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“集団的自衛権行使是認の閣議決定”について

そもそも、安倍氏が“積極的平和主義”などということばを掲げること自体、非常に好戦的思考であり、ここから出発する限りにおいて、憲法の平和主義とは矛盾する。なぜならば、“積極的平和主義”とは、“平和のためならば積極的に戦争をする”ということだからだ。これに対し、日本の憲法はいかなることがあっても、“国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄”すると謳っているからである。この規定は、過去にまさに平和のために戦争をした事例が あまたあったことによる。だからと言って、全ての戦争を放棄したのだから仕掛けられた戦争にも対処できないとなると、自己の存立を否定することとなる。だから、“個別的自衛権”は言外に承認されているものとして、自衛隊を設置して来た。

ところが、安倍氏はアナクロな“積極的平和主義”を掲げ、米国の戦争を手伝う意向を鮮明にした。そこで、持ち出されたのが“集団的自衛権”である。この集団的自衛権もその内実は“集団的攻撃権”である。つまり、米国の意志に逆らう輩であると米国が判定した政府に対し、その政府を米国の存立を脅かすものとして米国の自衛権行使を、日本の自衛権にも属する問題であると解釈して、国際的集団を形成して日本も積極的に攻撃する、というものである。国際的“いじめ主義”と言っても過言ではない。この考え方は、“戦争と武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、放棄する”と言っている日本国憲法に明らかに抵触する。
どうやら、安倍氏は言葉遊びがお好きなようである。要するに。“積極的平和主義”は、戦争を仕掛けるための言いがかりとして使用するためのものであり、“集団的自衛権”とは親分の米国に逆らう奴らを積極的にやっつけるための攻撃権のことである。このように言葉の表面とは真逆の意味を持った言葉を操って、大衆を欺いているのだ。

どうして、このように積極的に戦争をしたいのだろうか。リアルに武力を行使する戦争は、パソコン・ゲームでは決してない。戦争は悲惨なものであり、国家の存立にかかわる重大事である。現代では、戦争を仕掛けて勝ったとしても、国家と国民に甚大な損耗を強いる。それと共に大きな問題は 戦争は当事国経済を衰退させることだ。これは、世界第一の経済国家だった米国の衰退がベトナム戦争に起因していることから十分に理解できる。だからそれ以降、米国は多国籍軍を形成して戦争を仕掛けるようになった。イラク戦争はその典型例である。

日本は、米国から見れば政治的に優良な属国である。70年前は、全面的に米国に逆らって対立したが、米国に完膚なきまでに負けて手懐けられてからは従順になり、大抵の米国の言いつけには従う素直な国となった。
ところが、その日本は湾岸戦争では憲法を盾にとって、頑として米国の指示に従わず、カネは出すが兵士は出さなかった。これは米国のエスタブリッシュメントには相当な衝撃だったに違いないのだ。その後しつこく日本の政権に圧力をかけ続けた。その結果、ようやく戦争好きの安倍氏がそれに応じることとなった訳だ。なぜ、米国の要求であると言えるのかは、“6月2日アメリカの知日派の代表格の1人、キャンベル前国務次官補が来日し公明党の山口代表と極秘に会談”したとの報道から明らかだ。当時、公明党は集団的自衛権を完全否定していたから、慌てて説得、いや脅迫したのだ。
しかし、集団的自衛権推進の安倍氏は米国の作った戦後体制を否定する人物であることは、米国には皮肉なことだ。その安倍氏は日本国民にとっては、米国に“血”を提供するべく応じたことには間違いない。ある意味で国民を“売った”のだ。沖縄に国防のためと称して犠牲を強いているにもかかわらず、さらには沖縄の自然を破壊することに異様に熱心でもあるにもかかわらず、まだその上に“国を売った”のだ。かような人物を“立派な国家観の持ち主だ”と評する人々がいるが、彼らは一体どのような勢力の代弁者なのだろうか。
それに、自民党の幹部曰く、“集団的自衛権は権利であるから、行使するか否かは主体的に判断できる。”と言っていたが、そもそもが米国の強要であるならば、権利であるはずがない。米国の要求で従わざるを得ないものであるならば、“集団的自衛権”とはその内実は“集団的攻撃義務”という、実に無残なものになる可能性は高い。

さて話を戻そう。戦争では血も流れるが、カネもかかる。戦争はタダではできないのだ。イラク戦争には3兆ドルつまり、約300兆円かかったとされ、これは日本のGDPの60%だ。昔、日露戦争前、日本政府が戦費調達に苦労したことは有名だ。結局、戦費総額は18億2629万円とされるが、日露戦争開戦前1903年(明治36年)の一般会計歳入は2.6億円であったので、当時としては巨額であった。昔、資本主義は金本位制であったから苦労したが、先の戦争以降日銀引き受けで戦費調達は容易になた。しかし、それはハイパー・インフレを引き起こし結果的に国力を決定的に削いでしまう。
そして戦争は始めると大抵ズルズル終らない。戦争当事者の一方が決定的な打撃を受けない限り、いつまでも止められない。イラク戦争が今ぶり返しているのも、無理やり米国が途中で投げ出したからに他ならない。ズルズルすればするほど戦費は浪費され、財政赤字が巨額となる。当初は局地戦であったつもりが、なかなか終息しなかったのが日中戦争だ。これは結局日本が米国に無条件降伏するまで続いた。そして、戦後日本国債は紙屑となった。ウソではない。
さて、安倍氏はどのような戦争を想定しているのであろうか。それによって戦費見積は異なる。尖閣周辺での海上局地戦であろうか、それとも朝鮮半島での騒乱であろうか。いや、恐らくシーレーン防衛で最も気にかけている、そして米軍も関心を持っているのが南シナ海だ。中国の内海化を警戒し、これへの関与、つまり中国への言いがかりをつけ易くするための集団的自衛権行使による海自艦派遣であろう。これらは、いずれも相手の出方によっては、核戦争に発展する可能性は高い。その場合の日本の一般国民への被害は計り知れないものになるが、その覚悟はあるのだろうか。

いよいよ本論に入ろう。日本は現在、財政危機にある。いつ国債価格暴落があってもおかしくない状態だ。日本の国債市場はどんどん日銀の一手引き受けに近付いている。そのような国が戦争を始めた場合、日銀引受を国際的に見透かされ、非難され、必ず暴落するものと見てよいのではないか。そして、それは即時の国家破綻に至る。戦争を始めた途端に、政府は破綻し戦争できなくなる。つまり、国家運営が不能となるので、そのまま敗戦となる。或いは、日本の破綻は世界経済に甚大な影響を与えるので、再び米国が日本を完全管理下国家とせざるを得ない可能性すらある。否、それが米国の真の狙いかも知れない。その予見可能な推定事実を、アベノミクスの安倍氏はどう認識しているのだろうか。戦争好きの安倍氏と経済の安倍氏は別人であろうか。それとも、日本が米国の完全管理下の国家になることが彼の本当の夢なのだろうか。

その上、これまで自衛隊は外征向きに設計されて来なかった。そこで、“集団的攻撃義務”が課せられるならば、外征可能な兵器体系へ末端の装備に至るまで根底から変更しなければならない。その分、軍備予算は増大する。現在の脆弱な財政の中で、どのように調達して行くのであろうか。
いやいや、私もこのブログで推定したように、攻撃空母に変更可能な自衛艦を着々と建造していたのも、そうした状況を予見してのことであったのだろうか。南シナ海への海自派遣には空母が必要だ。その後は、どのようにして原子力潜水艦を建造するか、その先の核武装に至るかであろう。そうなれば、強兵貧国、まさしく安倍氏の夢、戦前回帰の完成だ。


外征部隊の増強は、自衛官の本来任務の防衛にも不足し、必要数を充足できなくなる懸念が出てくる。そうなれば、いずれ徴兵制が必要となろう。ここで“「愛すべき男子」戦場へ”という台詞を見出しの新聞記事を見たが、兵士は今や男子ばかりではないのが国際的趨勢だ。既に自衛隊にも女性自衛官は居る。イラク戦争では米軍に女性兵士が多数従軍した。ところが戦場は何があってもおかしくない場所だ。そのような場所、状況で女性の人権が守られる保証はない。事実、イラク戦争で女性の尊厳を傷つける事件は多数あったようだ。それこそ議会でのセクハラ発言どころではない。女性兵士には従軍慰安婦並みのおぞましい現実が顕在化するのだ。退廃それが、戦争の悲惨さの真相なのだ。

集団的自衛権行使是認は、このように外交的ではなく、内政的、特に財政的に極めて危険な選択であることを肝に銘ずるべきだ。しかし付け焼刃のアベノミクスの思わぬ成り行きで有頂天になり、そのことが見えていない安倍氏は日本にとって非常に危険な存在だ。国債暴落による国家破綻が 日本にとって最も可能性の高い“今そこにある危機”だ。首相に課せられた至上の使命は、日本にとって最も可能性の高いリスクを回避することであるはずだが、想像力の乏しい人物には見えていないのだろう。
私たちは、何故このような物騒な19世紀的アナクロ政権が生まれたのか、良く考える必要がある。

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コメント
 
 
 
あなたの考えについて。 (名無し)
2014-07-20 15:35:20
正直な所、どこから指摘すればよいのかも分かりません…。
集団的自衛権は戦争を起こさないための抑止力としての行使容認ですよ。
少し話は変わりますが一つ例を出しましょう。
沖縄のある離島付近で軍事衝突が起きたとします。これはいつ起きてもおかしくない事象でもあります。離島には島民が住んでおり、避難が必要ですが、いつ敵から攻撃されてもおかしくなく、緊急を要していたため、偶々一番近くを航行していた米軍の艦船で避難することになった。しかし、避難中に敵の攻撃目標になってしまった。この際、近くを海上自衛隊の艦隊がいたが、集団的自衛権を容認していないがために、日本人の避難民が乗った米軍の艦船守れず、その艦船は敵の攻撃により沈没、避難民から多数の死亡者がでた。
おそらくあなたはこれを読んで、「こんなのありえない」だとか「自衛隊の船で避難すればいいじゃないか」等々お思いになるでしょう。しかし、現実は残酷ですよ。上記のように、米軍の船に日本人が乗ることも可能性は0ではありません。
加えて、あなたは集団的自衛権の内実は集団的攻撃権だとおっしゃっていますが、自衛権が国際法上認められるには違法性が無いことや必要性、均衡性あることが前提です。あなたの言うような他国同士の戦争に日本が参戦することは、集団的自衛権として国際法上認められるでしょうか?
答えは明白ですよね。認められません。
そして日本国は法治国家です。国際法、国内法に関係なく守る必要がありますよ。もっとも、それは同盟国の米国もそうですが。
ここでは、あなたの考えに対して全て指摘することは多すぎるため止めますが、最後に私はあなたの考えを変えさせようだとか、こんな発言は止めろだとかは思っておりません。しかし、ぜひとも「正しい」知識ぬ上でおっしゃってほしいと思います。

長文失礼しました。
 
 
 
名無し様へ (磯野及泉)
2014-08-06 23:37:54
名無し様へ(名無し様はネット上では大勢おられるので困るのですが・・・)

私の表現下手で冗長な文章をよく読んでいただき、ありがとうございます。あなたの御指摘はまるで、政府見解や答弁と全く同じですね。あなたは、素晴らしく善意の人であることは良く理解できました。

しかし、善意で政府見解を解釈していると、とんでもないことになります。法案を国会に上程し、説明する段階では、政府もあなたのように“答えは明白ですよね。認められません。”というな答弁や説明を繰り返すでしょう。しかし、法律は成立後は、常に字面解釈のみで執行されます。日本の近現代の政治史は、そのようなことの繰り返しのような気がします。だから、法文に使おうとしている言葉の定義、論理構成、それと現実とをしっかり把握していないと大変なことになると思うのです。特に、定義は客観的基準で示すべきで、解釈する人によってどうにでもなる主観的なものは“定義”にはなりません。こんなこと、法学をお勉強なさっていれば、常識ですよね。ところが、今の政府見解では主観的用語に満ち溢れています。現に、同じ与党の公明党とも思惑のずれがあり、既に解釈がずれていると言われています。

ここでは長くなるので説明は省きますが、米軍はあなたのおっしゃるような善意の行動をとることは、ほとんどありえない。あなたは何が言いたくて、このような安倍首相の説明と本質的に全く同じ事例を持ち出されたのでしょうか。これは国会でも実際にはあり得ない事態として追究されました。しかし、議論は結局はぐらかされて終わったようです。安倍首相の言う“丁寧な説明”はこの程度で、本当のことは絶対に言えないのです。あなたのようなある種の幻想を善意の国民に持っていてもらいたいのでしょう。

米国は財政赤字なので軍事支出を抑制しようとして、日本に現状をはるかに上回る対等なまでの軍事負担を求めているのです。ところが、日本は米国以上に財政は最悪です。御存知でしょう?その最悪な財政を無視して、軍事支出を増大させる政策を取るのは狂気の沙汰です。日本のマスコミは憲法違反でしか問題にしていませんが、財政赤字を放置し、さらに赤字を増大させれば、日本の将来はとんでもない地獄のような状態になるでしょう。近年ロシアが経済危機に陥った時、市中に死体が転がっていたと、そこに居合わせた人から聞きました。米国にとっては日本が潰れるのは、自身が潰れるよりは国益に叶います。“現実は残酷ですよ。”あなたは、そういう事態を“容認”されますか?それとも“欲しがりません。勝つまでは!”で好戦的政府や米国に喜んで奉仕されますか?

否、自衛隊員の場合は、どのような事態で命を落とすか分からない可能性が増えるのです。米国は“国連憲章で認められている集団的自衛権”で、イラクやアフガニスタンに言いがかりをつけて、戦争を仕掛けました。このような意味のない戦争で、多くの兵士の精神は荒廃しました。無意味に多くの貴重な命も失いました。これも国会では提起された議論ですが、首相は真剣に答弁していません。真剣に答弁すると彼なりの論理が崩壊するからでしょう。

あなたも“ぜひとも「正しい」御認識の上で御指摘して頂きたいと思います。”何よりも、単純な発想は止めましょう。是非、認知的複雑性を持っていただきたいと存じます。

端的で簡潔な文章を目指しましたが、長文になってしまい失礼しました。
 
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