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ひろさちや・著“親鸞を読む”を読んで
先週末、東京株式市場で日経平均株価は大幅に反落した。終値は前営業日比1011円35銭(2.65%)安の3万7068円35銭で、下げ幅は今年最大となった。
下値の目途、フィナボッチ38.2%の37千円レベルに到ってしまっている。もしこのレベルを下回るようであると今度は50%の36千円当たりが目途となる。
従い、今後の決算の発表内容によってその動向が注目される。この暴落が一時的であれば、急回復も期待できそうだが、もたもたすると長期停滞となり不況となりかねない。
この暴落のきっかけは中東の地政学的リスクとされる。イスラエルの国際的不行状が原因なのだ。ガザでナチスばりの大虐殺を行い、シリアではイラン大使館を不当に爆撃したのがきっかけになっている。米国はこのイスラエルに対し強く抑制するように指示するべきであるが、バイデン大統領は曖昧にやり過ごしている。うかうかすると民主党支持層のアラブ系の支持を失い大統領選挙への影響の可能性が出てくる。
日本ももう少し米国から距離を置き、人道の観点からの外交展開力があって然るべきだと思うのだが・・・。田中角栄氏に対する米国の仕打ちに、未だ日本の腐れ政治家は怯えているかのようだ。
さて、今回は空海から進み出て、親鸞へと仏教理解を深めていこうと読んだのが、おなじみ“ひろさちや”氏の『親鸞を読む』である。いわば“空海”を一旦“卒業”してみようとの試みだ。
前回言ったように、空海の“密教では、「身・口・意の三密」”といい、“鎌倉時代の高僧たちは、身・口・意の三密をバラバラにしてしまった。バラバラの一密にして、各自がめいめいの一密に専心した”とあった。
“身密・・・・を強調したのは、道元である。彼は「只管打座」といった。口密・・・・の強調は、法然と日蓮である。法然は「南無阿弥陀仏」の念仏を、日蓮は「南無妙法蓮華経」のお題目をとなえよ!と言っている。意密・・・・を言ったのは、親鸞である。親鸞の師である法然は、口に出す念仏に重きをおいたが、親鸞その人は「信心」だけでよいとした。こころの強調である。”
とあれば、何となく親鸞の“意密”が三密の中でも高度で容易に実行できそうな気がする。そしてその高度の“意密”を理解できればしめたもの、との下衆の思いから、“親鸞”に飛びついた訳である。以下に、例によって本書の概要を紹介したい。
【出版社内容情報】
ひろさちや氏の「祖師を読む」シリーズ2作目。親鸞の奥深い思想を、「称えられないお念仏」など著者独特のことばで紹介するとともに、その教えをいかにして生活にいかしていくかを解説した“実践的親鸞入門”です。
【目次】
第1章 なんだっていい
第2章 人間の無力さの自覚
第3章 非僧非俗という生き方
第4章 阿弥陀仏とは何か?
第5章 称えられないお念仏
第6章 報恩感謝の念仏
【著者等紹介】ひろさちや
宗教評論家。1936年、大阪府生まれ。東京大学文学部印度哲学科卒業、同大学院印度哲学専攻博士課程修了。気象大学校教授を経て現在、大正大学客員教授をつとめるかたわら、執筆や講演活動とともに「まんだらの会」を主宰する。著書に『仏教の歴史(全10巻)』(春秋社)、『なぜ人間には宗教が必要なのか』(講談社)、『わたしの「南無妙法蓮華経」』、『ひろさちやの「道元」を読む』(ともに佼成出版社)、ほか多数ある。
この本の“まえがき”で著者は“仏教徒あるいは仏教者であるということはどういうことか”と問い、それは“仏を信じること”だと言っている。親鸞は法然の弟子、その法然は念仏仏教を開き、誰にでもできる実践“南無阿弥陀仏”と称えることが修行だととして教えた。このこの阿弥陀仏を信じるということは、“阿弥陀仏にすべてを――おまかせする――ことではないか”と言っている。そして、“おまかせするのであれば、こちらは何もしなくていいのだ。いや、何かをすることは、おまかせしたことにならない。何かをやってはいけないのだ!それが親鸞の考えた結論です。”と正に“驚くべき結論です”と続けて、仏教者であること―仏を信じるということが“どういうことなのか、その片鱗を知ることができた”のでこの本で紹介したいと述べている。
重要なことは“わたしたちには、すべてのことは、所詮は「わからない」ことなのです。この「わからない」ということが、よくよくわかってくると、「なんだっていい」「どっちだっていい」ということがわかってきます。
わたしたちは「わからない」ということが、よくわかっていないので、そこを理解することがむずかしいのです。”
「わからない」から義侠心、親切心で余計なお世話の“おせっかい”をすることもある。でも、それもやってもいいし、やらなくてもいいということになる。わたしがやるのではなく、阿弥陀様がわたしを通じてなさることかも知れない。つまりやってもやらなくてもどちらも阿弥陀様の御心のなさることなのだから。
そこから“自然法爾”という思想が生まれ、自然法爾の話の後に、著者が臨済宗円覚寺派管長の足立大進老師の言葉を紹介している。
“「禅のお坊さんは三語でいい。何も説法なんかしないでいい。『こんなことがありました』と言われたら゛よかったね゛。『こまりました』と言われたら、゛困ったね゛。あともうひとつは、゛そうだね゛とそれでいい。」
〈そのものがそのものをまっとうしている〉――それがダルマ*です。道元のことばによれば「現成」です。
そこまでいくと、もう自力も他力もありません。みんな同じところにいます。”
これで、この本の結論だろうか。だが、これでこの本の半ばだった。
*ダルマ:(筆者注)恐らく“性質,属性としてのダルマ ダルマはまた,あるものをあるものたらしめる特徴というところから発して,性質,属性という意味ももつ。”の意であろう。続けて“とくに,インドの哲学的諸学派はこの意味のダルマを重視し,知識論,論理学において,すべてのものごとを,ダルマとそのダルマを有する基体(ダルミン),およびその両者の関係より成り立つものとして考える。”となっている。(余計に分からん!ということが分かった!!)
これで第2章まで終わった。第3章は“非僧非俗という生き方” という親鸞の生き方について。である。そして“親鸞は、日本の僧侶のうちで、最初に結婚生活を送った人です。”と切り出しているが、“性欲が強かったからだ”という説には反対している。
比叡山で修行していた親鸞は、当時の比叡山の僧侶たちの堕落を横目に、日本仏教をどうするか聖徳太子の生き方をヒントにしようと、六角堂に参篭し95日目に夢で救世観音の次のようなお告げを得る。「仏教者が妻帯して妻と一緒に仏道を歩もうと決意するのなら、わたし(観音さま)が妻となって一緒に歩んであげましょう」“親鸞はこの観音さまの夢告を受けて、法然のもとに百日間の聞法(もんぽう)に通って、法然の弟子となった”。
ところが突然、法然の教団に承元(じょうげん)の法難事件*が起き、親鸞も連座し、僧籍を剥奪される。
*承元(じょうげん)の法難事件:法然及び親鸞ら門弟7人が流罪とされた。法然らの専修念仏の停止要請が延暦寺の衆徒から天台座主になされ、興福寺の僧徒から朝廷に専修念仏の停止を訴える動きがある中で起きた事件だという。
“建永元年(1206年)12月頃、後鳥羽上皇の熊野御幸の間に安楽房遵西と住蓮が鹿ヶ谷で開いた別時念仏会に院の女房らが参加した。彼女たちは安楽房の説法を聞くために彼らを上皇不在の御所に招き入れ、夜遅くなったからとしてそのまま御所に泊めたとされている。彼女らの中に出家をする者があった。” “女房の一部が出家したことに加えて、男性を自分の不在中に御所内に泊めたことを知った後鳥羽上皇は憤怒し、建永2年(1207年)2月、専修念仏の停止を決定。”専修念仏の僧侶ら関係者4名が死罪に処される。“同月28日、怒りの治まらない上皇は、法然ならびに親鸞を含む7名の弟子を流罪に処した。法然は、土佐国番田(高知県)へ、親鸞は越後国国府(新潟県)へ配流される。この時、法然・親鸞は僧籍を剥奪される。”この厳しい処断に対し、親鸞は“後鳥羽上皇とその臣下が法を無視し義に反する行いをした」と批判している。”その後、法然に対し赦免[の宣旨が下り、“建暦元年(1211年)11月、親鸞に対しても赦免の宣旨が下る。”
歴史学者の本郷和人は“「この事件は法然の門弟たちが後鳥羽上皇の寵愛する女官たちと密通したうえ、上皇の留守中に彼女たちが出家してしまったため、後鳥羽上皇の逆鱗に触れたという話で、密通事件さえ起きなければ、宗教がもとで人が死ぬことは無かったと言える」との見解を示している。”
処罰されそのまま俗人に戻ったのでは屈辱感がある。そこで――非僧非俗(僧にあらず、俗にあらず)――で活きることを決意した。“それは、妻とともに、この現実社会の中にあって仏道をしっかり歩むということ”。“そのために、流刑地の越後において恵信尼と結婚”した。それはガンディーと同じように“親鸞の一生を通じての、いわば「実験」だった”。
大乗仏教を掲げるならば“在家仏教、民衆仏教というところからすると、独身で仏教をじっせんするのは、大衆にとっては不自然なこと。妻帯して子供をもうけて、俗世の中で実践するのが大乗仏教の正しいあり方です。そこで親鸞は非僧非俗の生き方をしようとした”。“女房を観音さまだとし、子どもも観音さまだと信じて生きていく”のだ。
このようにして非僧非俗の生き方を実験しようとしたが、著者は“その実験は成功しなかった”と評価する。親鸞は多くの弟子を関東で作ったが、その弟子たちが現実社会で困難にあうたびに、逐一親鸞の下に解決を求めてやってくる。ところが当の親鸞は“ただ阿弥陀様にまかせておけばいいのだ、わたしはそれしか知らない”という。“お念仏をしてほんとうにお浄土にうまれることができるか、それとも地獄に堕ちる業となるか、わたしは、そんなことに関心をもたぬ。よしんば法然上人にだまされて、念仏した結果、地獄に堕ちたとしても、わたしには後悔はない(それでいい*)――”と。ところが著者は言う。“お坊さんは、弟子を教え導いていくという仕事があるのだが、それすら放棄してしまった”。“親鸞はそういう矛盾を抱え込んでしまった”。(*筆者追記)
そして、晩年には長男・善鸞を勘当している。それは、善鸞が関東の信者に対して“父・親鸞がいままで語っていなかった、ほんとうの教えを自分だけが聞いて知っているのだと、言ったからだと伝えられて”いる。これに対し著者は勘当するのはおかしいという。“仮に善鸞がまちがったことをしたとしても、それも阿弥陀如来よりたまわりたる信心”だからだという。“これはたぶんもうろくしていたのではないか”とまで著者は言う。
“しかし、それは世間的な意味であって、親鸞の生き方のうえにあっては、失敗しようが、成功しようが、そのようなことはどうでもよいということ”であり、“すべてのことは「なんだっていい」”のだから、とも言っている。
第4章は“阿弥陀仏とは何か”だ。著者は当初“仏とは何か”がわからなかった、という。“仏とはお釈迦さま?”ではなく、“仏教とは、人間が説いた教えではない”という。“宇宙仏”であり、“宇宙の真理・理法”なので“時空を超越した存在”であり、“姿・形がなく超越している”。その“仏の教え”をお釈迦さまから学ぶのだ。“お釈迦さまは、わたしたちに宇宙仏の教えを教えるために、真理の世界から来現した方”なのだ。この“「宇宙仏」が親鸞にあっては――阿弥陀仏――”なのだ。“宇宙の根底には、あらゆる衆生、あらゆる生き物がみんな幸せになって欲しいという願い”つまり“宇宙意志”がある。
その宇宙意志の下で、人の計り知れないシナリオがあって人々には役割を持たされて、“わたしたちはこの世界で、そういう学芸会をやっているようなもの”。“その学芸会をやっているときに先生が悪役の子に「お前は悪人だ」とは言わない。むしろ「よくやってくれたね、ご苦労さま」という”はずだと。“それが「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」ということ”になる。
第5章は自力と他力について説明している。先ず『歎異抄』の冒頭の75文字のことばを引用して親鸞の思想を要約していると指摘する。
――「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなり」と信じて「念仏申さん」と思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。――
弥陀の誓願は“不可思議”で思いはからうことはできない、そういう救済意志のはたらきかけがある。“そうすると、わたしたちは「往生できる」と信じられる”。ここで“信じる”とは、“仏がわたしをして、仏を信じさせてくださる”のであって、“信じるという行為は、「わたし」ではなくて「仏」のほうにある”のだ。“「念仏しようという心」も阿弥陀仏のはたらきによっておきてくる”。“念仏しようと思う心が起きた瞬間、もうわたしたちは浄土に迎えとられたも同然”なのだ。
また『歎異抄』第八段には次のように親鸞が言っている。
――念仏は行者のために、非行・非善なり。わがはからひにて行 ずるにあらざれば非行といふ。わがはからひにてつくる善にもあら ざれば非善といふ。ひとへに他力にして自力をはなれたるゆえに、 行者のためには非行・非善なりと云々。――
“すべてが阿弥陀仏のはたらきかけだから、人間のはからいとしてのお念仏はない”。“だから、徹底して親鸞にはお念仏はない”のだ。
“仏教とは――仏の力をいただくこと――”。では自力と他力はどうちがうのか。子供に危険が迫った時、母親の猿は“仔猿を自分にしがみつかせて、仔猿を遠くに運んでやる、仔猿は「しがみつく」という行為をしている。それが自力。これが猫の場合は、母猫が仔猫の首根っこをくわえて、遠くに運ぶ。したがって、仔猫は何もしていない。完全に母親まかせ。それが他力”だ、という。分かり易い!
ここで芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の解説となる。だが、この小説冒頭で極楽の蓮池のふちを御歩きになっているのは“お釈迦さま”となっているが、それは“阿弥陀さま”の間違いで龍之介のミスだとの指摘が入っている。タシカニ!
この垂らされた“蜘蛛の糸”への対応で、道元、法然と親鸞の違いを説明している。
“道元は蜘蛛の糸をのぼります。わたしはそう信じています。・・・自力の仏教です。禅です。・・・道元にとっては――ただのぼる――只管打坐――道元はただひたすらのぼればいいのです。行った先が地獄とか極楽とか考えない。道元にとっては、そののぼるという行為そのものが仏道”なのだ。行えば成功するとか幸せになるというのではなく行うことに意味がある。それが自力の仏教なのだ。
“わたしは法然はのぼると思います。のぼるというよりは蜘蛛の糸にしがみつくでしょう。そうすると阿弥陀仏がウィンチで上に上げてくれるのです。それが法然の他力だと思います。”
“親鸞はしがみつくことさえ、自力だと考えました。・・・きっと親鸞はひとたびしがみついてしまったら、のぼろうとする自力の心が起こると思っている”だろうからだという。逆に“しがみつこうと思った瞬間にオーケー(で助けてもらえる*)。だから、行為としては決してしがみつかない。”(*筆者注)
第6章では人の祈りには“請求書の祈り”と“領収書の祈り”があるという。そして請求書の祈りは禁忌だという。“請求書の祈りは、世間の物差しを使ってなされる祈り”であり、身勝手な欲望達成の“お願い”だからだ。また“祈れば祈るほど欲を膨らませていって、やがては欲望の奴隷になってしまうから”である。またそして“世界の宗教はたいてい、ほんとうの祈りは領収書の祈りだと教えている”。
“大事なことは世間の物差しを捨てること。そして、ほとけさまにおまかせすること。”“阿弥陀仏は宇宙の救済意志”なので“わたしはすでに救われている”のだということ。病気のわたし、老いたわたし、苦悩するわたしは、そのまま救われているのだ、と気付く。“気付いたとき、そこに念仏がある――報恩感謝の念仏――それが親鸞の教えてくれたお念仏”だ。
それが信じられるか。“わたしたちの範疇を越えた物差しではかれない存在”を信じられるか。“だから「信じられません」と率直に言うしかない”。“そうしたら親鸞は「阿弥陀さまが信じさせてくださるだけのことだ」と言う。・・・信じるも信じないも、阿弥陀さまのほうから信じさせてくださる”。“そのときにはじめて、報恩感謝の念仏ができる”となる。
だから“あるがまま”となる。“あるがままとは、人のはからいではない。それは如来の誓いなので、法爾という”。――自然法爾――“もうあるがまま、そのままでいいんだ、というところ。そこにはすべての人間のはからいが消えてしまっている”。
下値の目途、フィナボッチ38.2%の37千円レベルに到ってしまっている。もしこのレベルを下回るようであると今度は50%の36千円当たりが目途となる。
従い、今後の決算の発表内容によってその動向が注目される。この暴落が一時的であれば、急回復も期待できそうだが、もたもたすると長期停滞となり不況となりかねない。
この暴落のきっかけは中東の地政学的リスクとされる。イスラエルの国際的不行状が原因なのだ。ガザでナチスばりの大虐殺を行い、シリアではイラン大使館を不当に爆撃したのがきっかけになっている。米国はこのイスラエルに対し強く抑制するように指示するべきであるが、バイデン大統領は曖昧にやり過ごしている。うかうかすると民主党支持層のアラブ系の支持を失い大統領選挙への影響の可能性が出てくる。
日本ももう少し米国から距離を置き、人道の観点からの外交展開力があって然るべきだと思うのだが・・・。田中角栄氏に対する米国の仕打ちに、未だ日本の腐れ政治家は怯えているかのようだ。
さて、今回は空海から進み出て、親鸞へと仏教理解を深めていこうと読んだのが、おなじみ“ひろさちや”氏の『親鸞を読む』である。いわば“空海”を一旦“卒業”してみようとの試みだ。
前回言ったように、空海の“密教では、「身・口・意の三密」”といい、“鎌倉時代の高僧たちは、身・口・意の三密をバラバラにしてしまった。バラバラの一密にして、各自がめいめいの一密に専心した”とあった。
“身密・・・・を強調したのは、道元である。彼は「只管打座」といった。口密・・・・の強調は、法然と日蓮である。法然は「南無阿弥陀仏」の念仏を、日蓮は「南無妙法蓮華経」のお題目をとなえよ!と言っている。意密・・・・を言ったのは、親鸞である。親鸞の師である法然は、口に出す念仏に重きをおいたが、親鸞その人は「信心」だけでよいとした。こころの強調である。”
とあれば、何となく親鸞の“意密”が三密の中でも高度で容易に実行できそうな気がする。そしてその高度の“意密”を理解できればしめたもの、との下衆の思いから、“親鸞”に飛びついた訳である。以下に、例によって本書の概要を紹介したい。
【出版社内容情報】
ひろさちや氏の「祖師を読む」シリーズ2作目。親鸞の奥深い思想を、「称えられないお念仏」など著者独特のことばで紹介するとともに、その教えをいかにして生活にいかしていくかを解説した“実践的親鸞入門”です。
【目次】
第1章 なんだっていい
第2章 人間の無力さの自覚
第3章 非僧非俗という生き方
第4章 阿弥陀仏とは何か?
第5章 称えられないお念仏
第6章 報恩感謝の念仏
【著者等紹介】ひろさちや
宗教評論家。1936年、大阪府生まれ。東京大学文学部印度哲学科卒業、同大学院印度哲学専攻博士課程修了。気象大学校教授を経て現在、大正大学客員教授をつとめるかたわら、執筆や講演活動とともに「まんだらの会」を主宰する。著書に『仏教の歴史(全10巻)』(春秋社)、『なぜ人間には宗教が必要なのか』(講談社)、『わたしの「南無妙法蓮華経」』、『ひろさちやの「道元」を読む』(ともに佼成出版社)、ほか多数ある。
この本の“まえがき”で著者は“仏教徒あるいは仏教者であるということはどういうことか”と問い、それは“仏を信じること”だと言っている。親鸞は法然の弟子、その法然は念仏仏教を開き、誰にでもできる実践“南無阿弥陀仏”と称えることが修行だととして教えた。このこの阿弥陀仏を信じるということは、“阿弥陀仏にすべてを――おまかせする――ことではないか”と言っている。そして、“おまかせするのであれば、こちらは何もしなくていいのだ。いや、何かをすることは、おまかせしたことにならない。何かをやってはいけないのだ!それが親鸞の考えた結論です。”と正に“驚くべき結論です”と続けて、仏教者であること―仏を信じるということが“どういうことなのか、その片鱗を知ることができた”のでこの本で紹介したいと述べている。
重要なことは“わたしたちには、すべてのことは、所詮は「わからない」ことなのです。この「わからない」ということが、よくよくわかってくると、「なんだっていい」「どっちだっていい」ということがわかってきます。
わたしたちは「わからない」ということが、よくわかっていないので、そこを理解することがむずかしいのです。”
「わからない」から義侠心、親切心で余計なお世話の“おせっかい”をすることもある。でも、それもやってもいいし、やらなくてもいいということになる。わたしがやるのではなく、阿弥陀様がわたしを通じてなさることかも知れない。つまりやってもやらなくてもどちらも阿弥陀様の御心のなさることなのだから。
そこから“自然法爾”という思想が生まれ、自然法爾の話の後に、著者が臨済宗円覚寺派管長の足立大進老師の言葉を紹介している。
“「禅のお坊さんは三語でいい。何も説法なんかしないでいい。『こんなことがありました』と言われたら゛よかったね゛。『こまりました』と言われたら、゛困ったね゛。あともうひとつは、゛そうだね゛とそれでいい。」
〈そのものがそのものをまっとうしている〉――それがダルマ*です。道元のことばによれば「現成」です。
そこまでいくと、もう自力も他力もありません。みんな同じところにいます。”
これで、この本の結論だろうか。だが、これでこの本の半ばだった。
*ダルマ:(筆者注)恐らく“性質,属性としてのダルマ ダルマはまた,あるものをあるものたらしめる特徴というところから発して,性質,属性という意味ももつ。”の意であろう。続けて“とくに,インドの哲学的諸学派はこの意味のダルマを重視し,知識論,論理学において,すべてのものごとを,ダルマとそのダルマを有する基体(ダルミン),およびその両者の関係より成り立つものとして考える。”となっている。(余計に分からん!ということが分かった!!)
これで第2章まで終わった。第3章は“非僧非俗という生き方” という親鸞の生き方について。である。そして“親鸞は、日本の僧侶のうちで、最初に結婚生活を送った人です。”と切り出しているが、“性欲が強かったからだ”という説には反対している。
比叡山で修行していた親鸞は、当時の比叡山の僧侶たちの堕落を横目に、日本仏教をどうするか聖徳太子の生き方をヒントにしようと、六角堂に参篭し95日目に夢で救世観音の次のようなお告げを得る。「仏教者が妻帯して妻と一緒に仏道を歩もうと決意するのなら、わたし(観音さま)が妻となって一緒に歩んであげましょう」“親鸞はこの観音さまの夢告を受けて、法然のもとに百日間の聞法(もんぽう)に通って、法然の弟子となった”。
ところが突然、法然の教団に承元(じょうげん)の法難事件*が起き、親鸞も連座し、僧籍を剥奪される。
*承元(じょうげん)の法難事件:法然及び親鸞ら門弟7人が流罪とされた。法然らの専修念仏の停止要請が延暦寺の衆徒から天台座主になされ、興福寺の僧徒から朝廷に専修念仏の停止を訴える動きがある中で起きた事件だという。
“建永元年(1206年)12月頃、後鳥羽上皇の熊野御幸の間に安楽房遵西と住蓮が鹿ヶ谷で開いた別時念仏会に院の女房らが参加した。彼女たちは安楽房の説法を聞くために彼らを上皇不在の御所に招き入れ、夜遅くなったからとしてそのまま御所に泊めたとされている。彼女らの中に出家をする者があった。” “女房の一部が出家したことに加えて、男性を自分の不在中に御所内に泊めたことを知った後鳥羽上皇は憤怒し、建永2年(1207年)2月、専修念仏の停止を決定。”専修念仏の僧侶ら関係者4名が死罪に処される。“同月28日、怒りの治まらない上皇は、法然ならびに親鸞を含む7名の弟子を流罪に処した。法然は、土佐国番田(高知県)へ、親鸞は越後国国府(新潟県)へ配流される。この時、法然・親鸞は僧籍を剥奪される。”この厳しい処断に対し、親鸞は“後鳥羽上皇とその臣下が法を無視し義に反する行いをした」と批判している。”その後、法然に対し赦免[の宣旨が下り、“建暦元年(1211年)11月、親鸞に対しても赦免の宣旨が下る。”
歴史学者の本郷和人は“「この事件は法然の門弟たちが後鳥羽上皇の寵愛する女官たちと密通したうえ、上皇の留守中に彼女たちが出家してしまったため、後鳥羽上皇の逆鱗に触れたという話で、密通事件さえ起きなければ、宗教がもとで人が死ぬことは無かったと言える」との見解を示している。”
処罰されそのまま俗人に戻ったのでは屈辱感がある。そこで――非僧非俗(僧にあらず、俗にあらず)――で活きることを決意した。“それは、妻とともに、この現実社会の中にあって仏道をしっかり歩むということ”。“そのために、流刑地の越後において恵信尼と結婚”した。それはガンディーと同じように“親鸞の一生を通じての、いわば「実験」だった”。
大乗仏教を掲げるならば“在家仏教、民衆仏教というところからすると、独身で仏教をじっせんするのは、大衆にとっては不自然なこと。妻帯して子供をもうけて、俗世の中で実践するのが大乗仏教の正しいあり方です。そこで親鸞は非僧非俗の生き方をしようとした”。“女房を観音さまだとし、子どもも観音さまだと信じて生きていく”のだ。
このようにして非僧非俗の生き方を実験しようとしたが、著者は“その実験は成功しなかった”と評価する。親鸞は多くの弟子を関東で作ったが、その弟子たちが現実社会で困難にあうたびに、逐一親鸞の下に解決を求めてやってくる。ところが当の親鸞は“ただ阿弥陀様にまかせておけばいいのだ、わたしはそれしか知らない”という。“お念仏をしてほんとうにお浄土にうまれることができるか、それとも地獄に堕ちる業となるか、わたしは、そんなことに関心をもたぬ。よしんば法然上人にだまされて、念仏した結果、地獄に堕ちたとしても、わたしには後悔はない(それでいい*)――”と。ところが著者は言う。“お坊さんは、弟子を教え導いていくという仕事があるのだが、それすら放棄してしまった”。“親鸞はそういう矛盾を抱え込んでしまった”。(*筆者追記)
そして、晩年には長男・善鸞を勘当している。それは、善鸞が関東の信者に対して“父・親鸞がいままで語っていなかった、ほんとうの教えを自分だけが聞いて知っているのだと、言ったからだと伝えられて”いる。これに対し著者は勘当するのはおかしいという。“仮に善鸞がまちがったことをしたとしても、それも阿弥陀如来よりたまわりたる信心”だからだという。“これはたぶんもうろくしていたのではないか”とまで著者は言う。
“しかし、それは世間的な意味であって、親鸞の生き方のうえにあっては、失敗しようが、成功しようが、そのようなことはどうでもよいということ”であり、“すべてのことは「なんだっていい」”のだから、とも言っている。
第4章は“阿弥陀仏とは何か”だ。著者は当初“仏とは何か”がわからなかった、という。“仏とはお釈迦さま?”ではなく、“仏教とは、人間が説いた教えではない”という。“宇宙仏”であり、“宇宙の真理・理法”なので“時空を超越した存在”であり、“姿・形がなく超越している”。その“仏の教え”をお釈迦さまから学ぶのだ。“お釈迦さまは、わたしたちに宇宙仏の教えを教えるために、真理の世界から来現した方”なのだ。この“「宇宙仏」が親鸞にあっては――阿弥陀仏――”なのだ。“宇宙の根底には、あらゆる衆生、あらゆる生き物がみんな幸せになって欲しいという願い”つまり“宇宙意志”がある。
その宇宙意志の下で、人の計り知れないシナリオがあって人々には役割を持たされて、“わたしたちはこの世界で、そういう学芸会をやっているようなもの”。“その学芸会をやっているときに先生が悪役の子に「お前は悪人だ」とは言わない。むしろ「よくやってくれたね、ご苦労さま」という”はずだと。“それが「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」ということ”になる。
第5章は自力と他力について説明している。先ず『歎異抄』の冒頭の75文字のことばを引用して親鸞の思想を要約していると指摘する。
――「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなり」と信じて「念仏申さん」と思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。――
弥陀の誓願は“不可思議”で思いはからうことはできない、そういう救済意志のはたらきかけがある。“そうすると、わたしたちは「往生できる」と信じられる”。ここで“信じる”とは、“仏がわたしをして、仏を信じさせてくださる”のであって、“信じるという行為は、「わたし」ではなくて「仏」のほうにある”のだ。“「念仏しようという心」も阿弥陀仏のはたらきによっておきてくる”。“念仏しようと思う心が起きた瞬間、もうわたしたちは浄土に迎えとられたも同然”なのだ。
また『歎異抄』第八段には次のように親鸞が言っている。
――念仏は行者のために、非行・非善なり。わがはからひにて行 ずるにあらざれば非行といふ。わがはからひにてつくる善にもあら ざれば非善といふ。ひとへに他力にして自力をはなれたるゆえに、 行者のためには非行・非善なりと云々。――
“すべてが阿弥陀仏のはたらきかけだから、人間のはからいとしてのお念仏はない”。“だから、徹底して親鸞にはお念仏はない”のだ。
“仏教とは――仏の力をいただくこと――”。では自力と他力はどうちがうのか。子供に危険が迫った時、母親の猿は“仔猿を自分にしがみつかせて、仔猿を遠くに運んでやる、仔猿は「しがみつく」という行為をしている。それが自力。これが猫の場合は、母猫が仔猫の首根っこをくわえて、遠くに運ぶ。したがって、仔猫は何もしていない。完全に母親まかせ。それが他力”だ、という。分かり易い!
ここで芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の解説となる。だが、この小説冒頭で極楽の蓮池のふちを御歩きになっているのは“お釈迦さま”となっているが、それは“阿弥陀さま”の間違いで龍之介のミスだとの指摘が入っている。タシカニ!
この垂らされた“蜘蛛の糸”への対応で、道元、法然と親鸞の違いを説明している。
“道元は蜘蛛の糸をのぼります。わたしはそう信じています。・・・自力の仏教です。禅です。・・・道元にとっては――ただのぼる――只管打坐――道元はただひたすらのぼればいいのです。行った先が地獄とか極楽とか考えない。道元にとっては、そののぼるという行為そのものが仏道”なのだ。行えば成功するとか幸せになるというのではなく行うことに意味がある。それが自力の仏教なのだ。
“わたしは法然はのぼると思います。のぼるというよりは蜘蛛の糸にしがみつくでしょう。そうすると阿弥陀仏がウィンチで上に上げてくれるのです。それが法然の他力だと思います。”
“親鸞はしがみつくことさえ、自力だと考えました。・・・きっと親鸞はひとたびしがみついてしまったら、のぼろうとする自力の心が起こると思っている”だろうからだという。逆に“しがみつこうと思った瞬間にオーケー(で助けてもらえる*)。だから、行為としては決してしがみつかない。”(*筆者注)
第6章では人の祈りには“請求書の祈り”と“領収書の祈り”があるという。そして請求書の祈りは禁忌だという。“請求書の祈りは、世間の物差しを使ってなされる祈り”であり、身勝手な欲望達成の“お願い”だからだ。また“祈れば祈るほど欲を膨らませていって、やがては欲望の奴隷になってしまうから”である。またそして“世界の宗教はたいてい、ほんとうの祈りは領収書の祈りだと教えている”。
“大事なことは世間の物差しを捨てること。そして、ほとけさまにおまかせすること。”“阿弥陀仏は宇宙の救済意志”なので“わたしはすでに救われている”のだということ。病気のわたし、老いたわたし、苦悩するわたしは、そのまま救われているのだ、と気付く。“気付いたとき、そこに念仏がある――報恩感謝の念仏――それが親鸞の教えてくれたお念仏”だ。
それが信じられるか。“わたしたちの範疇を越えた物差しではかれない存在”を信じられるか。“だから「信じられません」と率直に言うしかない”。“そうしたら親鸞は「阿弥陀さまが信じさせてくださるだけのことだ」と言う。・・・信じるも信じないも、阿弥陀さまのほうから信じさせてくださる”。“そのときにはじめて、報恩感謝の念仏ができる”となる。
だから“あるがまま”となる。“あるがままとは、人のはからいではない。それは如来の誓いなので、法爾という”。――自然法爾――“もうあるがまま、そのままでいいんだ、というところ。そこにはすべての人間のはからいが消えてしまっている”。
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