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外憂内患

気付けば既にゴールデン・ウィークがスタートしてしまった。休みが続けば、その分このブログへのアクセスも何故か減るので、今週は投稿更新してもあまり読まれない。ならば、休む世間に合わせてブログも休刊するのが合理的判断。本来は、こういうカレンダー状況に合わせて先週投稿時に、4月30日は休刊にすると宣言するべきだったが、気付かずに、投稿ネタを求めて右往左往して失敗してしまったマヌケの極み。ネタのためには日頃の読書も大切と改めて反省したが・・・。
今週は休刊するかわりに、思うところを少々述べて簡単に店仕舞いしたい、というところでお許し頂きたい。

内憂外患というよりも正確に言葉を選べば外憂内患、これが正に日本の現状ではないか。
外憂と言えば国際的注目の先週末の南北首脳会談はマスコミは盛り上がったが、会談の内容は殆ど無意味、セレモンーだけで終わった。実質は米朝首脳会談の前哨戦としての政治ショウだった。こういう分かり切った解説を得意気にする報道解説員と称する“専門家”が居た。
それにしても不思議なのはロシアがこの状況を黙認していることだ。金正恩が南北会談前に訪露しなかったのは何故か。或いは米朝会談前には対露接触するのかしないのか、日本の“専門家”は何故かこの点に触れない。
いずれは米中覇権闘争の一部としての外交局地戦と見るべきなのは分かってはいるが、その展開が具体的に読み取れないのは最大の問題だ。この点、“専門家”はトランプも金正恩も予測がつかない人物だからと言い訳をする。だが、それは大局観がない者の言い訳に過ぎない。そういう生半可なテレビ・コメンテータが日本には多過ぎる。
しかし週末に、中にはオチャラケを装いながら、表面的なイベントに左右されず遠くを見据えて米中覇権闘争を予感させるようなテーマ構成をして見せる番組もあって、感心させられたものだった。引き続く中国脅威、これぞ将来にわたる日本の外患であろう。日本には対中国政策というか対中戦略が必要なのは事実であろうが、肚の座った国家戦略などあり得ないのが落日の中にある日本の現状だ。
これが“立派な国家観をお持ち”の安倍首相の政権下の実情だ。

余計な話だが、金正恩は指紋も髪の毛も残さずに、韓国から立ち去るべきだったがそのように出来たのだろうか。ウンチもシッコも残さずに交渉地から退去できたのだろうか。韓国の情報当局は彼の退去後に正恩の残したもの全てを分析しているに違いない。それらによって彼の健康状態も知れるはずだという。少なくとも訪問芳名録署名時に微妙な皮脂の残像が残され指紋は採取可能なはずだ。こうした情報は米CIAにも直ちに伝達されるはずだ。
それにしても、彼は一寸歩くだけでもシンドそうだったし、晩餐会でも疲れた表情だったので、健康状態はあまり良くないのではないかと見えた。これは北にとって不利な情報を提供することになったのではないか。そこまでしてでも彼らはこの会談を開催する意義があったのは事実なのだろう。やはり北は経済的苦境と米軍の脅威に追い詰められていると見るのが正しい評価なのかも知れない。

一方の内患。相変わらず安倍首相の絡むスキャンダルは消えずに、時を経るに従い逆に新たな不都合な事実が明らかになる傾向にある。かつては首相たる者、国会の運営に破綻すれば疑惑の段階でその座を辞任していたものだ。田中角栄氏は逮捕された時、既に辞任して首相ではなかった。今や国会を軽視する政権は国会を形骸化させた上で、野党を恫喝する。これは国民をバカにした所業だ。現政権はどう言い訳のしようもない証拠が上がっても、責任を取ろうとはせず、居直る傾向にある。

いつまでも引きずるスキャンダル。その問題の構造はどうなのか、例えば森友問題は単純に言えば次の通りとされる。
大阪府豊中市に9億3千万円と評価された土地があった。森友側がこれを入手したいとしたが、調査してみると埋設されたゴミが出てきた。このクレームに対し財務省側は撤去費用として1億3千万円を森友側に支払った。ところが、さらに校舎建設に着工してみると、さらに深いところからゴミが出てきた。そこで財務省は、8億の値引きをして籠池氏に1億3千万円で売却した、ということ。要するに籠池氏は1銭も出費せずに済んでいる、ということになる。当の大阪理財局のOBがこの話を後輩から聞いて、1億3千万円の奇妙な一致に驚いたという。
8億円も財務省に値引きさせる力が籠池氏に本当にあったのか。背後に何かの力が働いたと思うのが当然であろう。単なる財務省官僚の忖度で、8億の値引きが実現するのであろうか。先の大阪理財局OBをはじめとして、財務省側の改竄前の記録が詳細にわたっているのが不自然だとする指摘は多い。要するに大阪理財局の担当の役人が自己の職務の適正さを担保するための記録ではなかったか。結果として昭恵安倍夫人の名誉校長としての関与が疑われ、それが不都合とされ公文書は改竄されたのだ。誰が何故、違法改竄させたのか。

改竄は事実としてあるが、その行為主体者は誰か分からない!これが日本の官僚組織なのだ。日本では裁判になっても、その行為主体者が特定できなければ罰することは出来ないという判例がある。ならばその不正や違法を為したる部署の上長の責任はどうなるのか。本来、組織とは部署の不祥事は、その部署の責任者が責めを負うはずで、そうでなければ組織の意味はなくなる。日本の組織は基本的に責任を取らない組織になっているが、責任を取らない組織は腐敗の根源でしかない。何故ならば、責任のないところに反省は生まれない。PDCAが適切に機能しないのだ。日本はあの悲惨な戦争の責任すら誰も取っておらず、悲惨の記憶が去るとともに、戦前回帰を目指している。

既述のように見ると森友問題は実に単純な話だが、マスコミは問題を複雑であるかのように装っているように思える。その上、責任者はいかにも往生際が悪く“地位に恋々”として説明責任を果たさず、無意味に問題を長引かせている。安倍政権は、自分たちに都合の悪い発言をした官僚には“地位に恋々とした”と言って排除したが、自分達のために働いた官僚や自分自身にはその言葉は決して発しない。これが御自分で作り上げた“美しい国”の政権の実像なのだ。発せられる言葉全てが御都合主義で、今度は御自分に向かった矢として突き刺さっている醜悪さがある。“首相案件”とされた加計問題も同じ構造だと容易に想像できる。

これらのスキャンダルを大した問題ではないとする議論が結構ある。そんな低レベルの議論がなぜ生まれるのか、私には分からない。政治の基本ができずに低い民度のままで、良い政治は不可能だ。政治のこころざしが低い、否 無い、とどうなるか。私益優先のドロドロした“醜い日本”となるのだ。それで良いのか、と私は思うが、間違っているだろうか。

今週は、こんなところでご勘弁を!ならば来週は内容の濃いものが・・・という自信は全くない。

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