The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
審査時の受審組織の主体性
いわゆる第三者監査*においては 審査会社によって、また 審査員によって、審査に臨む姿勢は 全く異なるのが 実情ではないかと 思われます。この時点での受審側の 姿勢が大切になってきます。
*監査の種類。第一者は 内部監査。第二者は 購買先の信頼性を見る監査。第三者は 審査会社などの第三者によって行なわれる監査で、自分自身の信頼性を第三者によって証明してもらうために実施。“審査”と呼ばれる場合が多い。また“証明書”を発行するような監査を“審査”と呼ぶ、としている場合もある。
ある審査会社の審査員から聞いた 話です。
「審査員には 審査対象の会社の状況は 完璧に理解している訳でもないし、短時間で理解できるものではありません。もし 該当するビジネスに不案内な部外者が 曖昧に踏み込んだ指摘をした場合、概ね 実はその会社のためにはならないのではないか・・・。
受審側としては、一旦は 審査員の指摘が 理不尽と思えば、規格に 則って蹴飛ばしてみることです。そして その後冷静になってみて指摘されているのを放置したままでは 問題あるかもしれない、と思えば その時に皆と相談のうえ、是正するべきでしょう。その方が 素直に身につくのではないでしょうか。このような“気付かせる審査” が 大切。」
と言っておられました。また別の機会には
「審査員は、被審査会社の “規格に適う行為を見出す” のが仕事である。」
とも言っておられました。
審査員は 客観性・中立性が要求されます。そのため、もし その会社に関係した人が居れば その人は 外すのが真っ当な審査会社のすることとされています。ですから 審査員は 予断と偏見なく、その会社を審査できるのです。これが 第三者監査と言われる所以です。ですから、審査員は その会社を実は良く知らないのです。その会社の業務の複雑さ、勘所などは全く知らずに審査しています。なので 時として 言い過ぎること(過大な要求)があります。これを どう受けとめるかは 被審査側の問題になるのです。ですから 一旦“規格に 則って蹴飛ばしてみること”に繋がります。受審側が、この辺で 妥協するために、誤解が生じ易いのです。“ISOマネジメントは 過大な要求をする”と。
“ISOマネジメントは それを行なう 実施者の主体性”が 強く求められるのです。審査員指摘を 蹴飛ばすのも、受け入れるのも 被審査者の主体的判断です。これは 規格要求事項の 全てに言えることです。絶えず 規格要求事項を どの程度実施するのかの 自問自答なのです。そして 自分は どういう方向に会社を持って行きたいのかの イメージが明確でなければ その判断はできないことになります。経営者の会社の理想イメージと 確信が 具体的に必要です。つまりは、方針や目標です。
“エクセレント・カンパニー”で言う “自主性と企業家精神”,“価値観に基づく実践” と言ったところでしょうか。(http://www.eijipress.co.jp/guide/0307.php)いや、むしろ “ビジョナリー・カンパニー”であるべきなのでしょうか。(私は 読みかけて放ったらにしている本です。ややビジョンの影響力を過大にみているフシはあるように思いますが・・・・。http://bpstore.nikkeibp.co.jp/item/main/148227403150.html)
*監査の種類。第一者は 内部監査。第二者は 購買先の信頼性を見る監査。第三者は 審査会社などの第三者によって行なわれる監査で、自分自身の信頼性を第三者によって証明してもらうために実施。“審査”と呼ばれる場合が多い。また“証明書”を発行するような監査を“審査”と呼ぶ、としている場合もある。
ある審査会社の審査員から聞いた 話です。
「審査員には 審査対象の会社の状況は 完璧に理解している訳でもないし、短時間で理解できるものではありません。もし 該当するビジネスに不案内な部外者が 曖昧に踏み込んだ指摘をした場合、概ね 実はその会社のためにはならないのではないか・・・。
受審側としては、一旦は 審査員の指摘が 理不尽と思えば、規格に 則って蹴飛ばしてみることです。そして その後冷静になってみて指摘されているのを放置したままでは 問題あるかもしれない、と思えば その時に皆と相談のうえ、是正するべきでしょう。その方が 素直に身につくのではないでしょうか。このような“気付かせる審査” が 大切。」
と言っておられました。また別の機会には
「審査員は、被審査会社の “規格に適う行為を見出す” のが仕事である。」
とも言っておられました。
審査員は 客観性・中立性が要求されます。そのため、もし その会社に関係した人が居れば その人は 外すのが真っ当な審査会社のすることとされています。ですから 審査員は 予断と偏見なく、その会社を審査できるのです。これが 第三者監査と言われる所以です。ですから、審査員は その会社を実は良く知らないのです。その会社の業務の複雑さ、勘所などは全く知らずに審査しています。なので 時として 言い過ぎること(過大な要求)があります。これを どう受けとめるかは 被審査側の問題になるのです。ですから 一旦“規格に 則って蹴飛ばしてみること”に繋がります。受審側が、この辺で 妥協するために、誤解が生じ易いのです。“ISOマネジメントは 過大な要求をする”と。
“ISOマネジメントは それを行なう 実施者の主体性”が 強く求められるのです。審査員指摘を 蹴飛ばすのも、受け入れるのも 被審査者の主体的判断です。これは 規格要求事項の 全てに言えることです。絶えず 規格要求事項を どの程度実施するのかの 自問自答なのです。そして 自分は どういう方向に会社を持って行きたいのかの イメージが明確でなければ その判断はできないことになります。経営者の会社の理想イメージと 確信が 具体的に必要です。つまりは、方針や目標です。
“エクセレント・カンパニー”で言う “自主性と企業家精神”,“価値観に基づく実践” と言ったところでしょうか。(http://www.eijipress.co.jp/guide/0307.php)いや、むしろ “ビジョナリー・カンパニー”であるべきなのでしょうか。(私は 読みかけて放ったらにしている本です。ややビジョンの影響力を過大にみているフシはあるように思いますが・・・・。http://bpstore.nikkeibp.co.jp/item/main/148227403150.html)
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