The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
“品質保証”と武田信玄
JIS Z 9901の、品質保証の定義 「ある“物”が品質要求事項を満たす事についての十分な信頼感を供するために、・・・・・実証される、すべての計画的かつ体系的な活動」という言葉に 私が深い思いを抱いていた頃、武田信玄の次の言葉に出会いました。
人は城 人は石垣 人は堀
その時まで この言葉の 次に
情けは味方、仇は敵なり
という“下の句”が続くなどとは 知りませんでした。そして この下の句の存在を知って 感激したのです。何と、信玄は偉大な“経営者”ではないのか、と。つまり、“情け” 即ち “あの会社 好きやァー” と言われれば シメタ!信頼を獲得した!となる、と思った訳です。逆に、“あの会社 アカンなぁ。嫌いやデェ”となれば それはもう 敵と同じ。嫌われれば 終わり、ということ、ですね。
だからこそ、“上の句”の人こそ大事、人からの信用こそ大切と言ったところです。真面目な 顔で言うと “尊敬される会社” ですね。
“信頼感”を得るための努力とその表現である具体的活動が 品質保証なのですが、やっぱり信玄は偉い!そう、長く信じていました。
最近 この言葉の出典というか オリジナルの真相を知りたいと考え、笹本正治著“武田信玄―伝説的英雄像からの脱却”(中公新書1380)を読みました。
http://www.chuko.co.jp/mokuroku/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121013808/qid%3D1130029209/249-0913914-3705166
どうやら“甲陽軍鑑”に その言葉のルーツがあると書かれていました。ですが、この本には書いていないのですが、その“甲陽軍鑑”の歴史資料としての価値は 低いというのが一般的評価のようです。
そして、笹本氏は 武田氏の居館の躑躅ヶ崎の館の例を挙げて、信玄在世時には 戦国後期から江戸初期の城のような大きな城や石垣の例はない。“したがって、信玄が「人は石垣」などと考えるはずも、言うこともなかった。”と あっけなく書いています。さらに“多くの人は近世の城全体と躑躅ヶ崎の館とを比較し、信玄は「人は城、人は石垣」と信じていたと結論づけてしまう。(信玄は館の近隣にある)要害城と躑躅ヶ崎の館と(を持っていて)あわせると、信玄の敵に対する防御は大変なものであったといえる。”とまで指摘しています。(括弧内筆者)
また別の インターネットサイトでも そのように、信玄の“歌”とするのは疑わしいとの結論のようです。これは どう考えても後世の 人の思い込みによる 偽作のようです。
http://www.lib.pref.yamanashi.jp/cgi-bin/refjirei/refs.cgi?c=yamanashi&n=32
まぁ いかに偉大とは言え、戦国大名の言葉が 現代の企業経営の参考になるなどというのは、マユツバであると言うのは当然なのでしょうね。現代人の勝手な思い込みイメージが自己増殖、膨張している例でしょうか。
人は城 人は石垣 人は堀
その時まで この言葉の 次に
情けは味方、仇は敵なり
という“下の句”が続くなどとは 知りませんでした。そして この下の句の存在を知って 感激したのです。何と、信玄は偉大な“経営者”ではないのか、と。つまり、“情け” 即ち “あの会社 好きやァー” と言われれば シメタ!信頼を獲得した!となる、と思った訳です。逆に、“あの会社 アカンなぁ。嫌いやデェ”となれば それはもう 敵と同じ。嫌われれば 終わり、ということ、ですね。
だからこそ、“上の句”の人こそ大事、人からの信用こそ大切と言ったところです。真面目な 顔で言うと “尊敬される会社” ですね。
“信頼感”を得るための努力とその表現である具体的活動が 品質保証なのですが、やっぱり信玄は偉い!そう、長く信じていました。
最近 この言葉の出典というか オリジナルの真相を知りたいと考え、笹本正治著“武田信玄―伝説的英雄像からの脱却”(中公新書1380)を読みました。
http://www.chuko.co.jp/mokuroku/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121013808/qid%3D1130029209/249-0913914-3705166
どうやら“甲陽軍鑑”に その言葉のルーツがあると書かれていました。ですが、この本には書いていないのですが、その“甲陽軍鑑”の歴史資料としての価値は 低いというのが一般的評価のようです。
そして、笹本氏は 武田氏の居館の躑躅ヶ崎の館の例を挙げて、信玄在世時には 戦国後期から江戸初期の城のような大きな城や石垣の例はない。“したがって、信玄が「人は石垣」などと考えるはずも、言うこともなかった。”と あっけなく書いています。さらに“多くの人は近世の城全体と躑躅ヶ崎の館とを比較し、信玄は「人は城、人は石垣」と信じていたと結論づけてしまう。(信玄は館の近隣にある)要害城と躑躅ヶ崎の館と(を持っていて)あわせると、信玄の敵に対する防御は大変なものであったといえる。”とまで指摘しています。(括弧内筆者)
また別の インターネットサイトでも そのように、信玄の“歌”とするのは疑わしいとの結論のようです。これは どう考えても後世の 人の思い込みによる 偽作のようです。
http://www.lib.pref.yamanashi.jp/cgi-bin/refjirei/refs.cgi?c=yamanashi&n=32
まぁ いかに偉大とは言え、戦国大名の言葉が 現代の企業経営の参考になるなどというのは、マユツバであると言うのは当然なのでしょうね。現代人の勝手な思い込みイメージが自己増殖、膨張している例でしょうか。
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