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竹原観光

我等がN高T大御出身のコロナ対策担当御大臣様。これまで“最大限の緊張感を持って注視している。”の決まり文句から御卒業なさった、と思いきや、とんでもない御発言だったことに総顰蹙。“利権獲得方法”ばかりを“お勉強”していたとのではないかと前回指摘したつもりだったが、今週になるとその利権の源泉を“爆撃したようなもの”との指摘が、ベテランの政治ジャーナリストからあった。私もそのジャーナリストの発言をTVで見ていたが、実に情ない表情の苦笑いだった。アホアホ過ぎて、何が利権なのかすら、最早分かっていないのに呆れかえる。政権のトップはあくまで聞いていないととぼけるが、政権内で検討した結果なのは明らかだ。検討したのにそれが利権の源泉とは気付かない、アホアホ!

こんなアホアホ政権の下でも、それでも倒閣運動が起きない、それでも内閣を支持する国民は4分の一以上はいるようだ、日本中がシラケている。
だからであろうか、あの“ボッタくり男爵”は足元を見て好き放題。傲岸にも“有観客ゲーム”にするよう政権のアホアホ・トップに言ったり、日本に来ていながら“中国”との発言を連発したり、ついにはヒロシマに大名旅行をしたという。県境を跨いだ移動は、公人であればあるほど自粛するべきところ。目的外行動ならば私費での“お忍び”旅行が当然ではないか。 あくまでも“いい人”ぶってはいるが、やっぱり利権の塊の御仁のようだ。

このままでは東京五輪で何が起きるかわからない。“国内外で指摘され続けている「ウイルスの祭典」がいよいよ本格化しつつある。”との指摘は十分な可能性であり、その後も五輪関係者の感染拡大報道が続々
その上、様々なテロも想定されるという。暴力的テロは勿論、サイバー・テロも有り得ると予測する向きがある。現に、組織委に昨年既に侵入されているという。そこにどんな“トロイの木馬”が仕込まれているのか、気付いてもいない可能性は高いようだ。
オリパラ関連システムばかりではなく、停電の頻発も考えられるという。世界中の公私の名だたるハッカーが狙っているという。競技場が停電すれば開会式どころではあるまい。TV放送すらままならない。世界中に“Tokyo”の情けない姿が露になるのだ。識者は関西も危ない、という。

そして日本の国際的信用はなくなる。外人投資家は日本から投資を回避し、既存の投資も逃避する。そうすると株価は暴落する。ガバナンスやマネジメントとは程遠く、将来を見据えない無戦略日本に、諸外国からは呆れられてしまうだろう。これは冗談ではない。


さて、今回は“緊急事態宣言明け”に、株主総会のあったマツダ本社の広島を訪れたついでに行った竹原観光を報告したい。
株主総会が早く終わったので、予定より1時間早くJR列車に乗るべく移動開始。海田市駅で呉線に乗り換えるべく電車待ちとした。電車待ちの間、広島駅構内で買った、あなごめし弁当を昼食として食べる。残念なのはアナゴの斜め切り。その分、アナゴは薄くなっている。とにかく電車が来るまでガツガツ食べる。
広島~神戸(大阪)間は、山陽本線を使おうが、呉線を通ろうが同じ料金である。学生時代、料金体系がこうなっていることを知ってはいたが、今もそうかと、JRに問い合わせると変わっていないとの回答だった。
呉線に入ると、しばしば見られる瀬戸内海が美しい。特に、島々が様々に重なって見えて面白い。この一帯の砂浜は絶好の海水浴場になるのだろうか。



広駅でまた乗り継ぎ、竹原駅に降り立ったのは13時過ぎ。無人駅だった。やってはいけないことだがこれでは、三原から逆流も事実上可能だ。先ずは駅前の観光案内所に入って、施設、飲食店の開業状況を確認した。飲食店は概ね大丈夫だったが、施設には休館のところが結構あるようだった。
やっぱり案内所は大切だと思ったのは、第一歩の出だしが案外分かり難いところだったが、“商店街の屋根の道を通ってください”の一言が助けとなって、踏み出せた。アーケードではないが、両側の歩道に屋根が取り付けられているのだ。やがて大通りにでて、そこから川の近くに行き、地図を頼りに街中を北上し、橋を渡って山手へ向かう。そこから町並み保存地区に入る。突当たりが、竹鶴政孝の実家の竹鶴酒造。案内所では“今は、見学はやっておられない。お酒の販売はある。”とのこと。お酒は別で買おうと思っていたので、ここはスルー。
最初に飛び込んだのが松阪邸。地元の豪商の屋敷だ。商人屋敷の開放は他にもあったが、予め検討したルート上で開館していたのがこの屋敷だった。高槻等で見た商人屋敷と同じような雰囲気だった。
民俗資料館等で得た情報であったろうか、戦国時代から竹原では米作農地拡張のため海を埋め立てていたが、塩気が抜けきらず、農地には使えず困っていたところ、往来する商人から赤穂が塩田で成功しているという話を聞き、それを塩田に転用して成功したという。そして、製塩で成功した商人が多数出た、ということだった。竹原はそうした昔からの都市で、海路、陸路の交通の要衝でもあり、経済的余裕があったので、文化水準も高かったようだ。

次に訪れたのは、竹原にきた観光客は必ず行くという、西方寺鐘楼。西方寺とはいうものの、街の北東の山の中腹にある。低い山で中腹とは言うが、海抜11mの由。竹原は一望可能。武士が要害を構えるなら好都合のロケーションのように思うが、この街には武家の臭いはなかった。



山を下ってさらにメイン・ストリートを奥へ進むと、右手が開けて広場があった。そこに竹鶴政孝・リタ夫妻の銅像があった。銅像の向こうには西方寺の伽藍が見える。
その隣が白い洋館の竹原市歴史民俗資料館。竹原の近代の偉人は、竹鶴政孝,池田勇人,三村剛昂だという。池田首相はハヤトだったので、薩摩だろうかと勝手に思っていたが、竹原出身とは知らず。三村剛昂は、物理学者だという。こちらも不明にして全く知らず。

三村 剛昂(ミムラ ヨシタカ)明治31(1898)年3月~昭和40(1965)年10月26日
東京帝国大学理学部物理学科・大正10年卒。同年広島高師講師、のち教授。昭和4年広島文理大発足で同大助教授、12年教授。19年同大理論物理学研究所初代所長。また学術研究会議、日本学術会議各会員も務めた。波動幾何学の研究、戦後は学術会議内の理論物理学研究委員会創設に貢献。また広島被爆体験から同会議で原子力研究反対を唱え、科学者京都会議で原爆の惨状、核戦争の危険を訴え続けた。

時間的に余裕大いにありで、当初行くつもりはなかった“おかかえ地蔵”へ向かう。これも山側に少し登ったところに祠がある。石の地蔵を抱えて“願い事”を言えば叶うという。ひと気が無いのを幸いに、重い地蔵を抱え込んだ。汗で前垂れが汚れないか心配だったが、自分と家族の健康が今は気懸りなので、願った。何だか少し気が晴れたような・・・。

メイン・ストリートに戻り、やや行くと直ぐに、頼惟清旧宅に至る。頼山陽の祖父で学者の御宅だ。間口より奥行きのある家。江戸時代の町人の家にありがちな家宅の形態。奥に庭があり、そこに頼山陽の詩碑があった。その傍に、掲示板があり、詩碑では読み取り難い山陽の漢詩が書かれていた。山陽は大坂江戸堀生まれだが、両親はこちらの人。子供の頃、祖父のこの家にしばしば遊びに来ていたことを思い出しての詩とのこと。ここは落ち着いた文化的な町だったのだ。

吾が家 昔日 読書の山。
紫翠 依然たり 窓几の間。
愧ず洛らくは京塵をして 鬚面を
帰来 知對す 舊孱顔。

昔、我が家で読書をしながら見ていた山だが、
書斎からみえる山の色は依然として変わらず、みどり色に映えている。
私は京都の塵ですっかりひげ面が染まってしまい、恥ずかしいが、
こうして帰って来て山に向かえば、昔のままの高くそびえたった姿であることよ。

この後、メイン・ストリートの終点、胡堂はすぐそば。広場の真ん中に御堂があるので、町の祭礼の中心だったのだろうか。ここから戻る行程に入る。残念ながら藤井酒造の酒蔵交流館は休館。ここでお酒を物色しようとは思ってはいたが、やっぱりダメか。その他、商家の屋敷も休館していた。本川畔にある頼山陽像を拝観。何故、そこに建立なのかは不明。
最後に道の駅“たけはら”で土産を物色。ここでレモンケーキ、ぶどうゼリー、さしみこんにゃく、ようやく竹鶴のお酒も買えた。



本来は、ここで早い夕食をと考えていたが、時間が早いので三原に行って夕食にすることにした。竹原駅で、列車を待つ間、三原から姫路までの新幹線・自由席特急券を購入。
17時前に三原着。三原は“タコの町”?明石とどうなんだろうと、思ってしまう。食べログで見ていた居酒屋を当てにしたが、行って見ると17時半でないと開かないようだ。仕方ないので、三原港まで散歩して時間を潰す。何とか夕食に、“たこづくし”。残念ながら期待したほどではなかった。やっぱり競争の激しい都会とは違うのか。
そういえば、面白がって買った“タコ紅葉饅頭”、これも酷かった。美味い“タコ紅葉饅頭”があったら食べてみたいのだが・・・不可能か。
三原駅で新幹線列車を待つ間、ホームの北側に三原城址を窓から覗いていた。石垣は十分に高い。
フト気付くと向かいのホームで、鳥たちが騒いでいる。ホームの庇を見ると、カラスが小鳥の巣を荒らしていた。小鳥の夫婦はなすすべもなく周囲で騒ぐだけ。小鳥たちはやがて破壊された巣を見届けることもなく、夕闇の中を去って行った。卵か雛は居たのだろうか。悲しい光景だった。思わぬところで、厳しい弱肉強食の自然を見た。駅員が落ちた巣の残骸をどうするか、相談していた。

新幹線の列車で福山で乗り換え、姫路まで。新幹線では、ちゃんと乗り換えなければエライことになる。疲れてもボーっとしてはいられない。姫路で新快速に乗車。これでようやく地元に近付いた。こんなところで、この旅は何とか終わった。

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