The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
本村凌二・著“はじめて読む人のローマ史1200年”を読んで
先週末は台風19号来襲に話題集中したが、私は通過直後のラグビー・ワールド・カップ予選のスコットランド戦に注目した。
このラグビー・ゲームにはほとんど久しぶりに興奮した。何十年ぶりであろうか。ここまで日本チームが強くなっているとは思わなかった。サッカーよりはるかに山場が分かりやすく、面白い。単純な体力勝負でもない。だから選手の体格が揃ってはいない。ガタイの良い巨人ばかりではなく、小柄だが敏捷な選手もいる。チームには多様性が必要なのだ。それが良く、楽しい。だが、怪我が多そうなのは少々問題ではある。だからこそ、練習と鍛錬が必要なのだろう。
台風に話を戻そう。実は被害全容が見えなかったのでこの投稿を少し遅らせた。大手新聞の発表では、“14日午前0時現在、10県で35人が死亡、6県で18人が行方不明”となっている。被害調査はほぼこれで行き渡っているのだろうか。しっかり調査できていない部分があるのではないか。
前回の首都圏を襲った15号台風は強風が問題だったが、終わってみれば19号は水害だった。河川の氾濫が目立つ。東京都の下町への避難指示がなかなか出なかったので、それで大丈夫なのか大いに懸念していたが、問題はそれ以外で起きていた。やはり中央には手厚い対策が施されていたようだ。意外にもニコタマやムサコでの浸水被害が報道されている。どうやらニコタマは河岸段丘下の河川敷のような場所にもかかわらず、国交省に堤防を作らせなかった住民エゴのようなものの結果のようだ。ムサコは本来低湿地のような水はけの悪い場所に建設された所の被害のようだ。確か、ムサコの話は“ブラタモリ”でもしていたような気がする。
今回も大きな河川に流れ込む支流域での氾濫が目立ち、バック・ウォーター現象が問題のようだ。今後、千曲川(信濃川)や東北各地の河川氾濫の原因と結果の分析が必要のようだ。元大阪府知事の橋本氏がバラしていたが、人口密集地の都市を守るために、過疎地域で氾濫させるように遊水地を意図的に作っている場合があり、この情報公開が十分だったか問題があるという。
いずれにせよ、行政の作った浸水ハザードマップは結構信頼性が高いようだ。それを見て、自己防衛せざるを得まい。河川の近くには住まない、戸建てを建てるなら2階以上とするべきなど、なすべき個人対応はある。
ところで話は変わるが、神戸市の教育界は一体、どうなっているのだろうか。教育委の解体すら考えなければならないほど、精神面で病んでいる。“先生”が率先して“いじめ”を実践しているようでは、最早教育者とは言えまい。これでは安心して子供達を任せられる状態ではない。教育はある点で都市政策の根幹をなす。神戸市は人口減少で悩んでいるというのなら、直ちに外部の人を入れて教育委の再建に取りかからねばなるまい。
さて、今週は本村凌二・著“はじめて読む人のローマ史1200年”の読後感想を書きたい。高校時代に世界史を習ったのだが、特に古代史、中世史を最初にやって、その後 科目選択によって日本史を選択し日本史で受験したため、古代ローマは確実にカリキュラムに入っていたにもかかわらず、非常に印象に薄く、その後の知識補強にあっても、ローマ史全体の系統的理解とはなっていなかったので、この本の表題を見た時、触手が動いたのだった。
ローマと言っても、例えば映画では“クレオパトラ”や“グラディエーター”、最近では“テルマエロマエ”のイメージがせいぜい。高校時代の英作文でも “The die is cast.”とシーザーが言ってルビコン川を渡ったというのが取上げられたり、現代国語で“ブルータスお前もか”の戯曲が教材だったという断片的な知識であり、それらの背景を詳しく知ることはなかった。
或いは、ローマ帝国とイエス・キリストとの関係性が曖昧なイメージで終わってしまっている。さらに、古代史上最大の帝国がどのように終焉したのかの経緯も知らずにいる。法学の世界において、ローマ法が人類の文明社会に与えた影響は絶大であるということは、つい最近知った程である。それやこれや、フト気付くとあまりにもローマについて知らなさすぎる。そういう私には“はじめて読む人のローマ史”という本の表題は、強烈に刺さったのだ。(以下、原文はデス・マス調だが、私の判断で動詞の終止形を含むダ・デアル調に変更したり、若干編集して引用している。)
“はじめに”で語られる言葉も刺激的であった。“ソ連は70年の寿命だったが「パックス・ロマーナ(ローマの平和)」の繁栄は200年(紀元前27年~180年)にも 及んだ”ということ、さらに驚きは“五賢帝時代のローマの自由民の所得は、18世紀までのどの国のものと比べても高かった。・・・人類がローマでの絶頂を極めた豊かさを取り戻すためには、産業革命を待たなければならなかった。”という。“故・丸山眞男先生は「ローマの歴史のなかには、人類の経験すべてが詰まっている」と語った”ともいう。それを知らなさ過ぎるというのは、最早アホ!ではないか。
“アホで何が悪い!”とうそぶいている場合ではない。“アホは、ある種犯罪である。”何故ならば、“知らないことで、他人に迷惑をかけることになる場合がある”からだ。それを体現しているのが安倍首相ではないか。だからトランプ氏と波長が合うのだろう。私は、現代日本の反知性主義に反感を覚える。
“ローマ人は「祖国」を発明した”と言われるが、それは今のローマでも見られる(タクシーのドア、建物の壁、鉄のマンホールの蓋等)SPQRという文字表記にあるという。これは“Senatus Populusque Romanus(ローマの元老院と国民)”の意味で、“古代ローマにおける国の主権者を意味”している、ということ。あの“グラディエーター”で主人公マキシマスの腕の入れ墨だったが、彼がこれを消すシーンがあったが、日本人の多くはその意味を知らなかったのではないかと指摘している。
“ローマ法は、「十二表法」と約1000年後にそれが集大成された「ローマ法大全(ユスティアヌス法典)」を指す”。「十二表法」は紀元前450年に公布されている。それは銅板に刻まれ街の中心地に掲げられ、その内容を子供達に暗記させたという。政治家で哲学者でもあったキケロは“十二表法は何十冊の哲学書を読むよりも、はるかに人間の生き方を教えていると言っている”とのこと。ローマ法に憲法は無いが、それは慣習法(不文法)の積み重ねだからで、この点で現代のイギリスと同じ。このローマ法がベースになって“フランス民法典(ナポレオン法典)”や“ドイツ民法典”が作られた。明治期の日本民法制定時は、立法及び解釈の上でドイツ民法から大きな影響を受けているので、ローマ法の影響下にある。
ローマ人は“父祖の遺風mos maiorum”つまり“先祖の名誉”を重んじたという。通常は“貴族の家庭では教育は他人に任せる場合が多い”のが一般的だが、ローマでは“家庭教師を雇ったとしても、他人任せにはせず、大事なことは父親が自ら非常に熱心に教えた。・・・なかでも力を入れたのが「父祖の遺風」だった。生きていく上で、どのように考え、いかに振る舞い行動するかの基準を「父祖の遺風」に求めた”という。“こうした意識は、法で規制できない部分を補完した”。
ローマを理解する重要な鍵に、“パトロヌスpatronus(保護者)とクリエンテスclientes(被保護者)”という人間関係があるという。簡単に言えば“親分と子分”の関係だ。パトロヌスとクリエンテスの関係は、あくまでも私的なものだが、パトロヌスが公的な立場に就くと、クリエンテスはその手下として下級役人的な役割を担うことになる。それが、最初はローマ内部だけだったものが属州近辺に広がり最終的にはローマ帝国全体で1人の皇帝を頂点とするピラミッドに統合され、私的な関係が国家組織に変わっていった。ローマ軍のファランクス*を構成する場合にもこうした人間関係や役立ったし、そうした関係を助長したようだ。現在ではこうした関係は、存在してはいないが、濃密な従属関係は今の地中海世界でも残っており、その典型がマフィアであり、映画“ゴッド・ファーザー”にその例を見られるとのこと。
*重装備の甲冑と短槍を装備した密集陣形。特に古代ローマではテストゥド(Testudo)という歩兵集団が密集した隊列で盾を前方、上方に掲げつつ対峙、移動する戦術をしばしば使った。主に騎兵に対する防御あるいは攻城戦での突に用いられた。70年代の東大紛争で機動隊が火炎瓶の投げ込みの中をこの制圧隊形を使った。
ローマの「権威をもって統治せよ」との言葉は、SPQRや「父祖の遺風」、“パトロヌスとクリエンテスの関係”に見られる“ローマ人の傑出した誇り高さ”によっている、と指摘している。
ローマ人は“神々は力を持った精霊のようなものであり、万物はその神々の力によって支配されていると考えていた。神々の怒りに触れないよう敬虔に祭儀にはげみ、厳格に形式に則り実施され家畜を生贄にして、神々の心を鎮めようとした。”しかし、ローマ人は“自分たちの信仰を異民族に強制することはいっさいしなかった。属州支配で帝国が拡大しても、ローマ人は土着の信仰に対して、常に寛容な態度をとった。これは、ユダヤ教やキリスト教という「一神教」に対しても同様”だったという。
ならば何故キリスト教徒を弾圧したのかとなるが、暴君ネロのキリスト信者弾圧は、実は彼の政治的スキャンダルの隠蔽のため行われたのであって、これはキリスト教に対する弾圧ではなかったという。
ローマで弾圧があった理由は、“キリスト教の方にあった。唯一絶対神を信仰するキリスト教徒は、自分たちの信じる神以外はニセモノと断じ、「信じてはいけない」と主張”したからだ。ユダヤ教の神はユダヤ人だけを救うのであり、異民族の信仰に干渉することはなかった。“しかし、キリスト教は「キリストがすべての人々の罪を贖った」としたので、信徒が民族にかかわらず全人類に及んだ”ためであると指摘している。愛を全人類に及ぼすという寛大さと信教態度の狭量さとの矛盾が弾圧の原因となったのだという解釈のようだ。ならば今はその矛盾をキリスト教ではどのように解消しているのであろうか。
ところが、ローマの国力が衰え、社会が不安定となり、古来の人間関係が揺らいで、ローマの人々が個々に救いを求めたところにキリスト教があったため、それが普及したのだろうという。その下地には“神の子が人々の犠牲になるという分かりやすさ。ふたつ目は抑圧された(ローマ下層の)人々の怨念。三つ目が心の豊かさを求める際のローマ人の禁欲的意識”があったためではないかという。
以上がこの本の出だしだが、これらが全体のベースになっていて、重要な内容だ。以下、1200年のローマ史を四つの時代に分けて説明している。
(1)起・建国からカルタゴ滅亡まで
(2)承・内乱の一世紀から、ネロ帝の自害まで
(3)転・五賢帝から、セウェルス朝の終焉まで
(4)結・軍人皇帝から、西ローマ帝国の滅亡まで
面白いエピソードは“お姫様抱っこ”は、ローマが帝国に拡大して行く過程で女性不足をカバーするために“力ずくで外国の女性を略奪した故事に由来した風習”だという。
“古代ローマの都市には、少なくともひとつのテルマエthermae(公衆浴場)があり、人々は毎日そこで入浴を楽しんだ。ローマのテルマエは単なる浴場ではなく、市民の社交場としての機能もはたしていた。この数がピークに達するのは、五賢帝の一人、ハドリアヌス帝の時代・・・ローマの街には国が経営する大浴場が11カ所、その他に個人が経営する小浴場が900カ所もあったっと言われている。・・・(ところがこれを運営するためには)膨大な量の水と、膨大な燃料、大勢の奴隷を必要とした。(それをタダ同然の使用料で市民に提供していたので維持できるはずもなく、)経費のほとんどは国が負担していた。そのため、国力が衰えるとテルマエの運営自体が難しくなった”のだということだ。
最後にローマが滅びた要因は次の通りと指摘。①異民族の侵入②インフラの老朽化③イタリアの凋落
①の“侵入”は軍事侵攻によるものではなく、移民流入のような浸透のイメージのようだ。“国籍”のような概念のない古代には当然のことだろう。現象面で最後の決定打はゲルマン軍の侵攻によるものであっても、その以前に浸透があったと理解するべきようだ。
②のインフラの老朽化は現在の日本にとっては衝撃的な現実ではないか。ただでさえ、天変地異によってインフラがぜい弱化しているにもかかわらず、国力の低下によって修復が遅れつつある現実を目の前にして、どう思うかである。さしあたって台風19号の被害ではインフラ老朽化との関連事例は少なかったようだが・・・。今後の詳細な分析と総括が求められる。
③は国家の衰退によって“パトロヌスとクリエンテスによる体制”が弱体化したようで、そのため軍事力強化に予算を割かねばならなくなり、負のスパイラルに陥ったということ。それと奴隷制の弱点が露呈したことを意味しているようだ。
この本の内容を紹介しようとして、要約しようとするがエピソードが多すぎて、実は大変な作業になると理解できる。それを1冊の新書本にしたのだから、著者の要領の良さがようやくわかったという次第だ。
そもそもこの本の最初にはローマ人の特徴が語られている。そこで印象的だったのは、意外といえば語弊があるがローマ人の生真面目な気質と、自由を好む傾向である。特に、信教の自由に関しては被統治者にたいしても寛容であったということである。恐らく、それが現在のヨーロッパ人の自由の気質の原点であろうと気づかされた点である。
そこで自由を好むローマ人が帝国のトップに皇帝を据えていたこととの矛盾が気になるところだが、ここでいう“皇帝”は古代から中世のアジア型の皇帝ではない。世襲制ではなく、あくまでも背後に元老院があり、そこで選ばれた人物が全権を握る形になっている。ローマ人は一時的な独裁は許容したが、ギリシア型の民主主義は衆愚につながるとして、嫌った結果のようだ。
そういう点では現在の中国政治体制と酷似している。中国の国家主席は、共産党を母体として権力闘争を通じて選出される。いわばローマ型の“皇帝”なのだ。これが現代では民主主義とは言えないのは、明らかである。
このラグビー・ゲームにはほとんど久しぶりに興奮した。何十年ぶりであろうか。ここまで日本チームが強くなっているとは思わなかった。サッカーよりはるかに山場が分かりやすく、面白い。単純な体力勝負でもない。だから選手の体格が揃ってはいない。ガタイの良い巨人ばかりではなく、小柄だが敏捷な選手もいる。チームには多様性が必要なのだ。それが良く、楽しい。だが、怪我が多そうなのは少々問題ではある。だからこそ、練習と鍛錬が必要なのだろう。
台風に話を戻そう。実は被害全容が見えなかったのでこの投稿を少し遅らせた。大手新聞の発表では、“14日午前0時現在、10県で35人が死亡、6県で18人が行方不明”となっている。被害調査はほぼこれで行き渡っているのだろうか。しっかり調査できていない部分があるのではないか。
前回の首都圏を襲った15号台風は強風が問題だったが、終わってみれば19号は水害だった。河川の氾濫が目立つ。東京都の下町への避難指示がなかなか出なかったので、それで大丈夫なのか大いに懸念していたが、問題はそれ以外で起きていた。やはり中央には手厚い対策が施されていたようだ。意外にもニコタマやムサコでの浸水被害が報道されている。どうやらニコタマは河岸段丘下の河川敷のような場所にもかかわらず、国交省に堤防を作らせなかった住民エゴのようなものの結果のようだ。ムサコは本来低湿地のような水はけの悪い場所に建設された所の被害のようだ。確か、ムサコの話は“ブラタモリ”でもしていたような気がする。
今回も大きな河川に流れ込む支流域での氾濫が目立ち、バック・ウォーター現象が問題のようだ。今後、千曲川(信濃川)や東北各地の河川氾濫の原因と結果の分析が必要のようだ。元大阪府知事の橋本氏がバラしていたが、人口密集地の都市を守るために、過疎地域で氾濫させるように遊水地を意図的に作っている場合があり、この情報公開が十分だったか問題があるという。
いずれにせよ、行政の作った浸水ハザードマップは結構信頼性が高いようだ。それを見て、自己防衛せざるを得まい。河川の近くには住まない、戸建てを建てるなら2階以上とするべきなど、なすべき個人対応はある。
ところで話は変わるが、神戸市の教育界は一体、どうなっているのだろうか。教育委の解体すら考えなければならないほど、精神面で病んでいる。“先生”が率先して“いじめ”を実践しているようでは、最早教育者とは言えまい。これでは安心して子供達を任せられる状態ではない。教育はある点で都市政策の根幹をなす。神戸市は人口減少で悩んでいるというのなら、直ちに外部の人を入れて教育委の再建に取りかからねばなるまい。
さて、今週は本村凌二・著“はじめて読む人のローマ史1200年”の読後感想を書きたい。高校時代に世界史を習ったのだが、特に古代史、中世史を最初にやって、その後 科目選択によって日本史を選択し日本史で受験したため、古代ローマは確実にカリキュラムに入っていたにもかかわらず、非常に印象に薄く、その後の知識補強にあっても、ローマ史全体の系統的理解とはなっていなかったので、この本の表題を見た時、触手が動いたのだった。
ローマと言っても、例えば映画では“クレオパトラ”や“グラディエーター”、最近では“テルマエロマエ”のイメージがせいぜい。高校時代の英作文でも “The die is cast.”とシーザーが言ってルビコン川を渡ったというのが取上げられたり、現代国語で“ブルータスお前もか”の戯曲が教材だったという断片的な知識であり、それらの背景を詳しく知ることはなかった。
或いは、ローマ帝国とイエス・キリストとの関係性が曖昧なイメージで終わってしまっている。さらに、古代史上最大の帝国がどのように終焉したのかの経緯も知らずにいる。法学の世界において、ローマ法が人類の文明社会に与えた影響は絶大であるということは、つい最近知った程である。それやこれや、フト気付くとあまりにもローマについて知らなさすぎる。そういう私には“はじめて読む人のローマ史”という本の表題は、強烈に刺さったのだ。(以下、原文はデス・マス調だが、私の判断で動詞の終止形を含むダ・デアル調に変更したり、若干編集して引用している。)
“はじめに”で語られる言葉も刺激的であった。“ソ連は70年の寿命だったが「パックス・ロマーナ(ローマの平和)」の繁栄は200年(紀元前27年~180年)にも 及んだ”ということ、さらに驚きは“五賢帝時代のローマの自由民の所得は、18世紀までのどの国のものと比べても高かった。・・・人類がローマでの絶頂を極めた豊かさを取り戻すためには、産業革命を待たなければならなかった。”という。“故・丸山眞男先生は「ローマの歴史のなかには、人類の経験すべてが詰まっている」と語った”ともいう。それを知らなさ過ぎるというのは、最早アホ!ではないか。
“アホで何が悪い!”とうそぶいている場合ではない。“アホは、ある種犯罪である。”何故ならば、“知らないことで、他人に迷惑をかけることになる場合がある”からだ。それを体現しているのが安倍首相ではないか。だからトランプ氏と波長が合うのだろう。私は、現代日本の反知性主義に反感を覚える。
“ローマ人は「祖国」を発明した”と言われるが、それは今のローマでも見られる(タクシーのドア、建物の壁、鉄のマンホールの蓋等)SPQRという文字表記にあるという。これは“Senatus Populusque Romanus(ローマの元老院と国民)”の意味で、“古代ローマにおける国の主権者を意味”している、ということ。あの“グラディエーター”で主人公マキシマスの腕の入れ墨だったが、彼がこれを消すシーンがあったが、日本人の多くはその意味を知らなかったのではないかと指摘している。
“ローマ法は、「十二表法」と約1000年後にそれが集大成された「ローマ法大全(ユスティアヌス法典)」を指す”。「十二表法」は紀元前450年に公布されている。それは銅板に刻まれ街の中心地に掲げられ、その内容を子供達に暗記させたという。政治家で哲学者でもあったキケロは“十二表法は何十冊の哲学書を読むよりも、はるかに人間の生き方を教えていると言っている”とのこと。ローマ法に憲法は無いが、それは慣習法(不文法)の積み重ねだからで、この点で現代のイギリスと同じ。このローマ法がベースになって“フランス民法典(ナポレオン法典)”や“ドイツ民法典”が作られた。明治期の日本民法制定時は、立法及び解釈の上でドイツ民法から大きな影響を受けているので、ローマ法の影響下にある。
ローマ人は“父祖の遺風mos maiorum”つまり“先祖の名誉”を重んじたという。通常は“貴族の家庭では教育は他人に任せる場合が多い”のが一般的だが、ローマでは“家庭教師を雇ったとしても、他人任せにはせず、大事なことは父親が自ら非常に熱心に教えた。・・・なかでも力を入れたのが「父祖の遺風」だった。生きていく上で、どのように考え、いかに振る舞い行動するかの基準を「父祖の遺風」に求めた”という。“こうした意識は、法で規制できない部分を補完した”。
ローマを理解する重要な鍵に、“パトロヌスpatronus(保護者)とクリエンテスclientes(被保護者)”という人間関係があるという。簡単に言えば“親分と子分”の関係だ。パトロヌスとクリエンテスの関係は、あくまでも私的なものだが、パトロヌスが公的な立場に就くと、クリエンテスはその手下として下級役人的な役割を担うことになる。それが、最初はローマ内部だけだったものが属州近辺に広がり最終的にはローマ帝国全体で1人の皇帝を頂点とするピラミッドに統合され、私的な関係が国家組織に変わっていった。ローマ軍のファランクス*を構成する場合にもこうした人間関係や役立ったし、そうした関係を助長したようだ。現在ではこうした関係は、存在してはいないが、濃密な従属関係は今の地中海世界でも残っており、その典型がマフィアであり、映画“ゴッド・ファーザー”にその例を見られるとのこと。
*重装備の甲冑と短槍を装備した密集陣形。特に古代ローマではテストゥド(Testudo)という歩兵集団が密集した隊列で盾を前方、上方に掲げつつ対峙、移動する戦術をしばしば使った。主に騎兵に対する防御あるいは攻城戦での突に用いられた。70年代の東大紛争で機動隊が火炎瓶の投げ込みの中をこの制圧隊形を使った。
ローマの「権威をもって統治せよ」との言葉は、SPQRや「父祖の遺風」、“パトロヌスとクリエンテスの関係”に見られる“ローマ人の傑出した誇り高さ”によっている、と指摘している。
ローマ人は“神々は力を持った精霊のようなものであり、万物はその神々の力によって支配されていると考えていた。神々の怒りに触れないよう敬虔に祭儀にはげみ、厳格に形式に則り実施され家畜を生贄にして、神々の心を鎮めようとした。”しかし、ローマ人は“自分たちの信仰を異民族に強制することはいっさいしなかった。属州支配で帝国が拡大しても、ローマ人は土着の信仰に対して、常に寛容な態度をとった。これは、ユダヤ教やキリスト教という「一神教」に対しても同様”だったという。
ならば何故キリスト教徒を弾圧したのかとなるが、暴君ネロのキリスト信者弾圧は、実は彼の政治的スキャンダルの隠蔽のため行われたのであって、これはキリスト教に対する弾圧ではなかったという。
ローマで弾圧があった理由は、“キリスト教の方にあった。唯一絶対神を信仰するキリスト教徒は、自分たちの信じる神以外はニセモノと断じ、「信じてはいけない」と主張”したからだ。ユダヤ教の神はユダヤ人だけを救うのであり、異民族の信仰に干渉することはなかった。“しかし、キリスト教は「キリストがすべての人々の罪を贖った」としたので、信徒が民族にかかわらず全人類に及んだ”ためであると指摘している。愛を全人類に及ぼすという寛大さと信教態度の狭量さとの矛盾が弾圧の原因となったのだという解釈のようだ。ならば今はその矛盾をキリスト教ではどのように解消しているのであろうか。
ところが、ローマの国力が衰え、社会が不安定となり、古来の人間関係が揺らいで、ローマの人々が個々に救いを求めたところにキリスト教があったため、それが普及したのだろうという。その下地には“神の子が人々の犠牲になるという分かりやすさ。ふたつ目は抑圧された(ローマ下層の)人々の怨念。三つ目が心の豊かさを求める際のローマ人の禁欲的意識”があったためではないかという。
以上がこの本の出だしだが、これらが全体のベースになっていて、重要な内容だ。以下、1200年のローマ史を四つの時代に分けて説明している。
(1)起・建国からカルタゴ滅亡まで
(2)承・内乱の一世紀から、ネロ帝の自害まで
(3)転・五賢帝から、セウェルス朝の終焉まで
(4)結・軍人皇帝から、西ローマ帝国の滅亡まで
面白いエピソードは“お姫様抱っこ”は、ローマが帝国に拡大して行く過程で女性不足をカバーするために“力ずくで外国の女性を略奪した故事に由来した風習”だという。
“古代ローマの都市には、少なくともひとつのテルマエthermae(公衆浴場)があり、人々は毎日そこで入浴を楽しんだ。ローマのテルマエは単なる浴場ではなく、市民の社交場としての機能もはたしていた。この数がピークに達するのは、五賢帝の一人、ハドリアヌス帝の時代・・・ローマの街には国が経営する大浴場が11カ所、その他に個人が経営する小浴場が900カ所もあったっと言われている。・・・(ところがこれを運営するためには)膨大な量の水と、膨大な燃料、大勢の奴隷を必要とした。(それをタダ同然の使用料で市民に提供していたので維持できるはずもなく、)経費のほとんどは国が負担していた。そのため、国力が衰えるとテルマエの運営自体が難しくなった”のだということだ。
最後にローマが滅びた要因は次の通りと指摘。①異民族の侵入②インフラの老朽化③イタリアの凋落
①の“侵入”は軍事侵攻によるものではなく、移民流入のような浸透のイメージのようだ。“国籍”のような概念のない古代には当然のことだろう。現象面で最後の決定打はゲルマン軍の侵攻によるものであっても、その以前に浸透があったと理解するべきようだ。
②のインフラの老朽化は現在の日本にとっては衝撃的な現実ではないか。ただでさえ、天変地異によってインフラがぜい弱化しているにもかかわらず、国力の低下によって修復が遅れつつある現実を目の前にして、どう思うかである。さしあたって台風19号の被害ではインフラ老朽化との関連事例は少なかったようだが・・・。今後の詳細な分析と総括が求められる。
③は国家の衰退によって“パトロヌスとクリエンテスによる体制”が弱体化したようで、そのため軍事力強化に予算を割かねばならなくなり、負のスパイラルに陥ったということ。それと奴隷制の弱点が露呈したことを意味しているようだ。
この本の内容を紹介しようとして、要約しようとするがエピソードが多すぎて、実は大変な作業になると理解できる。それを1冊の新書本にしたのだから、著者の要領の良さがようやくわかったという次第だ。
そもそもこの本の最初にはローマ人の特徴が語られている。そこで印象的だったのは、意外といえば語弊があるがローマ人の生真面目な気質と、自由を好む傾向である。特に、信教の自由に関しては被統治者にたいしても寛容であったということである。恐らく、それが現在のヨーロッパ人の自由の気質の原点であろうと気づかされた点である。
そこで自由を好むローマ人が帝国のトップに皇帝を据えていたこととの矛盾が気になるところだが、ここでいう“皇帝”は古代から中世のアジア型の皇帝ではない。世襲制ではなく、あくまでも背後に元老院があり、そこで選ばれた人物が全権を握る形になっている。ローマ人は一時的な独裁は許容したが、ギリシア型の民主主義は衆愚につながるとして、嫌った結果のようだ。
そういう点では現在の中国政治体制と酷似している。中国の国家主席は、共産党を母体として権力闘争を通じて選出される。いわばローマ型の“皇帝”なのだ。これが現代では民主主義とは言えないのは、明らかである。
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