The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
パフォーマンス成熟度の評価
前回は ISOマネジメントすなわちISO9001と“総合「質」経営”つまりTQM(ISOファミリーで“卓越モデル”と表現されるもの)との 関係について私の考え方を説明いたしました。そこでは、ISO9001の品質マネジメントシステムから卓越モデルへの発展にいたるルートには 2つあると考えました。
①組織が必要と判断する追加要求事項(組織のオプション要求事項)
②是正処置によるパフォーマンス改善
です。 またこの際に、ISO9004を改善の指針として使用するのは大いに望ましいことと考えます。
そして このパフォーマンス改善の結果への “パフォーマンスの成熟度レベル” の評価の与え方については、ISO9004の附属書Aに出ています。そして ここでは あくまでも“自己評価” となっています。つまり“パフォーマンスの成熟度のレベル”の判断は まさしく経営者自身の 理想に対してどうなのか、が基準となるわけで、第三者が とやかく言えるものではないのではないということを暗示しているように思います。 つまり 第三者監査(審査)において、審査対象組織のビジネスについて何も知らない第三者が、重箱の隅をつつくような指摘をしても意味がありません。逆に、細かい指摘をして、企業活動全体のバランスを崩し、非効率な活動となるようであれば、いわゆる“角を矯めて牛を殺す”ことになるのではないでしょうか。そして、卓越モデルになれば なるほど 指摘は些細なことになります。例えば、“卓越モデル”の評価基準として提唱されている“モジュール化されたTQMの自己評価・診断法”をみれば 非常に細かいことが分かります。ところが、この細かさが 基準の汎用性を損なうという自家撞着に陥ることになるのではないでしょうか。つまり 企業の独自性・特殊性や個性が評価尺度の客観性を失わせる結果になるような気がします。これは 先に示した“TQM診断法”には別途17分野のビジネス毎に基準を設けられている事実からも 分かるように思うのです。 http://www.indsys.chuo-u.ac.jp/~nakajo/open-data.htm
その意味で 逆に汎用性のあるISO9001は 「グローバルに存在するレベルの様々な あらゆる企業を審査対象とする」ことが 出来るため 非常にすばらしい客観基準といえるのではないか、と思うのです。そして 「ISO9001の“適合性審査”では 優秀な日本企業を審査する基準にならない」と カッコヨク切って捨てるのは おこがましい印象です。
本当に日本の企業は優秀なのでしょうか?欧米の企業に劣るが、アジアの企業には 卓越しているとでも言われるのでしょうか。ならば、そのアジアの企業の影に怯えている日本企業は 一方では“優秀”と豪語しつつ 一方では自信を喪失しているという、滑稽な姿ではないですか?
自信がないというのは やるべきことをやっていない結果の反映ではないでしょうか。クレームを無視していませんか?まじめに再発防止(是正処置)できていますか?マネジメントレビュー(経営者の意思の徹底)は?内部監査は?きちんとISO9001を読みましたか?“論語読みの論語知らず”になっていませんか?
ISO9001規格自身も 世界中の頭脳を結集して、心血を注いで作られたものです。しかも一朝一夕でできたものではありません。これぞ、人類の英知の集まりだとは思いませんか?
ISOマネジメントが こんなに普及しても、未だに ヘッポコ・カンパニーが存在するのは 一体どうしてでしょう。かつて一流と言われた企業にも クレーム隠しが ありましたヨネ。ISO9001のまじめな実践が求められます。
①組織が必要と判断する追加要求事項(組織のオプション要求事項)
②是正処置によるパフォーマンス改善
です。 またこの際に、ISO9004を改善の指針として使用するのは大いに望ましいことと考えます。
そして このパフォーマンス改善の結果への “パフォーマンスの成熟度レベル” の評価の与え方については、ISO9004の附属書Aに出ています。そして ここでは あくまでも“自己評価” となっています。つまり“パフォーマンスの成熟度のレベル”の判断は まさしく経営者自身の 理想に対してどうなのか、が基準となるわけで、第三者が とやかく言えるものではないのではないということを暗示しているように思います。 つまり 第三者監査(審査)において、審査対象組織のビジネスについて何も知らない第三者が、重箱の隅をつつくような指摘をしても意味がありません。逆に、細かい指摘をして、企業活動全体のバランスを崩し、非効率な活動となるようであれば、いわゆる“角を矯めて牛を殺す”ことになるのではないでしょうか。そして、卓越モデルになれば なるほど 指摘は些細なことになります。例えば、“卓越モデル”の評価基準として提唱されている“モジュール化されたTQMの自己評価・診断法”をみれば 非常に細かいことが分かります。ところが、この細かさが 基準の汎用性を損なうという自家撞着に陥ることになるのではないでしょうか。つまり 企業の独自性・特殊性や個性が評価尺度の客観性を失わせる結果になるような気がします。これは 先に示した“TQM診断法”には別途17分野のビジネス毎に基準を設けられている事実からも 分かるように思うのです。 http://www.indsys.chuo-u.ac.jp/~nakajo/open-data.htm
その意味で 逆に汎用性のあるISO9001は 「グローバルに存在するレベルの様々な あらゆる企業を審査対象とする」ことが 出来るため 非常にすばらしい客観基準といえるのではないか、と思うのです。そして 「ISO9001の“適合性審査”では 優秀な日本企業を審査する基準にならない」と カッコヨク切って捨てるのは おこがましい印象です。
本当に日本の企業は優秀なのでしょうか?欧米の企業に劣るが、アジアの企業には 卓越しているとでも言われるのでしょうか。ならば、そのアジアの企業の影に怯えている日本企業は 一方では“優秀”と豪語しつつ 一方では自信を喪失しているという、滑稽な姿ではないですか?
自信がないというのは やるべきことをやっていない結果の反映ではないでしょうか。クレームを無視していませんか?まじめに再発防止(是正処置)できていますか?マネジメントレビュー(経営者の意思の徹底)は?内部監査は?きちんとISO9001を読みましたか?“論語読みの論語知らず”になっていませんか?
ISO9001規格自身も 世界中の頭脳を結集して、心血を注いで作られたものです。しかも一朝一夕でできたものではありません。これぞ、人類の英知の集まりだとは思いませんか?
ISOマネジメントが こんなに普及しても、未だに ヘッポコ・カンパニーが存在するのは 一体どうしてでしょう。かつて一流と言われた企業にも クレーム隠しが ありましたヨネ。ISO9001のまじめな実践が求められます。
コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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関係ないお話です。
暑さも何となく峠を越えつつありますので、なんとか「魂の欠乏」をすこしでも補えたらと思い立ち、座禅に適したした室内環境を整えるべく、本等で乱雑に乱れた自室(洗塵亭と勝手に命名しています)の整理を始めました。形から精神に入るという方法でアプローチです。
永平寺の修行実録読んでみても 一見 意味無く走り回り、トイレでも訳のわからぬ呪文を唱え、やたら大声張り上げさせられると言うじゃぁないですか。これなんざぁ「形」なんでしょうナ。
アタシャァ、「形」というか「型」が 大切だと思うとリアス。
ISOなんざぁ さしずめビジネスの「型」デッシャロナァ。
今や 型ヤブリがお好きなお方が増えなすって、型に嵌まることをお嫌いなさるお方ばかりでぇ…。「型」をないがしろにするから 逆に「魂の欠乏」なんざぁ増えるんデげしょうなぁ。
「守破離」の「守」が無くて「破離」ばっかぁではナァーンもデケヘン!
カク申す拙者、片付けが下手糞でこまっとりアスが・・
まぁダイコクヤさん!時至るまで焦らず、一見無駄な時間が こと無く過ぎるような工夫が大事なように思いますが。そのためには まぁ自分に近い趣味の人と身近に お仲間を 作られてはいかがでしょう。俳句だとか、絵を描くとか・・・・ くだらない話相手が・・・