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A happy new era!

天皇の御譲位があり、長期の休みとなった。
休みが長期になることでマーケットの急変に対応できなくなるとの心配があったが、どうやらその懸念には及ばなかったようだ。そこから先がどうなるか、前回言ったように剣が峰に近付きつつあるという立ち位置の私としては高みの見物か。

あまりにもしつこいかも知れないが、新元号の英訳は、“beautiful harmony(美しい調和)”だそうだが、もしそうならば“麗和”の英訳であって然るべきではないか。ここは海外の報道機関の紹介の “order&peace(命令と和)”が、素直な英訳ではないだろうか。しかし、それではあまりにも明け透けなので、“beautiful harmony”で誤魔化したというのが本音だろう。私はあくまでも前回言ったように“zero-sum”だと思ってはいるが・・・。

私自身はつまらない事に五十肩にいきなり襲われたが、休みの整骨院も多かったので、首をすくめて過ごさざるを得なかった。一時は仰向けに横たわるのが痛くてたまらないため、十分に眠れずに辛くたまらなかった。
そこで、外出せずテレビにかじりつくことになる。この月末月初のテレビ番組は何やら年末年始の様相。しかし年賀状書きや大掃除が無いのが、仕合せ。
当然だが皇室の儀式の中継を中心に皇室関連番組も非常に多かった。ここで耳障りだったのが最近のアナウンサーの敬語使いの酷さだった。特に実況中継に出た女子アナが“ここを天皇陛下が車で通るのですが、それを一般の方が大勢見に来て待って居られます。”と言ったのには仰天した。もっと緊張して言葉を選ぶべきだ。

このように最近、敬語を含めて日本人の言葉遣いがいい加減になってきている。国民栄誉賞受賞の元プロ野球選手M氏が未だ若い頃“N監督が~してくれました。”と嬉しげに記者団に語っていたのに驚いて以来、一般も含めてスポーツ人の敬語づかいが変わってきたように感じている。
取り分け、試合が終わって活躍した選手がインタビューで“応援に来てくれてありがとう!”という表現が普通になって来ている。この表現、先の東京オリンピックで昭和天皇が開会宣言か挨拶で、見に来た人々に“来てくれて、ありがとう。”と言われたのと同じだ。日本には“天皇より「偉い人」は居ない”ので、当然の表現だと当時感じていた。その頃はどんなに偉大な選手でも“応援に来て頂いて、ありがとうございます。”と言うのが普通だった。
最近は、高校生のスポーツ選手が“皆さんに、感動を与えたい!”と平気で言うようになって来ている。我々一般人は才能ある高校生から“感動を頂戴する存在”なのだろうか。
子供の頃、“敬語の使い方でオツムの程度が分かる”と言われて、高校入試にも度々出題対象になっていた記憶がある。勿論、面接等でもその点は観察されていたはずだ。しかし、最近の風潮としてこの点がいい加減になってきている。在京キィ局の女子アナが相当な競争の中をくぐり抜けた挙句に、あんな言葉づかいとは、呆れるばかりなのだ。まさか外見だけで放送局側が選んでいる訳ではあるまい。

この間、今危機に瀕する皇統に関する知識を若干得ることができた。そこでは、どうにも日本の右派の人々の知恵のなさに呆れるばかりだった。皇統の男系男子に固執するのにどんなに合理的な意味・意義があるのか、知りたかったのだ。しかし特に驚いたのは、テレビのある討論番組で皇統の男系男子を固守することによって、皇統が絶えることがあっても“それは仕方ないこと”と主張したことである。これでは最早、論理破綻極まれりではないか。何が本質で目的なのか、そのための手段が何なのか、全く理解していない人の破滅する議論である。
翻って政府は2005年に“皇室典範に関する有識者会議報告書”を仕上げている。それによれば“我々は、古代から世襲により連綿と受け継がれてきた天皇の制度が、将来にわたって、安定的に維持されることが何よりも重要であり、また、それが多くの国民の願い”である。しかしながら“我が国社会の少子化といった状況の中で、古来続いてきた皇位の男系継承を安定的に維持することは極めて困難であり、皇位継承資格を女子や女系の皇族に拡大することが必要であるとの判断に達した。”とある。
これは小泉政権の時であり、当時の小泉首相がこれを国会に提出して皇室典範改正に取組もうとしたとき、それを阻んだのが現首相で当時官房長官だった安倍氏だという。その理由は“紀子様御懐妊中で御子様が男子の場合、継承資格を奪ってしまって良いのか。下手すれば叔父と甥で争った壬申の乱が起きる。”と言う意味のことを言ったらしい。今、そんな時代か、と突っ込みたくなる発言だったが、小泉氏は法案提出を断念した、という。その後、今まで何ら皇統維持のための動きはなく、とうとう成人の皇位継承者2名という有様なのだ。
このオバカ具申によって、皇統の不安定化に大きく寄与したのだ。その後上皇様は相当お悩みになったものと容易に想像できる。なぜこんな馬鹿が民族派と言えるのか。そしてその後も首相に据えたのだろうか。嘆かわしい次第だ。
男系男子の固守は男尊女卑の思想から来ているとしか思えない。この男尊女卑はデモクラシーの基本である多様性に根本からもとる。それに見事な論を展開する右派の女性論客や政治家が居られるが、彼女等は男性の議論を尊重するのだろうか。日本の右派の人々に冷静で論理的な言行一致を求めたい。その際、特例を設けて論理を誤魔化すのは止めて欲しく、一貫した論理で話して欲しいものだ。令和の冷静を希求したい。

さて、令和がどんな時代になるのか、予想する番組も多かった印象だ。“これから経済で大きくなるよりも、もっと違った面で活躍する社会になって欲しい。”等とノタマウ意見も聞かれたが、これは負け犬発言だ。国力の源泉は経済力にある。日本の経済がかつてほどの活気が得られそうにないから、そんな風に逃げたのかもしれぬが、経済力無しに文化的発展も望めないことを覚悟するべきだ。
経済発展での競争で中国に負ければ、やがて日本は中国に飲み込まれることを覚悟するべきだ。米国は御承知の通り、世界の警察官たることを止めつつある。日本に経済力があるからこそ、米国も防衛協力したい価値が生まれるのだ、と考えるべきではないか。

日本の経済が何故平成で発展しなかったのか。財界が何事も政府頼みではなかったか。平成以前から政府頼みで、東京に続々と本社を移して行った。そして東京一極集中は進んでいった。首都に企業の本社が集中するのは世界的に珍しいと聞く。どのような国でも、政治の中心と経済の中心は違うと聞く。政府の補助金や特権を得ようと政権の顔色を伺うには首都に本社を移転することが有利である。
これでは、民間活力は生まれない。民間は独立自尊でなければならない。そして自ら考え工夫し、様々なことに対処しなければならない。それを政府頼みでは発展が無い。
私は日本が5Gに出遅れたのは、この民間の政府頼みの姿勢が生んだ結果ではないかと見ている。5G関連で日本のどのような企業が挙がっているのか探してみても、“アンリツ”くらいしかない。どうもインターネット、携帯電話関連産業では工夫がなかったようだ。携帯では不細工にもガラパゴス化して、その後停滞してしまった。この段階で政府頼みしても、何の技術進展がなかったのだ。官僚からはノー・アイデアだったのだろう。どんな天才でも他人の事業の詳細まで見極めることはできまい。その上、最近の官僚の劣化は甚だしい。
その間、米国のFANG、GAFAとか呼ばれる企業群、中国のファーウェイ、テンセント、アリババ等の台頭があったが、日本企業の革新・発展は全く見られなかった。ここでの出遅れが致命傷でないことを祈りたい。

“正解のない時代”をどう生き抜くか。それは自立自尊、自ら考えなければ誰も答えを出してはくれない。自分の将来を自分で熟考して決めること、それがなければ誰も自分にとって分かり易い回答を出すことはできない。
それにも拘わらず、“他所はどうしているか”意識が市井に蔓延しているような気がする。私は環境マネジメント・システム審査をしているが、教育機関の開発・研究をサポートする部門の審査の中で同じような質問を受けて、非常に驚いたものだ。子供たちに“考えること”を習慣づける躾をするべき所が、自らの思考を放棄している姿勢を感じたのだ。日本の教育機関の精神が異様に劣化しているように感じられたのだ。
自らの将来は自ら考えなければ、他人からもらった“答え”にはその他人に利用されるための仕掛けが含まれているという現実を噛みしめる必要がある。日本の産業界はいつも、その他人(外国)からもらった“答え”にしがみついているような気がする。こうして日本人は嬉々として体よく搾取されているのではないか。
“皆さん、そうなさっています。”の台詞に弱い日本人から もうそろそろ脱却したいものだ。日本政府がオバカ・オ人好シなのではなく、日本人自身がそうなのだと自覚するべきだ。令和はそういう時代になって欲しい。

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