goo

ヒンシュク党?

先週の 朝のワイドショウだったと思うが、民主党の“仕訳”が 始まったが JICAには2度目の仕訳をやっている部分があると言っていた。何故だろう。どうやら、仕訳の結果を的確に実行に移していないかららしい。結果をきちんとフォローしていないことであるかのようにテレビでは報道していた。もし、本当なら、これは 私にとっては噴飯モノの話だ。一度 出した結論は キチンと実施するのでなければ、やった意味がない。やらないのと同じことになる。その同じことを2度もやって見せるというのは、人気低落の中で それを回復させるための演出なのか。それに それこそ国費の無駄遣いではないか。
改めて政府のHPで確認してみると、多くの仕分結論の表現が 単に“縮減”となっているように思う。こんな抽象的表現の“評価”で成果が上がるのだろうか。無駄を指摘するのであれば、その無駄の程度を具体的な金額で提示し、それを基準にして予算を付けることにするべきではないか。その合計で、事業仕分の全体的な金額評価というか“成果”を明らかにするべきだと思う。

さらに 前回は一旦 決めたことを無原則に 撤回したものもあった。たとえば スーパー・コンピュータの開発だ。あれは私は仕分の評価結論が正しかったと思う。コンピュータ機能の原理面での革新的技術の開発ならば いざ知らず、従来型コンピュータの改良ならば それこそは民間に任せるべきだ。国家と 民間の役割、棲み分けをキチンとわきまえて、国家は何をなすべきか、市場原理主義で放置したのでは 拙いことになる場面に国家・政府が前面に立つべきなのだ。
現に、この件に関し、昨年の11月27日付の西日本新聞の記事のコピーを 偶然に手に入れたが、それには 意を強くする内容が掲載されていた。
国内最速のスパコンを開発したという、長崎大学工学部の浜田剛助教が 米電気電子学会の“ゴードン・ベル賞”(価格性能部門)を受賞したことを紹介し、同助教の言葉として“巨費を投じた従来の開発方針について「素直にいいとは言えない。方向性が逆」と述べ、低価格化が可能との見方を示した。”としている。続けて 同氏の開発したスパコンが“1秒間に158兆回の計算ができ、国内最速の「地球シミュレータ2」の同122兆回を上回った。”“GPUを大量につなげられるプログラムの開発が成功のカギとなり、数百億円規模が必要とされる開発費を3800万円に抑えた”と紹介している。
若い研究者が立派なスパコンを低価格で開発可能であることを 既に示しているのである。国があらためて 今 莫大な予算を投じてしなければならないことなのだろうか。
いかに、年寄りのノーベル賞受賞者達が スパコン開発の必要性を陳情したとしても、無駄なものはダメなのだ。いかにノーベル賞受賞者であっても、“良い人達”とは限らないのだ。彼らが学閥のボスである場合もあり、自らの影響力を担保するための発言の場合もあるのだ。そのことに留意するべきだ。にもかかわらず、政府は開発予算を 認めてしまった。仕分け作業は無駄になったのだ。

今後、逐一 事業仕分なるのを毎年実施するのであろうか。テレビで誰かが言っていたが、“これだと、一体 国会は機能を果たしているのだろうか。”という 疑問も湧いてくる。しかし、予算編成前の 裁きだから、当然あってしかるべきだし、これまで財務省の主計官と 族議員や陳情団が密室で やっていたことをオープンにしたまで、とのことだろう。

だが、確かに “細部に神は宿り給う”という言葉もあるが、こんな専門的で細かいことで エネルギーを消耗して“木を見て森を見ず”にならないのだろうか。
もっと、大本の改革が必要であろう。それが、既に言われていることだが、特別会計への切込みであり、官僚の人事制度の見直しではないのか。何とか初年度の予算がスタートした後の 今は、そういった旧来制度の根本問題の改革へ全力を 上げるべき段階ではないのかと思うのだ。それを 放っておいて、細部にとらわた事業仕分をしても 結局は “細部の神”である 司ツカサの官僚に手練手管各個撃破されて大した成果が得られない、という見込違いになってしまうのではないか。

民主党政権の 動きは大筋や原則が見えず、些細なことにとらわれ過ぎているように思う。
そして高速道路の無料化も 二転三転している。一体 何を考えているのか。正に朝令暮改である。政治としては最悪である。しかも、非常に残念なのだが、普天間問題では 国家安全保障の原則すら未だ見えてきていない。

“信なくば立たず” という政治家向けの言葉があるが、“信”なくして選挙のためだけに人気を取ろうとして政治を行なうからブレるのである。“支持率”というものが 目まぐるしく変化するのは “衆”はブレるものだからである。“信”という 大筋・原則を見落としているのではないか。
まさに、信頼の素となるIntegrityとは正反対なのである。だから 返って信頼がなくなるのである。“衆”におもねる、これも 衆愚政治の一つの形なのかもしれない。
民主党も このままでは、国民から 顰蹙(ヒンシュク)を買うばかりである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« PIGS,STUPID... “変わる世界、... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。