The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
“西研特別授業『ソクラテスの弁明』”を読んで
前回、“安倍政権末期の不思議な無風”と書いたが、その後、健康不安説が現実化して政権が極めて不安定な状態であるにもかかわらず、それにつけこむ政敵がいないことによる雰囲気ではなかったか。もはや、それすらも耐え難い健康状態に至り、ようやく逃げ切れずに辞任へと追い込まれた、というのが実態だろう。遅きに失した観も否めない。
ここに来ての大腸の異常、これは強烈な心理的圧力つまりストレスからくるものと考えられる。特に大腸はストレスの影響を受けやすい内臓なのだ。新型ウィルス禍はここに来て重大化したトラブルではない。このタイミングでは、広島での選挙違反事件しか考えられない。事件の主犯は6月に逮捕され、今月公判が開始されたのと踵を合わせるように、病状が悪化している。モリ・カケ・サクラでは自殺者が出ても厚顔であったのが、ここへきての突然のストレスであり直接自己に迫る危機はそれしかない。だとすれば、公判の内容次第ではとんでもない悪事があからさまになる可能性があるのかも知れない。それとも検察は“辞任”と引き換えに手打ちをするのだろうか。
検察はトップ人事に介入した官邸に対し、OBも積極的に加わって徹底抗戦を展開し、広島の選挙違反を軸にここまで押し込んできたのだ。検察はここで“武士の情”を示すのか、それとも“巨悪を眠らせない”というDNAを蘇らせるのだろうか。検察の対応如何では政権の歴史的評価は大きく変化するのではないだろうか。検察本来の“社会正義実現”の使命からすれば、モリ・カケ・サクラの真相解明のための徹底捜査は必須であろう。そうでなければ、この国は法治国家ではない!
この際、事実で持ってこの政権の歴史的意味*を明らかにできなければ、この国はいつまでたっても“曖昧で猥雑”であり、とても“美しい国”などという誇りをもって国際社会に臨める国とはならない。つまりいい加減に見過ごして放置してしまえば、この国の歴史的進化は望めず、三流国家のままとなるだろう。
*ここでは、絶対に“意義”ではなくてあくまでも“意味”である。
政権の後継者がどのように選出され、誰が継承するのかによっても、この点は大きく変化するのではないだろうか。ある新聞が“荒れたグラウンドをならす必要がある”と表現しているが、政界はそんな軽薄な荒れ方ではあるまい。しかも政界ばかりではない。徹底的に政治を私物化した罪は計り知れず、また政治を“やってるフリ”*で済ませた罪も計り知れない。もっと抜本的な社会の基礎からの改革が必要ではないだろうか。レガシーと言えば集団的自衛権と称して、自衛隊と国を売ったことだ。これが真の“民族派”のすることだろうか。そういう点では戦後右翼の正統派なのだろう。
*モリの自殺者に対する“厚顔”や“やってるフリ”は北朝鮮拉致被害者家族に対する対応でも示された。特に拉致被害者に対しては彼が政界で地位を確保するための“ライフ・ワーク”であり、ほとんど詐欺に近いのが実態だ。それは沖縄に対する対応でもそうであり、北方領土についてもそうであった。“真摯に説明責任を果たす”という言葉はそれを示している。特に“真摯”と言う言葉を空洞化させ、今後この言葉を使えない“死語”にした罪は大きい。こういう人物を”素直”で”真面目”、”優しい”と評する声がしばしば聞かれるのだが、一体どういうことなのだろうか。真実にそうなのか、評する人が意図的にウソを言っているのか私には闇の中だ。いずれ歴史が冷酷に評価するのだろう。
ここからは想像になるが、この長期政権の中、構築されたであろう強固な利権構造は簡単には崩れまい。政治の私物化というのはつまるところ利権構築なのだ。だとすれば政権の要だった人物がそれを引き継ぐことになるのだろう。少なくとも政権中枢の周囲は、中心人物を担いで利権を固守して必ずそう動く。そのほうが、党員全員での選挙で総裁を選出するよりは利権ホルダーにとっては手間がかからない。目下は臨時政権的な対応で、新型ウィルス流行の冬季を乗り切った後の解散総選挙とするだろう。その間にその臨時政権も、強固な態勢を築いて後、選挙に臨むことにするのだろう。
こうして利権政権が維持・強化されて行き続けるため、この国の腐敗はますます深まっていく可能性は非常に高い。それはやがてこの国の政治の徹底した腐敗堕落、つまりこの国の壊滅へと堕ちていくのではあるまいか。歴史は繰り返すのだ。
さて、今回は“西研特別授業『ソクラテスの弁明』-読書の学校(教養・文化シリーズ 別冊NHK100分de名著)”のテキストの読後感想を紹介したい。この本は“早稲田高等学校有志と『ソクラテスの弁明』という本をめぐって100分間の西研氏の講演・セミナー(読書の学校)”を元にして出版されたものとの意味の説明が、冒頭にある。この年齢に至って、高校生レベルの“お勉強”するのも気恥ずかしいものがあるが、この際、基本を分かり易く知っておくことは大切であると恥も外聞もなく取り上げることとした。何とか西洋哲学に嚙り付いて、西研教授という分かり易い解説者を知って後、同教授を師匠と勝手に見做して、その著書を片っ端から追いかけたいとの気持ちもあるからだ。西洋哲学の原点と言えばギリシア哲学、それもソクラテスは必須の基礎である。それを適切なガイドを通して知ることは、自ら原典に当たって誤解するよりは、時間消耗の無駄を省略するには、最良の方法と考えた。今後も、西研教授の著作を追いかけるつもりである。私の西洋哲学の学習帳的意味合いとみて頂いて結構かと・・・。
先ず、“ソクラテスの弁明”の重要なキィ・ワードは“不知の自覚”と“魂への配慮”だと紹介している。“不知の自覚”は以前は“無知の知”と訳していたが、“価値あること”を分かっているつもりであったが、実は分かっていないことに気付くこと。“この気付きこそが哲学の出発点であり、そこから探求を進めるべきだとソクラテスは考えている。” “魂への配慮”は以前は“魂への世話”と訳されていて、今も一部のネットではそう紹介されている例もあるようだ。“各人が自分の魂を「よいもの」にしようと配慮し世話することが哲学の目的であるとソクラテスは考えている”。
“ソクラテスは、地下ならびに天空の事物を探求するとともに、劣った議論を優勢にし、またそれと同じことを他の者たちにも教えるなど余計なことを行い、不正を犯している”という罪状で告発された法廷でのソクラテスの弁明を、弟子のプラトンが記録して本にしたもの。
その歴史的、政治的背景はこの本でも説明しているが、wikipediaによれば次のようである。
“ペロポネソス戦争でアテナイがスパルタに敗北後の紀元前404年、アテナイでは親スパルタの三十人政権が成立し恐怖政治が行われた。三十人政権は一年程度の短期間で崩壊したが、代わって国の主導権を奪還した民主派勢力の中には、ペロポネソス戦争敗戦や三十人政権の惨禍を招いた原因・責任追及の一環として、ソフィスト・哲学者等の「異分子」を糾弾・排除する動きがあった。
ペロポネソス戦争において致命的な働きをしたアルキビアデスや、三十人政権の主導者であったクリティアス等と付き合いがあり、彼らを教育した師であるとみなされていたソクラテスも、その糾弾・排除対象の一人とされた。特にソクラテスが「神霊(ダイモニオン)」から諭しを受けていると公言していたことが、「新しい神格を輸入した」との非難の原因となった。こうしてソクラテスは、「国家の信じない神々を導入し、青少年を堕落させた」として宗教犯罪である「涜神罪」(神を冒涜した罪)で公訴され、紀元前399年初頭に裁判が行われることになった。”ソクラテス、70歳の時だという。戦争と恐怖政治の責任の一端として、“アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、人々に怪しげな議論を吹きかけて、アテナイの有識者を誹謗し、それを若者に吹聴し若者を堕落させた”と告発され、法廷論争となったもの。
“哲学は「対話(議論)の営み」”であり、そこには二つのルールがある。①根拠を挙げて議論すること、そこから②根っこから考えられた原理性と皆が納得する一般性のある考えに至ること、である。これを“合理的な共通理解”と呼ぶ。
何故、そういう考え方“哲学”必要となったのか。それは様々な考え方を持った人々、民族が交易に集う都市では、統治のための“合理的な共通理解”が必要だったから、となる。そしてそれが都市文明のルールや価値観となる。
世界史では紀元前800年から紀元前200年の間にこうした動きが世界各地で起き、カール・ヤスパースはこれを“軸の時代(枢軸時代)”と呼んだという。中国での諸子百家、インドでのブッダやマハヴィーラ(ジャイナ教の開祖)の活動はこうした時代であった。
ギリシア哲学は港町のミレトスで“世界は何からできているか”をテーマとして始まった。しかし、近代科学の成果がない時代に“合理的な共通理解”に達する結論が得られず、それが重要なテーマとも思えなくなっていった。それは“知恵ある人”ソフィストが登場して弁論術が発達し、白を黒とも言い切る弁論法が横行したことも一因だ。これによって絶対の真理はありえない、と認識され始め“価値観が違えば観点も違う。観点が違えば出てくる答えも違う。”と考えられるようになってきた。つまり“どこにも究極の真理はない”という懐疑主義やニヒリズムに陥った。
それはアテナイの富と文化の繁栄へ発展する中で、戦士国家としての質実剛健の価値観が崩壊して、ニーチェの説いた“豊かさの中でのニヒリズム”という近代と同じ現象だと、西研教授はいう。
その時代に、ソクラテスは哲学を“価値”問う方向へ向かわせた。“正義、勇気、知恵、節度などの「徳」―魂に備わっているべき美徳”をテーマとした。
ソクラテスの哲学の契機をwikipediaでは次のように説明している。
ソクラテスの弟子のカイレフォンが、デルポイにあるアポロンの神託所において、巫女に「ソクラテス以上の賢者はあるか」と尋ねてみたところ、「ソクラテス以上の賢者は一人もない」と答えられた。これを聞いて、ソクラテスは驚き、それが何を意味するのか自問した。さんざん悩んだ挙句、彼はその神託の反証を試みた。彼は世間で評判の賢者たちに会って対話することで、その人々が自分より賢明であることを明らかにして神託を覆そうとした。しかし、実際に賢者と世評のある政治家や詩人などに会って話してみると、彼らは自ら語っていることをよく理解しておらず、それぞれの技術に熟練した職人達ですら、たしかにその技術については知者ではあるが、そのことを以って他の事柄についても識者であると思い込んでいた。
こうしたことから、彼は神託の意味を「知らないことを知っていると思い込んでいる人々よりは、知らないことを知らないと自覚している自分の方が賢く、知恵の上で少しばかり優っている」ことを指しているのだと理解し、更には、「神託において神がソクラテスの名を出したのは一例」に過ぎず、その真意は、「人智の価値は僅少もしくは空無に過ぎない」「知恵に関しては、自分は何の価値もない者であることを悟った者である」ことを示唆していたと結論するようになった、という。これが“不知の自覚”である。
このように“(自分を)知恵があると思い込んでいる傲慢さを暴く”ことを“批判的知性”と呼ぶことができるが、これは“実際に「馬にたかる虻」のように憎まれ死刑にされてしまう。”こうして“常識を疑う”ことから、認識そのものを疑う、目前のことは夢かも知れない、しかしそう考えるその自分の存在は疑う余地のないもの、これが“我思う、ゆえに我あり”のデカルトの言葉につながって行く、という。
ソクラテスはアテナイ市民に対し、“身体の健康もお金も大事だが、もっと大事なのは、あなたの魂(プシュケーpsyche*)ができるだけ優れたものとなるように配慮すること”ではないかと、説いたという。“ここでいう「徳」とは、魂の優れたありかた、つまり魂の良さ”であり、“魂の優れたありかた(徳)こそがもっとも大切であって、金銭や身体の健康などはあくまで手段にすぎない”とみなした。
この「徳」はギリシア語ではアレテーaretêであるが、“人だけではなく、何にでも使う。そのものに備わる本来の優秀性、卓越性、性能のよさなどを意味”する。
*死後も存続するような心霊的なものではない。「心」や「人格」と言い換え可能ではないか。“魂の優れたありかた(徳)”とは、人格の「立派さ」や「高潔さ」と言えば分かり易いか。
ソクラテスやプラトンが対話の中で取り上げる「徳(美徳)」は具体的には、“正義・勇気・知恵・節度”とされる。これは“四元徳(しげんとく)”と呼ばれる。
このようにソクラテスは“魂のよさ=徳”を至上目的とし、報酬を受け取らず極貧生活も厭わずに歩き廻っては徳目の本質について“哲学(愛知)の対話”を様々に繰り返し、こうした“息のつづく限り哲学はやめない”ことをライフワークとするようになった。それがアテナイ市民の一般にとって“けしからぬ煽動”に見えたのだ。
この点に関して、“ニーチェが鋭くソクラテスを批判”したという。それは“「道徳的によいこと」ばかりを気にしていると、人の生命力はむしろ削がれてしまう”という見方であり、実はむしろ“人にとって大事なのは、創造的な力を発揮してエネルギーを高揚させ、誇らしく自分を肯定することだ”と主張した。“ニーチェからすると、ソクラテスやプラトンは「お上品」”ということになる。
しかし、それでもソクラテスの“魂への配慮”は意義があると西研教授は言う。“ソクラテスは、ただ道徳的で生真面目なだけの生き方を称揚”してはおらず、その人となりは“自由闊達”であり、“謹厳実直な人ではなく、美しいことも大好き、お酒も好きな人”だったようだという。有徳に生きる人を見たときに“憧れ”を抱く、“そういう、人を惹きつける美質のことを、魂のすぐれたところ=アレテー(徳)と呼んだのだと私は理解”している、という。“哲学の対話は、人に「憧れ」を取り戻させ、元気にさせるものであるはず”だ。つまり、“哲学とは、何がよいか・なぜよいのかを問うことによって、憧れる力を呼び覚ますもの”だと西研教授は考えている、とのこと。
西研教授は“勇気”の徳目を例に、“ソクラテスの(対話による)「探求の方法」”として次のプロセスを提示している。
(1)実例を出す
・「自分はあのとき勇気を出したな」と思えることが何かあるか。
・他人を見ていて「勇気があるな」と思ったことが何かあるか。
(2)意味を確かめ、共通する要素を考える
・そのとき、勇気というのはどういうことを指しているのかを考える。
・さらに、勇気と呼べる例に共通する要素として何があるかを考える。
(3)価値があるとされる理由を考える
・その上で、なぜ勇気は価値あることとされてきたのかを考える。
こうしたプロセスが、勇気の本質を確認する作業である。(“勇気と呼ぶために必要な、共通する要素―哲学では「契機」という言葉を使うことが多い―のことを、後の哲学では「本質」と呼ぶ”ようになった。)
“このような、ソクラテスとプラトンの「探求の方法」を洗練して、共通理解を作る方法として整備したのが、20世紀の哲学者フッサール”であり、“その方法は「現象学」と呼ばれるが、要点を一言でいえば、体験をていねいに反省してそこから本質(共通な契機)を取り出す”ということである。
この本の最終の第4講は、前出の“対話による「探求の方法」”の再確認的性質の議論となっている。それは恐らくは“現象学”の方法論であろうが、あくまでも自他の体験がベースになっていて、それぞれを言語化し比較参照する内に客観化し、“他者理解”から“自己理解”を深め、“互いの常識(物の見方)を検証する”。そこから共通の要素、つまり本質を探り出すという作業のようだ。
その対話過程での基本、対話相手への“敬意”が重要であることは言うまでもない。また、“対話の技術としては、「尋ねること・確かめること」を意識するとよい”。
「ここのところがよく分からないのですが、もう少し説明してくださいませんか。」(尋ねること)
「あなたの言いたいのはこういうことだと私は受け取ったのですが、その理解でいいでしょうか。」(確かめること)
“批判の前にまず理解すること。できれば相手の発言の背後にある思いも含めて理解することが望ましい。”
“哲学の対話は、価値の根拠をつかもうとするもの”であるから“自分の生き方の軸を育てる働きがある。しかし、それだけでなく、人それぞれに違いはあるけれど一緒に生きていこうという意思をはぐくみ、一緒に生きていく方法を考えようとする感覚が生まれてくる。”これが対話の意義だという。
但し、“真の幸福とは何か”は哲学のテーマには不適当である。“幸福感”は人それぞれの価値観によって異なるからであり、“人はどんなときに幸福を感じるか”は“体験”がテーマになるので共通理解が作れる、という。
この本の終わりに、ソクラテスの最後の言葉が紹介されている。“吟味を欠いた生というものは人間にとって生きるに値しない”。“吟味とは批判的に検討すること。―「生き方」のよしあしについて吟味し、さらに、アテナイというポリスがどうであるのがよいかを吟味する。そうやって生きることこそ人間らしい。おいしいものを食べて贅沢をしたり、お金と権力と名声だけを欲しがるのは人間にふさわしい生ではない。ソクラテスは本気でそう考えて”いた。
とにかくこう見てくると、安倍氏はソクラテスとは全く正反対の人物ではなかったか。安倍氏の“信なくば立たず”という言葉そのものも空疎だ。この政治家の言葉は全てが空疎であり、そのウソに近い言葉に国民は安易に騙されて続けて来た。この人の言葉の空疎さは新型ウィルス対応ですっかり馬脚を現した訳だが、未だこの国の多くの人々はその真相を分かろうとしていないのは実に不思議だ。ウソを見破れない大衆によってソクラテスという真実が殺害されるのが歴史の残酷さなのだろうか。特に日本人は歴史から学ぶ姿勢に乏しい事実を見る時、私はほとんど絶望するのだ。
果たしてこれから、我らが政治指導者はどのような人物が選ばれ、どのように考え、どのように行動するのであろうか。そして我らは今後何時、“偽”を拒絶し忌避し、“真”を実現できるのであろうか。
ここに来ての大腸の異常、これは強烈な心理的圧力つまりストレスからくるものと考えられる。特に大腸はストレスの影響を受けやすい内臓なのだ。新型ウィルス禍はここに来て重大化したトラブルではない。このタイミングでは、広島での選挙違反事件しか考えられない。事件の主犯は6月に逮捕され、今月公判が開始されたのと踵を合わせるように、病状が悪化している。モリ・カケ・サクラでは自殺者が出ても厚顔であったのが、ここへきての突然のストレスであり直接自己に迫る危機はそれしかない。だとすれば、公判の内容次第ではとんでもない悪事があからさまになる可能性があるのかも知れない。それとも検察は“辞任”と引き換えに手打ちをするのだろうか。
検察はトップ人事に介入した官邸に対し、OBも積極的に加わって徹底抗戦を展開し、広島の選挙違反を軸にここまで押し込んできたのだ。検察はここで“武士の情”を示すのか、それとも“巨悪を眠らせない”というDNAを蘇らせるのだろうか。検察の対応如何では政権の歴史的評価は大きく変化するのではないだろうか。検察本来の“社会正義実現”の使命からすれば、モリ・カケ・サクラの真相解明のための徹底捜査は必須であろう。そうでなければ、この国は法治国家ではない!
この際、事実で持ってこの政権の歴史的意味*を明らかにできなければ、この国はいつまでたっても“曖昧で猥雑”であり、とても“美しい国”などという誇りをもって国際社会に臨める国とはならない。つまりいい加減に見過ごして放置してしまえば、この国の歴史的進化は望めず、三流国家のままとなるだろう。
*ここでは、絶対に“意義”ではなくてあくまでも“意味”である。
政権の後継者がどのように選出され、誰が継承するのかによっても、この点は大きく変化するのではないだろうか。ある新聞が“荒れたグラウンドをならす必要がある”と表現しているが、政界はそんな軽薄な荒れ方ではあるまい。しかも政界ばかりではない。徹底的に政治を私物化した罪は計り知れず、また政治を“やってるフリ”*で済ませた罪も計り知れない。もっと抜本的な社会の基礎からの改革が必要ではないだろうか。レガシーと言えば集団的自衛権と称して、自衛隊と国を売ったことだ。これが真の“民族派”のすることだろうか。そういう点では戦後右翼の正統派なのだろう。
*モリの自殺者に対する“厚顔”や“やってるフリ”は北朝鮮拉致被害者家族に対する対応でも示された。特に拉致被害者に対しては彼が政界で地位を確保するための“ライフ・ワーク”であり、ほとんど詐欺に近いのが実態だ。それは沖縄に対する対応でもそうであり、北方領土についてもそうであった。“真摯に説明責任を果たす”という言葉はそれを示している。特に“真摯”と言う言葉を空洞化させ、今後この言葉を使えない“死語”にした罪は大きい。こういう人物を”素直”で”真面目”、”優しい”と評する声がしばしば聞かれるのだが、一体どういうことなのだろうか。真実にそうなのか、評する人が意図的にウソを言っているのか私には闇の中だ。いずれ歴史が冷酷に評価するのだろう。
ここからは想像になるが、この長期政権の中、構築されたであろう強固な利権構造は簡単には崩れまい。政治の私物化というのはつまるところ利権構築なのだ。だとすれば政権の要だった人物がそれを引き継ぐことになるのだろう。少なくとも政権中枢の周囲は、中心人物を担いで利権を固守して必ずそう動く。そのほうが、党員全員での選挙で総裁を選出するよりは利権ホルダーにとっては手間がかからない。目下は臨時政権的な対応で、新型ウィルス流行の冬季を乗り切った後の解散総選挙とするだろう。その間にその臨時政権も、強固な態勢を築いて後、選挙に臨むことにするのだろう。
こうして利権政権が維持・強化されて行き続けるため、この国の腐敗はますます深まっていく可能性は非常に高い。それはやがてこの国の政治の徹底した腐敗堕落、つまりこの国の壊滅へと堕ちていくのではあるまいか。歴史は繰り返すのだ。
さて、今回は“西研特別授業『ソクラテスの弁明』-読書の学校(教養・文化シリーズ 別冊NHK100分de名著)”のテキストの読後感想を紹介したい。この本は“早稲田高等学校有志と『ソクラテスの弁明』という本をめぐって100分間の西研氏の講演・セミナー(読書の学校)”を元にして出版されたものとの意味の説明が、冒頭にある。この年齢に至って、高校生レベルの“お勉強”するのも気恥ずかしいものがあるが、この際、基本を分かり易く知っておくことは大切であると恥も外聞もなく取り上げることとした。何とか西洋哲学に嚙り付いて、西研教授という分かり易い解説者を知って後、同教授を師匠と勝手に見做して、その著書を片っ端から追いかけたいとの気持ちもあるからだ。西洋哲学の原点と言えばギリシア哲学、それもソクラテスは必須の基礎である。それを適切なガイドを通して知ることは、自ら原典に当たって誤解するよりは、時間消耗の無駄を省略するには、最良の方法と考えた。今後も、西研教授の著作を追いかけるつもりである。私の西洋哲学の学習帳的意味合いとみて頂いて結構かと・・・。
先ず、“ソクラテスの弁明”の重要なキィ・ワードは“不知の自覚”と“魂への配慮”だと紹介している。“不知の自覚”は以前は“無知の知”と訳していたが、“価値あること”を分かっているつもりであったが、実は分かっていないことに気付くこと。“この気付きこそが哲学の出発点であり、そこから探求を進めるべきだとソクラテスは考えている。” “魂への配慮”は以前は“魂への世話”と訳されていて、今も一部のネットではそう紹介されている例もあるようだ。“各人が自分の魂を「よいもの」にしようと配慮し世話することが哲学の目的であるとソクラテスは考えている”。
“ソクラテスは、地下ならびに天空の事物を探求するとともに、劣った議論を優勢にし、またそれと同じことを他の者たちにも教えるなど余計なことを行い、不正を犯している”という罪状で告発された法廷でのソクラテスの弁明を、弟子のプラトンが記録して本にしたもの。
その歴史的、政治的背景はこの本でも説明しているが、wikipediaによれば次のようである。
“ペロポネソス戦争でアテナイがスパルタに敗北後の紀元前404年、アテナイでは親スパルタの三十人政権が成立し恐怖政治が行われた。三十人政権は一年程度の短期間で崩壊したが、代わって国の主導権を奪還した民主派勢力の中には、ペロポネソス戦争敗戦や三十人政権の惨禍を招いた原因・責任追及の一環として、ソフィスト・哲学者等の「異分子」を糾弾・排除する動きがあった。
ペロポネソス戦争において致命的な働きをしたアルキビアデスや、三十人政権の主導者であったクリティアス等と付き合いがあり、彼らを教育した師であるとみなされていたソクラテスも、その糾弾・排除対象の一人とされた。特にソクラテスが「神霊(ダイモニオン)」から諭しを受けていると公言していたことが、「新しい神格を輸入した」との非難の原因となった。こうしてソクラテスは、「国家の信じない神々を導入し、青少年を堕落させた」として宗教犯罪である「涜神罪」(神を冒涜した罪)で公訴され、紀元前399年初頭に裁判が行われることになった。”ソクラテス、70歳の時だという。戦争と恐怖政治の責任の一端として、“アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、人々に怪しげな議論を吹きかけて、アテナイの有識者を誹謗し、それを若者に吹聴し若者を堕落させた”と告発され、法廷論争となったもの。
“哲学は「対話(議論)の営み」”であり、そこには二つのルールがある。①根拠を挙げて議論すること、そこから②根っこから考えられた原理性と皆が納得する一般性のある考えに至ること、である。これを“合理的な共通理解”と呼ぶ。
何故、そういう考え方“哲学”必要となったのか。それは様々な考え方を持った人々、民族が交易に集う都市では、統治のための“合理的な共通理解”が必要だったから、となる。そしてそれが都市文明のルールや価値観となる。
世界史では紀元前800年から紀元前200年の間にこうした動きが世界各地で起き、カール・ヤスパースはこれを“軸の時代(枢軸時代)”と呼んだという。中国での諸子百家、インドでのブッダやマハヴィーラ(ジャイナ教の開祖)の活動はこうした時代であった。
ギリシア哲学は港町のミレトスで“世界は何からできているか”をテーマとして始まった。しかし、近代科学の成果がない時代に“合理的な共通理解”に達する結論が得られず、それが重要なテーマとも思えなくなっていった。それは“知恵ある人”ソフィストが登場して弁論術が発達し、白を黒とも言い切る弁論法が横行したことも一因だ。これによって絶対の真理はありえない、と認識され始め“価値観が違えば観点も違う。観点が違えば出てくる答えも違う。”と考えられるようになってきた。つまり“どこにも究極の真理はない”という懐疑主義やニヒリズムに陥った。
それはアテナイの富と文化の繁栄へ発展する中で、戦士国家としての質実剛健の価値観が崩壊して、ニーチェの説いた“豊かさの中でのニヒリズム”という近代と同じ現象だと、西研教授はいう。
その時代に、ソクラテスは哲学を“価値”問う方向へ向かわせた。“正義、勇気、知恵、節度などの「徳」―魂に備わっているべき美徳”をテーマとした。
ソクラテスの哲学の契機をwikipediaでは次のように説明している。
ソクラテスの弟子のカイレフォンが、デルポイにあるアポロンの神託所において、巫女に「ソクラテス以上の賢者はあるか」と尋ねてみたところ、「ソクラテス以上の賢者は一人もない」と答えられた。これを聞いて、ソクラテスは驚き、それが何を意味するのか自問した。さんざん悩んだ挙句、彼はその神託の反証を試みた。彼は世間で評判の賢者たちに会って対話することで、その人々が自分より賢明であることを明らかにして神託を覆そうとした。しかし、実際に賢者と世評のある政治家や詩人などに会って話してみると、彼らは自ら語っていることをよく理解しておらず、それぞれの技術に熟練した職人達ですら、たしかにその技術については知者ではあるが、そのことを以って他の事柄についても識者であると思い込んでいた。
こうしたことから、彼は神託の意味を「知らないことを知っていると思い込んでいる人々よりは、知らないことを知らないと自覚している自分の方が賢く、知恵の上で少しばかり優っている」ことを指しているのだと理解し、更には、「神託において神がソクラテスの名を出したのは一例」に過ぎず、その真意は、「人智の価値は僅少もしくは空無に過ぎない」「知恵に関しては、自分は何の価値もない者であることを悟った者である」ことを示唆していたと結論するようになった、という。これが“不知の自覚”である。
このように“(自分を)知恵があると思い込んでいる傲慢さを暴く”ことを“批判的知性”と呼ぶことができるが、これは“実際に「馬にたかる虻」のように憎まれ死刑にされてしまう。”こうして“常識を疑う”ことから、認識そのものを疑う、目前のことは夢かも知れない、しかしそう考えるその自分の存在は疑う余地のないもの、これが“我思う、ゆえに我あり”のデカルトの言葉につながって行く、という。
ソクラテスはアテナイ市民に対し、“身体の健康もお金も大事だが、もっと大事なのは、あなたの魂(プシュケーpsyche*)ができるだけ優れたものとなるように配慮すること”ではないかと、説いたという。“ここでいう「徳」とは、魂の優れたありかた、つまり魂の良さ”であり、“魂の優れたありかた(徳)こそがもっとも大切であって、金銭や身体の健康などはあくまで手段にすぎない”とみなした。
この「徳」はギリシア語ではアレテーaretêであるが、“人だけではなく、何にでも使う。そのものに備わる本来の優秀性、卓越性、性能のよさなどを意味”する。
*死後も存続するような心霊的なものではない。「心」や「人格」と言い換え可能ではないか。“魂の優れたありかた(徳)”とは、人格の「立派さ」や「高潔さ」と言えば分かり易いか。
ソクラテスやプラトンが対話の中で取り上げる「徳(美徳)」は具体的には、“正義・勇気・知恵・節度”とされる。これは“四元徳(しげんとく)”と呼ばれる。
このようにソクラテスは“魂のよさ=徳”を至上目的とし、報酬を受け取らず極貧生活も厭わずに歩き廻っては徳目の本質について“哲学(愛知)の対話”を様々に繰り返し、こうした“息のつづく限り哲学はやめない”ことをライフワークとするようになった。それがアテナイ市民の一般にとって“けしからぬ煽動”に見えたのだ。
この点に関して、“ニーチェが鋭くソクラテスを批判”したという。それは“「道徳的によいこと」ばかりを気にしていると、人の生命力はむしろ削がれてしまう”という見方であり、実はむしろ“人にとって大事なのは、創造的な力を発揮してエネルギーを高揚させ、誇らしく自分を肯定することだ”と主張した。“ニーチェからすると、ソクラテスやプラトンは「お上品」”ということになる。
しかし、それでもソクラテスの“魂への配慮”は意義があると西研教授は言う。“ソクラテスは、ただ道徳的で生真面目なだけの生き方を称揚”してはおらず、その人となりは“自由闊達”であり、“謹厳実直な人ではなく、美しいことも大好き、お酒も好きな人”だったようだという。有徳に生きる人を見たときに“憧れ”を抱く、“そういう、人を惹きつける美質のことを、魂のすぐれたところ=アレテー(徳)と呼んだのだと私は理解”している、という。“哲学の対話は、人に「憧れ」を取り戻させ、元気にさせるものであるはず”だ。つまり、“哲学とは、何がよいか・なぜよいのかを問うことによって、憧れる力を呼び覚ますもの”だと西研教授は考えている、とのこと。
西研教授は“勇気”の徳目を例に、“ソクラテスの(対話による)「探求の方法」”として次のプロセスを提示している。
(1)実例を出す
・「自分はあのとき勇気を出したな」と思えることが何かあるか。
・他人を見ていて「勇気があるな」と思ったことが何かあるか。
(2)意味を確かめ、共通する要素を考える
・そのとき、勇気というのはどういうことを指しているのかを考える。
・さらに、勇気と呼べる例に共通する要素として何があるかを考える。
(3)価値があるとされる理由を考える
・その上で、なぜ勇気は価値あることとされてきたのかを考える。
こうしたプロセスが、勇気の本質を確認する作業である。(“勇気と呼ぶために必要な、共通する要素―哲学では「契機」という言葉を使うことが多い―のことを、後の哲学では「本質」と呼ぶ”ようになった。)
“このような、ソクラテスとプラトンの「探求の方法」を洗練して、共通理解を作る方法として整備したのが、20世紀の哲学者フッサール”であり、“その方法は「現象学」と呼ばれるが、要点を一言でいえば、体験をていねいに反省してそこから本質(共通な契機)を取り出す”ということである。
この本の最終の第4講は、前出の“対話による「探求の方法」”の再確認的性質の議論となっている。それは恐らくは“現象学”の方法論であろうが、あくまでも自他の体験がベースになっていて、それぞれを言語化し比較参照する内に客観化し、“他者理解”から“自己理解”を深め、“互いの常識(物の見方)を検証する”。そこから共通の要素、つまり本質を探り出すという作業のようだ。
その対話過程での基本、対話相手への“敬意”が重要であることは言うまでもない。また、“対話の技術としては、「尋ねること・確かめること」を意識するとよい”。
「ここのところがよく分からないのですが、もう少し説明してくださいませんか。」(尋ねること)
「あなたの言いたいのはこういうことだと私は受け取ったのですが、その理解でいいでしょうか。」(確かめること)
“批判の前にまず理解すること。できれば相手の発言の背後にある思いも含めて理解することが望ましい。”
“哲学の対話は、価値の根拠をつかもうとするもの”であるから“自分の生き方の軸を育てる働きがある。しかし、それだけでなく、人それぞれに違いはあるけれど一緒に生きていこうという意思をはぐくみ、一緒に生きていく方法を考えようとする感覚が生まれてくる。”これが対話の意義だという。
但し、“真の幸福とは何か”は哲学のテーマには不適当である。“幸福感”は人それぞれの価値観によって異なるからであり、“人はどんなときに幸福を感じるか”は“体験”がテーマになるので共通理解が作れる、という。
この本の終わりに、ソクラテスの最後の言葉が紹介されている。“吟味を欠いた生というものは人間にとって生きるに値しない”。“吟味とは批判的に検討すること。―「生き方」のよしあしについて吟味し、さらに、アテナイというポリスがどうであるのがよいかを吟味する。そうやって生きることこそ人間らしい。おいしいものを食べて贅沢をしたり、お金と権力と名声だけを欲しがるのは人間にふさわしい生ではない。ソクラテスは本気でそう考えて”いた。
とにかくこう見てくると、安倍氏はソクラテスとは全く正反対の人物ではなかったか。安倍氏の“信なくば立たず”という言葉そのものも空疎だ。この政治家の言葉は全てが空疎であり、そのウソに近い言葉に国民は安易に騙されて続けて来た。この人の言葉の空疎さは新型ウィルス対応ですっかり馬脚を現した訳だが、未だこの国の多くの人々はその真相を分かろうとしていないのは実に不思議だ。ウソを見破れない大衆によってソクラテスという真実が殺害されるのが歴史の残酷さなのだろうか。特に日本人は歴史から学ぶ姿勢に乏しい事実を見る時、私はほとんど絶望するのだ。
果たしてこれから、我らが政治指導者はどのような人物が選ばれ、どのように考え、どのように行動するのであろうか。そして我らは今後何時、“偽”を拒絶し忌避し、“真”を実現できるのであろうか。
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