The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
天皇の御譲位
安倍政権による国会の私物化と専横がはなはだしい。法案審議の殆どは、“考えたこともない”強行採決だ。“ビール増税”、“配偶者控除撤廃”、“年金カット”、さらに“高齢者医療費引き上げ”も検討中という。先週末はカジノ解禁法案を衆議院内閣委員会で強行採決。自民党や維新は積極推進、どうやら日本をカジノ立国させたいようだ。日本にはカジノ運営のノウハウはない。先ず頭に浮かぶのは、米国のトランプ氏を筆頭とした資本が雪崩れ込みだ。それに手を貸したいのだろう。特に維新は大阪を賭博まみれにしたいようだ。この安易さが実に彼等らしい。カジノで日本を変えたい!?確かに変われるだろうが、それが悪く変わるのは明白だ。
強行採決の議論抜きの政治では民主主義は死ぬ。それでも安倍政権の支持率は過半を超えている。国民はあたかも安倍氏にもっと苦しめて欲しいと望んでいるかのようだ。そして社会的鬱憤を弱者いじめに向けているのだ。かくして呆れるようないじめ、子殺しは増えるばかりだ。
隣国では大統領への辞任要求騒ぎ一色で政治混乱が続き、一向に終息の見込みはない。たとえ辞任となっても、その次の大統領の選出でまた混乱するのではないか。そう考えれば、下手すれば1年以上の混乱は続くのかもしれない。そこへ北がどのようにつけ入ってくるのか、虎視眈々ではないだろうか。半島が不安定で日本の安寧はありえない。
東の国でもトランプ次期大統領の政策転換への憶測をめぐって当分政治的、経済的混乱は続くのではないか。どうやら人事を見ていると、かなり酷い右寄りの野蛮な人物が配置されるようだ。特に国防長官は“狂犬”だと言うではないか。中にはまともな共和党員が閣僚になっているようなので、狂人達との間で政策上の齟齬が生じ、政権内での政策整合が不能となり、大きな混乱が起きるのではないかと見ている。
また、トランプ支持のラスト・ベルトrust-beltの白人労働者の期待に沿う政策実現はあり得ないので、必ず彼等の期待を大きく裏切らざるを得ないだろう。また、軍事マフィアの虎の尾を踏む懸念もある。そうなると、銃社会の米国では大統領暗殺の可能性も考えられなくも無くなってくる。
さらには、欧州では右派勢力の台頭が懸念される。イタリアやオーストリアのEU離脱の可能性も高くなると言う。世界の良心、理性は何処に行ったのだろうか。
そんな世界の危急存亡の中に在って、日本もその国柄を左右しそうな問題が検討されている。それは、天皇陛下の退位などを検討する政府の有識者会議が、先週、法制度に詳しい大学教授などからヒアリングを行い、3回に分けて行ったヒアリングを終えた、との報道があった。会議に招かれた16人のうち、退位に8人が賛成、5人が反対を明確に示したほか、残る3人は条件付きで容認する姿勢を示しながらも、退位できる制度を設けることに慎重な考えを示したという。
そういった議論での結果に対し、天皇の御学友の明石元紹さんが退位をめぐる天皇陛下からの電話の内容を明らかにした。それは、“有識者会議の議論は陛下の考えとは乖離が大きい”という思いからだという。
特に、憂国者気取りの右派の学者の発想はいかにも現代にそぐわず、古臭いだけの印象で、何を言っているのか理解不能だ。どうやら、日本の碩学達が限りを尽くしてもなお陛下の思いに沿えないという非常に情けない状態であることが明らかになった。このように現代日本人は国民統合の象徴に思いを致さずに生きて居るようなのだ。それはある意味では幸せなことかも知れないが、いかにもこれこそ平和ボケではないかと思い知らされる。私もその1人であることは間違いない。しかし、少なくとも歴史学者や日本文化の研究者はプロとして天皇制への論理的思考準備があって然るべきではなかったか。そう思うのは一般人として抱く驚きではないか。折りに触れ、マスコミを通じて行われて来た皇室に対する解説はどうやらさほど体系だった思考ではなかったのだ。これで万世一系の皇室存続が危ぶまれるのは当然の成り行きではないかと思われる。
特に、本件の議論に関して民族派、ナショナリストとして知られる安倍首相の影が薄いのはどういうことだろうか。やはり、単に米国におもねるだけの似非民族派、似非ナショナリストであったというのならば、これは取り分け罪が深いことではないか。
天皇はどうして日本国民統合の象徴としてあり得るのか。私は単純に次のように認識している。
天皇の祖先は、古代に日本列島の政治的統合を成し遂げた。古代は政治に宗教性、神秘性は必須であり、祭政一致が世界各地の人類史に普遍的傾向であり、統一日本もその中の一つであった。その祭政一致が貴族の台頭により、政治の実権が天皇から徐々に離れたが、祭りの神秘性は天皇の手の許に残った。さらに時代が進むと、武士団の台頭があり完全に政教分離は完成した。近代化の明治維新で王政復古となり、外見上祭政一致に戻ったが、その頃に引き継がれていた天皇制には呪術的要素が希薄だったので、古代の政治体制には完全には戻らなかったことが、日本にとっての幸運ではあったのだろう。では、日本の天皇に古代から連綿として引き継がれて来たものは何か。それは、日本の安寧と平穏、そして進んで豊穣を願ってひたすらに祈ることだ。これこそが、日本の天皇制の本質だと認識している。
祈ることに宗教性が感じられる。だからこそ神道と結びつく部分がある。また歴史上仏教とも深く関係を持ったことがある。しかし、天皇の祈りは素朴で、真摯な古代的祈りである。中世以降の宗教のものではない。だから、現代の日本国憲法の信仰の自由とは、ある種一線を画して成立できると解釈して良いのではないか。否今や、宗教の部分でも世界宗教としての普遍性を大事にする動きもある。特にキリスト教では宗派の和解は進展していると聞く。このように宗教の世界でも宗派無き宗教に近付いている*のであるから、天皇の祈りに宗教性は十分薄いと見て良いのではないか。
また、日本の安寧を願うならば、世界に思いを致すことは当然であろう。したがい、天皇および皇族が外国の要人や使節団と交流し、平和を願うことは、天皇の祈る行為と本質的に全く矛盾しない。
非常に浅学菲才であり、おまけに日頃こいったことを熟考してもおらず、にわかに天皇制を論じることは難しいが、これが私の天皇制への思いである。事実誤認があれば御指摘頂きたい。
*イスラムの一部がこれに逆らっていて、世界の安全を脅かしている。しかし、これは18世紀以降の欧米人による帝国主義的侵略と収奪及び特にイスラム世界の破壊が原因なのだ。
以上のようなことのため、天皇の果たすべき仕事は日本国民統合の象徴として如何に祈るかにあると言って良いと思っている。
最近、誕生日を迎えられた秋篠宮様の会見では、天皇陛下の退位について“長い間考えてこられたことを、きちんとした形で示すことができた。大変よかったと思う”と話されたと言う。また“象徴としてのお務めが高齢になって果たせなくなる時が来るだろう”とお考えであり、それもかなり以前から“折々にうかがっていた”ということだった。
“象徴天皇のあり方をめぐって「天皇は存在するだけでいい」という意見があることに対し、「(陛下が)象徴がどうあるべきか模索し考えてきた結果」として被災地訪問など様々な活動をしてきた”とのことだ。ここに、今上陛下の“祈り”があるのだ。被災地訪問など様々な活動は天皇本来の“お務め”ではない。しかし、陛下が国民をいたわることも“祈り”の一つとしてお考えになり、熱心に全国を巡っておられるのだと理解できる。
天皇本来の“お務め”には、様々な宮中年中行事がある。それを暦に従い果たして行かれるのが第一。その合間に、内閣の要請による国事行為が入って来る。その中に外国要人との接見もあり、その合間で被災地訪問など様々な活動を為さっておられると理解するべきだろう。あまりにも御多忙ゆえに、御趣味の研究活動が思うようにできないとのお嘆きもあるようだ。
その第一の天皇としての宮中行事に既に厳しいものがあると聞いたことがある。例えば、11月の新嘗祭や大晦日・元旦の祈りの行事は肉体的に相当に辛いものがあるようで、高齢になればさらに辛くなるようだ。陛下御自身が弱音を吐かれたという訳ではないが、そういう点でも、定年がなく終身を要求するのは一般では考えられない事なのは当然である。
そうした極めて真面目な御姿勢に対し、ある学者が“勝手に仕事を増やしておいて、それが出来ないから退位したいというのはいささか問題だ”というような、一見合理的に見える意見を述べていた。自由な発想と発言はあって然るべきだ。しかし、陛下の真摯な“祈り”の姿勢をけなすような発言とも思え、少々情けない印象だ。
また当初は、“そんなに大変ならば、摂政を置けば良い”という一種“お気楽な”意見もあったが、どうやら陛下御自身はそれを、大変嫌っておられるようだ。昭和天皇が大正末期に摂政宮に就かれたが、これほど嫌なものはなかったとの御経験を今上陛下は伺っておられたためのようだ。また、昭和天皇の薨去直前に摂政の設置が課題にならないかとの警戒心も陛下にはあったようだ。保坂正康氏によれば、当時の軍は摂政宮では大元帥の指揮下にないためその活動は停滞し、昭和に入って活発化したのは、そうした影響ではなかったかという。この辺りのことこそは、当事者でなければ分からない話なのだろう。
兎に角、皇室と一般国民との間を的確に取り持つ人物や集団が不在であったとは、これまでの政権担当者の怠慢をそしられて然るべきではないだろうか。特に宮内庁の怠慢は酷いとしか言いようがないのではないか。民族派の学者達の先例固守の思考怠慢もはなはだしい。日本人の思考特徴の“忖度する”能力が著しく劣化しているような気もしないわけではないが、それは戦前からのものかも知れない。ならば、それに反省がなかったのも悲しいことだ。
今のところ、うかがい知る陛下の御意志に不合理な点はあるように思えず、いずれも現在の日本の在り方に沿った問題御提起であるように思える。そうであれば何にもまして、当事者である陛下の御意志を実現できる方向での課題解決が望まれる。一般国民の多くもそれを望んでいるのではないか。政府の有識者会議座長代理の御厨氏の手腕に期待せざるを得ない。
強行採決の議論抜きの政治では民主主義は死ぬ。それでも安倍政権の支持率は過半を超えている。国民はあたかも安倍氏にもっと苦しめて欲しいと望んでいるかのようだ。そして社会的鬱憤を弱者いじめに向けているのだ。かくして呆れるようないじめ、子殺しは増えるばかりだ。
隣国では大統領への辞任要求騒ぎ一色で政治混乱が続き、一向に終息の見込みはない。たとえ辞任となっても、その次の大統領の選出でまた混乱するのではないか。そう考えれば、下手すれば1年以上の混乱は続くのかもしれない。そこへ北がどのようにつけ入ってくるのか、虎視眈々ではないだろうか。半島が不安定で日本の安寧はありえない。
東の国でもトランプ次期大統領の政策転換への憶測をめぐって当分政治的、経済的混乱は続くのではないか。どうやら人事を見ていると、かなり酷い右寄りの野蛮な人物が配置されるようだ。特に国防長官は“狂犬”だと言うではないか。中にはまともな共和党員が閣僚になっているようなので、狂人達との間で政策上の齟齬が生じ、政権内での政策整合が不能となり、大きな混乱が起きるのではないかと見ている。
また、トランプ支持のラスト・ベルトrust-beltの白人労働者の期待に沿う政策実現はあり得ないので、必ず彼等の期待を大きく裏切らざるを得ないだろう。また、軍事マフィアの虎の尾を踏む懸念もある。そうなると、銃社会の米国では大統領暗殺の可能性も考えられなくも無くなってくる。
さらには、欧州では右派勢力の台頭が懸念される。イタリアやオーストリアのEU離脱の可能性も高くなると言う。世界の良心、理性は何処に行ったのだろうか。
そんな世界の危急存亡の中に在って、日本もその国柄を左右しそうな問題が検討されている。それは、天皇陛下の退位などを検討する政府の有識者会議が、先週、法制度に詳しい大学教授などからヒアリングを行い、3回に分けて行ったヒアリングを終えた、との報道があった。会議に招かれた16人のうち、退位に8人が賛成、5人が反対を明確に示したほか、残る3人は条件付きで容認する姿勢を示しながらも、退位できる制度を設けることに慎重な考えを示したという。
そういった議論での結果に対し、天皇の御学友の明石元紹さんが退位をめぐる天皇陛下からの電話の内容を明らかにした。それは、“有識者会議の議論は陛下の考えとは乖離が大きい”という思いからだという。
特に、憂国者気取りの右派の学者の発想はいかにも現代にそぐわず、古臭いだけの印象で、何を言っているのか理解不能だ。どうやら、日本の碩学達が限りを尽くしてもなお陛下の思いに沿えないという非常に情けない状態であることが明らかになった。このように現代日本人は国民統合の象徴に思いを致さずに生きて居るようなのだ。それはある意味では幸せなことかも知れないが、いかにもこれこそ平和ボケではないかと思い知らされる。私もその1人であることは間違いない。しかし、少なくとも歴史学者や日本文化の研究者はプロとして天皇制への論理的思考準備があって然るべきではなかったか。そう思うのは一般人として抱く驚きではないか。折りに触れ、マスコミを通じて行われて来た皇室に対する解説はどうやらさほど体系だった思考ではなかったのだ。これで万世一系の皇室存続が危ぶまれるのは当然の成り行きではないかと思われる。
特に、本件の議論に関して民族派、ナショナリストとして知られる安倍首相の影が薄いのはどういうことだろうか。やはり、単に米国におもねるだけの似非民族派、似非ナショナリストであったというのならば、これは取り分け罪が深いことではないか。
天皇はどうして日本国民統合の象徴としてあり得るのか。私は単純に次のように認識している。
天皇の祖先は、古代に日本列島の政治的統合を成し遂げた。古代は政治に宗教性、神秘性は必須であり、祭政一致が世界各地の人類史に普遍的傾向であり、統一日本もその中の一つであった。その祭政一致が貴族の台頭により、政治の実権が天皇から徐々に離れたが、祭りの神秘性は天皇の手の許に残った。さらに時代が進むと、武士団の台頭があり完全に政教分離は完成した。近代化の明治維新で王政復古となり、外見上祭政一致に戻ったが、その頃に引き継がれていた天皇制には呪術的要素が希薄だったので、古代の政治体制には完全には戻らなかったことが、日本にとっての幸運ではあったのだろう。では、日本の天皇に古代から連綿として引き継がれて来たものは何か。それは、日本の安寧と平穏、そして進んで豊穣を願ってひたすらに祈ることだ。これこそが、日本の天皇制の本質だと認識している。
祈ることに宗教性が感じられる。だからこそ神道と結びつく部分がある。また歴史上仏教とも深く関係を持ったことがある。しかし、天皇の祈りは素朴で、真摯な古代的祈りである。中世以降の宗教のものではない。だから、現代の日本国憲法の信仰の自由とは、ある種一線を画して成立できると解釈して良いのではないか。否今や、宗教の部分でも世界宗教としての普遍性を大事にする動きもある。特にキリスト教では宗派の和解は進展していると聞く。このように宗教の世界でも宗派無き宗教に近付いている*のであるから、天皇の祈りに宗教性は十分薄いと見て良いのではないか。
また、日本の安寧を願うならば、世界に思いを致すことは当然であろう。したがい、天皇および皇族が外国の要人や使節団と交流し、平和を願うことは、天皇の祈る行為と本質的に全く矛盾しない。
非常に浅学菲才であり、おまけに日頃こいったことを熟考してもおらず、にわかに天皇制を論じることは難しいが、これが私の天皇制への思いである。事実誤認があれば御指摘頂きたい。
*イスラムの一部がこれに逆らっていて、世界の安全を脅かしている。しかし、これは18世紀以降の欧米人による帝国主義的侵略と収奪及び特にイスラム世界の破壊が原因なのだ。
以上のようなことのため、天皇の果たすべき仕事は日本国民統合の象徴として如何に祈るかにあると言って良いと思っている。
最近、誕生日を迎えられた秋篠宮様の会見では、天皇陛下の退位について“長い間考えてこられたことを、きちんとした形で示すことができた。大変よかったと思う”と話されたと言う。また“象徴としてのお務めが高齢になって果たせなくなる時が来るだろう”とお考えであり、それもかなり以前から“折々にうかがっていた”ということだった。
“象徴天皇のあり方をめぐって「天皇は存在するだけでいい」という意見があることに対し、「(陛下が)象徴がどうあるべきか模索し考えてきた結果」として被災地訪問など様々な活動をしてきた”とのことだ。ここに、今上陛下の“祈り”があるのだ。被災地訪問など様々な活動は天皇本来の“お務め”ではない。しかし、陛下が国民をいたわることも“祈り”の一つとしてお考えになり、熱心に全国を巡っておられるのだと理解できる。
天皇本来の“お務め”には、様々な宮中年中行事がある。それを暦に従い果たして行かれるのが第一。その合間に、内閣の要請による国事行為が入って来る。その中に外国要人との接見もあり、その合間で被災地訪問など様々な活動を為さっておられると理解するべきだろう。あまりにも御多忙ゆえに、御趣味の研究活動が思うようにできないとのお嘆きもあるようだ。
その第一の天皇としての宮中行事に既に厳しいものがあると聞いたことがある。例えば、11月の新嘗祭や大晦日・元旦の祈りの行事は肉体的に相当に辛いものがあるようで、高齢になればさらに辛くなるようだ。陛下御自身が弱音を吐かれたという訳ではないが、そういう点でも、定年がなく終身を要求するのは一般では考えられない事なのは当然である。
そうした極めて真面目な御姿勢に対し、ある学者が“勝手に仕事を増やしておいて、それが出来ないから退位したいというのはいささか問題だ”というような、一見合理的に見える意見を述べていた。自由な発想と発言はあって然るべきだ。しかし、陛下の真摯な“祈り”の姿勢をけなすような発言とも思え、少々情けない印象だ。
また当初は、“そんなに大変ならば、摂政を置けば良い”という一種“お気楽な”意見もあったが、どうやら陛下御自身はそれを、大変嫌っておられるようだ。昭和天皇が大正末期に摂政宮に就かれたが、これほど嫌なものはなかったとの御経験を今上陛下は伺っておられたためのようだ。また、昭和天皇の薨去直前に摂政の設置が課題にならないかとの警戒心も陛下にはあったようだ。保坂正康氏によれば、当時の軍は摂政宮では大元帥の指揮下にないためその活動は停滞し、昭和に入って活発化したのは、そうした影響ではなかったかという。この辺りのことこそは、当事者でなければ分からない話なのだろう。
兎に角、皇室と一般国民との間を的確に取り持つ人物や集団が不在であったとは、これまでの政権担当者の怠慢をそしられて然るべきではないだろうか。特に宮内庁の怠慢は酷いとしか言いようがないのではないか。民族派の学者達の先例固守の思考怠慢もはなはだしい。日本人の思考特徴の“忖度する”能力が著しく劣化しているような気もしないわけではないが、それは戦前からのものかも知れない。ならば、それに反省がなかったのも悲しいことだ。
今のところ、うかがい知る陛下の御意志に不合理な点はあるように思えず、いずれも現在の日本の在り方に沿った問題御提起であるように思える。そうであれば何にもまして、当事者である陛下の御意志を実現できる方向での課題解決が望まれる。一般国民の多くもそれを望んでいるのではないか。政府の有識者会議座長代理の御厨氏の手腕に期待せざるを得ない。
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