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沖縄返還40周年

沖縄返還40周年だと言う。マスコミは騒いだが、一般には反応は乏しい。これが、本土の意識そのものなのか。
報道によれば、沖縄にも 逆の立場での “返還で、何が変わったんだ?”との思いが相当にあるようだ。現に、記念式典に出席を拒否した元沖縄県知事がいるという事実は そのことを端的に示している。要するに、基地問題は解決に向かう気配が全くない。

さて、沖縄での“基地問題の解決”とは 一体 どのような状態を言うのであろうか。
そもそも沖縄は日中韓、というか日米と中韓にとっての戦略的要衝にある。東シナ海や極東戦略を考えると、ここに軍事基地を構えることができる勢力・国家が、この海域およびその周辺の制海権、制空権を握ることになる。
したがって、覇権主義国家の米国は 日米安保条約を根拠として、この地を有効に活用している。この米国の姿勢は日本が米国をはじめとする連合国に降伏して以降、一貫して変化していない。米国自身の余程の勢力低下が認められない限り、未来永劫、米国のこの権利行使は継続されるだろう。それが、米国の極東における覇権を象徴するからだ。

一方、新興覇権主義国家の中国には太平洋域に勢力を拡張するという戦略があり、そのためには沖縄を勢力下に取り込む必要がある。真偽不明だが、中国が太平洋を中国と米国で2分しようと米国に提案したことがあると聞いたことがある。そのための、手始めとしての尖閣諸島の核心的利益宣言であるのは明白だ。ついでながら、尖閣諸島の海域が 天然資源が豊富にあるということも 彼らの領土的野心をかきたてる要因になっていると思われる。

ここで韓国にとっての沖縄の存在意義は かつてほど大きくはないものに変化しているとされる。それは、北朝鮮の経済的衰退により、北からの地上軍の全面侵攻の可能性がほとんどなくなったこと、軍事技術の変化・向上により、米軍兵力の沖縄経由での投入という経路を取る必然性が小さくなったことにあると、考えられている。
台湾について言えば、台湾は既に 中台一体化が進展しており、相互交流の航空路線は質量ともに増大し、もはや国際線というより、国内線の様相を呈しているとされる。“中台国境”の要塞地帯は 今や観光地化しているとのこと。そこは、国共内戦時激しく砲撃戦が 交わされたところであるが、今や“古戦場”の観があるらしい。そして、このような状況を米国は歓迎しているとのことである。その上 米国は台湾の独立派を掣肘することに熱心であるとされる。このような、国際環境で、台湾海峡に異変が生じる余地は殆どない。
このように、韓国、台湾にとっては沖縄の戦略的意義は 小さくなっている。
また、かつて米国は沖縄を基地として、ベトナムに渡洋戦略爆撃を繰り返していた。これはB52という長距離飛行が可能な戦略爆撃機を活用してのことだったが、現在では このような兵器体系は存在しない。従って、沖縄をアジア各地へ向かっての戦略的価値はかつてほど大きくはない。

このような状況下で、米国には大規模な兵力を沖縄に常駐させる必要は少なくなっており、突発的紛争発生時の米人*救出のための大隊規模の海兵隊さえ居ればよいことになっている。つまり、紛争発生地域の 空港など交通の要衝を一時的に制圧し、そこを拠点に米人を救出できる兵力が必要であり、それほど大規模な軍備を必要としていないとされる。こういう 戦略的意義の変化と米国政府予算削減により、沖縄にある米国の軍事基地の縮小が 相次いでいるのが現状だ。したがって、“沖縄の米国海兵隊の抑止力”という概念は成立しない。
したがい、米国が沖縄に固執するのは、覇権主義の象徴としての沖縄の活用可能性である。膨大な兵力の駐留は必要なく、予算削減にそって縮小されて来てはいるが、完全撤退は ありえない。

*:ここで言う米人とは、先ず米国の市民権(グリーン・カード)を持っている人。その次が 欧米人であるとされ、公式には日本人が救出対象になる可能性は低い、とされている。したがって、沖縄海兵隊は日本防衛とは直接の関係はないと言える。この点は、対米交渉のバーゲニング・ポイントとなるはずだ。

こういう現状を あの鳩山元首相は どのように認識していたのであろうか。少なくとも“沖縄の米国海兵隊の抑止力”という認識は間違っている。ここまで推論した要素を的確に認識した上での公式発言ではなかったと容易に想像できる。これは、沖縄の人々を落胆のどん底に突き落とし、さらに侮辱したことに等しい行為であると言って間違いない。

しかし、沖縄の現状は、太平洋をめぐって 米国と中国の覇権主義が激突する図式が鮮明になりつつある舞台の中心にある。そこで、現実的に軍事覇権を握れない日本には、米中いずれかに加担しつつ、その勢力を利用して他方を圧する戦略しか取れない。そして、日本は米中のいずれを選択するべきかであるが、これまでの歴史的経過と、中国の民度の後進性を考えると、米国に組する方が現状では自然であり摩擦も少ないと考えるのが自然だろう。こう考えれば、沖縄での軍事基地を皆無にすることは不可能と言って間違いない。

しかしながら、沖縄の人々の我慢できる規模までの基地縮小なら、工夫次第で可能のように思える。そして、その縮小が 具体的にどのような規模なのかを詰めるのが 日本の政治家の本来任務だと思われる。そして、その沖縄側の要求を米国が呑めるように折衝することが、日本の政治家としての基本機能だろう。ところが、そのように自覚し活動している政治家は 残念ながら日本には居ないのではないか。

その象徴が辺野古への基地移設であるが、これが膠着状態にあり、現実は愚かなことに 普天間基地を恒久化するような方向になってしまっている。この膠着を見て、軍事予算を事実上握っているとされる米国議会は、嘉手納空軍基地の海兵隊と空軍の統合運用を提案してきている。日本政府にとって、これは渡りに船の解決案であると思われるが、肝心の民主党政権は この案に見向きもしない。実は、この統合案は普天間基地閉鎖のために 最初に日本側が提案したものだと言われる。当時、米空軍側が ワイルドな海兵隊と一緒になるのを嫌って、異なった指揮体系の下での統合運用は不可能との主張により、潰れたものとされる。それを今度は米議会筋が提案して来たのであるから、日本側が可とすれば 進展が期待できるはずだ。これを無視し膠着させることで得るものがあるのだろうか。先日指定弁護士に控訴された大物政治家が、辺野古周辺に土地を買っているという噂もあるようだ。

沖縄の米軍基地を容認することは、沖縄への差別意識からではないと思って欲しい。繰り返しになるが、それは沖縄のロケーションが極東における、戦略的要衝にあるという客観的条件による。だが、しかし軍事的要衝であることは、今や経済的要衝であると言って良い。沖縄は日本と新興アジアを結ぶ結節点であり、日本政府はそういう沖縄の経済的側面に着目して、沖縄を開発する必要があり、そうすることは日本経済全体にとっても必要なことだ。こうした点を考慮して、本来は、米軍基地を経済的基地に置き換えて行くことが目指されるべき政策だと思われる。

しかし、日本の政治家には こうした政治戦略性がなく、利権漁りばかりで、その基本機能を果たしていないので、米国はもはや日本を相手にする気を失いつつあるようだ。先日の首相訪米時、米国側は 訪中予定直前で気もそぞろの様子だったと言われる。交渉しても訳の分らない日本を相手にするより、中国と話した方が成果が大きいと期待したのだろう。
世界はどんどん変化している。中国共産党要人・薄熙来氏の部下の米国亡命を米国は拒否した。その一方、盲人の人権活動家・陳誠光氏の中国出国を中国政府は許容した。このような最近の米中の阿吽の呼吸を見て何かを感じないものか。
翻って、米国の日本への対応を見ると、あの尖閣領海で日本が逮捕した中国漁船の船長の解放を要求し、穏便解決を望んでいた。その一方で、それを要求した米国務長官が尖閣を日米安保の対象であると認めたのは、法理論上当然のことを言ったまでであり、政治上それを認めるか否かは別であると思うべきだ。つまり、米中は太平洋をめぐって覇権争いをしているかのように見えるが、実は 米国の核心的利益を阻害しない限りにおいて、米国は中国の核心的利益を尊重しようとしているのではないか。米国の対台湾政策がその第一歩であると見てよいだろう。その方が、米国にとっては経済的利益があると見るべきだ。モノ造り・貿易立国に戦略転換した米国にとっては、日本より中国のほうが経済的に得るものは圧倒的に大きい。
こう考えれば、米中両国は日本を無視して、太平洋を2分する覇権政策へ着々と歩を進めているように見えるが、私の考え過ぎだろうか。いつまでも冷戦時代の古い感覚で国際社会を理解していては、国を危うくするばかりでないか。

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