The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
大丈夫かアベノリスク
最近の東京株式市場は方向感なく停滞気味の印象だ。少し前、ギリシア問題が騒がれた頃、あるエコノミストがギリシャ問題はバーチャルであり、リアルは中国経済の不振と米国の利上げだ、と指摘していたが、それがグローバルに強く意識されて来ているのが現状のように思われる。
世界的に見ると中国経済の不振は、資源新興国の経済を不振に追いやり、これに米国の利上げが新興国をさらに苦境へと追い打ちをかける懸念がある。
また米国市場は利上げ後の景況を懸念してか停滞感が大きい。だが、利上げは米連銀が米経済は好況と判断している証左なので、米国市場の停滞感は本質的な問題では無さそうだ。だが懸念する米国人は利上げは遅すぎ、既に米国経済は好調を過ぎて不振期に入っていると指摘している。この不振の時期に利上げすれば本当の不況になると警告しているのだ。こういううがった見方は、利上げさせないための政治的に雑音と見た方が良いのではないか。しかし、こうした見方も交錯し、市場は一方向へ向かっていないのだ。
こうした米国市場での迷いが東京市場にも反映して居るのだろう。さらにGDP4-6月は不調予想だと言う。しかし消費は伸びているようなので問題は少ないのかも知れない。逆に補正予算を期待する声もあるようだ。一方、日本の企業業績は今のところ一般的に順調に伸びて来ており、さらに政府・日銀の株価浮揚策もジワジワ効いているように見える。こうした交錯した見方の中で、8月は盆休みがあり、夏枯れ相場となることが多いと指摘している相場ウォッチャーも居る。ここに来て特に東京市場はサマー・ラリーか夏枯れか大いに視界不良となっている。しかし、本当にそれだけであろうか。
私は日本の市場にはその政治状況に最大の不安要素がある、と思っている。つまり現内閣首班の“政治的安定性”がここに来て最大の懸念事項となってきていると見ているのだ。
つまり、安保法制の成立が不確実化し、むしろ廃案となる可能性が高くなっているのではないかと思われるためだ。“一強多弱”と言われて驕り高ぶりからか仲間内からの放言も目立ち、その為もあって急速に支持率を失い、これにより安倍氏自身の言動にブレが目立ち始めている。政治は相場と同じように“一寸先は闇”となりつつある。米国で誓約した安保法制が廃案となれば、安倍内閣は総辞職せざるを得なくなるのは確実だ。9月には、その可能性は非常に大きいと見る。
アベノミクスの主体が退場すれば、東京市場は一気に視界不良となって急降下するのは当然であろう。政策的に株価が下支えされている現状では、政情不安は“売り”の大きな要因である。これは正にアベノリスクなのだ。
支持率の低下の中で特に驚くのは最近の読売新聞の世論調査の結果だ。同調査の実態を見ると、アンケートの問いかけで“安全保障関連法案は、日本の平和と安全を確保し、国際社会への貢献を強化するために、自衛隊の活動を拡大するものです。こうした法律の整備に、賛成ですか、反対ですか。”と安保法制への賛成を促す質問であるにもかかわらず、“賛成”は38%、“反対”が51%となって反対が賛成を大きく上回った、というのだ。
こういう事実から、一般には“国民の理解が進んでいない”との認識が、逆に“国民の理解が進んだため反対が増加している”という見方の根拠になって来ている。
と、言うよりも安倍首相のこれまでの言動と併せて見て、それに不信感が増しつつある中、憲法学者により“違憲”発言で、一気に国民意識が覚醒し反対する意見が増加したのではないか。
元々、“戦後レジーム(体制)からの脱却”を標榜し、首相になって靖国神社参拝ができないことを“痛恨の極み”と称して、ついに第二次安倍内閣組閣後、2013年末に参拝を強行。これに対し、米国は大いなる不信感を“失望”との言葉で明確に表明したが、御本人からは信念に基づく行動であるとの論理的説明はなく沈黙のまま推移した。その後昨年2014年夏に集団的自衛権行使を容認する方針を閣議決定した。ここまでは、“国権の発動を強化”しようとする民族派ナショナリスト安倍晋三のイメージは維持できていた。従って、中間派を含めて右派の多くの人々の心を捉えていたのだろう。
ところが、今年2015年4月末の米国議会での演説では、民族派らしい発言としての歴史認識と靖国参拝に対する信念説明の絶好の機会であったはずだが、一切無いまま、一方的に“米国と共に戦う姿勢”を宣明した。しかもそのための法案成立を国会を無視して植民地総督のごとく“誇らしく高らかに誓約”したのだった。これにより、多くの日本人が首相の日本人としての矜持に疑いの目を向け始めたのは事実であろう。右派の心ある人々も安倍氏を信じなくなったのではないか。それが、読売新聞での世論調査の結果に反映しているのではないか。
“痛恨の極み”とまで強い言葉で言い切ったことに対し、米国側に一切説明できないのは何故なのか。強い信念は米国人をも動かし、彼らを真の味方として引き入れることができる良い機会ではなかったか。特に米国人は“誇り高い不羈の人”には感動し、尊敬する気風がある。それは安保法制よりも“真の同盟”にとって重要なことではなかったか。
“米国と共に戦う”のであれば、自衛官の犠牲、リスクは増加するはずだが、その点についてどう思うのかと国会で質されて、“(自衛官のリスクは)仕事として当然のことだ”と言いきったことは、象徴的であった。そこに、安倍氏の真の心象風景が垣間見えたのだ。翻って、今年の年頭にはイスラムで捕えられたフリー・ジャーナリストの命を、“米国の助言を全面的に受入れて”むざむざと見捨てた衝撃の記憶が蘇り、これが安倍氏の言動と重なって一致するのだ。こうしたことから、安倍氏の“国民の命と安全を守る”という言葉には、真実味が全く感じられなくなっている。
こうした真の姿があからさまにならないように警戒してか、安倍氏の国会での答弁は“丁寧に”同じ言葉を繰り返してはぐらかすばかりで、はなはだしいのは行き詰ると“私を信じてくれ”としか言わなくなっている。“信じて欲しい”のならば言論でもって信じてもらうための論理を説明すれば良いのだが、意図的にかそれをしない。これでは怪しいこと限りない。
こうした米国にへつらうだけの姿勢に見える経緯から、安保法制は“米国の指示があれば自衛隊を派遣する”ためのものであるとの疑念として、国民の間に深く静かに浸透して行っているのであろう。
特に“徴兵”に関して“絶対にない、私を信じてくれ。”と繰り返した。その根拠は“徴兵は、苦役であるから憲法18条違反だ。”というのだが、国際的にも“徴兵は苦役ではない”とする解釈があるのは事実だから、“法的安定性は考慮しない”政権にあって、いつでも解釈変更はあり得るはずではないのか。
自衛隊側から技術論的に“徴兵は素人を部隊内に入れて混乱を招くだけで、意味がなく不要だ。特に高度な技術を駆使する近代戦では徴兵は不要。この議論は欧米では現在当たり前だ。”とする論がある。しかし戦前には学徒動員した素人を短期間で高度な技術を駆使する航空兵等に仕立て上げ、特攻隊として編成し、多くの若者を死なせた事実があるではないか。欧米の一般大衆と日本人の一般人ではレベルが違うので、徴兵は意味がないとする論こそは、有能で器用な日本人には“無意味”だ。
そもそも軍隊組織は将校(士官)と下士官、兵という階層で成り立っているが、現在の自衛隊の組織では、兵となる階層は少ない状態にしてあり、現状の下層階級の自衛官には必ず下士官となる教育・訓練を徹底している。だから現在の自衛隊の教育・訓練の仕組は非常に充実した状態で運営されている。つまり自衛隊は将校と下士官だけから成り立っており、兵は有事の際に徴兵によって補うことを前提に錬成・訓練がなされているということこそは常識である。
そこで、安倍氏の“私を信じてくれ。”となったのだ。これは明らかなウソだ。自らの信念を論理的に説明せずに ウソをつく人をどうして信じることができるのであろうか。論理が行き詰ると感情に訴えてくる、こういう“政治家”は国際基準でも失格ではないのか。安倍氏も口にする“信なくば立たず”は口先の言葉だけであり、言行不一致は安倍氏も尊敬するという吉田松陰が最も嫌った態度ではないのか。
この“徴兵”への疑念に対して、若者が不安を抱くのは当然だ。報道によれば、大学生による反対運動は一例としてはSEALDsの結成に見られ、それが拡大しているようだ。また同じような運動が高校生にも拡がっているという。これには政権側から“身勝手”との批判が出ているが、この批判は時代錯誤の極みで、大きな世論の反発が出ている。
直感の鋭い女性の間にも反対運動は拡大しており、特に与党の一角を担う公明党の支持母体の創価学会婦人部の反対運動は活発であると言われており、そういう事実の反映として“SGI(創価 学会インタナショナル)”のプラカードが反対デモに混じって来始めたのだという。また創価学会の出版する雑誌(潮、第三世界)には、安保法制違憲論を唱える学者の執筆記事の掲載や安保法制に反対する特集記事が編集されるようになった。
“平和の党”たる公明党はこういう動きを無視することはできないはずで、既に安保法制について60日ルールの適用には反対を表明している。否、たとえ60日ルールの適用があったとしても、公明党の反発で衆議院での三分の二での可決成立は困難な可能性が出て来ている。或いは、参議院での強行採決は60日ルールの適用よりも困難で、慎重審議へと傾く可能性が大きい。つまり今夏での法案成立は極めて困難になりつつある、というのが客観情勢ではないか。元々、公明党の協力がなければ、自民党の現在の多数の議席は確保できないことは確実ではないのか。
安保法制が不成立となれば、米国に対する公約は果たされず、植民地総督府安倍政権のレーゾン・デートルは棄損される。そういえば、週刊誌情報では既に安倍政権崩壊を前提とした情報に溢れ始めている。これは絵空事ではなく、根拠ある情報だ。現に、自民党の総裁選は9月8日告示、20日投開票が予定されている。どうやら水面下では自民党内の安倍氏反対勢力が、客観情勢を利用して蠢動しているようだ。
そして元々信念そのものに忠実ではなく、言行不一致の論理性の乏しい情緒的政権なので、レーゾン・デートルに浸食が始まると言動にブレが始まるのだ。ブレはいわば、自信のない不実者の“身から出たサビ”なのだ。そのブレは政権への信頼性やレーゾン・デートルをさらに棄損する。
辺野古基地建設工事の一時凍結は、その一つの現われて見て良いのかも知れない。沖縄県知事との会見を頑なに拒否し続けていたのが、最近頻繁にコミュニケーションを取ろうとしている。さらに、今秋にも首脳会談を水面下で推し進めているはずの日中関係で、中国を仮想敵にしているかのような国会発言や、中国側の東シナ海でのガス田開発の現状を示す急な写真公開は、外交上の自由度を放棄したかのように見える。これもブレの一つであろう。8月6日の“広島原爆の日”の式典でのあいさつで“非核三原則“に触れなかったのに対し、批判が噴出すると急遽9日の“長崎”では“非核三原則堅持“を入れた。国会でも問題になったが本来“普通の国になる”のが信条であれば、“非核三原則“は邪魔な文言ではなかったか。* 70年談話発表も閣議決定有無でブレ、その内容は本来の安倍氏の趣旨からは相当程度乖離して来ているかのように憶測されている。ならばわざわざ談話を出す意義が問われかねない。結局のところ、中途半端な談話は政界の左右両翼から挟撃されるだけの結果となり、その政権基盤を直撃するだろう。9月に入れば 総裁選に向けて、政敵達によるその弱体化への策動は一層顕著になり、ついには解職や辞任に至ると見てよいのではないか。
そして、どうして安倍氏のような軽い人物が首相となり得たのか、日本国民は十分に反省するべきではなかろうか。
*法的安定性は“ソンナノ関係ない”安倍政権にとって国是と法規制はどちらが上なのだろうか。最早、安倍政権には“法治”の思想は皆無なのだ。ならば国会の立法機関は無意味でムダ、選挙もムダの極みとなる。どう考えても極論ではなく、これがアベルフ君の根本思想なのだ。だから中国に“法の支配”を説くのは止めた方がよい。
そうなれば、アベノミクスへの市場の信認も壊滅し、一時的にもせよ相当なショックを伴う可能性は十分にあり得る。これが、私の予想するアベノリスクである。それが、米国の利上げと同時に重なれば結構大きな衝撃となる可能性は高い。東京市場特有の問題として十分に考慮しておかなければならない。
世界的に見ると中国経済の不振は、資源新興国の経済を不振に追いやり、これに米国の利上げが新興国をさらに苦境へと追い打ちをかける懸念がある。
また米国市場は利上げ後の景況を懸念してか停滞感が大きい。だが、利上げは米連銀が米経済は好況と判断している証左なので、米国市場の停滞感は本質的な問題では無さそうだ。だが懸念する米国人は利上げは遅すぎ、既に米国経済は好調を過ぎて不振期に入っていると指摘している。この不振の時期に利上げすれば本当の不況になると警告しているのだ。こういううがった見方は、利上げさせないための政治的に雑音と見た方が良いのではないか。しかし、こうした見方も交錯し、市場は一方向へ向かっていないのだ。
こうした米国市場での迷いが東京市場にも反映して居るのだろう。さらにGDP4-6月は不調予想だと言う。しかし消費は伸びているようなので問題は少ないのかも知れない。逆に補正予算を期待する声もあるようだ。一方、日本の企業業績は今のところ一般的に順調に伸びて来ており、さらに政府・日銀の株価浮揚策もジワジワ効いているように見える。こうした交錯した見方の中で、8月は盆休みがあり、夏枯れ相場となることが多いと指摘している相場ウォッチャーも居る。ここに来て特に東京市場はサマー・ラリーか夏枯れか大いに視界不良となっている。しかし、本当にそれだけであろうか。
私は日本の市場にはその政治状況に最大の不安要素がある、と思っている。つまり現内閣首班の“政治的安定性”がここに来て最大の懸念事項となってきていると見ているのだ。
つまり、安保法制の成立が不確実化し、むしろ廃案となる可能性が高くなっているのではないかと思われるためだ。“一強多弱”と言われて驕り高ぶりからか仲間内からの放言も目立ち、その為もあって急速に支持率を失い、これにより安倍氏自身の言動にブレが目立ち始めている。政治は相場と同じように“一寸先は闇”となりつつある。米国で誓約した安保法制が廃案となれば、安倍内閣は総辞職せざるを得なくなるのは確実だ。9月には、その可能性は非常に大きいと見る。
アベノミクスの主体が退場すれば、東京市場は一気に視界不良となって急降下するのは当然であろう。政策的に株価が下支えされている現状では、政情不安は“売り”の大きな要因である。これは正にアベノリスクなのだ。
支持率の低下の中で特に驚くのは最近の読売新聞の世論調査の結果だ。同調査の実態を見ると、アンケートの問いかけで“安全保障関連法案は、日本の平和と安全を確保し、国際社会への貢献を強化するために、自衛隊の活動を拡大するものです。こうした法律の整備に、賛成ですか、反対ですか。”と安保法制への賛成を促す質問であるにもかかわらず、“賛成”は38%、“反対”が51%となって反対が賛成を大きく上回った、というのだ。
こういう事実から、一般には“国民の理解が進んでいない”との認識が、逆に“国民の理解が進んだため反対が増加している”という見方の根拠になって来ている。
と、言うよりも安倍首相のこれまでの言動と併せて見て、それに不信感が増しつつある中、憲法学者により“違憲”発言で、一気に国民意識が覚醒し反対する意見が増加したのではないか。
元々、“戦後レジーム(体制)からの脱却”を標榜し、首相になって靖国神社参拝ができないことを“痛恨の極み”と称して、ついに第二次安倍内閣組閣後、2013年末に参拝を強行。これに対し、米国は大いなる不信感を“失望”との言葉で明確に表明したが、御本人からは信念に基づく行動であるとの論理的説明はなく沈黙のまま推移した。その後昨年2014年夏に集団的自衛権行使を容認する方針を閣議決定した。ここまでは、“国権の発動を強化”しようとする民族派ナショナリスト安倍晋三のイメージは維持できていた。従って、中間派を含めて右派の多くの人々の心を捉えていたのだろう。
ところが、今年2015年4月末の米国議会での演説では、民族派らしい発言としての歴史認識と靖国参拝に対する信念説明の絶好の機会であったはずだが、一切無いまま、一方的に“米国と共に戦う姿勢”を宣明した。しかもそのための法案成立を国会を無視して植民地総督のごとく“誇らしく高らかに誓約”したのだった。これにより、多くの日本人が首相の日本人としての矜持に疑いの目を向け始めたのは事実であろう。右派の心ある人々も安倍氏を信じなくなったのではないか。それが、読売新聞での世論調査の結果に反映しているのではないか。
“痛恨の極み”とまで強い言葉で言い切ったことに対し、米国側に一切説明できないのは何故なのか。強い信念は米国人をも動かし、彼らを真の味方として引き入れることができる良い機会ではなかったか。特に米国人は“誇り高い不羈の人”には感動し、尊敬する気風がある。それは安保法制よりも“真の同盟”にとって重要なことではなかったか。
“米国と共に戦う”のであれば、自衛官の犠牲、リスクは増加するはずだが、その点についてどう思うのかと国会で質されて、“(自衛官のリスクは)仕事として当然のことだ”と言いきったことは、象徴的であった。そこに、安倍氏の真の心象風景が垣間見えたのだ。翻って、今年の年頭にはイスラムで捕えられたフリー・ジャーナリストの命を、“米国の助言を全面的に受入れて”むざむざと見捨てた衝撃の記憶が蘇り、これが安倍氏の言動と重なって一致するのだ。こうしたことから、安倍氏の“国民の命と安全を守る”という言葉には、真実味が全く感じられなくなっている。
こうした真の姿があからさまにならないように警戒してか、安倍氏の国会での答弁は“丁寧に”同じ言葉を繰り返してはぐらかすばかりで、はなはだしいのは行き詰ると“私を信じてくれ”としか言わなくなっている。“信じて欲しい”のならば言論でもって信じてもらうための論理を説明すれば良いのだが、意図的にかそれをしない。これでは怪しいこと限りない。
こうした米国にへつらうだけの姿勢に見える経緯から、安保法制は“米国の指示があれば自衛隊を派遣する”ためのものであるとの疑念として、国民の間に深く静かに浸透して行っているのであろう。
特に“徴兵”に関して“絶対にない、私を信じてくれ。”と繰り返した。その根拠は“徴兵は、苦役であるから憲法18条違反だ。”というのだが、国際的にも“徴兵は苦役ではない”とする解釈があるのは事実だから、“法的安定性は考慮しない”政権にあって、いつでも解釈変更はあり得るはずではないのか。
自衛隊側から技術論的に“徴兵は素人を部隊内に入れて混乱を招くだけで、意味がなく不要だ。特に高度な技術を駆使する近代戦では徴兵は不要。この議論は欧米では現在当たり前だ。”とする論がある。しかし戦前には学徒動員した素人を短期間で高度な技術を駆使する航空兵等に仕立て上げ、特攻隊として編成し、多くの若者を死なせた事実があるではないか。欧米の一般大衆と日本人の一般人ではレベルが違うので、徴兵は意味がないとする論こそは、有能で器用な日本人には“無意味”だ。
そもそも軍隊組織は将校(士官)と下士官、兵という階層で成り立っているが、現在の自衛隊の組織では、兵となる階層は少ない状態にしてあり、現状の下層階級の自衛官には必ず下士官となる教育・訓練を徹底している。だから現在の自衛隊の教育・訓練の仕組は非常に充実した状態で運営されている。つまり自衛隊は将校と下士官だけから成り立っており、兵は有事の際に徴兵によって補うことを前提に錬成・訓練がなされているということこそは常識である。
そこで、安倍氏の“私を信じてくれ。”となったのだ。これは明らかなウソだ。自らの信念を論理的に説明せずに ウソをつく人をどうして信じることができるのであろうか。論理が行き詰ると感情に訴えてくる、こういう“政治家”は国際基準でも失格ではないのか。安倍氏も口にする“信なくば立たず”は口先の言葉だけであり、言行不一致は安倍氏も尊敬するという吉田松陰が最も嫌った態度ではないのか。
この“徴兵”への疑念に対して、若者が不安を抱くのは当然だ。報道によれば、大学生による反対運動は一例としてはSEALDsの結成に見られ、それが拡大しているようだ。また同じような運動が高校生にも拡がっているという。これには政権側から“身勝手”との批判が出ているが、この批判は時代錯誤の極みで、大きな世論の反発が出ている。
直感の鋭い女性の間にも反対運動は拡大しており、特に与党の一角を担う公明党の支持母体の創価学会婦人部の反対運動は活発であると言われており、そういう事実の反映として“SGI(創価 学会インタナショナル)”のプラカードが反対デモに混じって来始めたのだという。また創価学会の出版する雑誌(潮、第三世界)には、安保法制違憲論を唱える学者の執筆記事の掲載や安保法制に反対する特集記事が編集されるようになった。
“平和の党”たる公明党はこういう動きを無視することはできないはずで、既に安保法制について60日ルールの適用には反対を表明している。否、たとえ60日ルールの適用があったとしても、公明党の反発で衆議院での三分の二での可決成立は困難な可能性が出て来ている。或いは、参議院での強行採決は60日ルールの適用よりも困難で、慎重審議へと傾く可能性が大きい。つまり今夏での法案成立は極めて困難になりつつある、というのが客観情勢ではないか。元々、公明党の協力がなければ、自民党の現在の多数の議席は確保できないことは確実ではないのか。
安保法制が不成立となれば、米国に対する公約は果たされず、植民地総督府安倍政権のレーゾン・デートルは棄損される。そういえば、週刊誌情報では既に安倍政権崩壊を前提とした情報に溢れ始めている。これは絵空事ではなく、根拠ある情報だ。現に、自民党の総裁選は9月8日告示、20日投開票が予定されている。どうやら水面下では自民党内の安倍氏反対勢力が、客観情勢を利用して蠢動しているようだ。
そして元々信念そのものに忠実ではなく、言行不一致の論理性の乏しい情緒的政権なので、レーゾン・デートルに浸食が始まると言動にブレが始まるのだ。ブレはいわば、自信のない不実者の“身から出たサビ”なのだ。そのブレは政権への信頼性やレーゾン・デートルをさらに棄損する。
辺野古基地建設工事の一時凍結は、その一つの現われて見て良いのかも知れない。沖縄県知事との会見を頑なに拒否し続けていたのが、最近頻繁にコミュニケーションを取ろうとしている。さらに、今秋にも首脳会談を水面下で推し進めているはずの日中関係で、中国を仮想敵にしているかのような国会発言や、中国側の東シナ海でのガス田開発の現状を示す急な写真公開は、外交上の自由度を放棄したかのように見える。これもブレの一つであろう。8月6日の“広島原爆の日”の式典でのあいさつで“非核三原則“に触れなかったのに対し、批判が噴出すると急遽9日の“長崎”では“非核三原則堅持“を入れた。国会でも問題になったが本来“普通の国になる”のが信条であれば、“非核三原則“は邪魔な文言ではなかったか。* 70年談話発表も閣議決定有無でブレ、その内容は本来の安倍氏の趣旨からは相当程度乖離して来ているかのように憶測されている。ならばわざわざ談話を出す意義が問われかねない。結局のところ、中途半端な談話は政界の左右両翼から挟撃されるだけの結果となり、その政権基盤を直撃するだろう。9月に入れば 総裁選に向けて、政敵達によるその弱体化への策動は一層顕著になり、ついには解職や辞任に至ると見てよいのではないか。
そして、どうして安倍氏のような軽い人物が首相となり得たのか、日本国民は十分に反省するべきではなかろうか。
*法的安定性は“ソンナノ関係ない”安倍政権にとって国是と法規制はどちらが上なのだろうか。最早、安倍政権には“法治”の思想は皆無なのだ。ならば国会の立法機関は無意味でムダ、選挙もムダの極みとなる。どう考えても極論ではなく、これがアベルフ君の根本思想なのだ。だから中国に“法の支配”を説くのは止めた方がよい。
そうなれば、アベノミクスへの市場の信認も壊滅し、一時的にもせよ相当なショックを伴う可能性は十分にあり得る。これが、私の予想するアベノリスクである。それが、米国の利上げと同時に重なれば結構大きな衝撃となる可能性は高い。東京市場特有の問題として十分に考慮しておかなければならない。
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