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2010年、明けましておめでとうございます



明けまして おめでとうございます。
今年は 寅歳ですが、どうやら 引き続き不景気な歳になるらしい。もっと酷い二番底が来るとか。今年も困ったことです。

政権交代で少し青空が見えたような気分になったが、これで いわゆるガス抜きになっただけなのなら何の意味も進歩もない。実質的な官僚主義の終焉が見られなければならない。
そのためには、何よりも埋蔵金の発掘が一つの試金石になるのだろう。それをきっかけにして国家予算を組換えられなければ、それこそ青天井の際限の無い膨張予算に終わってしまう。事業仕訳も 後から変な政治的配慮などしないようにするべきだ。でなければ、事業仕訳の権威がなくなるし、変な密室での政治決着の生まれる余地ができてしまうだろう。
例えば、スーパー・コンピュータの予算は 復活させるべきではなかった。いくら “偉い”学者やノーベル賞受賞者達の要請であったとしても、国家の危機回避を優先させるべきである。いくら “偉い”学者やノーベル賞受賞者達と言っても 人格者ばかりだとは思えない。それは私的利益誘導でない要請だったのだろうか。日本の危機と比較考量して どうしても復活させるべき予算だったのだろうか。その結果 無意味なシミュレーションや “学者”のオモチャとはならない、と言えるのだろうか。
的確な シミュレーションというものは 意外と単純なモデルで結論が見えるものだ。スーパー・コンピュータの必要な高度に複雑で火急のシミュレーションなど滅多にはない。いくら複雑な方程式で 詳細を予測してみても その結果が細部にまで的確であることはないのだ。枝葉末節の予測にこだわるべきではない。それに10年、50年、100年先の気候の詳細など予測できるものではない。その予測には必ず限界がある。だから、不要不急なことに地道を上げる必要はなく、そんな余裕は日本にはないはずだ。日本の危機は差し迫った人々の困窮なのだ。そのことに思いが至らず、真の危機を認識していない学者は学者ではない。

政権が替わっても 世に閉塞感は満ちている。
その根源は 人々の不安感にある。そして、その不安感は 根拠の無いものではない。これまでの人類史に見られなかった 重大な危機があるのだ。末法思想のような、単なる心理的、精神的危機ではなく実態のある危機なのである。
それは 何かと言えば人口急増による 地球の定員オーバーの危機なのだ。“エコロジカル・フット・プリント”を計算すると 80年代に地球人口は過剰になったと言う。現在の人口には 現在の地球は1.2個必要だというのだ。地球という自然が人類を抱えて持続可能であるための収容能力を 現在の地球上人口ははるかに超えてしまっているのだ。
そして、そこに追い討ちをかけるように化石燃料が 枯渇し始めているのだ。経済的に採掘可能な石油は40年分しか無く、天然ガスは60年、その先は石炭(150年)とウラニウム(80年)しかないという。さらに そこには、当然 もっと差し迫った食料危機がやって来る。既に 利用可能な水資源が不足し始めているというではないか。

私は温暖化は真の危機ではないと思っている。温暖化は これまで地球史上には何度もあったという。現在より気温が高い時期もあった、という。そして氷河期もあった。だが人類は生存できて来た。そしてシロクマも生きて来た。
本格的にCO2ガスが地球上に増加し始めたのは第二次大戦以降なのだが、現在の温暖化はそれより、以前から始まっているという。一説によればその温暖化は 17世紀頃からだという。信じられない話だが、17世紀にはテムズ川は凍結していたらしい。また、南極の氷の分析によると過去35万年前から現在まで現在の温暖化時期を含めて4度温暖化しているが、いずれも温暖化を迎えると 何故かCO2ガスも増えるというデータとなっているという。温暖化とCO2ガスの因果関係が逆の可能性もあるのだ。だから、今の温暖化の主因がCO2ガスであるとは 直ちには信じ難いのだ。
余談だが、CO2ガスの増加と自動車の普及とは見事な相関があるのは事実だ。とすると、ガソリン自動車の数を減らせば 温暖化は収まるはずだが、そうなのだろうか。CO2ガスの増加は 温暖化の従属要因と見るべきではないか。

にもかかわらず、温暖化がCO2ガスによるものとし、それが危機として声高に喧伝されるのは何故なのだろうか。
地球の定員オーバーの危機よりも 温暖化の方が重要な問題で、CO2ガスの排出をコントロールしなければならないと言う主張は、危機の本質を覆い隠すキャンペーンなのだろうか。誰の意図か、それは既存のエスタブリッシュメントの一部であるのは違いあるまい。何らかの利益誘導なのだろう。あの怪しげなゴア氏が その表の代理人なのかもしれない。
IPCCには多くの学者が参画しているようだが、その本質を見抜けていないのなら その行為は犯罪的である。

これも 余談だが、あと60年経った後のエネルギー源は、石炭とウラニウムしかないが、いざとなってもCO2ガス排出抑制の見地から 石炭は使わない、とでも言うのだろうか。原子力エネルギーも お嫌いか。だが、その原子力も熱効率が悪く、温暖化に有効とは直ちには言い難いし、ウランも可採年数に限りはある。

繰り返すが、本当の問題の根源は地球人口の急増にある。
だが、国際的慈善団体は 開発途上国の人々の極貧状態、飢えと 幼い子供達の死への対策を訴えている。世界で“1歳の誕生日を迎えられない子供の数、年間600万人”という。この言葉を聞く時、複雑な心境になる。そして、本来人類の目指す社会は、弱者へのいたわりの眼差しのある社会であるという確信が 少し揺らぐのだ。つまり、この極貧、飢饉と 幼い子供達の死を回避することは人口の増加に寄与することにつながるのだ。“人類社会の進歩”が 人類の危機の根源なのだ。この矛盾をどうするのか。

いや、その手前には もっと手ごわい、恐るべき政治的エゴが この人類世界には蔓延している。それが あのCOP15で見られた各国のエゴだ。私は“CO2ガス抑制の必要性”は間違った認識だと思うが、ここまで世界的に一致した見解にすら 協力体制が組めず その方途を見つけられない不甲斐無さに 情けない複雑な思いがするのだ。
それが、また 世の中の閉塞感や不安感を加速させている。こんなことで、自然論的でもあり文明論的でもある“今そこにある危機”を乗り越えられるのだろうか。それぞれの国の国力の源泉である人口抑制など論外と言う状態だろう。

文明論的危機と言えば、現在の経済体制も危機であるという。資本主義経済が 新たな市場と、安く買って高く売るという新たな分野の枠組を生み出せずにもがいているというのが今の姿だという。市場のフロンティアが見当たらないのだ。だから景気が良くなる見通しを持てないのだ、という。分かり易く言うと、資本主義経済の根本欠陥である搾取構造、それが成立しなくなって来ているため、高収益が期待できないという。先進国の市場は飽和し 成長力が無くなったが、逆に成長する途上国を容易に搾取の対象とはできなくなって来ている。そこで、現象的には、収益を求めて金融活動が先鋭化し、局部的な金余りとなり、デフレ基調の経済にもかかわらず、バブルがあちこちに発生するという奇妙な世界になっている、という。

そして、さらに付け加えると 現状の経済体制では、CO2ガスの排出抑制は 経済の持続的発展を妨げるのだ。25%も削減すれば、世の中は地獄となるというのだ。戦争直後の日本は 戦前に比べ CO2ガスの排出は50%に減ったという。これは国土の徹底的破壊の結果であった。旧ソ連の崩壊でロシアではCO2ガス排出は25%減少したというが、そこには 個々人の生死にかかわるような耐え難い社会的激変と困難があったという。CO2ガス排出抑制を主張する側には そういう尋常でない困難への覚悟が必要なのだ。果たして そういう認識はあるのか。現実は お気楽の世界ではない。

こういう人類史的な進退窮まった未曾有の障害を前に、私の人生も不安定の危機を迎えるというのが、今年なのだ。
一体、どうすれば良いのか、戸惑うばかりである。果たして、明けて めでたい年となるのだろうか。
一人では解けそうに無い難題だが、人として この閉塞感は その本質を見極めつつ、一つ一つ、一歩一歩 個々の課題を打開して行かなければならない。そういう個々の冷静で地道な活動と多くの人の協力が何より求められるのだ。



(ご連絡:来る1月4日の投稿は お休みさせていただきます。)
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コメント
 
 
 
堕落 (大和)
2010-01-03 22:43:31
今年も、子供は見捨てられたままですか!
 不登校、退学者20万人、精神疾患休職教員5400人。こんな学校に通えば、ひきこもり、ニート、失業者となり、四万人の自殺者が出るのは当然です。
日本国民は、なぜこんなデタラメ教育を許しておくのですか。子供の不幸を見て見ぬふりする堕落した日本人こそ、自民党・官僚政治の愚民化政策が作り出した愚民です。
教育現場から、愚民化教育のおぞましい実態を詳細に暴露したのが「『おバカ教育』の構造」(阿吽正望 日新報道)です。時代錯誤の文科省官僚は、この知識時代に愚民化教育を行い、若者を貧窮させ、犯罪に走らせ、国家衰退を作り続けています。
これは、薬害エイズや薬害肝炎を起こした厚労省官僚を越える大罪です。悪徳官僚への恨みと呪いの声が、親や教師から聞こえてきます。うらめしや、うらめしやと。
今年こそ親たちは目を覚まし、子供を救うために立ち上がるのでしょうか。それとも、薬害肝炎やエイズ、原爆症患者、沖縄と同じに、日本人は子供を見捨てるのでしょうか。
 
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