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“美しい国”の富士山?

久しぶりの新幹線で、E席に坐り、日の光があり、晴天に恵まれ、たまたまカメラを持っていましたので、富士山の山容を捉えようと 構えたのですが、あいにく 手前に妙に高い煙突の工場や 様々な構築物ばかり目に付いて とても素晴らしい景観といえるような 風景は 撮れませんでした。遠目には 第2東名高速の自然破壊までもが見えます。



新幹線に乗る大抵の外国人は 富士山を見るのを楽しみにしているようです。現に 私のような者にさえも 新幹線に乗り込む時外国人から “富士山はどちら側で見えるか” と聞かれたことは 複数回あります。その 外国人が 富士山の写真を撮った時 このような麓の無様な(messy) 景観が写っていたのではガッカリするのではないでしょうか。しかも それを 本国に持ち帰って 周囲の人々に見せるでしょう、その時 それを見た外国の人々は 何と思うでしょうか。
本当に こんな状態で よいのでしょうか。本当に これが“美しい国”なのでしょうか?

昔、新幹線が 走り始めた頃は こんなに 景観を阻害するような建物や構築物は 無かったように思うのです。
富士山の地元、静岡県の人々から “放っておいてくれ”、“勝手にさせろ”、“そんなことを押し付けるな”、“我々にも生活があるゾ”というような声が 聞こえそうですが 果たしてそれで良いのでしょうか?
そう言えば “新幹線” も 自然破壊の元凶では ありますネ。そういう意味では 単なる通りがかりの人間である私の身勝手な言い分かも知れません。

富士山を世界遺産にしようとして、そのゴミの多さに とても適わぬことだったとは有名な話です。そういったことから考えても 日本人は 本当に富士山を愛していると言えるのでしょうか。日本人は 日本の国土を愛していると言えるのでしょうか?

江戸時代の 日本の街、自然は 非常にきれいだったとのことです。それに比べて 進歩した時代に生きているハズの私達の生活は 美しい環境の中に居るのでしょうか。何やら “美しい国” という言葉ばかりが 単なるキャッチ・フレーズになっているだけで、日本のモノ・社会のすべての実質は 現代化で どんどん 劣化しているような印象です。

それと 景観を守ることが 地球環境維持への配慮につながることを肝に銘ずるべきだと思った次第です。


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