goo

これまで開催の“ひょうご講座”を受講して―その4

先週の日本社会の動きは、大きな変化はあまりなかった印象だ。

ただ、最高裁では非正規労働への理解ある判決と無理解な判決が出た。方向性の異なる2つの判例が同一の機関からほぼ同時に下されるというのは、人間でいえば精神分裂症であり、極めて不健全である。それが一国の最高機関から下されるというのは、この国の指導層の一貫した社会的哲学性の欠如を示している。さらには、そう言った矛盾に言及する識者もほぼ居ない、あるいは報道されないことも不健全社会であることを示している。日本にしっかりした、社会科学や哲学、社会正義が根付いているのだろうか。
さらに政治構造としては、最高裁裁判官の任用についての基準がいい加減なところにも起因しているようにも思える。非正規労働への無理解を示した裁判の裁判長は、何と外交官出身。アイルランド大使や英国大使を務めた後、2017年4月、最高裁判所判事に就任とある。“アイルランドを知れば日本がわかる”という著書があるらしい。アイルランドでは非正規労働者はこうした差別が許されているのだろうか。それがアイルランドの常識なのだろうか。一方、理解ある判決を下した裁判長は“司法試験委員会委員長や日本刑法学会理事長も務めた、刑法理論研究の第一人者”だという。さすがに、バリバリの法曹の専門家だ。何も法曹の世界ばかりから、任用されるべきとは思わないが、外交官という華やかな世界だけをご存じの方に裁いていただくよりも、下々の事情を良くわかった人物にこうした社会問題を裁いて頂きたいと思うのだが、どうだろうか。
しかも、日本社会では最高裁判事の人柄を知る機会はほとんどない。米国のように、その判事の名前を書いたTシャツが売れるといった社会現象があるわけではない。そういう社会構造にも問題があり、社会停滞の深層原因になっているのではないだろうか。

日本学術会議の会員選任拒否は先週も明確な“説明責任”が果たされないままだ。何だか、学術会議側が折れそうな怪しい雰囲気が漂っている気がするが、どうだろうか。学術会議会長は自らの使命をしっかり認識しているとは思えない。哲学性も思想性も全くない、単なるゴヨウガクシャでないのか。
こういったことから、日本の学術の劣化を示しているような気がする。特に、日本の文科系学者の劣化が甚だしいのではないか。ノーベル賞の時期だが、経済学賞の受賞は無かった、というより始めっから候補者も居ないかのようだ。しっかりした哲学をもって、日本社会を経済学的に分析できる学術が発展しなかったのではないか。一貫した“独創的哲学的姿勢”が研究の核として経済学が考究されていないのではないか。
歴史学者も政治学者も日本の戦前の近代史をしっかり研究して戦争の原因をしっかり具体的に把握しているのだろうか。悲惨を招いた原因を追及し真理を示さず、一般人も又“お勉強”せずに、そのまま戦前コースを踏襲して逆行しているように見える。

個人的な話だが先週は、“ひょうご講座・地域創生”で、谷口泰司・関西福祉大学教授の“介護・福祉サービスを取り巻く現状と今後の展望”を聴いてその夜も寝られぬほど感銘した。それは、“人は「依存できる手段の数」で強弱が決まる”という言葉からだった。
人は本来、社会に依存してはじめて生きられる。特に、近現代人はそうなのだ。そして強者にはその社会に依存できる手段は多い。だが、“身体障碍者等の弱者には社会に依存して生きる手段は基本的に制限されている。例えば車椅子にでしか移動できないのはそこに既に制限がある。それだけで、社会に依存して生きる手段は限られているのだ。”というのだ。

確かにそうだ、政権にある人物は本来選挙という制度で社会に強く依存しており、その依存する手段を多数持っているから当選出来てきたのだ。その社会に強く依存した人物が、“自助”を強調するのは傲慢ではないのか。依存する手段として、自らをPRするのに“苦労人”であることを強調するのは詐欺に等しい。“苦労”とは客観的には評価できないものであって、人によって大きく異なるものだからだ。それは詐欺師の手段なのだ。
米国ではマッチョを誇示する大統領が居て、これもまた選挙で欺かんと必死だ。コロナ・ウィルスの罹患から簡単に生還できたのは、周囲に一流の医療従事者が居り、施設があったからに外ならない。そのように立派な周囲に依存できたからなのだ。それを自己の本来のものとして誇示するのは、傲慢である。
こういう政治家が繁栄するのは、現代社会の精神疾患ではないのか。

だが、欧米では弱者との“連合”や“連携”、“連帯”が形成され易いキリスト教の土壌があると思われる。キリストの説いた“愛”は、つまるところ、その“依存の関係性”のことではないか、その思想が社会隅々に浸透している。ところが日本は、むしろ芥川龍之介の“くもの糸”の足の引っ張り合いの世界ではないかと思える。何故、こうなったのか。それが知りたいと思って、講師の谷口教授に質問票を提出している。


今回は“ひょうご講座”受講のその後を“国際理解”コースに限って紹介したい。前回は、“地域創生”コースを紹介したので、そうしたい。先ほどの、谷口教授の講演“介護・福祉サービスを取り巻く現状と今後の展望”は“地域創生”コースを紹介する際のいずれかのこととしたい。
【国際理解-米中対立と世界情勢の行方】
○第3回〔9月18日(金)〕世界史における覇権国家の興亡―米中対決を視野にー
西川 吉光・東洋大学 国際学部 教授
○第4回〔9月25日(金)〕米中対立と世界経済
池下 譲治・福井県立大学 地域経済研究所 教授
○第5回〔10月2日(金)〕新型コロナウイルス感染症と国際社会
詫摩 佳代・東京都立大学大学院 法学政治学研究科 教授
○第6回〔10月16日(金)〕新型コロナ後の中国経済の動向
露口 洋介・帝京大学 経済学部 教授
以下に、個々の講演の若干のコメントを付記したい。

○世界史における覇権国家の興亡―米中対決を視野にー
地政学の初歩から説明があった。古代から中世まではインナー・ユーラシアが歴史の舞台になったが、そこでは騎馬が戦力の中心となり、大航海時代以降はアウター・ユーラシアが中心になり、造船や航海術の進歩とともに外洋を制する者が世界の覇権を握るようになった。
海洋覇権国家は15cはポルトガルから始まり、16cはスペイン、17cオランダ、18~20c英国となった。20c初頭から米国が覇権を握り始め、第2次大戦以降は米国のパックス・アメリカーナの時代となった。それが蔭り始めているのが現代。
海洋国家が何故世界の覇権国家となるのか。それは隣国存在による制約がない“外線の利”からだ。しかも輸送力は内線の鉄道より船の方が大きい。自由な交易の可能性、広域同盟も可能、こうしたことを背景に国際的システムやルールの構築にリーダーシップをとる可能性が強いことがある。19cフランスが米国と組んで英国に対抗しようとしたが上手くいかず覇権は握れずに終わった。海洋軍事力は軽軍備で済ませられることが多い。百年戦争後の英国であり、大戦後の日本だ。
これに対し、内陸国家は国内統治のためにも強大な陸軍を要する。それが逆に強大な権力を生み、政治的自由度も圧迫され帝国の形成が見られる。海洋国家は、軽軍備のため政治的自由度も高い。英国は中間層の自由人の発想で産業革命を成し遂げ、そこで世界の工場となり覇権を握った。
英国の戦略は弱い国と連合してその国に恩を売りつつ覇権をあらそうが、日本は強い国と一緒にやろうとして、何故か大陸進出を図って失敗している。秀吉であり、戦前の日本だ。政治力の未熟の結果ではないのか。

地政学は政治地理学から進化し19cにドイツのラッツェルから、チェレン、ハウスホーファーへと発展し、ナチスがそれを活用した。日米独ソの4つの汎地域論を唱え、PANユーロとPANロシアが連合すれば世界制覇も可能と見たという。
米国では19cマハンが“シーパワー理論”を唱えたが、現在ではスパイクスマンの“リムランド理論”が唱えられている。海洋・大陸勢力の接点としての“リムランド”が重要で、これを支配するものが世界を支配するとの説である。米国国防省が唱えた“自由と繁栄の弧”がこれだという。
21cは“鯨と熊の対立は今後も続く”。今後は地理的な海洋優位性に加えて、“宇宙・通信・情報(4次元)の掌握”が重要要素になると考えられている。

国家盛衰には3つの契機があるという。外部環境の変化:それまでの欠点が時代の変化で利点・長所になる時。政治力:変化を柔軟に取込む変更力があること。社会:裾野の広い利益享受の中間層と結束力。これらの存在が必要だという。これからは貪欲で繊細な情報収集力と、旺盛な好奇心と進取の気性あふれる国民精神が必要という。だが、残念ながら日本に欠けるものばかりではないか。ここに衰退の傾向を見るのだ。

今や米中対立が深化しつつあり、その行方については次の要素を見る必要がある。ハートランド・中露関係の安定を許してしまった。背後のインドにはあまり期待できないだろう。但し、中国は大海軍の建設に走っている。これはフランス、プロシア、ソ連の辿った失敗の道で、歴史上“大海軍と大陸軍を共有しえた国はない”という。だが、国家経済主義が今後順調に発展するとは思えない。“豊かな生活と監視・統制の共存する社会”での今後の高度経済成長は長く維持できないだろう。必ず自由を欲する中流層が育ってくるはずで、監視・統制から自由な社会について中国人に教えることが肝要だろう。華夷秩序(中華思想)意識が再来しているが、それが返って世界の反発を招いている。真の友好国は存在しない。今後の急速な高齢化と格差拡大は社会を弱体化させる。
一方の米国不利の条件はそれほど深刻ではないように見える。現在進行の社会の分断やヒスパニック優位等の環境の変化には柔軟に対応できるだろう。

これらを考慮すれば米国覇権の維持の可能性は高い。開放性、国際性、寛容性の従来からの維持も可能だろう。古代ローマ人の高い公共性意識は、ギリシアより長い繁栄を見た。米国にはこれまでの実績によってそれがあるのは明らかだが、中国にはない。米国には今後の影響力の低下を補う、ネットワークが必要だが、対中海洋同盟としてのASEAN、日本、豪、印、その他太平洋諸国と英国の参加は十分に見通せる。
これに、日本が各国と重層的関係を結び参加することが肝要だろうという結論だった。

質問の時間に入って、そこでは次のような見方の開示があった。
中露関係の安定性は中国の中央アジアへの進出に、ロシア側が神経をとがらせていいて、恒久的ではあるまい。しかも、コロナ禍でベラルーシ、タイ、カンボジア等のハートランド周辺国で騒動がある。だが、インドは南アジアの域外への進出は考える余裕なく、期待出来ないだろう。
日本のミサイル防衛は、衰退する国家の負担としては重過ぎるので直ちに止めるべきだ。3次元空間を高速で移動するミサイルに点攻撃して、命中させられる可能性は全くない。それにも拘わらず巨額の開発コストが必要だ。それよりも敵基地攻撃能力の獲得を目指した方が確実で、コストも低い。38度線の向こうを防御ラインとするべきだろう。
日本の政治家の質は劣悪で、早急に政治エリートを養成しなければいけない、等々と取敢えずの正否は別として聞いておいた。

○米中対立と世界経済―その収斂と分断の構造
ここではグローバリゼーションとは“空間を超える市場の統合”とみなして議論する。国際化の中で政治のトリレンマとして、グローバリゼーションとNation国家、民主主義がある。そこで、中国は民主主義を捨て、国家とグローバリゼーションを取り、成功している。EUは国家を捨てた結果、ドイツが一人勝ちする結果となった。そこで、英国は国家を取り戻して、グローバリゼーションを捨てたと言える。

次には産業革命がイギリスに起き、アジアに起きなかったのかの議論に入る。講師の結論は、イギリスに起きたのはペスト禍で下層中層の人々が多数死亡し、教養ある上層の貴族層が下層の仕事に就かざるを得なかった。そこで産業の改革が革命へとつながった、というのだ。
東アジアではこのようなことが起きなかった。明代まで中国の生産力は高く、一人当たりGDPは高かった。しかし、明代以降生産力は停滞した。
明代には鄭和の大船団が構成され、海洋国家を目指したはずだった。造船技術も欧州に比べ格段に高かった。鄭和の船団の船の全長は120mだったが、ヴァスコ・ダ・ガマやコロンブスの船は20数mだったという。規模も鄭和の船団は208隻、2万7千人だが、ダ・ガマやコロンブスの船団は3~4隻で200名程度だった。鄭和はその船団でアラビアやアフリカ沿岸に至ったという。ところが、政権内部の官僚間の権力闘争で鎖国的政治体制へ移行し、活力が失われたという。鄭和ら宦官が貿易を担ったが、それを妬んだ官僚が動いて勝利した。過度に中央主権化した場合には、政権内部で必ず内部闘争が起き国家全体の活力が失われる傾向があるという。

これは現代にも通じることの可能性は高く、今日の中国は戦狼外交が際立っており、中央集権が進むならば停滞の可能性はありうる。また(生産人口減等の)潜在成長率低下の不安要素があり、これまでのような成長が望めない可能性もある。覇権国家と新興国家の“トゥキュディデスの罠”が当てはなまらないように国際社会は、国際ルールの順守を中国に促すべきであろう。
米中対立の遠因は、グローバル化による米国内の階級間格差拡大による中間層の疲弊化も一因である。従い、今後の経済活動の公正な枠組みの構築が必要である。

私は米国内の問題より、日本の問題、アベノミクスの失敗はどこにあるかを質した。その失敗の原因は産業のイノベーションが起きなかったことであり、それは日本人の同質性にあるのではないかとのことだった。移民政策は行わないとすれば、同質性は維持されることになり、このままではイノベーションが起こりにくいままではないかとの見解であった。

○新型コロナウイルス感染症と国際社会
ここではパンデミック対策としての国際保健協力の促進が、米中対立の緩和の鍵になる可能性があるとの議論だった。過去の歴史から見てそうで、正にWHOの起源がそこにあるという。端的に言えば今後もWHOの強化、改革が重要であるとのこと。
つまり、日本は自由民主主義国との連携により、WHO改革、ワクチンへの公正なアクセス確保に積極的に関与すること。ASEANとの協力は必須であり、日米同盟や“自由で開かれたインド太平洋”の枠組みで広義の安全保障を国際保健協力の促進で達成するべき、との話であった。少し明るい気分になった。

○新型コロナ後の中国経済の動向
講師は、日銀の中国経済担当の出身、中国現地にも駐在経験があるとのこと。中国経済というよりも中国の金融体制が中心の話であった。金融は私のもっとも苦手とする分野の一つである。ところが、この一週間、審査の仕事が続いていたので、疲労蓄積が“分かり難いなぁ”と思った途端に意識が無くなっていた。そういう事情で殆ど理解できずに終わってしまった。
中国経済は自由化が進んでいないので、世界の覇権を握るまでには行かないと高橋洋一氏はしきりに指摘するが、講師の見方からは、適切な自由化運営ができているとの評価だった。また、中国は諸外国取り分け日本経済の発展段階を十分に研究しており、恐らく経済運営に失敗はしないだろうとのこと。さらに現状の中国経済自身には大きな問題はなく、コロナ禍も乗り越えて行くだろうとの見通しだと感じた。
しかし、経済見通しのベースとなるデータがそもそも怪しい部分が多いのではないか。その怪しい数字をベースに分析していては正しい見通しが出せるのであろうか。まぁ専門家なので、その点は重々承知であり、皮膚感覚で理解・分析可能なのであろうが・・・どうなのであろうか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« これまで開催... 今週の“感想文” »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。