The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
中越沖地震への“トヨタの対応”からの考察
この度は 再びの新潟県への震災打撃。関係者の復旧への尽力には いろいろ苦労があるものと存じます。
この震災での 話題と言えば 東電柏崎原発と㈱リケン柏崎事業所の被災と復旧への動きについてではないでしょうか。原発については まだまだ その全体像が明らかになっていませんが 状況はかなり厳しいものがあります。
㈱リケンの被災に ついては 1週間経った 現時点で ほぼ復旧した模様です。その復旧につれて 各自動車メーカーの生産も再開されて 日本経済への影響は小さくて済むようですが、その 復旧過程では 個別にはかなりの関係者間の相克とギリギリの調整が なされたものと容易に想像されます。
ですが、今回のように次々とほとんどの日本国内の自動車会社メーカーが 生産中止に 追い込まれたのには 少々驚かされました。と言うのは、自動車セクター規格のISO/TS16949には “緊急事態対応計画Contingency Plans” という要求事項が規定されているからです。この自動車セクター規格というのは、自動車メーカーが 供給先に要求する品質マネジメントシステム規格で、供給先に 要求していることは 当然、自らも実行しているべき事項だと思われたからです。
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改めて ISO/TS16949の その部分の要求事項や “ガイダンス”を読んでみると、“供給先” という言葉は 見当たりませんので、返って驚くのですが、その言わんとすることは “顧客要求事項を満たすために、様々な要因によって生産を阻害することがないように緊急事態対応計画を持っておくこと”と読み取れますので、“供給先”のトラブルに対して それによる被害を最小限に抑えるようにしておくことは 当然ではないかと思った次第です。
自動車メーカーの生産中止のニュースを聞いた当初は、日本の自動車会社は 自らこれをきちんとしていなかったことを あらわにしてしまったのではないかと 私は思ったものです。つまり自動車メーカーは その購買者としての立場や 企業規模からの優越性により 多くの供給者に ISO/TS16949の規定順守をはじめとして、かなり 厳格な管理技術的要求をしてきていますが、自らを 律するには 少々甘かった、ということだろう、と思ってしまったのです。
それにしても 1週間程度で復旧したということは、原発に比べ その手際良さは この規定に従った対応マニュアルが あったためだと評価するべきかも知れません。むしろ、そのリスクの程度を どのように見ていたかの問題かも知れません。
自動車メーカーとしてトップのトヨタはISO/TS16949には参加していませんが、事実上 これを実施しているものと考えてよい会社です。ところが、その トヨタの首脳陣は 繰り返し 本件でTPS(トヨタ生産システム)を見直すことはない、と述べているようです。これは “供給が止まれば 生産をストップするのは当たり前” というのがTPSの基本姿勢だからのようです。つまり“生産をストップさせる”ことで、改めて問題点を鮮明にし、今後の対応を考え直すということにTPSの真髄があるということなのでしょう。
つまり、どんなに検討して作った管理技術の仕組であっても、最初から完璧なものは存在し得るものではなく、問題が生じた時、その都度 問題点を明確に認識し、対応し、対策を講じて行くものであり、この時に 同じあやまちを二度と繰り返さない抜本的な処置・対策を講じることが 重要である、ということのようです。むしろ “最初から完璧な” 仕組やルールには 過剰な管理が入り込んでしまい、それにより、必ず 大きなムダが生じてしまうという実利的発想もあるようです。
さて、ここまで来ると リスクにどのように向き合いマネジメントするのかという根本的な問題に突き当たるように思います。ISO9001でも 要求事項を “どの程度やるか” は 当事者のリスク感覚で決めて良いことが 原則です。つまり、規定要求事項は 最低限のことを やっていれば良く、やったことを 証拠立てる記録を要求していない要求事項には、やっている痕跡や、やろうという意思を 宣明した文書があれば 良いことになっています。
実は この点を誤解して 実務を理解していないISO審査員が、往々にして過剰な要求をする場合があり、それはJQAをはじめとする、日本の審査会社の審査員に多く見受けられる傾向のようです。(例えば やたら “特殊工程”の認定を強要若しくは推奨する審査員が居る。) 実務を知らずに 過剰な要求をすることが 実施不可能な社内ルールを強要することになり、審査前に 突貫で記録や文書を作るという 本来ありえないムダを生じてしまう元凶なのです。
また 審査員の多くは 大企業出身であり、人的資源に余裕の無い中小企業の経営環境や 実務そのものが 理解できず 過剰な要求をする場合も多いようです。その結果が 有名なサラリーマン川柳となって皮肉られる訳です。
ISO(アイエスオー) うちの会社は USO(うそ)800
この逆、つまり 大いにリスクがあるのも拘わらず、適切な措置を 施さず、あたかも適切にやっているかのように装い 審査を素通りしてしまうのも 大いに問題です。これが、私が今まで 幾度か指摘してきたように、多くの企業不祥事を生んでいます。
これが、ISOマネジメントのデリケートさであり、弱点だと思うのです。そして こうした問題が 日本中を混乱させているのだと思うのです。
ISO審査員は 神様ではないので、全てを見通すことはできません。受審側が審査員の指摘を 神様の御託宣の如く扱い、ひれ伏して遵守すると こういう問題を生じるのです。審査員が 過剰な要求をしてきた場合には 感情を交えず淡々と 論理的に議論するべきです。この論理的議論を可能にするには、日頃 自覚を持って自己の仕事を認識しておく必要があります。(本来 ISOマネジメントシステム構築時にこの認識過程を経ているハズだが・・・。)
それでも審査員が 過剰な要求を取り下げない場合は、審査会社に苦情を申し出ることが可能で、場合によっては 審査会社を認定している認定機関(日本では JAB,英国ではUKAS 等)に苦情を上申する権利が 受審側にあります。審査員と 受審側は このように対等もしくは、クライアントたる受審側の方が どちらかといえば強い権限を持っているということを肝に銘じるべきです。
ところが、こうしたメンタリティーは 多くの日本人は生来持ち合わせておらず、現状では ほとんど なじんでいないのではないか、と思うのです。つまり、依存心が強く 適切な“指導”を仰いで ようやく動き出すようでは ISOマネジメントシステムを 適切に運営はできないと思います。審査員の 不適切な “強力な指導”を 実行しなければ ならないと考えるようでは、何をかいわんやです。
このように自己認識が 低く、自己及び自己の仕事・ビジネスを客観的に 認識し、説明することができない経営者にはISOマネジメントは 不向きです。と言うよりも、本来、経営者としての適性を欠くと言わざるを得ません。“ミンナで渡れば 怖くない”ことを信条とするような人は 退場するべきです。他社がISOの認証を取ったから 我が社も取ったのだ、というような 会社には 全く 不適切です。
逆に、トヨタは こうした日本人のメンタリティを理解し、“御託宣”を通じて 関係会社を指導する方が、ISO9001やISO/TS16949の認証を判断基準とするよりも 供給先のコントロールが やり易いと感じているのではないか、と思うのです。従って、トヨタは自らのISO9001の認証を放擲し、ISO/TS16949の認証も 供給先に強要せず、自らの目で 適切な指導をする方が 効果的であると 見抜いたのだと思うのです。
このように、自己を客観視できる 自覚のある日本人が 多数を占めるようにならなければ ISOマネジメントは 日本では適切に運営できないものと考えます。そしてISOマネジメントが適切に運営できないような国には 将来は無いように思うのです。
例えば 選挙への投票率が 低いなどという 自覚の欠如した 精神的に自立できない人々が多数を占めるような国であれば、今後 国際的にも立ち行かないだろうと危惧している次第です。
(“トヨタの○○○”と書けば 皆が注目するというメンタリティーも 大いに問題ですネ。)
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この震災での 話題と言えば 東電柏崎原発と㈱リケン柏崎事業所の被災と復旧への動きについてではないでしょうか。原発については まだまだ その全体像が明らかになっていませんが 状況はかなり厳しいものがあります。
㈱リケンの被災に ついては 1週間経った 現時点で ほぼ復旧した模様です。その復旧につれて 各自動車メーカーの生産も再開されて 日本経済への影響は小さくて済むようですが、その 復旧過程では 個別にはかなりの関係者間の相克とギリギリの調整が なされたものと容易に想像されます。
ですが、今回のように次々とほとんどの日本国内の自動車会社メーカーが 生産中止に 追い込まれたのには 少々驚かされました。と言うのは、自動車セクター規格のISO/TS16949には “緊急事態対応計画Contingency Plans” という要求事項が規定されているからです。この自動車セクター規格というのは、自動車メーカーが 供給先に要求する品質マネジメントシステム規格で、供給先に 要求していることは 当然、自らも実行しているべき事項だと思われたからです。
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改めて ISO/TS16949の その部分の要求事項や “ガイダンス”を読んでみると、“供給先” という言葉は 見当たりませんので、返って驚くのですが、その言わんとすることは “顧客要求事項を満たすために、様々な要因によって生産を阻害することがないように緊急事態対応計画を持っておくこと”と読み取れますので、“供給先”のトラブルに対して それによる被害を最小限に抑えるようにしておくことは 当然ではないかと思った次第です。
自動車メーカーの生産中止のニュースを聞いた当初は、日本の自動車会社は 自らこれをきちんとしていなかったことを あらわにしてしまったのではないかと 私は思ったものです。つまり自動車メーカーは その購買者としての立場や 企業規模からの優越性により 多くの供給者に ISO/TS16949の規定順守をはじめとして、かなり 厳格な管理技術的要求をしてきていますが、自らを 律するには 少々甘かった、ということだろう、と思ってしまったのです。
それにしても 1週間程度で復旧したということは、原発に比べ その手際良さは この規定に従った対応マニュアルが あったためだと評価するべきかも知れません。むしろ、そのリスクの程度を どのように見ていたかの問題かも知れません。
自動車メーカーとしてトップのトヨタはISO/TS16949には参加していませんが、事実上 これを実施しているものと考えてよい会社です。ところが、その トヨタの首脳陣は 繰り返し 本件でTPS(トヨタ生産システム)を見直すことはない、と述べているようです。これは “供給が止まれば 生産をストップするのは当たり前” というのがTPSの基本姿勢だからのようです。つまり“生産をストップさせる”ことで、改めて問題点を鮮明にし、今後の対応を考え直すということにTPSの真髄があるということなのでしょう。
つまり、どんなに検討して作った管理技術の仕組であっても、最初から完璧なものは存在し得るものではなく、問題が生じた時、その都度 問題点を明確に認識し、対応し、対策を講じて行くものであり、この時に 同じあやまちを二度と繰り返さない抜本的な処置・対策を講じることが 重要である、ということのようです。むしろ “最初から完璧な” 仕組やルールには 過剰な管理が入り込んでしまい、それにより、必ず 大きなムダが生じてしまうという実利的発想もあるようです。
さて、ここまで来ると リスクにどのように向き合いマネジメントするのかという根本的な問題に突き当たるように思います。ISO9001でも 要求事項を “どの程度やるか” は 当事者のリスク感覚で決めて良いことが 原則です。つまり、規定要求事項は 最低限のことを やっていれば良く、やったことを 証拠立てる記録を要求していない要求事項には、やっている痕跡や、やろうという意思を 宣明した文書があれば 良いことになっています。
実は この点を誤解して 実務を理解していないISO審査員が、往々にして過剰な要求をする場合があり、それはJQAをはじめとする、日本の審査会社の審査員に多く見受けられる傾向のようです。(例えば やたら “特殊工程”の認定を強要若しくは推奨する審査員が居る。) 実務を知らずに 過剰な要求をすることが 実施不可能な社内ルールを強要することになり、審査前に 突貫で記録や文書を作るという 本来ありえないムダを生じてしまう元凶なのです。
また 審査員の多くは 大企業出身であり、人的資源に余裕の無い中小企業の経営環境や 実務そのものが 理解できず 過剰な要求をする場合も多いようです。その結果が 有名なサラリーマン川柳となって皮肉られる訳です。
ISO(アイエスオー) うちの会社は USO(うそ)800
この逆、つまり 大いにリスクがあるのも拘わらず、適切な措置を 施さず、あたかも適切にやっているかのように装い 審査を素通りしてしまうのも 大いに問題です。これが、私が今まで 幾度か指摘してきたように、多くの企業不祥事を生んでいます。
これが、ISOマネジメントのデリケートさであり、弱点だと思うのです。そして こうした問題が 日本中を混乱させているのだと思うのです。
ISO審査員は 神様ではないので、全てを見通すことはできません。受審側が審査員の指摘を 神様の御託宣の如く扱い、ひれ伏して遵守すると こういう問題を生じるのです。審査員が 過剰な要求をしてきた場合には 感情を交えず淡々と 論理的に議論するべきです。この論理的議論を可能にするには、日頃 自覚を持って自己の仕事を認識しておく必要があります。(本来 ISOマネジメントシステム構築時にこの認識過程を経ているハズだが・・・。)
それでも審査員が 過剰な要求を取り下げない場合は、審査会社に苦情を申し出ることが可能で、場合によっては 審査会社を認定している認定機関(日本では JAB,英国ではUKAS 等)に苦情を上申する権利が 受審側にあります。審査員と 受審側は このように対等もしくは、クライアントたる受審側の方が どちらかといえば強い権限を持っているということを肝に銘じるべきです。
ところが、こうしたメンタリティーは 多くの日本人は生来持ち合わせておらず、現状では ほとんど なじんでいないのではないか、と思うのです。つまり、依存心が強く 適切な“指導”を仰いで ようやく動き出すようでは ISOマネジメントシステムを 適切に運営はできないと思います。審査員の 不適切な “強力な指導”を 実行しなければ ならないと考えるようでは、何をかいわんやです。
このように自己認識が 低く、自己及び自己の仕事・ビジネスを客観的に 認識し、説明することができない経営者にはISOマネジメントは 不向きです。と言うよりも、本来、経営者としての適性を欠くと言わざるを得ません。“ミンナで渡れば 怖くない”ことを信条とするような人は 退場するべきです。他社がISOの認証を取ったから 我が社も取ったのだ、というような 会社には 全く 不適切です。
逆に、トヨタは こうした日本人のメンタリティを理解し、“御託宣”を通じて 関係会社を指導する方が、ISO9001やISO/TS16949の認証を判断基準とするよりも 供給先のコントロールが やり易いと感じているのではないか、と思うのです。従って、トヨタは自らのISO9001の認証を放擲し、ISO/TS16949の認証も 供給先に強要せず、自らの目で 適切な指導をする方が 効果的であると 見抜いたのだと思うのです。
このように、自己を客観視できる 自覚のある日本人が 多数を占めるようにならなければ ISOマネジメントは 日本では適切に運営できないものと考えます。そしてISOマネジメントが適切に運営できないような国には 将来は無いように思うのです。
例えば 選挙への投票率が 低いなどという 自覚の欠如した 精神的に自立できない人々が多数を占めるような国であれば、今後 国際的にも立ち行かないだろうと危惧している次第です。
(“トヨタの○○○”と書けば 皆が注目するというメンタリティーも 大いに問題ですネ。)
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思考過程をそのまま書いてしまったので、起承転結の不明確な記事になってしまいました。
“日誌”というジャンルなら多少 許せませんか?
2つに割るべしかも知れませんが、割ると いずれもパンチが効かないかも知れず・・・・・
いずれにせよ自分で勝手に決めた締め切りに間に合わせるため時間が無かった、というところです。