The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
宮城谷昌光・著“長城のかげ”(文庫本)を読んで
阪神が18年ぶり6度目の優勝。岡田監督は今回の監督就任直後から優勝を“アレ”と称してきた。選手にプレッシャーをかけず、最後までチームを緩めないために用いた言葉だという。特に、2008年、岡田阪神が最大13ゲーム差を大逆転された経験があってのことだという。
阪神は忘れたころに優勝する。ほぼ20年毎だ。連続優勝は無い。だから普通のチームにはよくある黄金時代は不思議に阪神には無い。真相は不明だが、これが“阪神の営業戦略”だといい、これが一番儲かると信じられているようだ。来年どないするネン!
“六甲おろし”は冬。シーズン・オフやないけぇ~!どないなってんねん?
岡田采配、決して華々しい成果を上げ続けていた人ではないので名将とは言えないかもしれないが努力の人ではあるのだろう。一時はオリックスを率いたこともある。外の空気を知ることは悪いことではないのだろう。そういった努力の積み上げと経験が花開いたのだろう。
選手とのコミュニケーションはマスコミを介してやったという。それは名将・野村氏もやった、星野氏もやったことだ。そういう“お勉強”もしたのだろう。
ずば抜けた選手は居ない中で、よくやったと言えるのではあるまいか。地味な話だがフォア・ボールの獲得率が全球団随一だという。フォア・ボールの獲得率が高いと、当然だが一試合での打席が増える。打席が増えれば、低い打率でも打てる機会が増える。恐らくそういう基本を徹底したことも勝ちの要因なのだろう。これも岡田采配の結果だという。
私にはクリンナップが活躍した場面は少ない印象で、中下位打線が試合を決めた場面が多いのではないだろうか。つまり、相手チームから見れば、どこから打線が火を吹くのか油断のならないチームだったのではあるまいか。間断のない打線は相手投手には、大きな負担だったであろう。
投手陣もしっかりしていた。つまり、このチームはバランスの良い戦力を持っていたことになるのではないだろうか。個々に故障者が出ても、直ぐに取って代わる選手が現れた。特に捕手はそうだった。これがチームの地力なのだろう。
ちなみにセ・リーグ他球団の監督の感想は次の通り。
▽広島・新井監督:自分も悔しいし、選手も悔しいと思う。ちょっとの差だと思うが、そのちょっとが大きい。阪神は成熟されている。自分たちは、試合を重ねて強くなる、これからのチームだと思う。
▽DeNA・三浦監督:直接対決でやられた。特に1、2番打者にやられたな、と。試合の中盤から後半にかけて細かいプレーが多く、確実に点を取られた。投手陣もよかった。
▽巨人・原監督:非常にそつのないと言うか、ミスの少ない、やっぱり1番、2番、8番、ここにかなりやられたなという印象。競り負けたという印象が非常に強い。今年のタイガースはいいチームだった。あとは岡田監督が本当に思い切り、いろんな選手を2軍に落としたり、経験させたり、ちょっと眠っていたような選手を生き返らせたり、その辺の選手掌握術というのは大きかったなと思います。忘れてはいけないのは、なんていうのかな。この上ない悔しさというものをね、肌で感じたわけですから。特に若手、中堅。これはもう糧としてもらいたいなと思いますね。やっぱり今の相手チームというものに対して、全てですね。また明日から切り替えてやります。
▽ヤクルト・高津監督:僅差をとられたり、追いつけなかったり、投手が先発から抑えまで充実している差が出た。打線もこちらとは違って、ほしいところでタイムリーが出た。
▽中日・立浪監督:甲子園をはじめ、ビジターでは投手はホームより点を取られ、打つ方は点が取れなかった。走塁死や失策などミスも重なり、はっきりと成績に出てしまった。
岸田内閣の改造があった。改造自体はタイミング的に戦略的だったと言って良いのだろうが、内容は不全。官房長官を自派から出せなかったのが何とも情けない。アベ派弱体化の絶好のチャンスを逃したのではないか。モリがそんなに怖いのか?アベ派温存の派閥均衡とは変な話!イッソ、ムノウの下村の起用もあった?
女性閣僚が5人と過去最大だったが、副大臣・政務官は女性ゼロ。女性在庫が切れちゃった?
それに70代で初入閣が多すぎる!これで何ができる?
ところで、統一教会との腐れ縁はそのままか?政調会長は禊完了でオトガメなしなのか?所管担当の文科相もそれで良いのか?解散命令は何時まで検討しているのか?忘れやすい国民性を利用しようとしているのか?いつもの常套手段なのか?!
極東ロシアで、プーチン・キム会談があった。ウクライナがアキレス腱になったプーチンはキム・ジョンウンに泣きついたカタチ?そうこうしている内にロシアの経済も韓国に抜かれた?
恐らくこれで中露朝のろくでなし同盟が形成され、この3カ国での日本海合同軍事演習もあり得るのだろうとも懸念されている。だが経済が危うい中国が今後どう出るか、も問題ではあるのだが・・・。
とにかく日本の安全保障にとっては最悪の結果だが、日米韓のキャンプ・デービット会談の反映だと言われる。これで3カ国相手となるので日本の防衛費3倍増もいたしかたあるまいが、財政健全化をどうするのか。それにしても、国民を守る核シェルターの建設は計画されないのが不思議だ。
さて、このブログへの投稿ネタが無い!読後感想しかない!何を読むか?お気楽に小説でも?そうだ、久々に宮城谷昌光氏を取り上げようと、読んだのが1冊の文庫本。短編集だったとは知らなかったが、劉邦という古代の雄大な“影”の周辺の局面ごとの英雄譚だった。
出版社のウェッブサイト情報と、紀伊国屋書店のウェッブ・サイトの本書紹介を総合すると次のようになる。
[出版社内容情報]
怠け者で口八丁の男が天下の覇者に――漢の始祖・劉邦の勃興から崩御後までを、敵、臣下、息子、学者など同時代人の目で描く連作集。
劉邦にかげのように寄り添った男女たち。覇者・劉邦の影でいのちを燃やした五人。
秦の絶頂と崩壊から、漢の始まりまで――戦い、逃げ、生き抜いた男達を描く。
[内容説明]
「王になりたいのさ」。秦の勃興期、小家の青年・劉邦は幼なじみに嘯く。農作業を手伝わず、口八丁の男はやがて挙兵し、たびたび敗れながら、ついに垓下の戦いで項羽を下す。漢王朝の始祖を、彼と共に動く影のように生きた五人――季布(項羽の将)、盧綰(幼なじみ)、陸賈(儒者)、劉肥(息子)、叔孫通(漢の儒者の宗家)ら同時代人の目で描く、長篇のような読み応えの傑作連作短篇集。
[目次(短編小説の標題)]
①逃げる
②長城のかげ
③石径の果て
④風の消長
⑤満天の星
解説・湯川豊。
『逃げる』は、項羽の忠良なる部将・季布の敗残から逃亡の果ての話。物語はあの“四面楚歌”で囲まれて絶望の中での季布の思いから始まる。ついに項羽は季布ら最側近と共に敵中突破をこころみ討ち死にを遂げるが、季布は突破の中で迂闊にも単身はぐれてしまう。劉邦は敗残者の遺体の中に季布が居ないのに気付き、激怒し季布の首に懸賞をかけた。季布はその逃亡の様々な手立ての果て、ついに敵将・劉邦との会見となる。そこでの劉邦の台詞に、私は何とも言えない感動を覚えたのだ。
捕らえられた季布に劉邦は、最期に項羽は何と言っていたか尋ねた。季布はそれに“江水がみたい、と仰せになりました。”と誤魔化した。ところが劉邦は“汝は旧主おもいよな。逃げるといったのであろう。”とズバリ言い当ててみせた。そして劉邦は続けて項羽という人物像を鮮やかに総括してみせている。
劉邦の性格や人となり、全人格をここまで作家は読み切って、このような台詞を吐かせるのか・・・・。あの小説『楽毅』では、わずかな『史記 楽毅列伝 第二十』の僅かな表現から文庫本3冊の長編を創作した作家の想像力・表現力は凄い。正に想像力は創造力なのだ。この感動で、さらにもっと読み繋ぎたくなったのだ。宮城谷昌光の面目躍如である。
文庫本全体の標題となった『長城のかげ』は、幼なじみで終始劉邦に付き添った最々側近・盧綰の話。盧綰は人生の最後に、遂にその功を愛でて東北の要衝・燕の王に封じられる。二人の物理的距離が心理的距離となり、第三者の讒言に近いものも介在し、ある種の誤解から盧綰の謀反成立。盧綰は“長城のかげ”となる匈奴の地に逃げ込む。そうこうするうちに互いに顔を合わせることなく劉邦が亡くなり、盧綰も異郷の地で亡くなってしまうといううら寂しいエピソードである。
『石径の果て』は儒者・陸賈の話。秦の時代は焚書坑儒。儒者の陸賈はそれを息苦しく思っていた。唯一、先輩格の友人・朱建との付き合いが息抜きだった。そんな時、陸賈の投げた石に当たった男が登場するシーンがある。それは盗賊団の首領で、実は劉邦と思われ、儒学は劉邦も好まず、出世には意味がなく捨てろと言って面白がるのだが、これは話を面白くする創作であろう。
やがて、始皇帝が亡くなり、陳勝が反乱し張楚を起こし快進撃して世の中が変転。朱建は黥布の副将として活躍するが、陸賈は黥布と実際に会って忌避する。その内、陸賈は劉邦と再会し一団に加わる。黥布は討たれ、朱建も冴えずに終わる。一方陸賈は外交で劉邦を大いに助けた。
劉邦が崩じて正夫人・呂太后の時代になり、恐怖政治となった。陸賈は右丞相の陳平を訪ねて、呂氏を覆滅する計略を授けた。陳平は陸賈の計画にそって周勃と結び、呂太后が亡くなると一気に呂氏を滅ぼした。
陸賈は晩年を悠々と過ごしたという。そして、知らずに劉邦に石を投げたあの場所に行って、昔日に思いを致すのだった。つまらないきっかけで何と面白い人生だったことか。
ところで、ここで私も調べるうちにあの有名な言葉“燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや”(小人物には大人物の志など分かろうはずもない)は劉邦が始皇帝の行列を見て叫んだものと誤解していたが、これは陳勝の言葉だったと知ったのだ。また“王侯将相いづくんぞ種あらんや”(世に出るのは実力次第であって、出自は無関係)という言葉も残した由。
『風の消長』は劉邦の長子だが正妻ではない曹氏の子・肥の話。劉肥の幼い時の劉邦の様々なことを思い出して見せているのが小説として巧みだ。長じて斉王となるが、呂太后に睨まれ毒殺寸前まで行く。そこで家臣の献言でその領地から城陽郡を呂太后の娘魯元公主に化粧領として差し出して難を逃れ、無事に人生を全うし終える。
『満天の星』は、秦代から漢代の儒者宗家・叔孫通の話。彼が山東の薛県から出て来て、県の長官の推薦で咸陽の中央官邸を訪れたところから始まる。だが、それだけですぐに博士の席が与えられたわけではなかった。焚書坑儒の時代に、儒者であるからというだけで直ちに弾圧された訳ではなかったようなのが、私には意外であった。
そうこうする内、始皇帝が亡くなったが、新しい皇帝を胡亥と知って叔孫通は驚き、異変を察知し、急ぎ弟子たちと咸陽を出た。秦から逃れて、楚とかかわりを持った。
不思議なことに叔孫通はその都度天下の主権者に相まみえることができた。始皇帝、二世皇帝、項梁、義帝、項羽と権力者が変わってもつねに天下の中心の近くに偶然いた。楚とかかわったが、義帝を無残に殺した項羽は嫌った。
そして出会ったのが、劉邦であった。儒学嫌いの劉邦は最終的に権力を握ったが、宮中において乱れた状態に困っていた。そして儒学の礼を重んじる叔孫通の話に乗った。そして儀式においてその有効性を認めた。そしてようやく、叔孫通は弟子たちを高位の官職に推挙することができ、これまでの労苦に報いた。
最後にすばらしい解説を読んで、これに何かを付け足すことはないように感じる。さすがにこれで十分、と思える書評だった。実はこれで終えたいところだったが、それでは私の元々ない存在感がさらに希薄化するだけと、否応なく叱咤してこれを書いている。
実は、この作家には『劉邦』という長編がある。残念ながら長編は手に負えぬと怯えて、私はこれを未だ読んでいない。この書評によれば、作家はこれら短編を書きあげてから、この長編を著作したという。それを知ってホッと一安心した。それならば、後にゆっくりこの長編に挑める。
解説では、劉邦の“生身の人間というより、一つの影”を描いていると評している。巧いこと言っている。そして、小説『劉邦』でようやく“影は生身の肉体を得た”と。宮城谷昌光氏は“すじの通らない人は好きではなく、ましてそういう人を小説の中心にすることはできない。”と当初は思ったが、それが変わった、という。“それから歳月が経つうちに、楚漢戦争にかかわった傑人たちを調べなおす機会を得た。その作業をおこなってゆくうちに、劉邦にたいする見方が変わった”、“はじめて劉邦を書いてみたいとおもうようになった”。規模が雄大で複雑な人物であるがゆえの捉えどころの無さ、矛盾し放題があったからであろうと思われる。
『劉邦』を今後の楽しみとしたい。別にこれに似たような宿題があったようにも思うのだが・・・・・忘れた?!
阪神は忘れたころに優勝する。ほぼ20年毎だ。連続優勝は無い。だから普通のチームにはよくある黄金時代は不思議に阪神には無い。真相は不明だが、これが“阪神の営業戦略”だといい、これが一番儲かると信じられているようだ。来年どないするネン!
“六甲おろし”は冬。シーズン・オフやないけぇ~!どないなってんねん?
岡田采配、決して華々しい成果を上げ続けていた人ではないので名将とは言えないかもしれないが努力の人ではあるのだろう。一時はオリックスを率いたこともある。外の空気を知ることは悪いことではないのだろう。そういった努力の積み上げと経験が花開いたのだろう。
選手とのコミュニケーションはマスコミを介してやったという。それは名将・野村氏もやった、星野氏もやったことだ。そういう“お勉強”もしたのだろう。
ずば抜けた選手は居ない中で、よくやったと言えるのではあるまいか。地味な話だがフォア・ボールの獲得率が全球団随一だという。フォア・ボールの獲得率が高いと、当然だが一試合での打席が増える。打席が増えれば、低い打率でも打てる機会が増える。恐らくそういう基本を徹底したことも勝ちの要因なのだろう。これも岡田采配の結果だという。
私にはクリンナップが活躍した場面は少ない印象で、中下位打線が試合を決めた場面が多いのではないだろうか。つまり、相手チームから見れば、どこから打線が火を吹くのか油断のならないチームだったのではあるまいか。間断のない打線は相手投手には、大きな負担だったであろう。
投手陣もしっかりしていた。つまり、このチームはバランスの良い戦力を持っていたことになるのではないだろうか。個々に故障者が出ても、直ぐに取って代わる選手が現れた。特に捕手はそうだった。これがチームの地力なのだろう。
ちなみにセ・リーグ他球団の監督の感想は次の通り。
▽広島・新井監督:自分も悔しいし、選手も悔しいと思う。ちょっとの差だと思うが、そのちょっとが大きい。阪神は成熟されている。自分たちは、試合を重ねて強くなる、これからのチームだと思う。
▽DeNA・三浦監督:直接対決でやられた。特に1、2番打者にやられたな、と。試合の中盤から後半にかけて細かいプレーが多く、確実に点を取られた。投手陣もよかった。
▽巨人・原監督:非常にそつのないと言うか、ミスの少ない、やっぱり1番、2番、8番、ここにかなりやられたなという印象。競り負けたという印象が非常に強い。今年のタイガースはいいチームだった。あとは岡田監督が本当に思い切り、いろんな選手を2軍に落としたり、経験させたり、ちょっと眠っていたような選手を生き返らせたり、その辺の選手掌握術というのは大きかったなと思います。忘れてはいけないのは、なんていうのかな。この上ない悔しさというものをね、肌で感じたわけですから。特に若手、中堅。これはもう糧としてもらいたいなと思いますね。やっぱり今の相手チームというものに対して、全てですね。また明日から切り替えてやります。
▽ヤクルト・高津監督:僅差をとられたり、追いつけなかったり、投手が先発から抑えまで充実している差が出た。打線もこちらとは違って、ほしいところでタイムリーが出た。
▽中日・立浪監督:甲子園をはじめ、ビジターでは投手はホームより点を取られ、打つ方は点が取れなかった。走塁死や失策などミスも重なり、はっきりと成績に出てしまった。
岸田内閣の改造があった。改造自体はタイミング的に戦略的だったと言って良いのだろうが、内容は不全。官房長官を自派から出せなかったのが何とも情けない。アベ派弱体化の絶好のチャンスを逃したのではないか。モリがそんなに怖いのか?アベ派温存の派閥均衡とは変な話!イッソ、ムノウの下村の起用もあった?
女性閣僚が5人と過去最大だったが、副大臣・政務官は女性ゼロ。女性在庫が切れちゃった?
それに70代で初入閣が多すぎる!これで何ができる?
ところで、統一教会との腐れ縁はそのままか?政調会長は禊完了でオトガメなしなのか?所管担当の文科相もそれで良いのか?解散命令は何時まで検討しているのか?忘れやすい国民性を利用しようとしているのか?いつもの常套手段なのか?!
極東ロシアで、プーチン・キム会談があった。ウクライナがアキレス腱になったプーチンはキム・ジョンウンに泣きついたカタチ?そうこうしている内にロシアの経済も韓国に抜かれた?
恐らくこれで中露朝のろくでなし同盟が形成され、この3カ国での日本海合同軍事演習もあり得るのだろうとも懸念されている。だが経済が危うい中国が今後どう出るか、も問題ではあるのだが・・・。
とにかく日本の安全保障にとっては最悪の結果だが、日米韓のキャンプ・デービット会談の反映だと言われる。これで3カ国相手となるので日本の防衛費3倍増もいたしかたあるまいが、財政健全化をどうするのか。それにしても、国民を守る核シェルターの建設は計画されないのが不思議だ。
さて、このブログへの投稿ネタが無い!読後感想しかない!何を読むか?お気楽に小説でも?そうだ、久々に宮城谷昌光氏を取り上げようと、読んだのが1冊の文庫本。短編集だったとは知らなかったが、劉邦という古代の雄大な“影”の周辺の局面ごとの英雄譚だった。
出版社のウェッブサイト情報と、紀伊国屋書店のウェッブ・サイトの本書紹介を総合すると次のようになる。
[出版社内容情報]
怠け者で口八丁の男が天下の覇者に――漢の始祖・劉邦の勃興から崩御後までを、敵、臣下、息子、学者など同時代人の目で描く連作集。
劉邦にかげのように寄り添った男女たち。覇者・劉邦の影でいのちを燃やした五人。
秦の絶頂と崩壊から、漢の始まりまで――戦い、逃げ、生き抜いた男達を描く。
[内容説明]
「王になりたいのさ」。秦の勃興期、小家の青年・劉邦は幼なじみに嘯く。農作業を手伝わず、口八丁の男はやがて挙兵し、たびたび敗れながら、ついに垓下の戦いで項羽を下す。漢王朝の始祖を、彼と共に動く影のように生きた五人――季布(項羽の将)、盧綰(幼なじみ)、陸賈(儒者)、劉肥(息子)、叔孫通(漢の儒者の宗家)ら同時代人の目で描く、長篇のような読み応えの傑作連作短篇集。
[目次(短編小説の標題)]
①逃げる
②長城のかげ
③石径の果て
④風の消長
⑤満天の星
解説・湯川豊。
『逃げる』は、項羽の忠良なる部将・季布の敗残から逃亡の果ての話。物語はあの“四面楚歌”で囲まれて絶望の中での季布の思いから始まる。ついに項羽は季布ら最側近と共に敵中突破をこころみ討ち死にを遂げるが、季布は突破の中で迂闊にも単身はぐれてしまう。劉邦は敗残者の遺体の中に季布が居ないのに気付き、激怒し季布の首に懸賞をかけた。季布はその逃亡の様々な手立ての果て、ついに敵将・劉邦との会見となる。そこでの劉邦の台詞に、私は何とも言えない感動を覚えたのだ。
捕らえられた季布に劉邦は、最期に項羽は何と言っていたか尋ねた。季布はそれに“江水がみたい、と仰せになりました。”と誤魔化した。ところが劉邦は“汝は旧主おもいよな。逃げるといったのであろう。”とズバリ言い当ててみせた。そして劉邦は続けて項羽という人物像を鮮やかに総括してみせている。
劉邦の性格や人となり、全人格をここまで作家は読み切って、このような台詞を吐かせるのか・・・・。あの小説『楽毅』では、わずかな『史記 楽毅列伝 第二十』の僅かな表現から文庫本3冊の長編を創作した作家の想像力・表現力は凄い。正に想像力は創造力なのだ。この感動で、さらにもっと読み繋ぎたくなったのだ。宮城谷昌光の面目躍如である。
文庫本全体の標題となった『長城のかげ』は、幼なじみで終始劉邦に付き添った最々側近・盧綰の話。盧綰は人生の最後に、遂にその功を愛でて東北の要衝・燕の王に封じられる。二人の物理的距離が心理的距離となり、第三者の讒言に近いものも介在し、ある種の誤解から盧綰の謀反成立。盧綰は“長城のかげ”となる匈奴の地に逃げ込む。そうこうするうちに互いに顔を合わせることなく劉邦が亡くなり、盧綰も異郷の地で亡くなってしまうといううら寂しいエピソードである。
『石径の果て』は儒者・陸賈の話。秦の時代は焚書坑儒。儒者の陸賈はそれを息苦しく思っていた。唯一、先輩格の友人・朱建との付き合いが息抜きだった。そんな時、陸賈の投げた石に当たった男が登場するシーンがある。それは盗賊団の首領で、実は劉邦と思われ、儒学は劉邦も好まず、出世には意味がなく捨てろと言って面白がるのだが、これは話を面白くする創作であろう。
やがて、始皇帝が亡くなり、陳勝が反乱し張楚を起こし快進撃して世の中が変転。朱建は黥布の副将として活躍するが、陸賈は黥布と実際に会って忌避する。その内、陸賈は劉邦と再会し一団に加わる。黥布は討たれ、朱建も冴えずに終わる。一方陸賈は外交で劉邦を大いに助けた。
劉邦が崩じて正夫人・呂太后の時代になり、恐怖政治となった。陸賈は右丞相の陳平を訪ねて、呂氏を覆滅する計略を授けた。陳平は陸賈の計画にそって周勃と結び、呂太后が亡くなると一気に呂氏を滅ぼした。
陸賈は晩年を悠々と過ごしたという。そして、知らずに劉邦に石を投げたあの場所に行って、昔日に思いを致すのだった。つまらないきっかけで何と面白い人生だったことか。
ところで、ここで私も調べるうちにあの有名な言葉“燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや”(小人物には大人物の志など分かろうはずもない)は劉邦が始皇帝の行列を見て叫んだものと誤解していたが、これは陳勝の言葉だったと知ったのだ。また“王侯将相いづくんぞ種あらんや”(世に出るのは実力次第であって、出自は無関係)という言葉も残した由。
『風の消長』は劉邦の長子だが正妻ではない曹氏の子・肥の話。劉肥の幼い時の劉邦の様々なことを思い出して見せているのが小説として巧みだ。長じて斉王となるが、呂太后に睨まれ毒殺寸前まで行く。そこで家臣の献言でその領地から城陽郡を呂太后の娘魯元公主に化粧領として差し出して難を逃れ、無事に人生を全うし終える。
『満天の星』は、秦代から漢代の儒者宗家・叔孫通の話。彼が山東の薛県から出て来て、県の長官の推薦で咸陽の中央官邸を訪れたところから始まる。だが、それだけですぐに博士の席が与えられたわけではなかった。焚書坑儒の時代に、儒者であるからというだけで直ちに弾圧された訳ではなかったようなのが、私には意外であった。
そうこうする内、始皇帝が亡くなったが、新しい皇帝を胡亥と知って叔孫通は驚き、異変を察知し、急ぎ弟子たちと咸陽を出た。秦から逃れて、楚とかかわりを持った。
不思議なことに叔孫通はその都度天下の主権者に相まみえることができた。始皇帝、二世皇帝、項梁、義帝、項羽と権力者が変わってもつねに天下の中心の近くに偶然いた。楚とかかわったが、義帝を無残に殺した項羽は嫌った。
そして出会ったのが、劉邦であった。儒学嫌いの劉邦は最終的に権力を握ったが、宮中において乱れた状態に困っていた。そして儒学の礼を重んじる叔孫通の話に乗った。そして儀式においてその有効性を認めた。そしてようやく、叔孫通は弟子たちを高位の官職に推挙することができ、これまでの労苦に報いた。
最後にすばらしい解説を読んで、これに何かを付け足すことはないように感じる。さすがにこれで十分、と思える書評だった。実はこれで終えたいところだったが、それでは私の元々ない存在感がさらに希薄化するだけと、否応なく叱咤してこれを書いている。
実は、この作家には『劉邦』という長編がある。残念ながら長編は手に負えぬと怯えて、私はこれを未だ読んでいない。この書評によれば、作家はこれら短編を書きあげてから、この長編を著作したという。それを知ってホッと一安心した。それならば、後にゆっくりこの長編に挑める。
解説では、劉邦の“生身の人間というより、一つの影”を描いていると評している。巧いこと言っている。そして、小説『劉邦』でようやく“影は生身の肉体を得た”と。宮城谷昌光氏は“すじの通らない人は好きではなく、ましてそういう人を小説の中心にすることはできない。”と当初は思ったが、それが変わった、という。“それから歳月が経つうちに、楚漢戦争にかかわった傑人たちを調べなおす機会を得た。その作業をおこなってゆくうちに、劉邦にたいする見方が変わった”、“はじめて劉邦を書いてみたいとおもうようになった”。規模が雄大で複雑な人物であるがゆえの捉えどころの無さ、矛盾し放題があったからであろうと思われる。
『劉邦』を今後の楽しみとしたい。別にこれに似たような宿題があったようにも思うのだが・・・・・忘れた?!
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