The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
07年よ、無事暮れまして さようなら
さて、このブログも 記事の数では394件となりました。(本稿で395件)
どうにも 気分は マンネリです。どうしてか分かりませんが、ISOマネジメントに関する瞠目するような意見(異見?)に 出会わないからかも知れません。こういった規格に あまりにも 突拍子も無い意見が あったとすれば それは それで大問題かもしれません。
私は、ISOマネジメントには 相当に人類の叡智が込められていると信じています。だから これをあっさりとは無視できないものと考えています。まぁ そういったことから、ISOに関係する仕事をしながら、このブログで 自分なりの考え方をまとめ上げようと思っている訳です。
ISOマネジメントは いわば 組織経営のある種の作法・「型」だと思って来ました。この「型」 つまり経営の一定のやり方の仔細全て(業務プロセス)を あらゆる組織人に外部から押し付けることに そもそもの無理があるように 思っています。
それは、会社によって様々な事情のあるビジネスの背景や環境について、その実態を知らない第三者が認証するという仕組に無理を感じるからです。そういう意味で、ビジネスのやり方(業務プロセス)についての規格が あることに 最初は驚いたものです。
但し、この第三者が認証については 岡目八目という言葉が示す通り、一括りに無意味であるいと言い切ってしまうのも 問題かも知れません。世の中には 特に中小企業には 経営者の個性によって かなり異様なパフォーマンスで 事業展開していることがあるからです。そこには 無駄や不足と思えるパフォーマンスが 見て取れる場合が多いのです。
このビジネス・パフォーマンスの過不足への妥当性評価は 審査員のセンスに依存するところも多いと思われます。また、ISOの条項の解釈や 実際への適用に当たって、こう受け止めるべきだという思い込みが一部審査側にあるのも 大いに問題だと思っています。これは ISOが 始まった頃から言われている問題です。
ところが 最近 この点についてJRCAなども問題にしていますが、その対応を見ていると 不良審査員を篩い落とすための方向性が どうも変な方向に 向かっているように思えてならないのです。ここに官僚主義的文書主義などの臭いを感じています。ある種のリテラシー能力のみで評価しようとしている部分が目立ち、これでは不良審査員は淘汰されないのではないかと思われる基準になっています。大企業サラリーマン出身の審査員には それこそ官僚主義的文書主義などは 得意分野の世界だからです。それに、大企業のやりかたを是として それをそのまま中小零細企業に 押付けるのはもっての外ではないでしょうか。
様々なビジネス・パフォーマンスについて、岩波氏の“ISOを活かす”で取り上げている多くの事例は 私には 大いに勉強になっています。それは 恐らくは 岩波氏のコンサルタント活動や審査活動を 通じて 知りえた事実に基づいている事例ばかりだろうからです。私には 良い 教材だと思って 感謝しています。
但し、この岩波氏の事例には 人事に絡む問題、教育・訓練に関するものがほとんどないのは 少し問題ではないかと 感じています。私も どちらかといえば人事問題は苦手なのですが 個別の事例の中には 実際にはそういった問題があったのではないかと思われます。どうやら 岩波氏は この問題を避けて通っているのではないかと思ってしまうほどです。これは、岩波氏ばかりではなく、私の経験では ISO審査全体に そういった傾向があるように感じています。
多分、それには理由があって、一つには 是正処置として いきなり担当者の教育・訓練に帰結させるのが 妥当性を欠いている場合が 多く、その手前で、フェイル・セーフ的是正処置として生産設備やコンピュータなどの制御システムの是正などハード面での改善や、人のパフォーマンス・手順の是正によるルール改善に 帰結することが 的確な効果的是正処置となるからだと思うのです。そういう意味では 是正処置自体が 教育・訓練の問題にまで深く立ち至っていないことが 問題なのかも知れません。
しかし、こうした本当の是正処置に考え至るのは そこに居る当事者であり、彼らの認識が不十分では いつまで経っても組織のパフォーマンスは 改善できないはずです。この当事者への適切な教育・訓練、人材育成が 必須であることは 論を待たないと思います。
そう言えば 武田信玄の 次のような歌が 気になります。
人は堀、人は石垣、人は城、情けは見方、仇は敵なり
それ以外では、岩波氏の事例には 私の憶測で 経営者の姿勢に疑問を呈した問題が幾つかありましたが、岩波氏は この点も回避しているような気がします。実は、ISOマネジメントにとって 経営者の姿勢は非常に大きな要素であり、この点を回避して適切な 解は得られないと思います。しかし、これを問題にする ISO審査も 実際には ほとんど存在しないように思います。それは、経営者が ISO審査のクライアントだからでしょう。第三者である審査機関は 経営者から審査料を 稼いでいるので、経営者の気に入らない審査結論では 審査会社は変更されてしまう懸念があるからです。これも 現実のISO審査の 重大問題だろうと考えます。それに 経営者の教育・訓練は どのように行なうのが適切か。これは 永遠の課題でしょう。
評価を受ける側の問題が もう一つあるように思います。それは現実の経営者の多くは 主体性を欠いていると思われることです。岩波氏の事例にも それが散見されます。また、それは 日本人全体の“ならいせ” になっている面も 否定できません。したがって経営者ばかりではなく、従業員にもそのような人が非常に多い。これは 非常に大きな問題だと思われます。
例えばISOマネジメント・システム構築の際に よく聞く台詞に “雛形(具体例)を示せ。”というのがあります。これほど 主体性の欠如した言い方はありません。自ら思考することを放棄しています。自分たちの業務パフォーマンスとそっくり同じことが世間のどこかで 必ずやっていることなどと 考えるのは大間違いです。大まかには 合っていても 必ず詳細では違っているものです。だからシステム構築では 本当は担当者達自身で考えるのが 一番生産性が良いのです。ISOコンサルタントの役割は、担当者が 考えやすいようにヒントを与えるだけで、コンサルタントがマニュアルや手順書を作ることではありません。あくまで産婆役であることが 正しい役割認識です。
こういった 主体性の欠如が 自らの業務パフォーマンスの妥当性の過不足を評価するときに 変調を来たすのです。その結果、業務改善など思いの外で、停滞が居座るのです。そして、あたかもISOの導入が原因であるかのように 当事者は言い募るのです。
最後に、最近 知ったことですが、ISO9001の問題点として、ある人に言わせるとISO14001は リスク・マネジメントにも準用可能なのですが、ISO9001は そうではない、という指摘があります。それは ISO14001では 環境影響評価を通じて、管理するべき対象(著しい環境側面)を抽出し、組織のパフォーマンスを改善する仕組が組み込まれているのですが、これがリスク・マネジメントに通じるものがあると言うのです。
ところが、ISO9001には そういった要求事項がなく、言わば 組織の製品(サービス含む)品質に関する リスク・マネジメントが不十分なままでPDCAを廻しても問題ないことになっています。私も 確かにこれは問題だと気が付きました。
品質経営に関するSWOT分析やFMEAのような手法を導入して、組織の弱点を認識し、これを改善するために品質目標を設定するという方法論がないために、継続的改善にいたる道筋が 事実上ボヤけてしまっていると認識したのです。
BSC(バランス・スコア・カード)を ISOマネジメントの外で設定し、組織全体を活性化させようという動きは これに対処しようとした結果なのでしょう。
まぁ 以上のようなところが これまでの私のISOマネジメントに関して最近認識に至ったことを 思いついたまま書いて見ました。これらの問題点を梃子に さらにISOマネジメントの問題点を見つめ、拾い上げて考察を進めてみたいと思っています。
また、こういった問題の解消に どのように具体的に対処するのかも 私の今後の課題だと思っています。何も 規格内容の変更を要求することだけが、対処方法ではないと思っています。つまらない規格なら それを捨てるのも 一つの方法で、究極的には第二者監査(顧客の監査)のみで対処する方法もあるからです。組織経営は 主体的に取組むべき問題であって、素人の第三者に評価してもらうのが 最も適切なこととは言い切れないからです。
だから トヨタ自動車は ISO9001を放擲し、ISO/TS16949にも消極的なのでしょう。ISO/TS16949は 場合によっては 重すぎる。過剰であまりに仔細な要求が多いようにも思うのです。ISO/TS16949は まさにトヨタ以外の自動車メーカーにとっては供給先評価を 手抜きするための方法論なのでしょう。価格低減を要求しつつ、過剰な管理を要求するのは 基本的に矛盾があります。でも 組織自身にとって良いと思われる部分は、たとえ自動車に関係しないビジネスでも参考にするべきでしょう。あくまで 組織の主体性が 強調されるべきです。
この主体性があれば、組織経営のある種の作法・「型」であるISOマネジメントに守破離が あって当然だと思うのです。また そう、あるべきでしょう。
かなり長くなってしまいましたが、こういう認識から 来年は どのような“気付き”が付け加わり、思考が発展するのか分かりません。“気付き”は 全く無いかも知れませんが、冒頭に書きましたように ビックリするような考え方が 飛び出すとは思えません。これも “気分は マンネリ” の背景にあるのでしょう。
こういったところで、今年も 暮れようとしています。では 良い お歳を お迎え下さい。
どうにも 気分は マンネリです。どうしてか分かりませんが、ISOマネジメントに関する瞠目するような意見(異見?)に 出会わないからかも知れません。こういった規格に あまりにも 突拍子も無い意見が あったとすれば それは それで大問題かもしれません。
私は、ISOマネジメントには 相当に人類の叡智が込められていると信じています。だから これをあっさりとは無視できないものと考えています。まぁ そういったことから、ISOに関係する仕事をしながら、このブログで 自分なりの考え方をまとめ上げようと思っている訳です。
ISOマネジメントは いわば 組織経営のある種の作法・「型」だと思って来ました。この「型」 つまり経営の一定のやり方の仔細全て(業務プロセス)を あらゆる組織人に外部から押し付けることに そもそもの無理があるように 思っています。
それは、会社によって様々な事情のあるビジネスの背景や環境について、その実態を知らない第三者が認証するという仕組に無理を感じるからです。そういう意味で、ビジネスのやり方(業務プロセス)についての規格が あることに 最初は驚いたものです。
但し、この第三者が認証については 岡目八目という言葉が示す通り、一括りに無意味であるいと言い切ってしまうのも 問題かも知れません。世の中には 特に中小企業には 経営者の個性によって かなり異様なパフォーマンスで 事業展開していることがあるからです。そこには 無駄や不足と思えるパフォーマンスが 見て取れる場合が多いのです。
このビジネス・パフォーマンスの過不足への妥当性評価は 審査員のセンスに依存するところも多いと思われます。また、ISOの条項の解釈や 実際への適用に当たって、こう受け止めるべきだという思い込みが一部審査側にあるのも 大いに問題だと思っています。これは ISOが 始まった頃から言われている問題です。
ところが 最近 この点についてJRCAなども問題にしていますが、その対応を見ていると 不良審査員を篩い落とすための方向性が どうも変な方向に 向かっているように思えてならないのです。ここに官僚主義的文書主義などの臭いを感じています。ある種のリテラシー能力のみで評価しようとしている部分が目立ち、これでは不良審査員は淘汰されないのではないかと思われる基準になっています。大企業サラリーマン出身の審査員には それこそ官僚主義的文書主義などは 得意分野の世界だからです。それに、大企業のやりかたを是として それをそのまま中小零細企業に 押付けるのはもっての外ではないでしょうか。
様々なビジネス・パフォーマンスについて、岩波氏の“ISOを活かす”で取り上げている多くの事例は 私には 大いに勉強になっています。それは 恐らくは 岩波氏のコンサルタント活動や審査活動を 通じて 知りえた事実に基づいている事例ばかりだろうからです。私には 良い 教材だと思って 感謝しています。
但し、この岩波氏の事例には 人事に絡む問題、教育・訓練に関するものがほとんどないのは 少し問題ではないかと 感じています。私も どちらかといえば人事問題は苦手なのですが 個別の事例の中には 実際にはそういった問題があったのではないかと思われます。どうやら 岩波氏は この問題を避けて通っているのではないかと思ってしまうほどです。これは、岩波氏ばかりではなく、私の経験では ISO審査全体に そういった傾向があるように感じています。
多分、それには理由があって、一つには 是正処置として いきなり担当者の教育・訓練に帰結させるのが 妥当性を欠いている場合が 多く、その手前で、フェイル・セーフ的是正処置として生産設備やコンピュータなどの制御システムの是正などハード面での改善や、人のパフォーマンス・手順の是正によるルール改善に 帰結することが 的確な効果的是正処置となるからだと思うのです。そういう意味では 是正処置自体が 教育・訓練の問題にまで深く立ち至っていないことが 問題なのかも知れません。
しかし、こうした本当の是正処置に考え至るのは そこに居る当事者であり、彼らの認識が不十分では いつまで経っても組織のパフォーマンスは 改善できないはずです。この当事者への適切な教育・訓練、人材育成が 必須であることは 論を待たないと思います。
そう言えば 武田信玄の 次のような歌が 気になります。
人は堀、人は石垣、人は城、情けは見方、仇は敵なり
それ以外では、岩波氏の事例には 私の憶測で 経営者の姿勢に疑問を呈した問題が幾つかありましたが、岩波氏は この点も回避しているような気がします。実は、ISOマネジメントにとって 経営者の姿勢は非常に大きな要素であり、この点を回避して適切な 解は得られないと思います。しかし、これを問題にする ISO審査も 実際には ほとんど存在しないように思います。それは、経営者が ISO審査のクライアントだからでしょう。第三者である審査機関は 経営者から審査料を 稼いでいるので、経営者の気に入らない審査結論では 審査会社は変更されてしまう懸念があるからです。これも 現実のISO審査の 重大問題だろうと考えます。それに 経営者の教育・訓練は どのように行なうのが適切か。これは 永遠の課題でしょう。
評価を受ける側の問題が もう一つあるように思います。それは現実の経営者の多くは 主体性を欠いていると思われることです。岩波氏の事例にも それが散見されます。また、それは 日本人全体の“ならいせ” になっている面も 否定できません。したがって経営者ばかりではなく、従業員にもそのような人が非常に多い。これは 非常に大きな問題だと思われます。
例えばISOマネジメント・システム構築の際に よく聞く台詞に “雛形(具体例)を示せ。”というのがあります。これほど 主体性の欠如した言い方はありません。自ら思考することを放棄しています。自分たちの業務パフォーマンスとそっくり同じことが世間のどこかで 必ずやっていることなどと 考えるのは大間違いです。大まかには 合っていても 必ず詳細では違っているものです。だからシステム構築では 本当は担当者達自身で考えるのが 一番生産性が良いのです。ISOコンサルタントの役割は、担当者が 考えやすいようにヒントを与えるだけで、コンサルタントがマニュアルや手順書を作ることではありません。あくまで産婆役であることが 正しい役割認識です。
こういった 主体性の欠如が 自らの業務パフォーマンスの妥当性の過不足を評価するときに 変調を来たすのです。その結果、業務改善など思いの外で、停滞が居座るのです。そして、あたかもISOの導入が原因であるかのように 当事者は言い募るのです。
最後に、最近 知ったことですが、ISO9001の問題点として、ある人に言わせるとISO14001は リスク・マネジメントにも準用可能なのですが、ISO9001は そうではない、という指摘があります。それは ISO14001では 環境影響評価を通じて、管理するべき対象(著しい環境側面)を抽出し、組織のパフォーマンスを改善する仕組が組み込まれているのですが、これがリスク・マネジメントに通じるものがあると言うのです。
ところが、ISO9001には そういった要求事項がなく、言わば 組織の製品(サービス含む)品質に関する リスク・マネジメントが不十分なままでPDCAを廻しても問題ないことになっています。私も 確かにこれは問題だと気が付きました。
品質経営に関するSWOT分析やFMEAのような手法を導入して、組織の弱点を認識し、これを改善するために品質目標を設定するという方法論がないために、継続的改善にいたる道筋が 事実上ボヤけてしまっていると認識したのです。
BSC(バランス・スコア・カード)を ISOマネジメントの外で設定し、組織全体を活性化させようという動きは これに対処しようとした結果なのでしょう。
まぁ 以上のようなところが これまでの私のISOマネジメントに関して最近認識に至ったことを 思いついたまま書いて見ました。これらの問題点を梃子に さらにISOマネジメントの問題点を見つめ、拾い上げて考察を進めてみたいと思っています。
また、こういった問題の解消に どのように具体的に対処するのかも 私の今後の課題だと思っています。何も 規格内容の変更を要求することだけが、対処方法ではないと思っています。つまらない規格なら それを捨てるのも 一つの方法で、究極的には第二者監査(顧客の監査)のみで対処する方法もあるからです。組織経営は 主体的に取組むべき問題であって、素人の第三者に評価してもらうのが 最も適切なこととは言い切れないからです。
だから トヨタ自動車は ISO9001を放擲し、ISO/TS16949にも消極的なのでしょう。ISO/TS16949は 場合によっては 重すぎる。過剰であまりに仔細な要求が多いようにも思うのです。ISO/TS16949は まさにトヨタ以外の自動車メーカーにとっては供給先評価を 手抜きするための方法論なのでしょう。価格低減を要求しつつ、過剰な管理を要求するのは 基本的に矛盾があります。でも 組織自身にとって良いと思われる部分は、たとえ自動車に関係しないビジネスでも参考にするべきでしょう。あくまで 組織の主体性が 強調されるべきです。
この主体性があれば、組織経営のある種の作法・「型」であるISOマネジメントに守破離が あって当然だと思うのです。また そう、あるべきでしょう。
かなり長くなってしまいましたが、こういう認識から 来年は どのような“気付き”が付け加わり、思考が発展するのか分かりません。“気付き”は 全く無いかも知れませんが、冒頭に書きましたように ビックリするような考え方が 飛び出すとは思えません。これも “気分は マンネリ” の背景にあるのでしょう。
こういったところで、今年も 暮れようとしています。では 良い お歳を お迎え下さい。
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