The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
災害対応事業継続―「地域防災防犯展」に参加して
気が付くと最早入梅。これから雨季が始まる。何だか時間が どんどん早くなってきている印象。特に 最近は“♪時が私を追い越して行く~”というような“とり残され感”が強くなってきている。遠い先のつもりで、インターネット予約していたつもりのセミナーが 早くも目の前にやって来て 慌てて出掛けることになった。それは先週開催された下記のものだった。
第6回「地域防災防犯展」大阪
日時:2012/6/7(木)・6/8(金)
場所:インテックス大阪
主催:社団法人 大阪国際見本市委員会
私は、この内の 6/7日(木)のセミナーに参加登録していた。行ってみると、予想通り 結構意義深い内容だった。
(1)“東日本大震災を踏まえた実践的防災対策”(講演会)13:00~14:30
[講師] 宮本 英治 氏 (災害対策研究会)
(2)“巨大地震に備える防災・減災のネットワークづくり”(パネルディスカッション)15:00~16:30
[司会]山田俊満 氏 (日本技術士会近畿本部顧問)
[パネラー]中山久憲 氏(財・神戸市開発管理事業団),遠藤雅彦 氏(関西県外避難者の会・代表),諏訪清二 氏(兵庫県立舞子高校・教諭)
(1)の講師は、災害対応事業継続の専門家のようだった。講演は時間が少ないが内容が濃いのと、各地での講演のハード・スケジュールをこなしていて、いわば“講演慣れ”していて早口で立て板に水。そのため聞き逃してしまう重要キィ・ワードも多数ではなかったかと思われる。その中で要点と思われることが いろいろ指摘されていた。
例えば、災害発生後の事業継続のために考えるべきことは、次の順であるという。
①従業員とその家族の救護と復旧 ②事業所の近隣の救護と復旧 ③事業所の復旧
①及び②なしでは決して③の事業所の復旧は為しえないということであった。こうした相互扶助の精神が事業継続計画BCP(Business Continuity Plan)そのものの本質である、と言う。そのための頭上(図上?)演習では、夜間に発災して家族をどう救護するか、自力での初期消火、人命の救助で病院までに移送完了の目標時間を30分以内か3時間以内か どれくらいで可能かを想定することが基本になる。そういう基本パターンの下での演習を事業所にも次々と適用していくのがBCP演習のやり方であるとのことであった。そして、事業所の場合は、危険設備からの漏洩、受水・受電や排水施設の健全度のチェックが第一歩であり、復旧のスケジュール策定には その防護の緊急度に応じて①と②の優先度を考慮して行うべきであるとのこと。そして 最終的には 実施するべきことを時系列で上から下へ列記し、その実施項目の主責任者をその横に記載したリストを作成し、マニュアルとすることを目的とするべきである。
救護に際して、生存率は最初の24時間で80%、2日目で20%、3日目で0%となることを念頭に置くこと。発生が懸念される東海・東南海地震は、阪神地域には発生後2時間で津波が来ることを考慮し、その間に どこへどのように避難するかを検討しておくこと。
発災後の事業所では、現場の状況の目処を付けることが最優先となるため、災害対策本部の設置には少なくとも発災後30分は経過してから可能となるものと想定しなければならない。そこでの第一声は ①少なくとも3日間の操業停止宣言 ②被災状況のプレス発表 ③社長による従業員を鼓舞する声明、であるべきであるとのことであった。
また巨大地震発災の場合、事業所が早期復旧しても余震が継続することも考慮するべきで、場合によっては1日30回の余震もありうる。その場合、操業は不可能であると覚悟しておく必要がある。
こうした施策を実施して フル稼働に復旧するには再開作業必要日数をX日として次のように想定しておくこと。
フル稼働到達日=X+10日
最も重大な問題として気付かされる指摘があった。
それは、21世紀前半に確実に起きるとされる、東海・東南海地震についてである。それは1945年に起きており、100年経てば再び起きる確率は相当に高くなっている。プレートの移動5mm/月なので100年で6mのずれは確実に生じているからである。東海がきっかけで東南海が連動することも確実視されている。そうなると 東海から四国近畿に巨大津波が及ぶと想定される。特に伊勢湾の沿岸には海に直接接して中部電力の火力発電所全てが10箇所集中している。この合計最大出力は2400万kWに相当するが、これが全て壊滅する。近畿は日本海側に原発があるので これによる電力問題は少ない。
まさに首相が大飯原発再稼動の意思表明をしたが、現在止まっている全原発の最大出力が4700万kW、その内の西日本分の2400万kWに相当分が東海・東南海地震で失われると考えるべきで、これは戦慄するべき事実である。従って、原発は稼動していなければ、発災後の緊急復旧に原発フル稼働までの 6週間は全く何ら対処できなくなる。そういう危機をどうするべきか。壊滅した中部経済の影響は、脆弱な脇腹にダメージを受けたようなものでインフラの基本としての電力が壊滅すれば、東西の交通通信にも甚大な影響が及び、遅い復旧が退勢にある日本経済にさらに大きな悪影響となる懸念がある。それは東北の復旧以上の問題となると考えるべきではないか。電力と言う基本インフラは余力を持たせておかなければ危機に際して立ち上がりが困難にさると考えるべきではないか。
(2)のパネル・ディスカッションは東日本震災復旧に神戸の経験が全く活かせていないということで 未だに酷い状況が継続しているとのこと。にもかかわらず既に相当復旧しているかのような印象が 全国に蔓延していることに被災者は 情けない思いを抱いているとのことであった。
神戸被災の行政経験者として元神戸市職員の中山久憲氏の講演では そのことが神戸の震災復旧との比較で語られた。要するに、人口が稠密に分布する神戸とは違い、広大な地域に分散する人々をどのようにネット・ワーク化するかが課題であると言う。
それに対し、福島の被災者で、関西県外避難者の会・福島フォーラムの代表・遠藤雅彦氏が講演。同氏も関西でのネット・ワーク造りによる連携が重要で 何らかの関係性を築くことが 東北復興につながるはずだと力説されていた。
ネット・ワーク造りに外部からどのように関わるべきかを、兵庫県立舞子高校環境防災科・教諭・諏訪清二氏が語った。すなわち、神戸の震災の経験を活かしつつ東日本震災の被災者にどのように接して来たかの活動報告と今後への展望についてであった。防災教育の要素としては ①避難訓練のあり方教育 ②災害のメカニズム知るための理科教育(特に地球科学) ③人々の心理に根ざしたネット・ワーク形成のための“新たな防災教育” ④備え中心の防災教育 ⑤被災未経験者の関心をかきたてるための+α教育 ⑥臨機応変の防災対応ができる人材育成 を考えているということだった。特に 臨機応変の対応ができる人材を育てることは 相当豊かな想像力と論理思考、さらには思考の瞬発力、決断力の育成が必要であり、場合によってはかなりな経験を要すると思われるので困難なことではないかと思われる。
展示物は想像可能な範囲のモノばかりだったように思ったが、大阪の自衛隊が トラック牽引の炊き出し施設を展示していたのには頼もしく思えた。
第6回「地域防災防犯展」大阪
日時:2012/6/7(木)・6/8(金)
場所:インテックス大阪
主催:社団法人 大阪国際見本市委員会
私は、この内の 6/7日(木)のセミナーに参加登録していた。行ってみると、予想通り 結構意義深い内容だった。
(1)“東日本大震災を踏まえた実践的防災対策”(講演会)13:00~14:30
[講師] 宮本 英治 氏 (災害対策研究会)
(2)“巨大地震に備える防災・減災のネットワークづくり”(パネルディスカッション)15:00~16:30
[司会]山田俊満 氏 (日本技術士会近畿本部顧問)
[パネラー]中山久憲 氏(財・神戸市開発管理事業団),遠藤雅彦 氏(関西県外避難者の会・代表),諏訪清二 氏(兵庫県立舞子高校・教諭)
(1)の講師は、災害対応事業継続の専門家のようだった。講演は時間が少ないが内容が濃いのと、各地での講演のハード・スケジュールをこなしていて、いわば“講演慣れ”していて早口で立て板に水。そのため聞き逃してしまう重要キィ・ワードも多数ではなかったかと思われる。その中で要点と思われることが いろいろ指摘されていた。
例えば、災害発生後の事業継続のために考えるべきことは、次の順であるという。
①従業員とその家族の救護と復旧 ②事業所の近隣の救護と復旧 ③事業所の復旧
①及び②なしでは決して③の事業所の復旧は為しえないということであった。こうした相互扶助の精神が事業継続計画BCP(Business Continuity Plan)そのものの本質である、と言う。そのための頭上(図上?)演習では、夜間に発災して家族をどう救護するか、自力での初期消火、人命の救助で病院までに移送完了の目標時間を30分以内か3時間以内か どれくらいで可能かを想定することが基本になる。そういう基本パターンの下での演習を事業所にも次々と適用していくのがBCP演習のやり方であるとのことであった。そして、事業所の場合は、危険設備からの漏洩、受水・受電や排水施設の健全度のチェックが第一歩であり、復旧のスケジュール策定には その防護の緊急度に応じて①と②の優先度を考慮して行うべきであるとのこと。そして 最終的には 実施するべきことを時系列で上から下へ列記し、その実施項目の主責任者をその横に記載したリストを作成し、マニュアルとすることを目的とするべきである。
救護に際して、生存率は最初の24時間で80%、2日目で20%、3日目で0%となることを念頭に置くこと。発生が懸念される東海・東南海地震は、阪神地域には発生後2時間で津波が来ることを考慮し、その間に どこへどのように避難するかを検討しておくこと。
発災後の事業所では、現場の状況の目処を付けることが最優先となるため、災害対策本部の設置には少なくとも発災後30分は経過してから可能となるものと想定しなければならない。そこでの第一声は ①少なくとも3日間の操業停止宣言 ②被災状況のプレス発表 ③社長による従業員を鼓舞する声明、であるべきであるとのことであった。
また巨大地震発災の場合、事業所が早期復旧しても余震が継続することも考慮するべきで、場合によっては1日30回の余震もありうる。その場合、操業は不可能であると覚悟しておく必要がある。
こうした施策を実施して フル稼働に復旧するには再開作業必要日数をX日として次のように想定しておくこと。
フル稼働到達日=X+10日
最も重大な問題として気付かされる指摘があった。
それは、21世紀前半に確実に起きるとされる、東海・東南海地震についてである。それは1945年に起きており、100年経てば再び起きる確率は相当に高くなっている。プレートの移動5mm/月なので100年で6mのずれは確実に生じているからである。東海がきっかけで東南海が連動することも確実視されている。そうなると 東海から四国近畿に巨大津波が及ぶと想定される。特に伊勢湾の沿岸には海に直接接して中部電力の火力発電所全てが10箇所集中している。この合計最大出力は2400万kWに相当するが、これが全て壊滅する。近畿は日本海側に原発があるので これによる電力問題は少ない。
まさに首相が大飯原発再稼動の意思表明をしたが、現在止まっている全原発の最大出力が4700万kW、その内の西日本分の2400万kWに相当分が東海・東南海地震で失われると考えるべきで、これは戦慄するべき事実である。従って、原発は稼動していなければ、発災後の緊急復旧に原発フル稼働までの 6週間は全く何ら対処できなくなる。そういう危機をどうするべきか。壊滅した中部経済の影響は、脆弱な脇腹にダメージを受けたようなものでインフラの基本としての電力が壊滅すれば、東西の交通通信にも甚大な影響が及び、遅い復旧が退勢にある日本経済にさらに大きな悪影響となる懸念がある。それは東北の復旧以上の問題となると考えるべきではないか。電力と言う基本インフラは余力を持たせておかなければ危機に際して立ち上がりが困難にさると考えるべきではないか。
(2)のパネル・ディスカッションは東日本震災復旧に神戸の経験が全く活かせていないということで 未だに酷い状況が継続しているとのこと。にもかかわらず既に相当復旧しているかのような印象が 全国に蔓延していることに被災者は 情けない思いを抱いているとのことであった。
神戸被災の行政経験者として元神戸市職員の中山久憲氏の講演では そのことが神戸の震災復旧との比較で語られた。要するに、人口が稠密に分布する神戸とは違い、広大な地域に分散する人々をどのようにネット・ワーク化するかが課題であると言う。
それに対し、福島の被災者で、関西県外避難者の会・福島フォーラムの代表・遠藤雅彦氏が講演。同氏も関西でのネット・ワーク造りによる連携が重要で 何らかの関係性を築くことが 東北復興につながるはずだと力説されていた。
ネット・ワーク造りに外部からどのように関わるべきかを、兵庫県立舞子高校環境防災科・教諭・諏訪清二氏が語った。すなわち、神戸の震災の経験を活かしつつ東日本震災の被災者にどのように接して来たかの活動報告と今後への展望についてであった。防災教育の要素としては ①避難訓練のあり方教育 ②災害のメカニズム知るための理科教育(特に地球科学) ③人々の心理に根ざしたネット・ワーク形成のための“新たな防災教育” ④備え中心の防災教育 ⑤被災未経験者の関心をかきたてるための+α教育 ⑥臨機応変の防災対応ができる人材育成 を考えているということだった。特に 臨機応変の対応ができる人材を育てることは 相当豊かな想像力と論理思考、さらには思考の瞬発力、決断力の育成が必要であり、場合によってはかなりな経験を要すると思われるので困難なことではないかと思われる。
展示物は想像可能な範囲のモノばかりだったように思ったが、大阪の自衛隊が トラック牽引の炊き出し施設を展示していたのには頼もしく思えた。
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