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菅首相の矛盾

国会の会期を延長せず、重要法案を廃案にして国政を無視してまで、選挙を重視したにも 関わらず、消費税増税の意向を あえて示したのは 一体 何だったのか。重要視した選挙を たった数日の情勢変化で唐突に軽視するようになったのか。民主党支持者を戸惑わせただけだが、これは矛盾以外の何物でもない。結局、政略という狭い政治の世界での論理を表に出して見せただけなのか。

そもそも、菅政権は 前鳩山政権の 外交・防衛政策の矛盾の極で発足した。米国には辺野古移設で合意し、沖縄自身には負担軽減を表明するという矛盾である。この矛盾した政策のリアリティは 全く無い。その結果として 米国にも沖縄にも不信感を抱かせるだけの結果となる。いや、そのことそのものが 全国民からの不信感につながることは 明らかだ。論理的には この2枚舌政策の解は無い。この矛盾を 菅氏は 政治的にどう誤魔化すつもりなのか。まさか、“平和の代償”として 従来どおり沖縄へ負担を押し付けて終わろうとしているのではあるまい。

こういう矛盾の中で、菅氏は さらに その経済政策で矛盾を増大させるつもりなのだろうか。
“強い経済”は どのようにして作り上げるのか。増税による財源を確保して、“新成長戦略”へ財政出動する意図のようだが、その財政投資は必ず成功するのか。これまでの官僚との戦いはどうするのか。“官僚”と言うより“官僚主義の体制”との戦いが問題なのだが、これを放置したままで、折角の新規投資が また無駄に費消されることはないのか。
事業仕分は “官僚の無駄削減の力学”である。これこそ、“官僚主義の体制”という障壁との戦いの最前線ではなかったのか。この戦いで戦利品を 容易に獲得できなかったからと言って あっさりあきらめて良いのか。“新成長戦略”という新規分野への投資は これとは逆方向のベクトルだ。つまり菅氏の言う“経済・財政・社会保障の一体的建て直し”は、一方では 公務員数を削減し、一方では 一般人の雇用を増やすと言うことだ。このようなプラスマイナスが、本当に効果的景気対策と言えるのか。ヨーロッパでは景気のために公務員、特に教員を増員する例もあるくらいのようだ。
しかも、不徹底な“官僚主義の体制”との戦いの結果、増税による財源が、“官僚主義”の砂漠に撒いた水のように 吸収・消失してしまうことはないのか。そして、結局は公務員削減が不十分に終わり、一般人の雇用は増えなかった、というようになるのではないのか。菅氏の言う“一体的建て直し”には 戦略的破綻や論理矛盾はないのか。

しかも、注意して欲しいことがある。“官僚との戦い”の さなかで、国会議員の定数削減を 声高に言うのは 止めるべきだ。国会議員は“政治家”なのだ。官僚と戦うべきである政治家の数を減らして、圧倒的な数の官僚と如何に戦うつもりなのか。“数は力”ではなかったのか。国会議員の数を減らして本当の無駄が削減できると言うのか。本丸は 何処にあるのか、よく 考えて欲しいものだ。こういう単純な論理矛盾にすら気付かないのなら、何をかいわんやである。
参議院の存在も 無駄だ、という声がある。しかし、議員の選出形態の異なる 参議院の存在が 日本の政治動向を 慎重にさせている事実を見過ごしていないか。民主党政権は 衆参ネジレの現象を経て誕生した事実を見落としていないか。こういう 議論に たやすく乗ってはならないと思うのだ。
民主主義とは決定に至るのに 時間がかかるものなのだ。目先の 効率重視で 大きな犠牲を 生まない理性が必要なのだ。人々は、何度、この歴史的真実を 多数の犠牲を払って経験したのか思い知るべきだ。だが、また 同じ愚をおかすと言うのか。

増税という 危うい経済政策は もし それが必要ならば 慎重に緻密に実施されなければならない。
ヨーロッパの消費税は 日本のそれより 税率は高いと言われている。だが、その実態は 同じ“消費税”という表現でも内容や性格は大きく異なるようだ。消費税特有の 逆累進性は 巧みに打ち消す処置が取られているという。いわば かつて日本にあった物品税のようなイメージらしい。政策には、そういう緻密さが 必要なのだ。そこにこそ 民主主義の反映があるのだ。
しかも、増税は国民の政府への信頼が背景になければ、成功しないものだ。年金問題をはじめ、国民の政府・お役人への不信感が 解消しないまま、事業仕分により お役人意識と 一般国民の意識との隔たりが さらに明らかになった現在、消費税増税は不可と言ってよい。まず、そのことの あと始末をして政府や官僚への信頼の基礎を作ることが 先ではないのか。適切に民意を 吸収する仕組を 構築し、政府への信頼感を醸成することなしでは 何事も前進しないことを強く認識するべきだ。
法人税も同じだ。本当に 日本の法人税は“高い”のか?いろんな見方があるのは事実のようだ。きちんと 整理して議論し、政策化して欲しいものだ。菅氏個人の幅の狭い目線だけで決めてもらっては 困るのだ。
経済学音痴に 的確な 経済政策が 打てるのか疑問だ。そもそも菅氏は何年政治家をやって来たのか。その間、経済学を “お勉強”しなかったのならば、それは 何たる怠慢か!政治家にとって経済学は経世済民の必須科目ではないか。しかも経済学は“理系”科目だから 苦手だとは言わせない。政略にだけ 長けているというのでは、ケンカのできるヤクザでしかない。現代の政治家とは言えない。
急遽付け焼刃の“お勉強”の結果、財務官僚の言いなりになっていることはないのか。小泉政権以来フリードマン経済学に お気楽に飛びついて 傷付いてしまった日本を どうするべきか、深く理解した上で 十分な構想が できているのか。今度は違う流派の経済学者の お説に飛びついているということはないのか。それは、深い理解と認識に立った上での、心の奥底から発する政策なのだろうか。経済学への浅い理解のまま国際的海千山千のG8,G20で恥をかかないようにして欲しいものだ。

菅氏のブレーンとされる小野善康教授が 経済政策・第三の道の説明をテレビでしていたが、要は財政投資先が 従来型公共事業か、“グリーン・イノベーション”や“ライフ・イノベーション”、“アジア経済”、“観光・地域”という違いだけではないのか。小野教授は“雇用創出”を強調するが、従来型公共投資も“失業対策”のため財政出動してきたのである。それが景気対策として効果がなかったのは、公共事業が 新規性が乏しく、投資効果が少ないために乗数効果が出なかっただけなのだ。それが、少し目先の変わった投資先と言うだけで、本当に公共事業と大きな違いの乗数効果が期待できるのだろうか。乗数効果が出るためには、“投資が投資を呼ぶ”ような全くの新規分野への投資でなければならないが、“新成長戦略”は、いずれもサービス産業や 従来型の産業の活性化投資ばかりである。これでは新規投資ではなく、単なる増強投資に終わってしまい、乗数効果は殆ど期待できないというのは 経済学の常識のはずだ。何もやらないよりマシというだけのものではないか。
そして、“投資が投資を呼ぶような新規分野”と言うものは 科学技術の基礎研究などからようやく生まれるものであって、速効性は期待できない。国家戦略にはそういう長期戦略も確かに必要だが、その間、国民は増税に耐えられるだろうか。その上、そういう基礎研究に戦略的に国家が投資するという積極姿勢も見えない。ここにもジレンマは隠されている。

菅氏は このような政策矛盾を自覚したのか、施政方針演説で しきりと“リーダー・シップ”を強調していた。いかにも “俺に 任せろ!文句を言うな!”とでも 言いた気である。矛盾を抱えたまま有無を言わさず中央突破を図ろうとしているのか。ヒョッとして、ここに あのイラ菅の 本領があるのかも知れない。
首相・総理とは 難しい職責である。単純な“リーダー・シップ”で 乗り越えられるものとは 私は思わない。一省庁の大臣ではないのだ。全ての要因とその対策への影響を認知的複雑性を持って考慮しなければならない。あらゆる複雑さを 捨象して 無闇に“リーダー・シップ”を振り回すのは 蛮勇以外の何物でもない。蛮勇では政治は出来ない。少なくとも この日本の現代社会では それは不可能なのだ。それこそ 菅氏の標榜する“市民主義”とは正に対極のものなのだ。
改革には十分な構想力と戦略が必要なはずだが、一体、菅氏の本音はどこにあるのだろうか。菅氏には論理矛盾の無い明快な説明責任がある。それこそブレないintegrityが求められるのだ。そこに信頼の基礎がある。

1年後、また 日本の首相は 矛盾する政策の中で 他の誰かに交替しているのか!?
少なくとも、菅氏の 個人的キャラクターによって、民主党への絶望感、いや日本の民主主義への 絶望感が生まれることだけは、あってはならない。そのように 切に祈りたい気分である。

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