思われる。このあたりの機微はこの映画では語られていない。
戦争中は米軍の戦闘機による行きがけの駄賃のような機銃掃射が専らのようで、映画では幾名かの殉職職員の実名が挙がってはいた。しかし米軍にとっても、本土爆撃の侵入経路の目印となるから爆撃による完全破壊までは殆どしなかったのではないかと思われる。
人生を経て改めて見直して、取り分け重い印象の残る映画である。しかし、ラスト前の海外に船で赴任する娘夫婦を灯台で見送る老夫婦のシーンが映画スタジオでの撮影と分かるものだったのは残念だ。私も夕景の足摺岬を見たことがある。灯台の発する光跡が、しっかりと沖合彼方の丸い水平線まで届いているのに非常に感動したものだった。このシーンはこうした迫力を持たせるべきで、手抜きせず実写するという決意があるべきではなかったかと残念なのだ。
GWの後半に、東京の娘がようやく戻って来て、午後の日帰りに兵庫県の西側、たつの市の海岸にある“道の駅・みつ(御津)”まで家族4人で久しぶりにドライブした。鄙びた海岸は気持ちが良い。室津港の近くであり、地元の農・海産物が売られており、その豊富さにあらためて驚いた。焼き牡蠣をそこのレストランで食べることができた。新鮮な牡蠣はやはり美味い。しかしうっかり、その写真を撮るのを忘れた。
夕刻になって龍野旧市街へ車で駆けつけたが、時間切れでヒガシマル醤油の資料館には間に合わなかった。しかし、城下町の風情は感じられた。このGWのお出かけはそんなところだった。
このGW、あとはいつも通りで、ほとんどゴロゴロまでとは言わないが、そんな生活だった。この投稿は“エンタメ”のカテゴリーより、“日誌”の方がよかっただろうか。
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だが、実はそれは国内ニュースに限っての話だ。米朝の首脳会談をめぐっての両国の準備協議は順調で、南北首脳会談の行われた板門店での開催へと話し合いは進み、プロトコル等会談内容詳細が詰められているようだ。
国内の問題、特に安倍スキャンダルはGW明けでどのように進展するのだろうか。日本の民主主義度が問われている。
どうやら安倍政権は、カジノを含む統合型リゾートIRの開発実施のための法案通過を推進するための閣議決定を予定しているようだ。私はそれが日本経済の成長に資するものとは思わない。何ら生産的な内容を含まず、国民を消耗させるだけのものではないのか。国民を消耗させる一方で、金儲けする胡散臭い産業ための推進政策に何故躍起になっているのか。そこに又安倍スキャンダルが全く存在しないと明言できるのだろうか。
そもそも多数の外国人を受け入れての観光立国は外国語の苦手な日本人にはなじまないし、それで日本経済を浮揚させる量的効果も期待できるはずがない。東京に集中投資しておいて、一方で地方経済立て直しにはIRしかないと言うのは奇妙な議論ではないか。地方は胡散臭い産業でさらに消耗させたいのだろうか。
それよりも各地域の都市の自治を強化して、独自の文化を醸成しつつ地域経済の活性化を図るのが本来ではないかと思う。文化・教育・研究にまつわる部分での投資やサービス産業の育成が日本の政策の中心にあるべきではないか。そうした政策によって第2次産業中心から、第3次産業中心への産業構造の脱皮を積極的に推進することが最優先されなければならないのではないかと思うのだ。第3次産業は“人”が中心の本来クリーンな産業のはずだ。
“米百俵の精神”とは、貧しい中でも先ず人材育成を優先させようという政策を指すと聞くが、そうした一見迂遠と思えるがしっかりした方針の下で未来を見据え、着実に推進させる必要があると思うのだ。しかしながら、現在の日本では教育がおざなりになっている。私の娘は東京で公立中学校の教師にようやくなったが、いきなり障害者担当になったらしい。そうした過程を経て教師を育成するというのだが、何の経験もない初任者にいきなりこうした子供達を相手にせよ、という難題を要求するのはブラックそのものではないか。その上、通常の教員達でも正規の教育活動以外にクラブ活動の推進も任されるという。これによって休日も返上で奉仕しなければならない。従って、連休があっても娘は殆ど我が家に帰って来ない。多くの同僚教員もクラブ活動で疲弊しているという。これが日本の公教育の現場である。日本の公教育がブラック企業同様で、健全な教育行政だと言えるのだろうか。教員が疲弊しては肝心の良い教育が出来るとは到底思えない。
こうした政策の基本を放置して、IRだカジノだというのは浮ついた安倍氏らしい話ではないか。これでは“立派な国家観”をお持ちの人物とは思えず、いかにも腐敗し堕落した人間の考えることではないか。こんな人間に安易に欺かれて怒らない日本国民とは一体どういう人々なのだろう。衆愚の極みだ。
GW中の憲法記念日周辺では、改憲の是非が例年のように語られる。
5月1日に発表された朝日新聞のアンケート調査によれば“安倍政権のもとで憲法改正を実現することに「反対」は58%(昨年調査では50%)、「賛成」は30%(同38%)で、昨年調査よりも「反対」が増え、「賛成」が減った。安倍晋三首相が昨年の憲法記念日に打ち出した9条1項、2項を維持して自衛隊の存在を明記する改正案には、「反対」53%が「賛成」39%を上回った。”とある。「(人として信用できない)安倍政権の下」でなければ改憲はどうなのだろうか。
憲法記念日当日の5月3日の朝日新聞には次のような記事が載った。駒村圭吾・慶応大教授の“普遍的価値か、国家の「物語」か”という記事だ。それは、人々にはそれぞれ“物語”があるし、それはペルソナ個性そのものであり夫々尊重されるべきだが、国家がそれを語り始めたら警戒すべきだと言う指摘だ。国家がその“物語”に沿った文脈で個人に“死の意味”を与えるようになったのが戦前の実態だった、という。その背景には満州国での利権を守ろうとする日本国内の勢力があった。安倍氏の祖父・岸信介氏は満州国の有力な官僚だったが、何故か戦後のパージを逃れて狡知を尽くして政治家として生き残った。こうしたことを“日本らしさ”として“美しい国”だとして戦前回帰する安倍氏の主張なのだが、それは人類の普遍的価値観とは対立する“国家観”なのだ。その人類が獲得した普遍的価値観を示したのが日本の憲法だが、端的に言えば安倍氏はそれが気に入らないのだ。それが利権にまみれたい安倍氏の主張だし、“立派な国家観”の実態なのだ。駒村教授は“日本国憲法の普遍的な価値か、国家の「物語」への回帰か。私たちはその綱引きの中にいる。”と締め括っている。
また、白井聡・京都精華大専任講師の指摘も掲載されていた。“憲法が国家権力を縛るという立憲主義の考え方は戦争の記憶が生々しい世代には切実な思想だった。”という。しかし、生々しい苦しい経験を持った人々が続々亡くなってしまう現在、“切実な思想”も失われつつある。それは戦後日本が近現代史を明確な形で総括しなかったため、苦い経験が国民的記憶として残らなかったためなのだ。したがい汚辱にまみれた安倍氏が公的記録を曲げてまで政府の体制すら歪めようとしているにもかかわらず、国民の怒りが総体として巻き起こらないのだ。これが衆愚の原点にある。
白井講師は最後にこう言っている。“国民が怒るべき時に怒らなければ、いくら憲法に主権在民だと書いてあっても、文字通り紙に書いてあるだけだ。”
さて、このところこのブログをエンタメで糊塗しているが、再三にもかかわらず今回もGWに沿ってこのカテゴリーでの投稿とした。このところDVD鑑賞が重なり興味は古い映画に及んで来ていて、子供の頃見た映画をもう一度見直してみたいとの気持ちが強くなっている。実は、1年以上前からその気持ちが強くなり、神戸、大阪のブックオフ店で探していたが見つからず、とうとうこのGW直前でアマゾンで発注した。すると当初5月9日以降の“お届け”とあり、少々がっかりしていた。だが、E-mailでの途中経過では4月30日での到着予定となり、慌てて現金を用意したが実際にそのようになった。
発注したのは“秦の始皇帝”、“海底二万哩”、“喜びも悲しみも幾年月”で、GW中に見ることが出来た。やはり、子供の頃見た印象とはそれぞれ違った。それは子供では台詞やストーリー展開の理解そのものが詳細までに至らず、画面の雰囲気に頼っているのが殆どだったからだろう。
①“秦・始皇帝”
公開日:1962年11月1日、監督:田中重雄、キャスト: 勝新太郎、市川雷蔵、山本富士子、中村玉緒、宇津井健
大映が総力を挙げた記念的作品、70ミリ映画の“釈迦”に次ぐ第2作とされる。中国古代の戦国時代、戦乱は果てしなく、勝新太郎扮する若き秦王政は平和の理想に燃えて、紀元前221年全土統一を成し遂げる。これにより世界初にして最大の帝国が誕生。政は自らを始皇帝と名乗り諸王を封じる封建制を廃し、中央から官吏を派遣する郡県制による中央集権制度を確立したところから、映画は始まる。ストーリーは始皇帝の有名なエピソードを整合させながら連ねていく。ラストは史実とは異なる経過となるのが残念。勝新の目力と言うより、ギョロ目が過ぎて気になった。
市川雷蔵の刺客・荊軻の漢詩、風 蕭蕭として 易水寒く,壯氏 一たび去りて 復た還らず、の演舞。映画で最初に見た時は美しく思ったが、改めて見て何となく滑稽に思えてしまった。果たして中国の伝統的演舞に依っているのだろうか、という疑問が湧いてしまうのだ。具体的にはそんな印象だが、全体的に時代考証は十分だったのだろうかと思える部分が多々あるように感じた。特にこの時代 中国では、君主が馬に騎乗して戦うのは一般的ではなく、馬に引かせた戦車で戦場に臨んだはずではなかったか、という疑問も出て来る。にもかかわらず、映画では始皇帝政は騎乗しながら出血に耐えて、戦いを進めるという無理なラスト・シーンだった。
いろいろと映画のアラ捜しとなってしまって、素直な子供の目で見れなくなったことが残念と言うか、その後に知識が豊富になったためと思うべきか、そんなところだろうか。場面、風景、セットの壮大さに欠けるのも、十分な資金力のない時代の映画の限界だろうか。さらにもっと映像が綺麗だった印象があるが、これはどういう影響だろうか。
②“海底二万哩”
公開日:1955年12月23日、監督:リチャード・フライシャー、キャスト:カーク・ダグラス、ジェームズ・メイソン、ポール・ルーカス、ピーター・ローレ
ディズニーによるシネマスコープ映画の第1作だという。原作はフ仏ジュール・ヴェルヌの同名のSF。1868年(明治維新の年)、世界の海で航行中の船が、怪物に襲われ沈没する事件が多発。海洋覇権を目指す米国政府は調査軍艦の派遣を決定し、それに海洋学者とその助手と捕鯨の銛打ちの名手も参加。ついにその調査軍艦も怪物に襲われ、そのため海洋学者等3人の同乗者は海に投げ出され、漂流することになった。その後、当時あり得ない潜水艦に漂着し、何だろうと中に入り込んだ結果、この潜水艦の囚人となってしまう。艦長はネモ、艦名はノーチラス。しばらく、そのまま艦長ネモの下での冒険物語。
さすがにディズニー映画らしく1955年の作品ながら特撮が上手い。映像も問題なく美しい。南洋の土着民に襲撃されるシーンで、艦体に電流を流して追い払うのだが、それが分かるようにスパークする部分をフィルム修正で表現しているが如何にも巧みだ。巨大イカに襲われるシーンも不自然さがないのはさすがだ。このシーンは子供の私にも鮮明に記憶していたが、その時の映像がそのまま再現した。この点、“秦の始皇帝”とは全く異なっている。
ただ、子供の頃はストーリーの詳細まで理解できていなかったが、これで全体がつながったように思う。
③“喜びも悲しみも幾年月”
公開日:1957年10月1日、監督:木下惠介 、キャスト:佐田啓二、高峰秀子、有沢正子、中村嘉葎雄
上海事件の昭和7年、燈台員有沢四郎は父親の危篤の知らせで職場を離れていたが、父死亡後そのまま見合いして新妻きよ子を伴い、東京湾の観音崎燈台に戻ったところから始まる。その灯台職員の戦後までの人生を描いている。原作・シナリオは監督・木下惠介によるものという。
灯台は殆どいずれも日本の最果てにあり、職場環境としては過酷で最悪。そこでの人生を描いたのは、目の付け所は良い。私も親に連れられて見た時は子供ながら、人生とはこういうものだと何だか悟ったような気になったと覚えている。
どうやら、灯台職員は台長以下3~4名での24時間勤務ではないかと各シーンから推測できる。仕事は設備機器の維持・保守・点検と気象観測。国としても明治以降、近代化と海洋国家建設のため重要性を認めていたようで、職員は兵役免除だったようだ。戦前から戦後しばらくの産業技術力では、機械化による無人化は無理で人手に頼らざるを得ず、過酷な環境での単調な繰り返し仕事となっていたのだろう。恐らく、現状では殆どが無人化できていて、時折現場に出向き保守点検するという業務体系になっているものと思われる。
灯台職員住宅は高松の四国村で見たことがあるが、当然そこで見た様式の住居だ。今から見れば狭い居住空間だが、戦前では珍しいモダンなコンクリート製の頑丈な住処だ。また職員は概ね周辺住民からは尊敬の目で見られていたようで、様々な地域の食糧提供もあったようだ。
灯台職員は戦後は海上保安庁の所属だが、保安庁は戦後創設の官庁なので、戦前は灯台職員は逓信省(戦後郵政省)所管だったようだ。国家直属の職員のため、常に中央と無線等で連絡があり一般国民よりは国家の動向をいち早く知る立場にあったと思われる。このあたりの機微はこの映画では語られていない。
戦争中は米軍の戦闘機による行きがけの駄賃のような機銃掃射が専らのようで、映画では幾名かの殉職職員の実名が挙がってはいた。しかし米軍にとっても、本土爆撃の侵入経路の目印となるから爆撃による完全破壊までは殆どしなかったのではないかと思われる。
人生を経て改めて見直して、取り分け重い印象の残る映画である。しかし、ラスト前の海外に船で赴任する娘夫婦を灯台で見送る老夫婦のシーンが映画スタジオでの撮影と分かるものだったのは残念だ。私も夕景の足摺岬を見たことがある。灯台の発する光跡が、しっかりと沖合彼方の丸い水平線まで届いているのに非常に感動したものだった。このシーンはこうした迫力を持たせるべきで、手抜きせず実写するという決意があるべきではなかったかと残念なのだ。
GWの後半に、東京の娘がようやく戻って来て、午後の日帰りに兵庫県の西側、たつの市の海岸にある“道の駅・みつ(御津)”まで家族4人で久しぶりにドライブした。鄙びた海岸は気持ちが良い。室津港の近くであり、地元の農・海産物が売られており、その豊富さにあらためて驚いた。焼き牡蠣をそこのレストランで食べることができた。新鮮な牡蠣はやはり美味い。しかしうっかり、その写真を撮るのを忘れた。
夕刻になって龍野旧市街へ車で駆けつけたが、時間切れでヒガシマル醤油の資料館には間に合わなかった。しかし、城下町の風情は感じられた。このGWのお出かけはそんなところだった。
このGW、あとはいつも通りで、ほとんどゴロゴロまでとは言わないが、そんな生活だった。この投稿は“エンタメ”のカテゴリーより、“日誌”の方がよかっただろうか。
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