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久しぶりの株式入門本“臆病者のための株入門”を読んで

最近の株式市場は、欧州のユーロ加盟でありながら経常収支赤字国のデフォルト連鎖を警戒しての金融不安から非常に不安定になっている。本来は、日本が直接関係する問題ではないにもかかわらず、心理的にニューヨーク市場の写真相場となってしまっている。要するに、日本人市場参加者が自信を持ちえず、海外の動向に右顧左眄している図が浮かぶのだ。日本経済そのものに勢いがないことを象徴していると思われる。
そして外為市場は円高。円高ならば、ついでに割安の日本株を買って欲しいものだが、外人は現金で持っているという。ファンド・マネージャーがマネー運用しないというのもある意味自殺行為のような気がするが、どうなのだろうか。

さて、証券投資、つまり株をやろうとする初心者が知っておくべきことの一通りとして 以前に紹介した“株とギャンブルはどう違うか”で 当面終ろうと思っていたのだが、標題の本が新書本で目を引いた標題だったので手にとって とにかく読んでみた。著者・橘玲氏は小説家とのようだが、その代表作が“マネーロンダリング”というアンダー・グラウンドの世界を取り上げているので、そういう視点からの株式解説であろうと思っていたが、読むにつれ、これこそ最初に読むべき本だった、と思うほどになった、そんな案内本と言える。かつてこのブログで、私は経済学者は株価形成についての入門的本をあまり書いていないのではないか、というようなことを書いたように思うが、それが私の浅学さの暴露だった。というのは経済学には財務系の証券投資理論があり、のこの本はそのファイナンス理論の学問的発展過程にも言及しているからだ。

ここでひとまず、この本で私が得た結論の部分を引用しておきたい。それは、現代ファイナンス理論によれば、“もしもあなたが初心者で、これから株式市場を体験するのなら、リスクのとれる金融資産の8割を世界市場ポートフォリオに投資し、残りの2割をトレーディングや個別株投資に割り当てるくらいが基本になる”ことである。
ここで言う“世界市場ポートフォリオ”とは、著者によれば“「もっとも正しい投資法」とは、世界市場全体に投資すること”それをこう呼ぶことにし、現代は“経済理論でいう「市場」とは、アメリカや日本などのばらばらな国内市場のことではなく、地球全体を覆うグローバルな市場のこと”なので、“世界市場における日本株の時価総額は約1 5%だから'国内株式1 5%、海外株式85%の割合で資産配分すること”としている。具体的には、日本以外の海外の株式インデックス・ファンドと日経平均のインデックス・ファンドを85%:15%のポートフォリオ(比率)にして投資するという組合わせの投資信託とするべき、ということなのだ。90年代以前なら、日本の平均株価インデックス・ファンドの投信だけで十分なパフォーマンスを得たはずなのだが、90年代以降日本経済の停滞から むしろ日本以外の欧米、新興国のファンドを組入れておかなければ、リスクを相殺して良好なパフォーマンスを得られないという状態となっているのだ。
しかし、そんなことでは株に興味を持った者には あまりにも味気ないではないか、と言うことで“世界市場ポートフォリオ”の投資信託以外に自力で“2割をトレーディングや個別株投資に割り当て”て、ディ・トレーディングするもよし、バフェット流に企業研究を行うもよい、といった投資スタイルで楽しむべし、と推奨している。

ちなみに関西の局アナ出身で最近経済学者気取りで著書をものしている人がいる。だが彼は、こうした“世界市場ポートフォリオ”の概念は 究極のリスク分散としての投資であるという“常識”を全く知らなかったようで、あるテレビのオチャラケ経済番組であったが、“そういうものがあるのですか”などと発言していた。世に言う“専門家”ヅラした人の言葉に左右されないことが肝要であると、改めて思ったものだ。

ところで、この本を読んで感じるのは、著者の才気であり、特にその文才である。小説家らしく、人の興味をどんどん惹いて行く。株に興味を持つ人は必ず知りたがるディ・トレーダや、ホリエモンたちの業界の内幕について結構書いている。そして、“株式投資はギャンブルである”ことを実態的に示し、だが しかし、“ギャンブルはうさんくさくない。株式投資はギャンブルである。だから、株式投資はうさんくさくない。”という台詞で その正当性の一面を面白く表現している。
曰く“ギャンブルがうさんくさくない理由は、私たちの人生がうさんくさくないのと同じだ。だれも未来を知ることはできない。そんな不確実な世界のなかで、私たちはみんなすこしでも成功の可能性の高い道を選ぼうと努力している。生きるということが、そもそも偶然の積み重ねなのだ。” そこにイカサマの存在が伺われるから、うさんくさく見えるので“すべての参加者に公正で公平な投資機会が与えられる開かれた市場をつくること”が大切だということになる。
だが、三土氏は“株とギャンブルはどう違うか”で“「株はギャンブル」と言い切ってしまうのは'誤解である。”と言っていた。この認識はどう解釈されるのかが気になるところで、私の興味はさらに高まって行った。

素人に、こういう当然疑問に思うような事項を様々に取り扱いつつ、読者を現代ファイナンス理論の発展経過へと導いて行ってくれる。その背景には、経済学者の岩井克人の、“資本主義は差異から利潤を生み出す原理だ”と言う世界観がある。要するに経済活動は非常なまでの合理性の貫徹する世界だが、その展開過程で一瞬非合理な現象を曝け出すことがある。その一瞬が利潤を獲得する儲けるチャンスなのだ。私自身は三土氏を読んでいたお蔭で、“株式の価値は、その会社が将来にわたって生み出す全ての利益を現在価値に換算したものである。”という大前提をベースにこの本にもなじむことができたのである。

面白い見方は、これまで読んできたバフェットの投資スタイルの話題に絡んで、“中世スコラ哲学では実在論(イデア論)と唯名論の対立”をテクニカル派とファンダメンタルズ派の対立になぞらえて、“いつ果てるともしれない論争がつづいている”と言っている点だ。“テクニカル投資の大原則は'「すべての情報はチャートに埋め込まれている」というものだ。その瞬間に成立した価格こそがすべてであり'それ以外に「本質的な価格」などあり得ない。それに対してファンダメンタルズ派は、企業には固有の本質的な価値(ファンダメンタルズ)があり'そこから合理的な方法で適正な株価(理論株価)を導き出すことができると考える。実在論と唯名論の対立は西欧哲学の根幹をなす大問題で、それは20世紀末のポストモダン論争まで引き継がれいまだに決着を見ない”としている。
しかし、現実の結果論としては“バリュー投資”というかバフェットの正しさを強調している。

そして、マコーウィッツに始まるファイナンス理論発展小史の解説となる。大学院生マコーウィッツの博士論文のテーマのヒントを株屋が与えたというエピソードの紹介からである。リスクとは、ファイナンス理論では“予測困難なこと”となり、“「損する可能性」であると同時に「儲かる可能性」でもある”が、“統計学では,このリスクのことを「分散(散らばり方)」という。”と説明している。そうならば 1/σとするのが指標としてよいのではないかと思う。
トービン、シャープのCAMP理論の紹介へ至り、ファイナンス理論の結論がでる。つまり、“「CAPM理論が正しければ、世の中に効率的ポートフォ-オはたったひとつしかない。それは株式市場の縮小コピーである」ファイナンス理論が最終的に行き着いた場所はここであった。”となる。そして、“ファイナンス理論は、突き詰めれば、次のふたつの原則に還元できる。(1) 市場は効率的で'株式投資は偶然のゲームだから、長期でみればだれも市場平均を上回れない (じたばたすると手数料コストの分だけ損する)。(2)長期のスパンでみれば市場は拡大し、株価は上昇する。”だから、“もっとも賢い行動は、買ったらずっと手放さずに持っていることだ。”となる。だが、人生は短い、生きている内に利益を上げるにはどうするべきか、が問題であり、それを解決しなければ実際的な解答とはならないのだ。それに個別の企業株を買った場合は、その会社が倒産するリスクもある。それにこの論理は、“「遠い将来のほうが予測しやすい」といっているのと同じことだ。”という奇妙な結論につながるとも言える。“長期投資ほどリスクが大きい”のは常識で、正に“一寸先は闇”の世界なのだ。あたかも、一週間先の天気予報がままならないにもかかわらず、ほとんど同じアルゴリズムを使って数十年から100年先の気候を予測できると息巻いて、温暖化シミュレーションをしている“学者”達と同じ議論のような気がする。

また別の面白い定義をこの本で知ることができた。それは、「リテラシーがない」というのは“具体的には、(1)議論の前提となる知識が欠けている。(2)知識が欠けていることに無自覚である。 ことをいう。”としていることだ。そして金融リテラシーが無いことで、多くの人々がプロの餌食になっていると警告している。ここに挙がっている事例を見ると私もかなり餌食になっているのかも知れない。しかし、それはやっぱりプロの手の内でしかなく、素人の知る由もないことばかりのような気がする。しかし、著者は“投資は偶然性に左右されるゲームであり、確実に儲かる方法などどこにも存在しない。だが,確実に損をする方法ならいくらでもある。金融リテラシーは,投資家が身を守るための唯一にして最大の武器なのである。”と警告している。

結局のところ、総括すると繰り返しになるが
“①株式投資は確率のゲームである (「ぜったい儲かる方法」はぜったいにない)。
②株式市場は効率的であるが、わずかな歪みがある(その歪みは、有能な投資家によって発見され、消滅してしまう)。
③資本主義は、長期的には市場は拡大し'株価は上昇する(それがいつになるかばわからないが)。”
という原則から、“株式市場で富を創造するには、次の3つの代表的な方法がある。
①トレーディング (デイトレードを含む)・・・テクニカル派*
②個別株長期投資(パフェット流投資法)・・・ファンダメンタルズ派*
③インデックスファンド(経済学的にもっとも正しい投資法)” [以上*:筆者加筆]
となり、市場を上回る資産を築くには②の手法の活用となることを示唆している。

さて、私にとってはせいぜいで、ファイナンス理論というか、金融工学の本質に 私のポンコツ頭脳でどこまで肉迫できるか、であろう。しかし、それを知ったところで株式投資の勝者になれないことは はっきりしている。運の要素も大きいに違いないので、運に見放された私が手出しすると ろくなことはないのかも知れない。

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