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ビッグ・ピクチャーへの戦略

最近 戦略策定のセミナーに行ってきました。
講師は戦略策定がいかに重要かを 説いていました。ここで 戦略とは“市場における組織としての活動の長期的な基本設計図”であると していました。
そして、抽象的な解説もそこそこに中学生の人生への一念発起を 譬えに説明していました。

ある中学生が 人生の大きな障害を経験して “心臓疾患の患者を救いたい” と思った、とします。そのために “40才で一流の心臓外科医になる。” と決意。そのためには “30才で 海外留学する。” “20代で一流大学医学部に入る。” “一流の進学高校に入る” こういう目標を立てます。こういう風に人生の目標を立てるのですねぇ。
この節目、節目の目標をマイルストーンと言います。
そして その中学生は “一流の進学高校に入る”ために 今 どういう勉強をするべきか 現実と 目標のギャップを埋める方策を考えます。どういう勉強方法を取るのか。どの科目が弱いのか。どういう塾に通うのが良いのか。・・・・・

さて、この話を聞いていて 何となく 私はげんなりしてしまいました。あ~ぁ 最初の 純粋な“心臓疾患の患者を救いたい” という 願いが 結局は あの虚しい受験競争に 参加することから始まるのか、と。夢がない!どうしてこうなるのか。
人生の 純粋で崇高な希望が 現実に引き戻された時、どうして あの虚しい道を通らねばならぬのか、とフト 考え込んでしまいました。“受験競争に 参加し、勝利する”という目標が 人々の共感を得るものなのか。
本来、理念が 何故必要かと言えば、それは “人々の共感を得るため”ではなかったのか。どうして こうなるのか。

ここまで考えて 思い当たったのが “心臓疾患の患者を救う” ために “一流の心臓外科医になる” 必要が 絶対条件なのか、です。必ずしも そうでは ありませんね。必ずしも“外科医”になる必要はなく、“内科医”では 達せられないのか。いや“医者”にならなければ“心臓病患者を救う”ことが できないのか。必ずしもそうではなく、そういう “心臓の薬”を開発することも 方法の一つだと思うのです。
超迂回的方法としては 自分の得意な方法で資金を集め、一流の心臓病専門の病院や研究所を設立する、という方策もあるではありませんか。いや、その資金で “心臓薬”を開発する会社を作ることもできます。

今、自分にできそうな手段や方法で、いかに 目指すべき崇高な目的の“ビッグ・ピクチャー”に近付くか、いかに人々を自分の目線に 引き付けるか、様々な選択肢があるはずなのです。様々な選択肢を熟慮し、見出し、その内のどれを選ぶか、どれが自分に適した自分らしい方法か、が “戦略” というものでは ないでしょうか。
ここは豊富なイマジネーションの世界です。夢があります。
そういうこともあって この “理念” としての目指すべき目的つまり “ビッグ・ピクチャー”は より崇高で より偉大である必要があるのです。それが より崇高で より偉大であれば あるほど より多くの人々に感動を与え、人々の心を引き付け、夢を与え、そのために喜んで働こうという気持ちと 心を合わせた協働を 持たらすものだと思うのです。
従って “理念”は 不動のもの 普遍性の高いものでなければ なりません。
こういう風に考え、思い至ったのであります。

フト 私の意識が 我に戻ると 講師の先生は もう ズーっと先の 戦略策定の具体的な話を していました。また 肝心なことを聞き逃したようです。

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