The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
NHK・ETV特集“市民と核兵器~ウクライナ 危機の中の対話”を見て
G7広島サミットにウクライナ大統領を招待したこと、核の使用ボタンを広島に持ち込ませたこと、また核兵器に核の抑止力を認めたのは問題であった。果たしてこれで真の反核の姿勢を示せたのか大いに疑問だという議論が一般的のようだ。
さらに、ブラジルの大統領はウクライナ問題はG7でやるべき課題ではなく国連での問題だという意味の発言をしたと言われる。だが、正に国連がこの件で機能しないからこそ、G7で代替しているのだ。世界の指導的常任理事国の1国がこのような非道を行うことそのものは、国連創設時、想定されていなかったのではないか。だから、それを補完、代替するという国際機関が必要だったのではないか。
G7開催の陰であまり話題にならなかったが、NATOの事務所が東京に開設された。これは米国一本鎗だった日本の安全保障にとって有力な補強材料になるものだ。
ところがそれに、中国が強く反発した。ということは、これを静観しなかった中国には日本に関するあからさまな強い意図があるということを示すものではないのか。
ところで今回のG7広島サミットに否定的議論をする人は、ウクライナがどういう国なのか本当に御存知なのだろうか?
ウクライナはソ連崩壊の時、折角国内にあった核弾頭1240発を放棄した国なのだ。そういう事実を無視し又知らずして、ゼレンスキー大統領を招待し反核の姿勢を示せなかったと簡単に切って捨てることはできまい。
世界の良心はそれを知っているのだ。世界の報道人もそれくらいのことは、駆け出しでない限り十分に承知なのだ。十分に知らなかったのは、私も含めてノンキで無知な日本人だけだったのではないのか?
あるウェッブ・サイトに次のようにあった。
ウクライナが1991年末にソ連から独立した時点で、ウクライナ軍は次のような編成であった。兵士780万人、戦車6500輌、戦闘車両7000輌、大砲7200門、軍艦500隻、軍用機1100機 そして1240発の核弾頭と176発の大陸間弾道ミサイルという、当時世界第三位の規模の核兵器も保有していた。
当時、米露から核兵器を放棄するようにという、脅迫に限りなく近い非常に強い圧力がかかっていた。
ウクライナの指導者達は外国の要求をすべて呑み、無条件に3年間ですべての核兵器を放棄するという決断を下してしまったのである。その見返りとして、「米英露はウクライナの領土的統一と国境の不可侵を保証する」という内容の議定書(ブダペスト覚書)*だけを発表した。
だが、議定書は国際条約ではないので、それを守る法的義務はない。実際の国際関係では、法的拘束力のある国際条約ですら守られていないことが多いという事実を踏まえれば、最初から法的拘束力のない「議定書」などが守られるはずはない。
・・・・・・
その中で、1998年に未完成の航空巡洋艦ヴァリャーグが中国に売却された件は有名である。中国側が水上カジノにし、軍事的使用はしないと約束したが、ご存知の通り、その後、船が中国で完成されて、今は中国軍の空母、遼寧として稼動している。
*ブダペスト覚書:1994年12月、米英露が署名した安全保障に関する覚書。核放棄を決め、核拡散防止条約(NPT)に加盟した旧ソ連のウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンの主権と国境について、核保有国の米英露が尊重し、脅威となることや武力行使を控えることなどを定めた。NPTで核保有が認められた残る中国、フランスは覚書に署名しなかったが、声明でウクライナの主権や領土の一体性の尊重を約束した。
このブダペスト覚書を最も無残にも踏みにじったのは御存知ロシアであり、最も利用したのは中国であり、最も忠実であろうとしているのはウクライナは勿論、英国である。だから、英国は今も最もウクライナに協力的であり支援に驚くほど積極的なのだ。英国は覚書の当事者として、それを踏みにじられ裏切られたウクライナを最も支援しているのだ。英国は外国との約束を忠実に履行する国なのだ。
英国は日英同盟の時代にも特に帝政ロシアがヨーロッパのバルチック艦隊を日本海に派遣した時、海洋帝国英国は彼らを無視することもできたが、実際には陰に陽に彼らの行動を妨害した。スエズ運河を使わせず、喜望峰経由で遠回りさせた。立ち寄り先の各港での彼らの物資調達を妨害した。だから日本海に遠路はるばる到着したころ、バルチック艦隊の乗員は大いに疲弊していたのだ。
さて、先週のNHK・ETV特集“市民と核兵器~ウクライナ 危機の中の対話”で紹介されたのだが、そこに登場したのは元米国防長官だったW.J.ペリー氏だった。その彼にウクライナ人の祖父と孫の会話の映像を見せたのだ。祖父はかつてウクライナ政府の教育相だったウラジミール・パルホメンコ、孫は16年日本で育って日本にウクライナの現状を伝えるボグダン・パルホメンコである。ボグダンは核を放棄したのは間違いだったのではないかと、祖父ウラジミールに問いかける。だがしかし、祖父は決して間違いではなかった、と断言して譲らない。
“人類の進歩につながるプロセス、平和な空を守ることを優先するべきだ。” ボグダンは何が正しいのか悩んで、様々なウクライナ人に問いかけた、その記録がこの番組だった。
元米国防長官だったW.J.ペリーは日本への原爆投下当時からそれが間違いだったのではないかと考え始めた。それから“キューバ危機を30代の若い頃に関係者の1人として間近に経験したことも、ペリーが「核無き世界」を目指すこととなった契機である。・・・(彼らの書いた)論文がオバマ大統領の「核なき世界」へとつながった。”その延長にブダペスト覚書があったし、ペリー氏はそれに大きくかかわったという。“ウクライナの非核化が世界的な非核化に向けた大きな一歩になると考えた”という。
ボグダンは友人の激戦の最前線に幾度も参加している兵士に核兵器放棄は正しかったかを問い詰めている。その兵士は“人は簡単に死ぬものだと体験して自覚した。” “戦闘中よりも朝の点呼で死への底知れぬ恐怖が沸き上がる。”と言った。そして“核兵器は欲しい”とまで言うが、驚くことに“核は持ってはならない”と断言する。何故か、“プーチンのような人間がウクライナ側から出ないとも限らない”からだと言う意味のことを言っているのだ。“ウクライナが他国の脅威になって欲しくない。それは間違いだ。”と断言しているのだ。
ボグダンは、それ以外にウクライナ人にウクライナの核の保有は必要かを問いかけてみている。すると多くのウクライナ人は“必要だ”と答えている。
しかしボグダンはさらに、リビウ住む産婦人科医の友人にも問いかけてみた。すると悲惨な戦争による様々な悲劇を体験してきた医師は“それ(核)を誰に使うのか”と反問している。“非人道をこれ以上拡大させて良いのか”というのだ。
一時はロシアがNATO加盟に前向きだった。しかし、東西ドイツが統合されドイツのNATO加盟が認められた時、NATO側諸国はこれ以上NATO加盟を東側に拡大することはない、とまでロシアに約束したにもかかわらず言に相違して、拡大を続けて、それがウクライナに至ったのだ。それをプーチンは脅威と感じたのだ。
それをペリーは“もう少し、熟慮すべきだった。”と言っている。“ロシアは取るに足らない国ではなかった。90年代苦境にあるとはいえ、もっと敬意と配慮を持って接するべきだった。”と言うのだ。
ロシアもNATOも戦術核兵器を実戦配備しているのが現状で、プーチンはいつでも使えるし、当初から使う準備はしていたと実際に語っている。
ペリーはこうした現実を前にどう感じるのか。“「核なき世界」を語っていた時、それは困難で不可能かもしれないが達成できるかもしれないと思った。だが今や大きな後退をしている。”としか言えずに沈黙してしまった。
だが、ウラジミール・パルホメンコの映像を見た時、“お会いしたかった。彼の決断は正しかった。”と気を取り直していた。
ボグダンは“核のジレンマ”それは“核を持たずに恐れない国を増やすことで乗り越えられるのではないか”と思い始めたという。しかし、そこには大きな揺るぎない“覚悟”が必要なのだ。 ウクライナのように多くの犠牲を必要とする“覚悟”ではないのか。
さて、こういうウクライナの現状を見る時、日本は一体どういう方向性を取るのが正しいのか、熟慮する必要があるのではなかろうか。それには大きな揺るぎない“覚悟”が日本人一人ひとりに持てるのか、という尊い犠牲を強いる“覚悟”なのだ。
世界が“正しくあるためには多くの犠牲が必要”なのだろうか。どれほどの犠牲が必要なのか。どこまでおバカな人類なのか。
だが、どうやら「核なき世界」を目指す人々が、世界に確実に増えているのも確かな事実ではないのか。そういう確信をこのETV特集は知らしめてくれた。それが急速に進むことを願いたい。
さらに、ブラジルの大統領はウクライナ問題はG7でやるべき課題ではなく国連での問題だという意味の発言をしたと言われる。だが、正に国連がこの件で機能しないからこそ、G7で代替しているのだ。世界の指導的常任理事国の1国がこのような非道を行うことそのものは、国連創設時、想定されていなかったのではないか。だから、それを補完、代替するという国際機関が必要だったのではないか。
G7開催の陰であまり話題にならなかったが、NATOの事務所が東京に開設された。これは米国一本鎗だった日本の安全保障にとって有力な補強材料になるものだ。
ところがそれに、中国が強く反発した。ということは、これを静観しなかった中国には日本に関するあからさまな強い意図があるということを示すものではないのか。
ところで今回のG7広島サミットに否定的議論をする人は、ウクライナがどういう国なのか本当に御存知なのだろうか?
ウクライナはソ連崩壊の時、折角国内にあった核弾頭1240発を放棄した国なのだ。そういう事実を無視し又知らずして、ゼレンスキー大統領を招待し反核の姿勢を示せなかったと簡単に切って捨てることはできまい。
世界の良心はそれを知っているのだ。世界の報道人もそれくらいのことは、駆け出しでない限り十分に承知なのだ。十分に知らなかったのは、私も含めてノンキで無知な日本人だけだったのではないのか?
あるウェッブ・サイトに次のようにあった。
ウクライナが1991年末にソ連から独立した時点で、ウクライナ軍は次のような編成であった。兵士780万人、戦車6500輌、戦闘車両7000輌、大砲7200門、軍艦500隻、軍用機1100機 そして1240発の核弾頭と176発の大陸間弾道ミサイルという、当時世界第三位の規模の核兵器も保有していた。
当時、米露から核兵器を放棄するようにという、脅迫に限りなく近い非常に強い圧力がかかっていた。
ウクライナの指導者達は外国の要求をすべて呑み、無条件に3年間ですべての核兵器を放棄するという決断を下してしまったのである。その見返りとして、「米英露はウクライナの領土的統一と国境の不可侵を保証する」という内容の議定書(ブダペスト覚書)*だけを発表した。
だが、議定書は国際条約ではないので、それを守る法的義務はない。実際の国際関係では、法的拘束力のある国際条約ですら守られていないことが多いという事実を踏まえれば、最初から法的拘束力のない「議定書」などが守られるはずはない。
・・・・・・
その中で、1998年に未完成の航空巡洋艦ヴァリャーグが中国に売却された件は有名である。中国側が水上カジノにし、軍事的使用はしないと約束したが、ご存知の通り、その後、船が中国で完成されて、今は中国軍の空母、遼寧として稼動している。
*ブダペスト覚書:1994年12月、米英露が署名した安全保障に関する覚書。核放棄を決め、核拡散防止条約(NPT)に加盟した旧ソ連のウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンの主権と国境について、核保有国の米英露が尊重し、脅威となることや武力行使を控えることなどを定めた。NPTで核保有が認められた残る中国、フランスは覚書に署名しなかったが、声明でウクライナの主権や領土の一体性の尊重を約束した。
このブダペスト覚書を最も無残にも踏みにじったのは御存知ロシアであり、最も利用したのは中国であり、最も忠実であろうとしているのはウクライナは勿論、英国である。だから、英国は今も最もウクライナに協力的であり支援に驚くほど積極的なのだ。英国は覚書の当事者として、それを踏みにじられ裏切られたウクライナを最も支援しているのだ。英国は外国との約束を忠実に履行する国なのだ。
英国は日英同盟の時代にも特に帝政ロシアがヨーロッパのバルチック艦隊を日本海に派遣した時、海洋帝国英国は彼らを無視することもできたが、実際には陰に陽に彼らの行動を妨害した。スエズ運河を使わせず、喜望峰経由で遠回りさせた。立ち寄り先の各港での彼らの物資調達を妨害した。だから日本海に遠路はるばる到着したころ、バルチック艦隊の乗員は大いに疲弊していたのだ。
さて、先週のNHK・ETV特集“市民と核兵器~ウクライナ 危機の中の対話”で紹介されたのだが、そこに登場したのは元米国防長官だったW.J.ペリー氏だった。その彼にウクライナ人の祖父と孫の会話の映像を見せたのだ。祖父はかつてウクライナ政府の教育相だったウラジミール・パルホメンコ、孫は16年日本で育って日本にウクライナの現状を伝えるボグダン・パルホメンコである。ボグダンは核を放棄したのは間違いだったのではないかと、祖父ウラジミールに問いかける。だがしかし、祖父は決して間違いではなかった、と断言して譲らない。
“人類の進歩につながるプロセス、平和な空を守ることを優先するべきだ。” ボグダンは何が正しいのか悩んで、様々なウクライナ人に問いかけた、その記録がこの番組だった。
元米国防長官だったW.J.ペリーは日本への原爆投下当時からそれが間違いだったのではないかと考え始めた。それから“キューバ危機を30代の若い頃に関係者の1人として間近に経験したことも、ペリーが「核無き世界」を目指すこととなった契機である。・・・(彼らの書いた)論文がオバマ大統領の「核なき世界」へとつながった。”その延長にブダペスト覚書があったし、ペリー氏はそれに大きくかかわったという。“ウクライナの非核化が世界的な非核化に向けた大きな一歩になると考えた”という。
ボグダンは友人の激戦の最前線に幾度も参加している兵士に核兵器放棄は正しかったかを問い詰めている。その兵士は“人は簡単に死ぬものだと体験して自覚した。” “戦闘中よりも朝の点呼で死への底知れぬ恐怖が沸き上がる。”と言った。そして“核兵器は欲しい”とまで言うが、驚くことに“核は持ってはならない”と断言する。何故か、“プーチンのような人間がウクライナ側から出ないとも限らない”からだと言う意味のことを言っているのだ。“ウクライナが他国の脅威になって欲しくない。それは間違いだ。”と断言しているのだ。
ボグダンは、それ以外にウクライナ人にウクライナの核の保有は必要かを問いかけてみている。すると多くのウクライナ人は“必要だ”と答えている。
しかしボグダンはさらに、リビウ住む産婦人科医の友人にも問いかけてみた。すると悲惨な戦争による様々な悲劇を体験してきた医師は“それ(核)を誰に使うのか”と反問している。“非人道をこれ以上拡大させて良いのか”というのだ。
一時はロシアがNATO加盟に前向きだった。しかし、東西ドイツが統合されドイツのNATO加盟が認められた時、NATO側諸国はこれ以上NATO加盟を東側に拡大することはない、とまでロシアに約束したにもかかわらず言に相違して、拡大を続けて、それがウクライナに至ったのだ。それをプーチンは脅威と感じたのだ。
それをペリーは“もう少し、熟慮すべきだった。”と言っている。“ロシアは取るに足らない国ではなかった。90年代苦境にあるとはいえ、もっと敬意と配慮を持って接するべきだった。”と言うのだ。
ロシアもNATOも戦術核兵器を実戦配備しているのが現状で、プーチンはいつでも使えるし、当初から使う準備はしていたと実際に語っている。
ペリーはこうした現実を前にどう感じるのか。“「核なき世界」を語っていた時、それは困難で不可能かもしれないが達成できるかもしれないと思った。だが今や大きな後退をしている。”としか言えずに沈黙してしまった。
だが、ウラジミール・パルホメンコの映像を見た時、“お会いしたかった。彼の決断は正しかった。”と気を取り直していた。
ボグダンは“核のジレンマ”それは“核を持たずに恐れない国を増やすことで乗り越えられるのではないか”と思い始めたという。しかし、そこには大きな揺るぎない“覚悟”が必要なのだ。 ウクライナのように多くの犠牲を必要とする“覚悟”ではないのか。
さて、こういうウクライナの現状を見る時、日本は一体どういう方向性を取るのが正しいのか、熟慮する必要があるのではなかろうか。それには大きな揺るぎない“覚悟”が日本人一人ひとりに持てるのか、という尊い犠牲を強いる“覚悟”なのだ。
世界が“正しくあるためには多くの犠牲が必要”なのだろうか。どれほどの犠牲が必要なのか。どこまでおバカな人類なのか。
だが、どうやら「核なき世界」を目指す人々が、世界に確実に増えているのも確かな事実ではないのか。そういう確信をこのETV特集は知らしめてくれた。それが急速に進むことを願いたい。
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