goo

この1週間―中国・香港や関電不祥事、消費税と高槻プチ観光

先週は中国の国慶節が世界の話題だったろう。北京で共産党・政府によるパレード、香港でデモ、というより騒乱。
今後、どうなるのか。中国共産党は100年続くのか。彼らはそのために心血を注ぎ、日々肥え太りITを駆使して“人民”を管理、圧迫している。パレードに依れば超近代兵器で強力に武装している。一部では米国のレベルを超えているものがあるという。それは“人民”を圧迫する道具でもある。だが、肝心のその“人民”にはその自覚はあまり無さそう。従がい、香港人民の動きに中国本土の同情はないように見える。台湾は、大陸の動向を息をひそめて見ているという図式だ。

香港政府のやり方はナチスと同じだ。緊急事態と称して、“緊急状況規則条例(緊急法)”を発動し、悪法を議会審議を経ずに成立させ始めた。その第一歩が“覆面禁止法”の成立だ。こうした緊急事態条項を憲法改正で、折り込みたいと考えているのが安倍首相なのだ。民主主義を抑制したいのが安倍氏の目指すもので、その人が中国の現状にクレームを付けるはずがあるまい。

現状の中国をめぐる奇妙な均衡が大きく崩れる日はいつ来るのだろうか。経済の変調が微妙なバランスを崩す切っ掛けになるのだろうか。それとも、やはり北京政府から見て辺境からのゲリラ攻撃で崩すのが革命の正攻法であろう。その舞台が香港なのか。
今や、その辺境は地理的辺境のみではなく、サイバー空間での辺境もありうるし、その方が効果的ではないだろうか。だが、残念ながらそうした辺境が奈辺にあるのか、私にはわからない。世界のだれあが、密かに着々と準備してくれていることを望みたい。
ともあれ、“願榮光歸香港”が将来の中国のラ・マルセイエーズLa Marseillaiseになることを願いたい。しかし、これから私は何を為すべきか。

国内では関電の不祥事で大騒ぎだが、SDGS、ESGの時代に何をしているのか。中期経営計画には次のようにある。
“エネルギー分野にとどまらず、あらゆる領域で「社会問題」や「環境性」、「技術革新」の動きにしっかりと向き合い、「デジタルトランスフォーメーション(DX)」のもと、グループ総合力を発揮して、新たな価値を創出することで、エネルギー分野における日本のリーディングカンパニーとして、さらには、人・モノ・情報が繋がる中、「持続可能な未来社会の実現を支える共通基盤」の主要な担い手として、お客さまや社会の様々な課題解決のお役に立ち続けてまいります。”
ご立派な文言が羅列されているように思うが、要するに何が言いたいのか良くわからない。まぁ言うのは勝手だが、それが免罪符にはならないのは明らかだ。最近の世相というか、安倍政権がそうなのだが言えばあたかもやったような気分になって、それで終わり。アベノミクスと言えば景気が良くなったような気がするようなムード。それが日本社会全体に蔓延している。だから現実の景気は一向に良くならない。安倍氏御本人ばかりではなく、政権周辺の政治家には言うだけの軽輩が多すぎる。“How?(どうやって実現するのか?)”と聞かれて口ごもってしまうのは、その典型であろう。
とにかく経営陣のリスク感覚を疑わざるを得ない。適正なガバナンスや適切なマネジメントとは何かをしっかりと熟慮し、実現するために何を為すべきかが全く分かっていない。これが日本の一流企業のトップの現実なのだ。トップ・マネジメントの頭の中はヌルイ常春状態だったのではなかったか。監査役も警告を発していたとは言うものの、しっかり完璧に役割を果たしていたと言えるのだろうか。経営陣の保身ばかりが目立つような気がする。そのこと自体、先の経営計画の文言に反する行為なのだが。
“言行一致”・“知行合一”は倫理の第一歩であるべきなのだが。明治維新はそれによってなされたし、多くの志士はそれぞれの信じるところに従い命まで懸けたのだ。単なる美談ではない。

そもそも何故、原発をめぐってこのような不祥事が起きるのか。それは、その事業そのものに本来社会的正義にもとる部分があるからなのだ。“諸悪”はその正義にもとる部分を弱点とみて、甘い汁を吸おうと群がって来るのだ。
だから、この事件の背景は根深い可能性も大いにあるのかもしれない。かつての検察ならば“巨悪は眠らせない”と標榜していたが、今や暗黒面に身を売ったダース・ベーダーに成り下がっているので、巨悪を暴くことはするまい。
その点でも、原子力事業は社会的に問題があるものと考えるべきだろう。現政権が原子力発電にこだわるのは、そこにも理由があると見ているが、どうだろうか。
そんな政治状況で、あの言うだけ環境大臣は何を為すのだろうか。大いに見ものだ。正しくHowが問題なのだ。

ところで身近の問題だが、前回は“消費税対応狂騒曲で終始” したことを報告したが、先週はその続編だったので今回も報告したい。
キャッシュレスで対応すれば、増税もなんのその、上手く立ち回れば補助金で、増税以前より“お得”と言うPRが盛んだ。そこで生活防衛、私も最新スマホ・キャッシュレスを目指すことにした。大手が良いだろうと狙いを定めて、残高が容易に分かってチャージしやすいのを見つけて、いよいよどれほどの店舗で使えるものか、何とかネットで探してみた。
すると経産省が一般社団法人キャッシュレス推進協議会を設立して、どういう店がどんなキャッシュレスをやっているか分かるマップを掲示していた。しかしそのページで、ご近所がどうなっているのか探ってみたが、一面に該当する店舗があると思いきや、寂しい限り。さらにいつも行っている理髪店がどうなっているか見てみたが、どうやら該当せず、その隣地に違う理髪店の知らない名前があった。どういうことだろうか。それに同じ店名に複数のミニピンを立てている。1店舗1ミニピンではみすぼらしいので、水増ししたのだろうか。その上明らかに路上であり、公園でもある場所に聞いたことのない店舗の名称のミニピンもある。何だか既にいかがわしいインチキ臭いページだ。こんないい加減なページを経産省の名前で運営している。あたかも隣国大陸の政府のもののようだ。何だか、こんなキャッシュレスに乗っかるのは、未だ早いような気がして、やる気がなくなった。交通系カードは持っているし、問題ないか。
今や政府がここまでしたキャッシュレスを喧伝するのは、魂胆があると思って良いのかも知れない。一般国民の消費行動を把握し、徴税に役立てようとしている可能性もある、と思ってよいのではないか。
日本の経営者は肚の座った人物はいないので、簡単に政権に靡いてしまう。手に入れた情報は簡単に政権に差し出す可能性は非常に高い。こういう点でも米国の心ある経営者等とは全く違うと思っておいて間違いない。現に日本のマスコミ経営者は、現場の硬骨記者を守ることはなかった。又、民間会社とは言えないが、NHKが総務省が所管する日本郵政を忖度したと疑われる1件も事実としてあった。政権・政府に忖度して日本の既存マスコミは腐って行っている。

それから、コープこうべが“キャッシュレス・消費者還元事業(ポイント還元事業)”登録を目指したが、“経済産業省から「不認可」の通知”があった、という。一体、コープの何が気に入らなかったのだろうか。役人による国民への恣意的選別が始まったのだろうか。
恣意的選別と言えば、泉佐野市も同じだ。行政が妙に歪み始めているのではないか。その役人たちが政権に忖度し始めている。これは非常に危険な事態にいたる兆候ではあるまいか。問題は密かに足下で始まっているのかも知れない。


さて、ここで本来ならばこのブログ本来のテーマにするべきところだが、残念ながらそれが今回は出来ない。そこでマクラを膨らませて投稿した。申し訳ない。
実は、先週のある日、高槻に審査に赴いて、午後はついでに“しろあと歴史館”と“歴史民俗資料館”を見学に行こうとした。ところが現地に行ってみると、“しろあと歴史館”は、10月1日から来年1月下旬(予定)までの平日(月曜日から土曜日)は、外壁修繕工事のため臨時休館、とあって見学できなかった。これでは新たに知りえたことが乏しく、ある種の感動を持って高槻の歴史を報告することもできない。気落ちしながら“歴史民俗資料館”のある南の城址公園方面に向かう。すると、道端の記念碑のようなものにエッチングで高槻城跡について、次のような意味の説明があった。“大手、出丸、野見、城内の各町は、明治時代までの350年間にわたって、高槻城があったところ。歴代城主のうち、高山右近はキリシタン大名として有名だ。右近は広大な濠をめぐらした城を築き上げ、城内には教会堂を建ててキリスト教の布教につとめた。”
城址公園入口の高山右近像のわきには、次のような案内表示があった。“高山右近は戦国末期の高槻城主、キリシタン大名であり、1552年(天文21年)頃に摂津高山(現豊能郡豊能町)で生まれたとされる。右近と父・高山飛騨守は、1573年(元亀4年)主君和田惟政の子惟長と対立し、やがて右近は高槻城主となる。”・・・友人・荒木村重の謀反に苦難するが、山崎合戦で功績を挙げ、キリシタン大名として活躍。しかし、そのため秀吉のバテレン追放令に対し、棄教を拒否、領地没収され、前田利家に仕えるが、1614年(慶長19年)徳川幕府により国外追放となり、“マニラに向かった右近は到着後、40日で熱病に罹り、1615年(慶長20年)2月3日に亡くなる。文化人でもあった右近は、千利休の高弟「利休七哲」の一人、「利休極上一の弟子也」ともうたわれる。”
近くにある“歴史民俗資料館”は、HPによれば“江戸時代中頃、城下の紺屋町に建てられていた商家を移築復元したもの。しろあと歴史館の分館としてふるさとの暮らしや生業を語る生活用具、農具・漁具などの民俗文化財を保存、展示している。建物は市の有形文化財に指定されている。”といったもの。 現地の掲示板には次のようにあった。“江戸時代に乾物や瀬戸物・米の商いをしていた笹井家の住居は、入口を棟方向に設けた妻入りで本瓦葺き屋根になる。屋根を支える小屋組みは、市内にある瓦葺き屋根の中で最も古い形式手法を残している点が貴重。”
入場料無料で受付も特になく、中に入って写真を撮った。その後、庭の見える畳にあぐらをかいて、持参した凍らせておいて少し解けた冷たいお茶を飲み、少々和む。

帰る途中で、喫茶店“からふね屋珈琲”に立ち寄って、審査報告書をまとめ、阪急・高槻市駅から京都の事務局に向かって、報告書を提出した。


コメント ( 0 ) | Trackback ( )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 宇治プチプチ観光 本村凌二・著“... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。