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神戸国際大学特別講座“被災と復興・東北つなみ”の聴講

先週、12月20日地元の神戸国際大学で公開特別講座が開催された。テーマは“東北津波被災後の被害状況と復興”であったので、その真相に興味あり無修正の一次情報を知りたく赴いた。というのは、日本の報道も政府発表と同じく、何か偏向しているところがあるように感じているので、現地の直接情報に触れたかったからだ。実は、この1週間前に第1回のものが開催されており、この時は 被災状況についての報告が中心であったのだが個人的事情により不参加としてしまったのだが、今回はその被害を乗り越えてどのように復興しているのかの報告が中心となっていた。
講師は次の通りで その第1回目と同じとの案内である。

・神戸国際大学経済学部教授 大津 俊雄 氏 “復興計画のあり方”
・岡本商店街振興組合 副理事長 松田 朗 氏 “復興に向けて立ち上がる商店街”

さてその第1回目では“被災状況”の説明だったようだが、私のように2回目ではじめて聞きに来た参加者のために、ということで、結局 “被災状況”の概要の説明から始まった。
そして次に、防災への対処姿勢についての考え方の説明となった。日本の変化に富んだ地形の風光明媚は、それが地震など地殻変動等の災害に由来するものであって、世界の地震の1割を占め、定期的に津波が襲来している結果である。ところが、その大きな災害は100年周期であったり、1000年単位のものであることが多い。したがって忘れた頃にやって来る災害となり、起るはずのないものと見たり、あるいは軽く見てしまうという錯覚を抱きやすい。さらに、土木技術の粋を集めた巨大な堤防で、安全は確保されたとする共同幻想によって、被害を大きくした。それに対し、今後は過去の史跡や古文書、伝承を丹念に渉猟し“歴史を尋ね、先人の知恵に学ぶ”姿勢が 必要である。
そして、“現実の技術レベルを知り「正しく恐れる」(寺田寅彦)”べきであり、つまり“災害と共存する柔軟な姿勢”で臨むべきである。例えば江戸期以前の治水技術の越流堤や御囲堤、輪中(わじゅう)、霞堤(信玄堤)には、奔流する水エネルギーを巧みにいなす工夫があり、さらに1つの対策ではなく複数の方策によってかわしていく姿勢が見られる。つまり、現代の災害対策は巨大堤防に見られるように“ハード対策のみの「一発勝負」”で安心するところがあるが、そうではなく“ソフト込みの複合対策”で対応するべきである。
具体的には、防波堤は100年レベルへの対応、1000年レベルへの対応を十分に考慮し、臨海部の職場と住居地区の分離促進。建物は、中層のコンクリート造(鉄骨造は骨組みだけになる)とし、住居部分は4階以上とし、海に妻側を向けたり、海岸線に45度の傾斜を設けて連棟とする工夫をする。さらに堤防の配置と町の構造を整合的に計画するべきだが、安易な高台移転構想は、リヤス海岸の東北地区では適地が少なく、職住の遠距離分離になってしまう。しかも高台では上下水道の設置も困難な場合が多く、市民公共施設と住居も分離されてしまい、その結果としてコミュニティーの分解が生じてしまう危険性がある。
ところが、現状は国の省庁間の協力がなく、各専門家の連携がなく、しかも住民側からの要望や対案を俎上に載せる場もない。こういう現状に対し、都市計画の専門家、建築・土木の技術者、地震・津波専門家等で構成された円卓会議が必要であり、そこへ住民の意見を定常的に反映する市民参加型の仕組を作るべきである、との提案であった。

岡本商店街は かつて神戸の震災で援助していただいた東北地域との関係で、今度は支援側に回っているとのこと。現状の主要な具体的支援内容は、被災地ではCATV経由のインターネット接続が主流であったが、そのCATVが津波によって壊滅しており、このため殆どの被災者は 容易にはインターネット接続が出来ずにいる。そこで無線経由でのインターネット接続が可能となるように支援し、それが特産品販売促進へつながるように支援しているとのことであった。

しかし、復興への国の対応が遅々として進んでいない要因についてまでの議論は見られず、私としては画竜点睛を欠く、少々残念な印象の講演であった。この遅い復興が、さらなる地域経済の荒廃を促進し、地域の荒廃が日本全体の衰退へつながって行くのではないか、という恐怖感というか焦燥感がある。しかし、その焦燥感への突破口がこの講演で少しでも見出せるものかと思ったのだが、その点は一向に見えなかったのだ。みずから行動を起こさねばならぬ問題なのだろうが、闇雲な行動は有効な結果を生むとも思えない。

とにかく、今 日本は危機的状況下にあることは明らかである。にもかかわらず、政治家は自らの立場を守るために、政権の足を引っ張ることのみに汲々としているように見える。特に、その由来が不鮮明であるが豊富な資金を手に、若手政治家を引き寄せ、時の政権の揚げ足を取りつつ、旧来型の政治を目指すような大物と言われる政治家が存在することは、日本の政界の後進性を象徴している。早く こういう状況から脱却するべきであると思うのだが、その気配はない。

経済のグローバル化に 国家を思考の枠組とする政治が追いついておらず、それが先進国内での階級間格差を助長し、その格差を埋めるための福祉システムが 各国の国家財政を圧迫し、しかもそのことが現在の経済不安を生んでいる。(もちろん国際的格差にも目を向けるべきで、その格差が国内の格差を生んでいる。)そういう状況を正しく認識し、政治を立て直す必要があるのだが、いずれの政治家も自己利益中心でしかなく、そのポピュリズムが問題解消の阻害原因であることを自覚していない。これは破滅への道でしかない。“破滅”と言えば“CO2温暖化問題”が頭をよぎるが、この経済問題の方が温暖化問題よりはるかにリアリティのある課題である。環境問題の核心は“CO2温暖化”ではなく、人口の過剰であり、その過剰な人口の中で、どのように公平さを維持し敷衍するのかという政治が解消するべき経済問題なのだ。(地球温暖化はCO2の増大が一因ではあっても主原因ではなく、宇宙に起因する自然現象なのだ。そんなある種のデマゴギーにエネルギーを費やしても徒労でしかない。排出権取引などは、取引業者を利するだけの虚妄に基づく欺瞞の象徴だ。“温暖化の防止”とは、それこそ思い上がった人智を超える所業であると認識するべきで、自然の動向に沿った温暖化を緩和する社会政策が賢明な選択なのだ。)
いずれ、世界の破滅によってはじめて“ご破算で願いましては”となり、矛盾の解消へ向かうことになるのだろうが、そのようになすがままではあまりにも犠牲が大きすぎるし、下手をすると人類と言う種の滅亡につながるかも知れない。それではあまりにも知恵が無さすぎる気がする。東北の復興に、その知恵による細部の神を見たいのだが、自己中心の政治家ばかりで一向に光が見えて来ないのが実情なのだ。この状況下で我々は何を為すべきなのであろうか。時間はあまりないように思えるのだが。

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