The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
品質工学者の目で見た日本の原発とストレス・テストの意味
今週は 風邪気味で体調不良につき短くしたい。先週テーマが大きすぎたのか、書きたいことの8割程度であったが、意外にも長編になり、そこで無理したのか祟ったのだろうか。
先々週、新春恒例の京都府中小企業技術センター主催の“品質工学公開講義”が開催され、聴講した。講演内容は次の通り。
(1)原 和彦 氏 (関西品質工学研究会顧問);“技術者の思考力を強化する品質工学”
(2)森 泰彦 氏 (東亜合成㈱R&D総合センター);“化学材料の製品開発における品質工学の活用事例”
ここで1年ぶりの原和彦氏の講演、いわば しっかりしたクレーマの痛快原節が聴けた。ご自身で“品質工学の泰斗に、背中に「この人にはモノを売らないで下さい」と書いておくべきだ、と言われた”と明かされていたが、そんな人の講演であり、毎年拝聴するようにしている。
そこで、昨年春の震災に触れて、日本に原発を置くことは本質安全から見て無理があると指摘されていた。品質工学は 製品やシステムの本質安全つまり、「社会的損失の最小化」を開発するべき技術の評価基準にしているので当然の指摘である。曰く“「社会的損失の最小化」を考えた場合、設備の投資コストに比べて膨大な損失コスト”が、かかってしまい“地震大国(の日本)では不適なシステムである。”
つまり、通常“社会的損失=投資コスト+損失コスト”としているが、福島の4基の原発の投資コストは1兆6千億円、損失コストは廃炉までの費用は30兆円で30年以上の時間が必要。つまり、社会コストの概念を使うと、投資採算は全く合わないことになる。しかも、これまで日本全体の電力需要は 水力と火力で十分に賄われてきている、ということであった。
ここで、今 検討されているストレス・テストについても 次のように言及されていた。“ストレス・テストなどと称しても、結局は耐久テストではないか。耐久テストとは、いわば規格(例えば安全基準)内におさまっているかどうかの、合否の判断をするだけだから、(品質工学の目的とする)機能の安全性は分からない。”とのことであった。
私もストレス・テストには疑問を抱いている。コンピュータ・シミュレーションで何が分かるのであろうか。この点は原氏も言っていたが、“シミュレーションでは、想定外のことを含んだ結果は出ない。”そう、今回のことは“想定外”の連続であり、畑村委員会の中間報告でも分る通り、政府機関を頂点とした事故後の安全管理、危機管理が全く機能しておらず、実態を知れば知るほど お寒い実態であったために、震災後の被害を拡大してしまったものである。ひょっとして安全・危機管理が、上手く機能していれば、原発への国民的嫌気感情の沸きあがることもなかったかも知れない。
特に、この事故ではヒューマン・エラー、いわばポカミスも含まれている。勿論、品質工学的には、ポカミスもノイズとして考慮されているべきで、そうでなければロバスト・システムとは言えないことになるのだが、原発再開のためのストレス・テストには、このヒューマン・エラーも考慮されているのだろうか。例えば、今回の事故原因には、非常用復水器の運転に関するヒューマン・エラーも その主要因として含まれている。しかし、シミュレーションによって、この点をどのようにストレス・テストに織り込もうとしているのだろうか。ポカミスの連続・分岐、それに対するハードの耐久性を真剣に考えれば大変なシミュレーションとなるのではないか。ヒョッとして、機器の耐久性の実態を良く知るものにとっては、シミュレーションするまでもない恐ろしいことかも知れない。現に、今回の非常用復水器の運転に関するヒューマン・エラーにその機器の耐久性を心配したという。というか、事故前であれば、そんな面倒なことはするまでもない、と原発専門家から誤魔化されてしまったことかも知れない。
それに、最近 炉の廃炉基準延長を発表しているが、機器の経時劣化、特に容器のラジエーション・ダメージも現状を計測した結果を用いて、しかもその結果をどの程度厳しく考えてシミュレーションするのだろうか。設計当初のデータで 事故要因の強度だけを厳しい条件にしていても意味がない。
ならば、運転上のヒューマン・エラーや経時劣化は考慮せず、シミュレーションすることになるのだろうか。特にヒューマン・エラーを考慮しないのならば、ストレス・テストは事故の教訓を踏まえていないことになる。事故の教訓を踏まえていないならば、再稼動を計画する面々は、懲りない人々と言うことになる。そうなれば、このような人々に、国民の安全を評価する資格はないことになるのだが、実態はどうなのだろうか。
さらに運転上のヒューマン・エラーや経時劣化を考慮しても大丈夫という結論が出るのなら、原発は相当な安全率で設計されていたことになるが、本当にそうなのだろうか。
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先々週、新春恒例の京都府中小企業技術センター主催の“品質工学公開講義”が開催され、聴講した。講演内容は次の通り。
(1)原 和彦 氏 (関西品質工学研究会顧問);“技術者の思考力を強化する品質工学”
(2)森 泰彦 氏 (東亜合成㈱R&D総合センター);“化学材料の製品開発における品質工学の活用事例”
ここで1年ぶりの原和彦氏の講演、いわば しっかりしたクレーマの痛快原節が聴けた。ご自身で“品質工学の泰斗に、背中に「この人にはモノを売らないで下さい」と書いておくべきだ、と言われた”と明かされていたが、そんな人の講演であり、毎年拝聴するようにしている。
そこで、昨年春の震災に触れて、日本に原発を置くことは本質安全から見て無理があると指摘されていた。品質工学は 製品やシステムの本質安全つまり、「社会的損失の最小化」を開発するべき技術の評価基準にしているので当然の指摘である。曰く“「社会的損失の最小化」を考えた場合、設備の投資コストに比べて膨大な損失コスト”が、かかってしまい“地震大国(の日本)では不適なシステムである。”
つまり、通常“社会的損失=投資コスト+損失コスト”としているが、福島の4基の原発の投資コストは1兆6千億円、損失コストは廃炉までの費用は30兆円で30年以上の時間が必要。つまり、社会コストの概念を使うと、投資採算は全く合わないことになる。しかも、これまで日本全体の電力需要は 水力と火力で十分に賄われてきている、ということであった。
ここで、今 検討されているストレス・テストについても 次のように言及されていた。“ストレス・テストなどと称しても、結局は耐久テストではないか。耐久テストとは、いわば規格(例えば安全基準)内におさまっているかどうかの、合否の判断をするだけだから、(品質工学の目的とする)機能の安全性は分からない。”とのことであった。
私もストレス・テストには疑問を抱いている。コンピュータ・シミュレーションで何が分かるのであろうか。この点は原氏も言っていたが、“シミュレーションでは、想定外のことを含んだ結果は出ない。”そう、今回のことは“想定外”の連続であり、畑村委員会の中間報告でも分る通り、政府機関を頂点とした事故後の安全管理、危機管理が全く機能しておらず、実態を知れば知るほど お寒い実態であったために、震災後の被害を拡大してしまったものである。ひょっとして安全・危機管理が、上手く機能していれば、原発への国民的嫌気感情の沸きあがることもなかったかも知れない。
特に、この事故ではヒューマン・エラー、いわばポカミスも含まれている。勿論、品質工学的には、ポカミスもノイズとして考慮されているべきで、そうでなければロバスト・システムとは言えないことになるのだが、原発再開のためのストレス・テストには、このヒューマン・エラーも考慮されているのだろうか。例えば、今回の事故原因には、非常用復水器の運転に関するヒューマン・エラーも その主要因として含まれている。しかし、シミュレーションによって、この点をどのようにストレス・テストに織り込もうとしているのだろうか。ポカミスの連続・分岐、それに対するハードの耐久性を真剣に考えれば大変なシミュレーションとなるのではないか。ヒョッとして、機器の耐久性の実態を良く知るものにとっては、シミュレーションするまでもない恐ろしいことかも知れない。現に、今回の非常用復水器の運転に関するヒューマン・エラーにその機器の耐久性を心配したという。というか、事故前であれば、そんな面倒なことはするまでもない、と原発専門家から誤魔化されてしまったことかも知れない。
それに、最近 炉の廃炉基準延長を発表しているが、機器の経時劣化、特に容器のラジエーション・ダメージも現状を計測した結果を用いて、しかもその結果をどの程度厳しく考えてシミュレーションするのだろうか。設計当初のデータで 事故要因の強度だけを厳しい条件にしていても意味がない。
ならば、運転上のヒューマン・エラーや経時劣化は考慮せず、シミュレーションすることになるのだろうか。特にヒューマン・エラーを考慮しないのならば、ストレス・テストは事故の教訓を踏まえていないことになる。事故の教訓を踏まえていないならば、再稼動を計画する面々は、懲りない人々と言うことになる。そうなれば、このような人々に、国民の安全を評価する資格はないことになるのだが、実態はどうなのだろうか。
さらに運転上のヒューマン・エラーや経時劣化を考慮しても大丈夫という結論が出るのなら、原発は相当な安全率で設計されていたことになるが、本当にそうなのだろうか。
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