The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
“草間彌生・永遠の南瓜展”鑑賞
政治報道が無くなった中、知らなかったが、実は北朝鮮と米国の交渉が頓挫している由。その一方、IR(Integrated Resort;カジノを含む統合リゾート)推進法は強行に成立させた。どんどん自民の思う通りに政治が推し進められている。猛暑にかかわりなく、世界は結構動いているのだ。
先週豪雨の際、首相をはじめ自民党要人が飲み会“赤坂自民亭”を開催していたことが、マヌケな参加者のSNSや、それを追報道した一部メディアが明らかにしたようだが、大々的に報道されることはなかった。その免罪のためか、首相は未だ混乱のさ中の被災地に入ったという。ところが、被災地からは迷惑との声が上がった由。確かにそうだろう。ヘリコプターで現地視察にとどめるのが常識であろう。だが、人気取りに熱心な安倍氏は一切意に介しなかったようだ。こうした、政権に不都合な真実は、日本のマスコミは大々的に取り上げることはなかった。この軟弱なマスコミに国民は盲目になることはないのだろうか。
被災地の被害状況が明らかになって来ていて、被害が甚大になっている。しかし、前回このブログで少し触れたが最近マスコミでも 倉敷市真備町のハザードマップが紹介されるようになった。今回浸水したほぼ全域が5mの浸水があると想定された領域になっている。そこに住民が居住し多数となり、公共施設の病院も、市役所支所も出来ている。という訳で、近年水害がなく、自治体が警告を発しても住民は避難せず、被害者が続出したようだ。
なので、各自治体が作成したハザードマップは精密にできており、ほぼ義務として住民自身がチェックしておく必要がある。神戸でもこの雨で被害のあったのは、概ねマップに何かが表示された部分のようだ。だから、マップには非常に貴重な経験則が含まれていると見て良い。だがどうやら、ハザードマップの存在すら知らない人が結構いるようだ。自治体はもっと住民に訴求する必要がある。
それから、町のほぼ全域が危険地域であるというような箇所は、自治体も放置せず何らかの対策を施すべきである。真備町も今年から対策を実施するところだった、というが、もう少し早めにするべきだったのではないか。建設国債ならば赤字国債ではないので、いくらでも出せるとの議論はあるようだ。しかし、土建に従業者の明らかな不足もあり、そうは簡単ではないようだ。当面は危険域に住む住民の意識を高めることに注力するべきかもしれない。
京都・由良川流域の住民は近年何度も被害にあっているが、対策がなされていないという。こうした地域は住民ももっと怒る必要があるのではないか。いずれにしても、人々は自らの安全にもっと関心を持つ必要があると思うのだ。
私が理解できないのは、ダムのオペレーションだ。数年前、嵐山の桂川上流のダムが豪雨に際して、ダムの決壊を恐れて貯留水を放流して、下流域の嵐山地域の水害を助長した。つまり“ダムを守って水害を助長した”のだ。今回は、桂川の対策は進んでいて被害は少なかったようだが、他のダムで同じような事態が結構あったようだ。ダムは本来水害対策のための建設ではなかったのか。最近の天気予報は非常に精確になっているので、事前にどのようにダムの放流を行うべきか正しい運用パターンかは可能になっているはずなのに、どうしてそのようにしないのだろうか。
あるテレビで、事前に警報が出ても意味が分からない、などと一般人の顔をした芸人達が甘えた姿勢で専門家を責めていたが、それではこれからのむづかしい世の中は生きてはいけないと、思い知るべきだろう。御上にお任せでは、その御上にいずれ騙される結果になる覚悟を持つべきだ。戦後、そういった甘えは持ってはならないと、決意したはずではなかったか。
何故ならば御上はウソをつくものなのだ。今のマスコミは、その御上の情報を右から左、都合の悪い話は、先にも言ったように流さない、日本は悪い傾向にあるのは要注意だ。歴史を知ろうとしないのは、反知性主義つまり、おバカの一側面なのだろう。
さて、今週もまた“休戦エンタ”への投稿となった。先週末午後に京都の審査機関本部で審査員研修会が開催されたが、午前に何か観光を、と思ってネット検索で探し当てたのが、フォーエバー現代美術館“草間彌生・永遠の南瓜展”だった。草間彌生の画風は私の趣味ではないが、世界的に有名で人気があるということなので、どこに魅力があるのか知りたいという興味本位で出かけてみることにした。
ネットでフォーエバー現代美術館祇園京都の次の挨拶文があった。“開館1周年を迎え、これまでの常設展示室3室と企画展示室1室に加え、新たに2室を拡張しグランドオープンいたしました。オープンを記念して「草間彌生 永遠の南瓜展」を開催。展覧会では、草間彌生の代表的なモチーフの一つとして知られる「南瓜」の作品世界を中心に紹介しています。「実際の南瓜がそれぞれ豊かな表情を持っているように、わたしの南瓜だってどれ一つとして同じではない。」と草間彌生が語るように、実に様々な形、色、素材で制作されてきた南瓜作品35点を「南瓜の間」にて公開しています。 また、展示室名「花の間」「富士の間」にちなんだ作品や貴重な初期作品など全123点を展示紹介しています。”
このフォーエバー現代美術館は、祇園甲部歌舞練場内の“八坂倶楽部”という和風の施設を現代美術館に改装して開館したようで、その建築や京舞の伝統継承の一方で、それが現代と融合した生きた文化の発信も目指すと言う。障子や襖を現代美術が展示できるような壁として整備し、展示室の壁紙には弁柄色、浅葱色、聚楽などの花街の色彩を採用したということ。畳に座り鑑賞可能なことも意識している。
そして、この館のコレクションは、医療法人惇慧会の創設者・穂積惇が約40年前に医療現場にアートを導入し、患者に生きる力を与え、癒しの環境を整えるという意図で集められたのが始まりという。やがてそれが、“将来美術館に展示したとしても通用するもの”という基準で収集され始め、プロの助言も得るようにした。その結果、コレクションの中核を国内作家では“草間彌生”、海外作家では“ヨーゼフ・ボイス” にして、草間彌生作品は約400点、ヨーゼフ・ボイスは約80点、全コレクションは800点を超える規模だと言う。
祇園歌舞練場にフォーエバー現代美術館があることになる。従い、阪急電車・河原町駅から東へ四条通を進んで、花見小路通りを南下しなければならない。実は、私はこの花見小路通りに足を踏み入れたことはない。意識がはっきりしない幼い頃に“都をどり”を見たように思うのだが、その時に歌舞練場界隈を歩いたことがあるかも知れないが、それは経験とは言えないだろう。歌舞練場はこの花街が途切れる南端、建仁寺の手前にあるが実際に行ってみると、距離にすれば大したことはない。四条通りからフラフラ歩いても2~3分。やはり、ここは様々な国の外人観光客が特に多い。
入口には草間彌生展の看板がここぞとばかり掲げられている。歌舞練場本体は、和風宮殿か城のようなデザインの堂々とした建物。それに合わせたデザインの薄い緑色の瓦葺の立派な門が構えられている。その門をくぐると、美術館は敷地内右手の南側にあった。草間の黄色い南瓜のオブジェが入口手前にある。入場切符は自販機。すると女性が近づいてきて、靴は手渡された袋に入れて、持って入れと丁寧に言われる。モギリの女性に、袋入りの靴はコインが返却されるコインロッカーに入れるように指示される。それと撮影可能な作品、箇所の説明も受ける。
先ずは畳敷きの和室正面に得体のしれない黄色いうねった蛇だか、植物のツルだかの絵が掲げられている。脇に、御本人がそのツルに絡まれた写真、コラージュがある。これが動き出すようだと、気分が悪くなる懸念があるが、動きはしないので、じっと見つめる。これは“黄樹”という草間にとってのメイン・モチーフの代表作のようだ。後で読んだパンフレットには“「黄樹」のモチーフは、草間彌生が着用する服やソファーセット、様々なグッズに使用され、南瓜に次ぐ人気の高いモチーフとしても知られています。「黄樹」は、当初作家により「セックスオブセッション(シュルレアリズムではない)」と名付けられていました。セックスオブセッションとは、日本の抑圧的な父権体制と抑圧的で右へ倣え的な社会行動に対して草間が抱き続けていた、強い怒りの感情のことです。”とある。“右へ倣え的な社会行動”は最近の日本で特に酷い様相を示しているが、草間の怒りはどうなっているのだろうか。
よく眺めていると楽しくはならないが、小さな丸い点で出来ているので、これを全体の配置、バランスを考えながら描いていくことは実に大変で、根気のいる地味な作業だと思い至る。
紙をエンボスした作品があるが、やはり金型を起こしたのだろうか。ならば結構金がかかる。写真のコラージュも結構ある。
途中で、建物から庭を眺めて気分転換して2階に上がる。
色のあるきらきら光る紙はどうやってできているのだろうか。それで配色を替えるだけでいくつもの同じデッサンのバラエティを作っている。草間が南瓜にこだわるのは、どういうことからだろうか。
能舞台に細長い色風船で何やら舟のようなオブジェを展示していた。どういう意図なのだろうか、だが面白い。こういう舟を使った能・狂言があったのだろうか、それに使うつもり?
コーヒーカップの展示もあった。ショップで売っていたら、買ってみたいと強く思ったが、残念ながらショップには無かった。
最後にカフェとショップ。モーニングで昼食?しかし、まだ空腹には間があった。ショップも未だ売れるような商品は少ない。
これら場内店の後に第5、6展示場への階段があったようだが、気付かず戻ってしまった。従い、肝心の“かぼちゃ”や“富士”をモチーフにした作品は見ていない。不注意と言われればその通りかも知れぬが、会場の設営が少々分かり難い。
草間彌生の実家は長野・松本の大きな種苗販売事業だったようだ。子供の頃は1日中、スケッチブックを持ってお花畑を飛び回って花を描いていたような意味のことを掲示していた。
子供の頃から幻覚、幻聴に悩まされ、精神的に病んだ経験・統合失調症があったようだ。それを絵や作品を作ることで癒したような記述もあった。芸術家はそうした激しい精神的葛藤を経験しないと大成しないのだろうか。
1957年(昭和32年)に渡米、ニューヨークを拠点として前衛的、反戦的、活動に従事。1973年(昭和48年)、親友でパートナーの死去。草間は体調を崩し日本へ帰国、入院。
草間の活動が再び活発になったのは1990年代初頭からで、ニューヨークを中心に世界的に再評価熱が高まった。
小説や映画も制作しているようだ。私の興趣からは、接点は全くない異質の世界の展開だが天才なのだろう。時には、こういう人の作品に触れるのも良いことだ。
とにかく庭に出て一回りして、気が済んだところで、和風美術館を辞去。
河原町通りに出て、通り沿いの町の食堂(おとぐり)でヒレカツ定食にありつく。少し南側に回り込んで寺町通りにでて北上し、四条通に出る。そこから西進して、烏丸の大丸。水茄子の漬物を買って、四条通りに出ると少し西で建てられた薙刀鉾が展示されていた。週末は祇園祭だ。
先週豪雨の際、首相をはじめ自民党要人が飲み会“赤坂自民亭”を開催していたことが、マヌケな参加者のSNSや、それを追報道した一部メディアが明らかにしたようだが、大々的に報道されることはなかった。その免罪のためか、首相は未だ混乱のさ中の被災地に入ったという。ところが、被災地からは迷惑との声が上がった由。確かにそうだろう。ヘリコプターで現地視察にとどめるのが常識であろう。だが、人気取りに熱心な安倍氏は一切意に介しなかったようだ。こうした、政権に不都合な真実は、日本のマスコミは大々的に取り上げることはなかった。この軟弱なマスコミに国民は盲目になることはないのだろうか。
被災地の被害状況が明らかになって来ていて、被害が甚大になっている。しかし、前回このブログで少し触れたが最近マスコミでも 倉敷市真備町のハザードマップが紹介されるようになった。今回浸水したほぼ全域が5mの浸水があると想定された領域になっている。そこに住民が居住し多数となり、公共施設の病院も、市役所支所も出来ている。という訳で、近年水害がなく、自治体が警告を発しても住民は避難せず、被害者が続出したようだ。
なので、各自治体が作成したハザードマップは精密にできており、ほぼ義務として住民自身がチェックしておく必要がある。神戸でもこの雨で被害のあったのは、概ねマップに何かが表示された部分のようだ。だから、マップには非常に貴重な経験則が含まれていると見て良い。だがどうやら、ハザードマップの存在すら知らない人が結構いるようだ。自治体はもっと住民に訴求する必要がある。
それから、町のほぼ全域が危険地域であるというような箇所は、自治体も放置せず何らかの対策を施すべきである。真備町も今年から対策を実施するところだった、というが、もう少し早めにするべきだったのではないか。建設国債ならば赤字国債ではないので、いくらでも出せるとの議論はあるようだ。しかし、土建に従業者の明らかな不足もあり、そうは簡単ではないようだ。当面は危険域に住む住民の意識を高めることに注力するべきかもしれない。
京都・由良川流域の住民は近年何度も被害にあっているが、対策がなされていないという。こうした地域は住民ももっと怒る必要があるのではないか。いずれにしても、人々は自らの安全にもっと関心を持つ必要があると思うのだ。
私が理解できないのは、ダムのオペレーションだ。数年前、嵐山の桂川上流のダムが豪雨に際して、ダムの決壊を恐れて貯留水を放流して、下流域の嵐山地域の水害を助長した。つまり“ダムを守って水害を助長した”のだ。今回は、桂川の対策は進んでいて被害は少なかったようだが、他のダムで同じような事態が結構あったようだ。ダムは本来水害対策のための建設ではなかったのか。最近の天気予報は非常に精確になっているので、事前にどのようにダムの放流を行うべきか正しい運用パターンかは可能になっているはずなのに、どうしてそのようにしないのだろうか。
あるテレビで、事前に警報が出ても意味が分からない、などと一般人の顔をした芸人達が甘えた姿勢で専門家を責めていたが、それではこれからのむづかしい世の中は生きてはいけないと、思い知るべきだろう。御上にお任せでは、その御上にいずれ騙される結果になる覚悟を持つべきだ。戦後、そういった甘えは持ってはならないと、決意したはずではなかったか。
何故ならば御上はウソをつくものなのだ。今のマスコミは、その御上の情報を右から左、都合の悪い話は、先にも言ったように流さない、日本は悪い傾向にあるのは要注意だ。歴史を知ろうとしないのは、反知性主義つまり、おバカの一側面なのだろう。
さて、今週もまた“休戦エンタ”への投稿となった。先週末午後に京都の審査機関本部で審査員研修会が開催されたが、午前に何か観光を、と思ってネット検索で探し当てたのが、フォーエバー現代美術館“草間彌生・永遠の南瓜展”だった。草間彌生の画風は私の趣味ではないが、世界的に有名で人気があるということなので、どこに魅力があるのか知りたいという興味本位で出かけてみることにした。
ネットでフォーエバー現代美術館祇園京都の次の挨拶文があった。“開館1周年を迎え、これまでの常設展示室3室と企画展示室1室に加え、新たに2室を拡張しグランドオープンいたしました。オープンを記念して「草間彌生 永遠の南瓜展」を開催。展覧会では、草間彌生の代表的なモチーフの一つとして知られる「南瓜」の作品世界を中心に紹介しています。「実際の南瓜がそれぞれ豊かな表情を持っているように、わたしの南瓜だってどれ一つとして同じではない。」と草間彌生が語るように、実に様々な形、色、素材で制作されてきた南瓜作品35点を「南瓜の間」にて公開しています。 また、展示室名「花の間」「富士の間」にちなんだ作品や貴重な初期作品など全123点を展示紹介しています。”
このフォーエバー現代美術館は、祇園甲部歌舞練場内の“八坂倶楽部”という和風の施設を現代美術館に改装して開館したようで、その建築や京舞の伝統継承の一方で、それが現代と融合した生きた文化の発信も目指すと言う。障子や襖を現代美術が展示できるような壁として整備し、展示室の壁紙には弁柄色、浅葱色、聚楽などの花街の色彩を採用したということ。畳に座り鑑賞可能なことも意識している。
そして、この館のコレクションは、医療法人惇慧会の創設者・穂積惇が約40年前に医療現場にアートを導入し、患者に生きる力を与え、癒しの環境を整えるという意図で集められたのが始まりという。やがてそれが、“将来美術館に展示したとしても通用するもの”という基準で収集され始め、プロの助言も得るようにした。その結果、コレクションの中核を国内作家では“草間彌生”、海外作家では“ヨーゼフ・ボイス” にして、草間彌生作品は約400点、ヨーゼフ・ボイスは約80点、全コレクションは800点を超える規模だと言う。
祇園歌舞練場にフォーエバー現代美術館があることになる。従い、阪急電車・河原町駅から東へ四条通を進んで、花見小路通りを南下しなければならない。実は、私はこの花見小路通りに足を踏み入れたことはない。意識がはっきりしない幼い頃に“都をどり”を見たように思うのだが、その時に歌舞練場界隈を歩いたことがあるかも知れないが、それは経験とは言えないだろう。歌舞練場はこの花街が途切れる南端、建仁寺の手前にあるが実際に行ってみると、距離にすれば大したことはない。四条通りからフラフラ歩いても2~3分。やはり、ここは様々な国の外人観光客が特に多い。
入口には草間彌生展の看板がここぞとばかり掲げられている。歌舞練場本体は、和風宮殿か城のようなデザインの堂々とした建物。それに合わせたデザインの薄い緑色の瓦葺の立派な門が構えられている。その門をくぐると、美術館は敷地内右手の南側にあった。草間の黄色い南瓜のオブジェが入口手前にある。入場切符は自販機。すると女性が近づいてきて、靴は手渡された袋に入れて、持って入れと丁寧に言われる。モギリの女性に、袋入りの靴はコインが返却されるコインロッカーに入れるように指示される。それと撮影可能な作品、箇所の説明も受ける。
先ずは畳敷きの和室正面に得体のしれない黄色いうねった蛇だか、植物のツルだかの絵が掲げられている。脇に、御本人がそのツルに絡まれた写真、コラージュがある。これが動き出すようだと、気分が悪くなる懸念があるが、動きはしないので、じっと見つめる。これは“黄樹”という草間にとってのメイン・モチーフの代表作のようだ。後で読んだパンフレットには“「黄樹」のモチーフは、草間彌生が着用する服やソファーセット、様々なグッズに使用され、南瓜に次ぐ人気の高いモチーフとしても知られています。「黄樹」は、当初作家により「セックスオブセッション(シュルレアリズムではない)」と名付けられていました。セックスオブセッションとは、日本の抑圧的な父権体制と抑圧的で右へ倣え的な社会行動に対して草間が抱き続けていた、強い怒りの感情のことです。”とある。“右へ倣え的な社会行動”は最近の日本で特に酷い様相を示しているが、草間の怒りはどうなっているのだろうか。
よく眺めていると楽しくはならないが、小さな丸い点で出来ているので、これを全体の配置、バランスを考えながら描いていくことは実に大変で、根気のいる地味な作業だと思い至る。
紙をエンボスした作品があるが、やはり金型を起こしたのだろうか。ならば結構金がかかる。写真のコラージュも結構ある。
途中で、建物から庭を眺めて気分転換して2階に上がる。
色のあるきらきら光る紙はどうやってできているのだろうか。それで配色を替えるだけでいくつもの同じデッサンのバラエティを作っている。草間が南瓜にこだわるのは、どういうことからだろうか。
能舞台に細長い色風船で何やら舟のようなオブジェを展示していた。どういう意図なのだろうか、だが面白い。こういう舟を使った能・狂言があったのだろうか、それに使うつもり?
コーヒーカップの展示もあった。ショップで売っていたら、買ってみたいと強く思ったが、残念ながらショップには無かった。
最後にカフェとショップ。モーニングで昼食?しかし、まだ空腹には間があった。ショップも未だ売れるような商品は少ない。
これら場内店の後に第5、6展示場への階段があったようだが、気付かず戻ってしまった。従い、肝心の“かぼちゃ”や“富士”をモチーフにした作品は見ていない。不注意と言われればその通りかも知れぬが、会場の設営が少々分かり難い。
草間彌生の実家は長野・松本の大きな種苗販売事業だったようだ。子供の頃は1日中、スケッチブックを持ってお花畑を飛び回って花を描いていたような意味のことを掲示していた。
子供の頃から幻覚、幻聴に悩まされ、精神的に病んだ経験・統合失調症があったようだ。それを絵や作品を作ることで癒したような記述もあった。芸術家はそうした激しい精神的葛藤を経験しないと大成しないのだろうか。
1957年(昭和32年)に渡米、ニューヨークを拠点として前衛的、反戦的、活動に従事。1973年(昭和48年)、親友でパートナーの死去。草間は体調を崩し日本へ帰国、入院。
草間の活動が再び活発になったのは1990年代初頭からで、ニューヨークを中心に世界的に再評価熱が高まった。
小説や映画も制作しているようだ。私の興趣からは、接点は全くない異質の世界の展開だが天才なのだろう。時には、こういう人の作品に触れるのも良いことだ。
とにかく庭に出て一回りして、気が済んだところで、和風美術館を辞去。
河原町通りに出て、通り沿いの町の食堂(おとぐり)でヒレカツ定食にありつく。少し南側に回り込んで寺町通りにでて北上し、四条通に出る。そこから西進して、烏丸の大丸。水茄子の漬物を買って、四条通りに出ると少し西で建てられた薙刀鉾が展示されていた。週末は祇園祭だ。
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