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高杉良著“亡国から再生へ”を読んで

また読後感想で恐縮です。小説家・高杉良氏の“亡国から再生へ”という本です。
高杉良氏といえば 城山三郎、清水一行の両氏に続く 経済小説の第一人者にして、剛直漢。私は未だ読んでいないのですが、あの“金融腐食列島”の作者です。
この硬骨漢の著書、何気なく書店でパラパラみていると フト あの“骨太方針”の竹中平蔵元大臣への 激しい非難の言葉が 次々と目に飛び込んで来たのでした。私も 竹中氏のやり方や政策には 違和感があったのと、根拠のある“激しい言葉” は 生来大好きだったので、この本もまた 思わず買い込んでしまったものです。それまで高杉氏が 竹中氏を ズーッと批判していたなどとは、全く知りませんでした。

さて、これまでも 様々な人々が日本というか日本人の劣化状況を嘆いているのを読んで来たのですが、この本も まずは“第1章 倫理なきトップ” に 日本の選良たる人々の劣化現象の指摘から始まっています。
論難対象は 堀江貴文元ライブドア社長ことホリエモンから始まって 彼と争った日枝久フジテレビ会長、元経団連会長・新日本製鉄社長の斎藤英四郎氏、日銀総裁・福井俊彦氏、安倍前首相、石原慎太郎都知事、日本生命の宇野郁夫会長、岡本圀衛社長、永原功北陸電力社長、日本郵政・西川善文社長、三洋電機・野中ともよ会長 と続くのです。
そして本の終わりに突然、オリックスの宮内義彦会長も批判対象として登場しています。

田原総一朗氏へも高杉氏の批判は集中しています。 “『サンデープロジェクト』は、強きを助け弱きをくじく田原氏の政治権力への迎合ぶりが目にあまる”と言っているのです。ちなみに 田原氏の振る舞い関しては これまで読んできた本では、小林興起氏、榊原英資氏も 不快感を持っている。だが どうやら田原氏自身は気にしていない風に見えます。
高杉氏は さらに別の箇所でも “田原氏は自分ひとりで3人の首相(橋本、小渕、森各氏)*を辞任に追い込んだつもりになっている。そんなことが、どこを突いたら出てくるのか。私は、この田原氏の独善ぶり、増長ぶりに「バカに付けるクスリはない」という言葉を進呈したいと思った。” と 書いています。高杉氏は余程、田原氏とウマが合わないのでしょうか。

*私は 宮沢氏も田原氏が辞任に追い込んだ一人と見ていますが、この点高杉氏の思い違いではないか。

それから、あのホリエモンについては 私も当初完璧に見誤っていました。村上世彰氏については 当初から胡散臭い印象はあったのですが、ホリエモンには期待する面があったのです。それは 何よりもホリエモンが 選んだ相手が 大体において怪しい人々に見えたからです。“敵の敵は味方”と 単純に思い込んでしまったところがあります。この点は 小泉氏に対する感覚と 全く同じ でした。
ところが、高杉氏は さすがにホリエモンを当初から 怪しいと睨んでいたようです。
ホリエモン登場の頃、私は関東方面出張することがあり、佐倉在住の大学時代の旧友と会い、ホリエモンの活躍に気分良く乾杯したものでしたが、その翌日 別の知人の雪谷の粋人に会ったのですが、とんでもないインチキ野郎だと いつになく喝破されてビックリした経験がありました。我ら理系出身者とは違い、金融センスのある人には 彼がグリーン・メーラーであると早期に見破れたものだったらしいのです。
これも一つのきっかけで、どうも 私には人を見抜く力は 大いに欠けているところが 有るのだと その時以来 自信を喪失するようになったものです。

経済人の次が政治家への批判。安倍前首相の辞任劇と、そこに至るまでの安倍政治への非難。
次が竹中平蔵氏。同氏には どこか下品なムードが漂っていると私も感じています。そして木村剛氏。お二人並んで出演した、先日の 田原氏のサンプロは 確かに見るに耐えない印象でした。
これら批判の結果としての小泉政治・政策への批判があります。

そしてマスコミへの批判。まず、その代表として 田原氏を繰り返し槍玉にしています。
中には 中坊公平氏についても非難言及。この点でも 私は人を見る目が無かったのでしょうか。人を見極めることの難しさ、特に マスコミを通してしか知りえない 一般人にとっては、安易に 人を評価することはできないと、痛感する次第です。
日経新聞との 高杉氏ご本人の係争に絡んで、日経の鶴田卓彦元社長への批判も登場します。

この本で 無条件に 高杉氏が 尊敬の念を抱いているのは 作家では城山三郎氏、銀行家の中山素平氏です。西村正雄氏もその中に入ります。そして、中山氏も西村氏も 旧興銀の人です。実は、高杉氏は 興銀大好き人間。これを見て、一時は 私も我が意を得たりと 快哉したこともあったものですが・・・。
それから、ホリエモンの対極としての亀井静香氏への良い印象。郵政民営化反対の平沼氏も同じ。小林興起氏に至っては、このブログでも紹介した“主権在米経済”を“国民必読の書”と持ち上げています。

高杉氏の小説は “もちろん読み手によってさまざまだろうが、サラリーマン生活への意欲を高めたいときに読むのが一等いい。一気にガツガツ」と読む。それがしばしば特効薬みたいな効能がある。”という ある書評の一節を ご自身が紹介しているのが面白い印象。
その前には “金融腐食列島” で 竹下元首相の闇資金について書いたことを あの田原氏に“「体を張って書いている」と褒め言葉をもらい、作家冥利に尽きると思った。” とまで書いていますが・・・。
高杉氏は ナルシストなのでしょうか。

最後には “おカネよりモノが人間を幸せにするということだ。モノそのものでなく、ものづくりをする、つまり、なにかを創造していくという喜びが人生では大切なのではないか。”と言って、この本の最後に 元証券マンの神田光三氏のチョコレート職人への転進話を紹介しています。しかし、同氏の小説で“ものづくり”の人を主人公にした小説は多くなく、“思い”と実際の活動が 乖離しており、このようなコメントは 取って付けたような気分にさせられます。それとも、高杉氏は 金融関係者の小説に力を入れて書いていて、最近 逆に “ものづくりの大切さ”に気がついたということなのでしょうか。ならば、そう書くべきだろうと思うのですが・・・。

この本は、読み終わってみて、現代 日本の 著名人への批判ばかりが 印象に残って ポジティブな感覚になれないのが 残念です。高杉氏の “著名人好き嫌いリスト”とも呼べる内容です。もう少し、“現代日本に良い人材を得るためには こうあるべきだが それはこういう理由があってそうならないのだ。だから・・・” と 言ったような議論を この本に書いて欲しかったように思うのです。そういう姿勢が この本の表題にはふさわしい、と。

最近 私は このことに関して 幕末期に大勢の志士を輩出し、多くの犠牲を乗り越えてなお高潔な人材の豊富さに恵まれたのは 江戸時代全体を通じて、漢籍の教養を重ねたためではないかと 思っています。戦国時代の激しい切磋琢磨を経て、江戸期に入って 落ち着いて漢籍の研究が盛んになり、藩政改革のバックボーンになったようなところもある。それが幕末に開花したイメージです。明治期に入ってもなお 漢籍のあふれんばかりの教養が日本の近代化を 驚異的な速度で実現したのではないかと。様々な翻訳漢語を 本場中国に先駆けて一般化して行ったのは 漢籍をベースにした層の厚い教養人だったのではないかと思うのです。
そして、あの明治維新が 他のアジア諸国の困難と比べて、どれだけ現代日本の幸いを支えていることでしょうか。
漢籍の何が 意義深いのか、それを具体的に指摘できないのですが、主に倫理的側面でしょうか。戦後教育を受けた 私にもその部分では大いに欠けるところがあるのは 多少自覚するところがあります。その結果としてなのか、一部の人に見られる無批判の対米追随姿勢には 辟易します。そういった感覚が 今度は 逆に 妙な“武士道”への反動的回帰の世相となっているのかも知れません。
こういう仮説は どのようにすれば証明できるのでしょうか、或いは 既に そのことを立証している人が居られるのでしょうか。

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