The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
正倉院展(第63回)鑑賞
先週、正倉院展に出かけた。古都の古来文物を 気軽に見れるという関西在住者の特権を行使したと言うことである。実は、小学生の時、正倉院の御物について国語の教科書に説明があり、秋には正倉院御物が一般に開放されると授業で教えられてはいたのだが、とうとう今にいたるまで見に行く機会がなかったのだ。つまり、“毎年秋、宝庫の勅封が解かれて宝物の点検、調査が行われ、それにあわせて正倉院展が開催”されるのである。しかし、秋は学生時代は春休や夏休のような特別な休日がなく、或いは 社会人になってもタイミングの良い出張がなければ、見ることはできないという事情があった。それに私の従事した業種では奈良にはビジネスがほとんどなく、奈良市内に出張した経験はこれまでなかった。このような状況ではヒョッとして、このままでは、生涯見ることもなく終わる可能性が出てきたので、内心焦りつつ出掛けたというのが深層心理であった。
今回は、残念ながら文化財であるため展示物の写真を ここに掲載することはできず、実感に乏しい報告になるがお許しいただきたい。今年の出展物はパンフレットによれば、62点。目ぼしいものは、歴史上有名な香木である蘭奢待(らんじゃたい)、赤銅柄香炉、佐波理合子、金銀鈿荘唐大刀、碧地金銀絵箱、伎楽面・酔胡王、十二支八卦背円鏡、東大寺山界四至図、正倉院からの出蔵帳などの文献、染色した布類であった。つまり、“香に関連する物品、東大寺金堂鎮壇具と関連ある宝物、染めの技法を用いた染織品が多く出陳されている”ということである。
会場は奈良国立博物館である。神戸から 阪神・近鉄の快速急行に乗り、朝9時前に近鉄奈良駅着。地下駅から出てそのまま東へひたすら進む。無粋な横断陸橋ではなく、地下に作られた緩やかな傾斜の横断路を過ぎると右手に博物館の表示が出てくる。そのまま 入場券を購入して博物館の入口に並ぶ。今や 何処に行っても大勢のお年寄りであふれている。最近 私はそのような場所ばかりに行っているような印象だ。
朝一であったにもかかわらず、また毎年開催ということにもかかわらず、結構入場者が列をなして、大勢なのには驚きである。鑑賞には2時間程度を予定していたが、この混雑では大丈夫だろうかと不安に思うほどであった。
さて、いよいよ展示会場に入る。入場者はいずれも張り切っているのか、混雑はピーク状態で可也ウンザリ。ここに入って先ず見れるのは伎楽面・酔胡王。伎楽面は能面と異なるのか、頭からすっぽりかぶるようになっている。いわば、かぶりものの原型だろうか。表情は 誇張があるのだろうが滑稽な印象。
次に、ひときわ人だかりしていたのは、日本史上有名な黄熟香・蘭奢待(らんじゃたい)である。現物は 得体の知れない形状で中が空洞の流木イメージ。歴史上、これから木片を切り取って香として炷いて楽しんだのは、足利義政、織田信長、明治天皇との説明があり、現物にはどの部分を切り取ったのか表示がなされている。家康も 切り取った人物として名があがったとのことだが、今は実際にはやっていないと考えられているらしい。その切り取られた部分を見ると、歴史上のイメージからは信長が一番大きいと思うべきかも知れぬが、それが何となく一番小さいように見える。ちなみに、一番大きいのは これも意外 明治天皇であった。この史実は知らなかったが明治期のどのタイミングで切り取られたのであろうか。
しかし、こういう香木の存在というものは 宝物としてはわずらわしい存在ではないだろうか。香木とは、実際に香として炷いて楽しむためにあるのだが、それを珍重して使わずに宝物として保管・保存しておくだけでは その存在価値はない。そのままでは、いずれ朽ち果てるだけではないか。事実 今回展示されている布類はいずれも慎重に保存されてきたにもかかわらず、その本来の姿から程遠い劣化状態となっている。一体、どうすれば良いのか。レア物のワインと同じようなもので ただ煩わしいだけの存在だ。合理性と傲慢さの中で信長は 恐らく そう うそぶいて切り取らせ、費消したのかも知れない。ならばもっと大きく切り取るべきではなかったか・・・・。
会場の説明文には、この蘭奢待には隠し文字があるとあった。すなわち 各文字に東大寺の文字が隠されているとのこと。しかし、一体 それはどういうことを意味するのだろうか。東大寺の所有物であることを意味するためなのか、よく分からない。こういった宝物に歴史上のエピソード満載で、それらの存在に厚みと深みを備えることになるのだろうか。
次に 聖武天皇の遺愛品のコーナー。そこで目立つのが金銀鈿荘唐大刀。これだけは、特別に簡単な縄張りによって鑑賞用通路が設定されていた。もっとも 会場ではその縄張りの後ろからでも見えるので、そうしても良いという意味のアナウンスをしきりにやっていた。なんとか、入場者を適当に捌いてしまいたい意図丸出しで若干不興。
太刀ではなく“大刀”の表示にはどういう意味があるのだろうか、浅学にして知らない。“大刀”とあるが、平安期以降登場する日本刀とは異なるつくりで反身なく、直刃であり、名の通り唐・中国製の刀剣であろう。当然、波紋もなく、鏡のような光沢も乏しく、切っ先は剣の印象。パンフレットの写真の通り、柄や、鞘のつくりは凝ったものであり、儀式用の飾り太刀であろうか。解説文には“当初、正倉院に刀は100本あったと見られるが、大半は戦に持ち出されて戻っていない”とある。
それに関連してか、昨年見つかって話題になった“陽剣”と“陰剣”が持ち出されたという記録の出蔵帳の展示もあった。
あとは様々な記録文献があった。これら記録文献はいずれも楷書で丁寧に書かれていて、生々しい退勤届などに妙に感動する。その後、十二支八卦背円鏡とその収蔵箱等の展示があって、出口の降下階段となっていた。
ここまで来て、気が付くと意外にも1時間強しか時間を要していなかった。そこで、そのまま博物館を出ず、地下に入ってミュージアム・ショップを廻って、販売物品を見た。正倉院を紹介した書籍もあったが、残念ながら私のレベルに合う適当なものは無くオビ・タスキだった。土産の物色むなしく、パネル展示・学習コーナーの仏像の構造や成り立ちの解説パネルを見て、地上へ出る。
博物館から来た道を戻り、近鉄奈良駅へ。そこから昼食に南下して商店街へ入る。食ログで予め調べていた店に行く。正午には未だ時間はあり、開店早々だったが親子丼と汁蕎麦セットを食べる。食ログでは 丼物と蕎麦で検索してみて、この店しかなかったのだったが、残念ながら親子丼は評価できるが、蕎麦はほとんど何ということはない。店頭に並べてあった、作り物サンプルの蕎麦が 何だかいい加減だったのは、そういうことだったのか、と妙に納得。この店、後で調べると地元の店ではなく兵庫県下を拠点にするチェーン店だったようだ。こういう時は できるだけ、地元の人がやっている店に行きたいと思っているのだが、意図とは違ってしまった。このところハズレが多いが、まぁ仕方がない。
その後、直ちに帰阪して午後の予定へ向かう。
今回は、残念ながら文化財であるため展示物の写真を ここに掲載することはできず、実感に乏しい報告になるがお許しいただきたい。今年の出展物はパンフレットによれば、62点。目ぼしいものは、歴史上有名な香木である蘭奢待(らんじゃたい)、赤銅柄香炉、佐波理合子、金銀鈿荘唐大刀、碧地金銀絵箱、伎楽面・酔胡王、十二支八卦背円鏡、東大寺山界四至図、正倉院からの出蔵帳などの文献、染色した布類であった。つまり、“香に関連する物品、東大寺金堂鎮壇具と関連ある宝物、染めの技法を用いた染織品が多く出陳されている”ということである。
会場は奈良国立博物館である。神戸から 阪神・近鉄の快速急行に乗り、朝9時前に近鉄奈良駅着。地下駅から出てそのまま東へひたすら進む。無粋な横断陸橋ではなく、地下に作られた緩やかな傾斜の横断路を過ぎると右手に博物館の表示が出てくる。そのまま 入場券を購入して博物館の入口に並ぶ。今や 何処に行っても大勢のお年寄りであふれている。最近 私はそのような場所ばかりに行っているような印象だ。
朝一であったにもかかわらず、また毎年開催ということにもかかわらず、結構入場者が列をなして、大勢なのには驚きである。鑑賞には2時間程度を予定していたが、この混雑では大丈夫だろうかと不安に思うほどであった。
さて、いよいよ展示会場に入る。入場者はいずれも張り切っているのか、混雑はピーク状態で可也ウンザリ。ここに入って先ず見れるのは伎楽面・酔胡王。伎楽面は能面と異なるのか、頭からすっぽりかぶるようになっている。いわば、かぶりものの原型だろうか。表情は 誇張があるのだろうが滑稽な印象。
次に、ひときわ人だかりしていたのは、日本史上有名な黄熟香・蘭奢待(らんじゃたい)である。現物は 得体の知れない形状で中が空洞の流木イメージ。歴史上、これから木片を切り取って香として炷いて楽しんだのは、足利義政、織田信長、明治天皇との説明があり、現物にはどの部分を切り取ったのか表示がなされている。家康も 切り取った人物として名があがったとのことだが、今は実際にはやっていないと考えられているらしい。その切り取られた部分を見ると、歴史上のイメージからは信長が一番大きいと思うべきかも知れぬが、それが何となく一番小さいように見える。ちなみに、一番大きいのは これも意外 明治天皇であった。この史実は知らなかったが明治期のどのタイミングで切り取られたのであろうか。
しかし、こういう香木の存在というものは 宝物としてはわずらわしい存在ではないだろうか。香木とは、実際に香として炷いて楽しむためにあるのだが、それを珍重して使わずに宝物として保管・保存しておくだけでは その存在価値はない。そのままでは、いずれ朽ち果てるだけではないか。事実 今回展示されている布類はいずれも慎重に保存されてきたにもかかわらず、その本来の姿から程遠い劣化状態となっている。一体、どうすれば良いのか。レア物のワインと同じようなもので ただ煩わしいだけの存在だ。合理性と傲慢さの中で信長は 恐らく そう うそぶいて切り取らせ、費消したのかも知れない。ならばもっと大きく切り取るべきではなかったか・・・・。
会場の説明文には、この蘭奢待には隠し文字があるとあった。すなわち 各文字に東大寺の文字が隠されているとのこと。しかし、一体 それはどういうことを意味するのだろうか。東大寺の所有物であることを意味するためなのか、よく分からない。こういった宝物に歴史上のエピソード満載で、それらの存在に厚みと深みを備えることになるのだろうか。
次に 聖武天皇の遺愛品のコーナー。そこで目立つのが金銀鈿荘唐大刀。これだけは、特別に簡単な縄張りによって鑑賞用通路が設定されていた。もっとも 会場ではその縄張りの後ろからでも見えるので、そうしても良いという意味のアナウンスをしきりにやっていた。なんとか、入場者を適当に捌いてしまいたい意図丸出しで若干不興。
太刀ではなく“大刀”の表示にはどういう意味があるのだろうか、浅学にして知らない。“大刀”とあるが、平安期以降登場する日本刀とは異なるつくりで反身なく、直刃であり、名の通り唐・中国製の刀剣であろう。当然、波紋もなく、鏡のような光沢も乏しく、切っ先は剣の印象。パンフレットの写真の通り、柄や、鞘のつくりは凝ったものであり、儀式用の飾り太刀であろうか。解説文には“当初、正倉院に刀は100本あったと見られるが、大半は戦に持ち出されて戻っていない”とある。
それに関連してか、昨年見つかって話題になった“陽剣”と“陰剣”が持ち出されたという記録の出蔵帳の展示もあった。
あとは様々な記録文献があった。これら記録文献はいずれも楷書で丁寧に書かれていて、生々しい退勤届などに妙に感動する。その後、十二支八卦背円鏡とその収蔵箱等の展示があって、出口の降下階段となっていた。
ここまで来て、気が付くと意外にも1時間強しか時間を要していなかった。そこで、そのまま博物館を出ず、地下に入ってミュージアム・ショップを廻って、販売物品を見た。正倉院を紹介した書籍もあったが、残念ながら私のレベルに合う適当なものは無くオビ・タスキだった。土産の物色むなしく、パネル展示・学習コーナーの仏像の構造や成り立ちの解説パネルを見て、地上へ出る。
博物館から来た道を戻り、近鉄奈良駅へ。そこから昼食に南下して商店街へ入る。食ログで予め調べていた店に行く。正午には未だ時間はあり、開店早々だったが親子丼と汁蕎麦セットを食べる。食ログでは 丼物と蕎麦で検索してみて、この店しかなかったのだったが、残念ながら親子丼は評価できるが、蕎麦はほとんど何ということはない。店頭に並べてあった、作り物サンプルの蕎麦が 何だかいい加減だったのは、そういうことだったのか、と妙に納得。この店、後で調べると地元の店ではなく兵庫県下を拠点にするチェーン店だったようだ。こういう時は できるだけ、地元の人がやっている店に行きたいと思っているのだが、意図とは違ってしまった。このところハズレが多いが、まぁ仕方がない。
その後、直ちに帰阪して午後の予定へ向かう。
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