The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
御即位記念 第71回 正倉院展の観覧
“韓国の文在寅大統領は22日夕方、日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を破棄するとした決定を、土壇場になって効力停止すると決断。数カ月間のドタバタの末、協定は終了せず、効力維持ということになった。”
これを聞いた第一印象は“何でやネン!一旦やると言うたらやらんかい!”。一貫性が無く、この政権のテキトー性を示している。田中秀征氏もテレビ番組で文在寅氏のことを、“信じられない、付き合いきれない人物”と言っていたと記憶する。ポピュリズムに徹底して生きるわけでもなく、その場しのぎの場当たり人間なのだ。こういう人物とは自分をしっかり持って付き合わないとトンデモナイことになる。正にintegrityに欠けるのだ。隣国と揉めるのは百害あって一利なしとの議論もあるが、これに関しては譲ることは将来大きな禍根を残すと考えるべきだろう。
それにしても、何故“GSOMIA破棄”を持ち出して日本を慌てさせようとしたのか。元海自艦隊司令の香田氏によれば、それはむしろ韓国側にダメージが大きい、ということのようだ。だから日本は動じなかった。韓国軍の首脳部の方が最も慌てたに違いないのではないか。現場の肝心な部分を十分に理解していないのだ。その次に慌てて、怒りに近い感情を持ったのは米軍、米国務省のようだ。これで文政権への米側からの信頼は完全に損なわれたようだ。その結果、自らを不利な状況に貶めた、ということで意味不明な行為だったのだ。
韓国の国内テレビ番組に19日生出演した文大統領の発言は、意識的にウソを言っているのか分からないが、事実誤認が多く、正確な事実確認ができていないということのようだ。事実誤認をそのまま真として政策判断しているのであれば非常に危険な状態にある、と言って良い。現実を見ず“自分に都合の良い夢”で政治をしていると、今後急速に政権維持が困難になって行くに違いない。
とにかく日本とは、徴用工問題に絡んだ大きな障害は完全に取り除かれた訳ではない。今後も余談を許さない状態には変わりない。
ところでGSOMIA(General Security of Military Information Agreement)の訳が何故、“防衛”情報総合保護協定にならずに“軍事”情報になっているのだろうか。防衛装備品の見本市“DSEI Japan”がこの18~20日、千葉市の幕張メッセで開かれていた。ここでは“武器・兵器”ではなくて“防衛装備品”という言葉を使っているのだから、何だかテキトー。思えば“防衛装備品”という訳のわからない言葉を発明したのは、これまたテキトー安倍政権なのだ。
日本では安倍首相の通算在任期間が、この20日、憲政史上最長の2887日になった。レガシー無きテキトー長期政権。ライフワークの“拉致被害者救出”も必死感なく、政権獲得のツールだったので目的達成後はテキトー。お蔭で被害者家族は、殆ど激怒状態だ。これが“まともな人間”のすることか。
勢いのあったアベノミクスも、そのインチキ・アホノミクスの馬脚を現し、ブレーン達もいつの間にかフェードアウトして、一向に景気は良くならない。ブレーンが居なくなればアホだけが残って、何とか“無かったコト”にするのを待つばかり。
日本には提灯持ち、太鼓持ち経済学者しか居ないのか?!つい10年前には人余りだったのが、今や人出不足で回らなくなっていて、現場は非常に深刻な状態だという。これが予測できなかったのか。ドラッカーは人口動態は確実に予測できる唯一の数値データだと言っていたが、これはどういうことか。日本の経済学者、経営学者に先見性は無く、オロカモノばかりか。“責任者出てコイッ!!”これではノーベル経済学賞受賞者の出る素地はあるまい。少なくとも10年先の経済が見通せないのならば、経済・経営学者を名乗る資格はあるまい。
そして“桜を見る会”が大問題になっている。政権中枢に動揺はあまり無いように見受けるが、実体はどうやら、いずれに転んでも公職選挙法や政治資金規正法に抵触する可能性は高いようだ。
こんなことは司直に任せて国会での追及は止めて欲しい、というが、その肝心の司直が“捜査が政局に影響することが無いようにする”という“原則”を堅持している限り、国会の調査権で“政権の巨悪”を追及せざるを得ないのだ。
海外の司直は、隣国韓国をはじめ、米国もウクライナ疑惑に沸いているし、イスラエルも首相が起訴されていて、しっかり秋霜烈日。日本は忖度、ソンタクの一点張り。検察ファッショも問題かも知れないが、何だか余りにも腑に落ちない。
その動かない司直、日本では何故か日産自動車という私企業の内紛に安易に容喙し、経営陣の一方に加担した。要因は腐敗した乱脈経営陣にあるのではないかと思われるが、どうやらその経営実態は良くないようだ。やはり“魚は頭から腐る”のか。
先日のテレビ番組で米国の日産ディーラーの経営実態を報道していたが、売れない車を大安売りの激しい値引き販売をしていた。販売台数を確保すれば奨励金が日産側から支払われるため、収益をほぼ無視しているとのことだ。そして、経営を安定させるため、他社の中古車も堂々と販売していた。その経営者は“トヨタは百年先を見ているようだが、ニッサンは目先しか見ていない。”と嘆いていた。このままでは販売店も日産を離れて行くと思われる。
これを街の事情通に話して見ると、日産の車は故障が多い。だからタクシー会社も採用しない。このままでは日本国内では通用せず、開発途上国に安売販売でしか命脈は保てないのではないか。兎に角、技術開発投資をしないため生産技術が他社に比べて劣るのではないか、との言であった。
こうした街の情報は結構確かなような気がする。そうなれば日産の株は買えないということは、確かなようだ。
さて、このところ美術館めぐりが多いが、芸術の秋、この度は“御即位記念 第71回 正倉院展”を開催している奈良国立博物館を訪れたことを報告したい。会期は10月26日(土)~11月14日(木)で、残念ながら既に終了している。私は最終日一日前に行った。
午前中は京都事務局に審査報告書を持参し、事務所近くの蕎麦屋へ期待して行ったのだが、残寝ながら“当分の間、ランチは休業”との掲示があり、計画は崩壊。そばのチェーン店の蕎麦で我慢して、地下鉄、近鉄経由で奈良に向かう。
“御即位記念”でもあるし、奈良国立博物館のホームページには次のようにあるので、若干期待はしたので行った訳だが、かなり重要で主要な宝物は東京国立博物館に持っていかれているので、正直大きく期待はできないのではないかと思いつつであった。
“本年の正倉院展は、北倉14件、中倉8件、南倉17件、聖語蔵2件の41件の宝物が出陳されます。そのうちの4件は初出陳です。正倉院宝物の全体像がうかがわれる構成となっておりますが、天皇陛下の御即位を記念し、正倉院宝物の成り立ちと伝来に関わる宝物や、宝庫を代表する宝物が顔を揃えることが特筆されます。”
口開けの展示物は、聖武天皇・光明皇后ゆかりの品を伝える北倉からの、赤漆文欟木御厨子 [せきしつぶんかんぼくのおんずし](ケヤキの厨子)だった。(総高100.0 幅83.7 奥行40.6)“聖武天皇と光明皇后の婚姻に際して相交わした品のように夫妻にとって殊に重要なものや、刀子(とうす)や帯、笏(しゃく)といった装身具、双六(すごろく)の駒や賽子(さいころ)、念珠、尺(ものさし)などの小物類、尺八など、身近に置かれた比較的小さな品々が納められていた大型の厨子(ずし)。天武天皇から、持統、文武、元正、聖武、孝謙と歴代の天武系の天皇に相伝されてきた非常に重要なもので、『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』に「古様(こよう)の作」と記されるように、7世紀後半に遡(さかのぼ)る様式を示すと考えられる。”というものであった。残念ながら、赤漆の彩色は劣化が激しい印象で、何となく古ぼけた箱の印象。
“今回は本厨子とともに、ここに納められていた遺愛品として、紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)・緑牙撥鏤尺(りょくげばちるのしゃく)が出陳”されていたようだが、あまり印象にない。
聖武天皇・光明皇后ゆかりの品を伝える北倉からの、『国家珍宝帳』の筆頭に掲げられた“「御袈裟合玖領」のうち七條刺納樹皮色袈裟[しちじょうしのうじゅひしょくのけさ]が出陳”されていた。“聖武天皇の仏教への帰依を象徴するような品で、東大寺大仏への宝物献納に込められた光明皇后の強い思いがうかがわれます。”という解説のあるもの。(刺縫(さしぬ)いの袈裟) 1領;縦145 幅262
“赤・青・黄・緑・茶などの平絹(へいけん)を不規則な形に裁ち、これらを刺縫(さしぬ)いの技法で継ぎ合わせて作られている。これは糞掃衣(ふんぞうえ)とも称される、端裂(はぎれ)を集めて縫い合わせ仕立てた袈裟に擬(なぞら)えたものと考えられ、袈裟の本義を踏まえたものと理解される。ただし、本品の場合は上質の裂(きれ)が用いられており、美しい樹皮風の配色も天皇の所用に相応(ふさわ)しい。”という。要するに貴重な布の端切れを縫い合わせて、高僧の袈裟に仕立てたというもの。それが図らずも、現代的なデザインの印象だ。
次に印象にあるのは“鳥毛立女屏風 [とりげりつじょのびょうぶ](鳥毛貼りの屏風)” 6扇である。大抵の歴史、又は美術の教科書の教材になっている。残念ながら肝心の鳥毛が剥げ落ちているので、その完全な姿が想像すらできない。AIで再現して欲しいものだ。ホームページの解説には次のようにある。
[第1扇]縦135.9 横56.2 [第2扇]縦136.2 横56.2
[第3扇]縦135.8 横56.0 [第4扇]縦136.2 横56.2
[第5扇]縦136.2 横56.5 [第6扇]縦136.1 横56.4
“『国家珍宝帳』記載の屏風で、各扇とも樹下に豊かに髪を結い上げたふくよかな女性を一人配する。第1扇から第3扇は立ち姿、第4扇から第6扇は岩に腰掛ける姿で表される。楮紙(ちょし)を貼り継いだ画面に白下地を施して描かれており、顔や手、着衣の袖口などに彩色(さいしき)が残り、着衣や樹木などには日本産のヤマドリの羽毛が貼り付けられていたことが微細な残片からわかる。 盛唐の風俗を反映した豊満な「天平美人」として名高い。”
次に目立ったのは、“金銀平文琴 [きんぎんひょうもんきん](金銀飾りの琴)”。 1張 全長114.5 額の幅16.0 尾の幅13.0
解説は次のようである。“琴(きん)は古代中国で成立した七絃(しちげん)の絃楽器。本体はキリ材製で、表面には黒漆(くろうるし)が塗られ、文様(もんよう)の形に切った金銀の薄板を表面に貼り付け、漆で塗り込めた後に文様部分を研(と)ぎ出して現す平文(ひょうもん)の技法によって、鳥(瑞鳥)や動物(霊獣)、草花、山岳、人物(高士(こうし)、飛仙)、波文などの文様が全体に施され、美しく装飾されている。なお、本品は、弘仁5年(814)に出蔵された『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』記載の別の琴に替わって、弘仁8年(817)に代納された品で、内部の墨書(ぼくしょ)より、唐の開元23年(735)に製作されたと推定されている。”
保存状態は良く、裏面のデザインは細密で精巧な印象。鏡が下に置かれるという工夫はあったが、いま一歩。これでエエガナ!面倒クサ!という主催者の声が聞こえそう。
煌びやかな小物の展示もあった。
○礼服御冠残欠 [らいふくおんかんむりざんけつ] (冠の残片) 一括 葛形裁文横13.5 鳳凰形裁文縦9.7
○衲御礼履 [のうのごらいり] (儀式用のくつ) 1両 長31.5 爪先幅14.5 高12.5
○紺玉帯残欠 [こんぎょくのおびざんけつ] (玉飾りの革帯(かわおび)) 1条 現存長156 幅3.3 巡方縦3.1 横3.6 丸鞆縦2.3 横3.3
○粉地彩絵八角几[ふんじさいえのはっかくき] (献物用の台) 1基 径41.0 高9.3
○紫檀金鈿柄香炉 [したんきんでんのえごうろ] (柄付きの香炉) 1柄 長39.5 高7.6 炉径11.0
最後にあったのは、“続修正倉院古文書別集 第四十八巻”。これは、“様々な絵や文書(もんじょ)を貼り継いで1巻に仕立てたもの。”その第3紙の“大大論戯画”という教科書でみた“落書き”が展示されていて、面白かった。ホームページの解説には“天平17年(745)4月1日で始まる帳簿が途中で反故(ほご)になったもので、余白に、目を大きく見開いて口を開け、上半身に力を漲(みなぎ)らせて肩を怒らせたひげ面の官人の姿を描く。脇には「大大論」と記されており、熱を帯びた議論の様を手遊(てすさ)びに描いた戯画(ぎが)であると考えられる。”とある。
一通り見終えて、結構疲れた。館内の土産物ショップのベンチでしばらく休憩してから退館。
東向商店街を歩いた。果物屋で干し柿を買おうと思ったが、休業していたのか残念ながら見つからず、買えなかった。安らぎの道と三条通の交差点北東角に柿の菓子専門店があるのは、知っていたが、正倉院展でくたびれていて、行く元気なく、土産は買わずに近鉄電車でそのまま帰神した。
これを聞いた第一印象は“何でやネン!一旦やると言うたらやらんかい!”。一貫性が無く、この政権のテキトー性を示している。田中秀征氏もテレビ番組で文在寅氏のことを、“信じられない、付き合いきれない人物”と言っていたと記憶する。ポピュリズムに徹底して生きるわけでもなく、その場しのぎの場当たり人間なのだ。こういう人物とは自分をしっかり持って付き合わないとトンデモナイことになる。正にintegrityに欠けるのだ。隣国と揉めるのは百害あって一利なしとの議論もあるが、これに関しては譲ることは将来大きな禍根を残すと考えるべきだろう。
それにしても、何故“GSOMIA破棄”を持ち出して日本を慌てさせようとしたのか。元海自艦隊司令の香田氏によれば、それはむしろ韓国側にダメージが大きい、ということのようだ。だから日本は動じなかった。韓国軍の首脳部の方が最も慌てたに違いないのではないか。現場の肝心な部分を十分に理解していないのだ。その次に慌てて、怒りに近い感情を持ったのは米軍、米国務省のようだ。これで文政権への米側からの信頼は完全に損なわれたようだ。その結果、自らを不利な状況に貶めた、ということで意味不明な行為だったのだ。
韓国の国内テレビ番組に19日生出演した文大統領の発言は、意識的にウソを言っているのか分からないが、事実誤認が多く、正確な事実確認ができていないということのようだ。事実誤認をそのまま真として政策判断しているのであれば非常に危険な状態にある、と言って良い。現実を見ず“自分に都合の良い夢”で政治をしていると、今後急速に政権維持が困難になって行くに違いない。
とにかく日本とは、徴用工問題に絡んだ大きな障害は完全に取り除かれた訳ではない。今後も余談を許さない状態には変わりない。
ところでGSOMIA(General Security of Military Information Agreement)の訳が何故、“防衛”情報総合保護協定にならずに“軍事”情報になっているのだろうか。防衛装備品の見本市“DSEI Japan”がこの18~20日、千葉市の幕張メッセで開かれていた。ここでは“武器・兵器”ではなくて“防衛装備品”という言葉を使っているのだから、何だかテキトー。思えば“防衛装備品”という訳のわからない言葉を発明したのは、これまたテキトー安倍政権なのだ。
日本では安倍首相の通算在任期間が、この20日、憲政史上最長の2887日になった。レガシー無きテキトー長期政権。ライフワークの“拉致被害者救出”も必死感なく、政権獲得のツールだったので目的達成後はテキトー。お蔭で被害者家族は、殆ど激怒状態だ。これが“まともな人間”のすることか。
勢いのあったアベノミクスも、そのインチキ・アホノミクスの馬脚を現し、ブレーン達もいつの間にかフェードアウトして、一向に景気は良くならない。ブレーンが居なくなればアホだけが残って、何とか“無かったコト”にするのを待つばかり。
日本には提灯持ち、太鼓持ち経済学者しか居ないのか?!つい10年前には人余りだったのが、今や人出不足で回らなくなっていて、現場は非常に深刻な状態だという。これが予測できなかったのか。ドラッカーは人口動態は確実に予測できる唯一の数値データだと言っていたが、これはどういうことか。日本の経済学者、経営学者に先見性は無く、オロカモノばかりか。“責任者出てコイッ!!”これではノーベル経済学賞受賞者の出る素地はあるまい。少なくとも10年先の経済が見通せないのならば、経済・経営学者を名乗る資格はあるまい。
そして“桜を見る会”が大問題になっている。政権中枢に動揺はあまり無いように見受けるが、実体はどうやら、いずれに転んでも公職選挙法や政治資金規正法に抵触する可能性は高いようだ。
こんなことは司直に任せて国会での追及は止めて欲しい、というが、その肝心の司直が“捜査が政局に影響することが無いようにする”という“原則”を堅持している限り、国会の調査権で“政権の巨悪”を追及せざるを得ないのだ。
海外の司直は、隣国韓国をはじめ、米国もウクライナ疑惑に沸いているし、イスラエルも首相が起訴されていて、しっかり秋霜烈日。日本は忖度、ソンタクの一点張り。検察ファッショも問題かも知れないが、何だか余りにも腑に落ちない。
その動かない司直、日本では何故か日産自動車という私企業の内紛に安易に容喙し、経営陣の一方に加担した。要因は腐敗した乱脈経営陣にあるのではないかと思われるが、どうやらその経営実態は良くないようだ。やはり“魚は頭から腐る”のか。
先日のテレビ番組で米国の日産ディーラーの経営実態を報道していたが、売れない車を大安売りの激しい値引き販売をしていた。販売台数を確保すれば奨励金が日産側から支払われるため、収益をほぼ無視しているとのことだ。そして、経営を安定させるため、他社の中古車も堂々と販売していた。その経営者は“トヨタは百年先を見ているようだが、ニッサンは目先しか見ていない。”と嘆いていた。このままでは販売店も日産を離れて行くと思われる。
これを街の事情通に話して見ると、日産の車は故障が多い。だからタクシー会社も採用しない。このままでは日本国内では通用せず、開発途上国に安売販売でしか命脈は保てないのではないか。兎に角、技術開発投資をしないため生産技術が他社に比べて劣るのではないか、との言であった。
こうした街の情報は結構確かなような気がする。そうなれば日産の株は買えないということは、確かなようだ。
さて、このところ美術館めぐりが多いが、芸術の秋、この度は“御即位記念 第71回 正倉院展”を開催している奈良国立博物館を訪れたことを報告したい。会期は10月26日(土)~11月14日(木)で、残念ながら既に終了している。私は最終日一日前に行った。
午前中は京都事務局に審査報告書を持参し、事務所近くの蕎麦屋へ期待して行ったのだが、残寝ながら“当分の間、ランチは休業”との掲示があり、計画は崩壊。そばのチェーン店の蕎麦で我慢して、地下鉄、近鉄経由で奈良に向かう。
“御即位記念”でもあるし、奈良国立博物館のホームページには次のようにあるので、若干期待はしたので行った訳だが、かなり重要で主要な宝物は東京国立博物館に持っていかれているので、正直大きく期待はできないのではないかと思いつつであった。
“本年の正倉院展は、北倉14件、中倉8件、南倉17件、聖語蔵2件の41件の宝物が出陳されます。そのうちの4件は初出陳です。正倉院宝物の全体像がうかがわれる構成となっておりますが、天皇陛下の御即位を記念し、正倉院宝物の成り立ちと伝来に関わる宝物や、宝庫を代表する宝物が顔を揃えることが特筆されます。”
口開けの展示物は、聖武天皇・光明皇后ゆかりの品を伝える北倉からの、赤漆文欟木御厨子 [せきしつぶんかんぼくのおんずし](ケヤキの厨子)だった。(総高100.0 幅83.7 奥行40.6)“聖武天皇と光明皇后の婚姻に際して相交わした品のように夫妻にとって殊に重要なものや、刀子(とうす)や帯、笏(しゃく)といった装身具、双六(すごろく)の駒や賽子(さいころ)、念珠、尺(ものさし)などの小物類、尺八など、身近に置かれた比較的小さな品々が納められていた大型の厨子(ずし)。天武天皇から、持統、文武、元正、聖武、孝謙と歴代の天武系の天皇に相伝されてきた非常に重要なもので、『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』に「古様(こよう)の作」と記されるように、7世紀後半に遡(さかのぼ)る様式を示すと考えられる。”というものであった。残念ながら、赤漆の彩色は劣化が激しい印象で、何となく古ぼけた箱の印象。
“今回は本厨子とともに、ここに納められていた遺愛品として、紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)・緑牙撥鏤尺(りょくげばちるのしゃく)が出陳”されていたようだが、あまり印象にない。
聖武天皇・光明皇后ゆかりの品を伝える北倉からの、『国家珍宝帳』の筆頭に掲げられた“「御袈裟合玖領」のうち七條刺納樹皮色袈裟[しちじょうしのうじゅひしょくのけさ]が出陳”されていた。“聖武天皇の仏教への帰依を象徴するような品で、東大寺大仏への宝物献納に込められた光明皇后の強い思いがうかがわれます。”という解説のあるもの。(刺縫(さしぬ)いの袈裟) 1領;縦145 幅262
“赤・青・黄・緑・茶などの平絹(へいけん)を不規則な形に裁ち、これらを刺縫(さしぬ)いの技法で継ぎ合わせて作られている。これは糞掃衣(ふんぞうえ)とも称される、端裂(はぎれ)を集めて縫い合わせ仕立てた袈裟に擬(なぞら)えたものと考えられ、袈裟の本義を踏まえたものと理解される。ただし、本品の場合は上質の裂(きれ)が用いられており、美しい樹皮風の配色も天皇の所用に相応(ふさわ)しい。”という。要するに貴重な布の端切れを縫い合わせて、高僧の袈裟に仕立てたというもの。それが図らずも、現代的なデザインの印象だ。
次に印象にあるのは“鳥毛立女屏風 [とりげりつじょのびょうぶ](鳥毛貼りの屏風)” 6扇である。大抵の歴史、又は美術の教科書の教材になっている。残念ながら肝心の鳥毛が剥げ落ちているので、その完全な姿が想像すらできない。AIで再現して欲しいものだ。ホームページの解説には次のようにある。
[第1扇]縦135.9 横56.2 [第2扇]縦136.2 横56.2
[第3扇]縦135.8 横56.0 [第4扇]縦136.2 横56.2
[第5扇]縦136.2 横56.5 [第6扇]縦136.1 横56.4
“『国家珍宝帳』記載の屏風で、各扇とも樹下に豊かに髪を結い上げたふくよかな女性を一人配する。第1扇から第3扇は立ち姿、第4扇から第6扇は岩に腰掛ける姿で表される。楮紙(ちょし)を貼り継いだ画面に白下地を施して描かれており、顔や手、着衣の袖口などに彩色(さいしき)が残り、着衣や樹木などには日本産のヤマドリの羽毛が貼り付けられていたことが微細な残片からわかる。 盛唐の風俗を反映した豊満な「天平美人」として名高い。”
次に目立ったのは、“金銀平文琴 [きんぎんひょうもんきん](金銀飾りの琴)”。 1張 全長114.5 額の幅16.0 尾の幅13.0
解説は次のようである。“琴(きん)は古代中国で成立した七絃(しちげん)の絃楽器。本体はキリ材製で、表面には黒漆(くろうるし)が塗られ、文様(もんよう)の形に切った金銀の薄板を表面に貼り付け、漆で塗り込めた後に文様部分を研(と)ぎ出して現す平文(ひょうもん)の技法によって、鳥(瑞鳥)や動物(霊獣)、草花、山岳、人物(高士(こうし)、飛仙)、波文などの文様が全体に施され、美しく装飾されている。なお、本品は、弘仁5年(814)に出蔵された『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』記載の別の琴に替わって、弘仁8年(817)に代納された品で、内部の墨書(ぼくしょ)より、唐の開元23年(735)に製作されたと推定されている。”
保存状態は良く、裏面のデザインは細密で精巧な印象。鏡が下に置かれるという工夫はあったが、いま一歩。これでエエガナ!面倒クサ!という主催者の声が聞こえそう。
煌びやかな小物の展示もあった。
○礼服御冠残欠 [らいふくおんかんむりざんけつ] (冠の残片) 一括 葛形裁文横13.5 鳳凰形裁文縦9.7
○衲御礼履 [のうのごらいり] (儀式用のくつ) 1両 長31.5 爪先幅14.5 高12.5
○紺玉帯残欠 [こんぎょくのおびざんけつ] (玉飾りの革帯(かわおび)) 1条 現存長156 幅3.3 巡方縦3.1 横3.6 丸鞆縦2.3 横3.3
○粉地彩絵八角几[ふんじさいえのはっかくき] (献物用の台) 1基 径41.0 高9.3
○紫檀金鈿柄香炉 [したんきんでんのえごうろ] (柄付きの香炉) 1柄 長39.5 高7.6 炉径11.0
最後にあったのは、“続修正倉院古文書別集 第四十八巻”。これは、“様々な絵や文書(もんじょ)を貼り継いで1巻に仕立てたもの。”その第3紙の“大大論戯画”という教科書でみた“落書き”が展示されていて、面白かった。ホームページの解説には“天平17年(745)4月1日で始まる帳簿が途中で反故(ほご)になったもので、余白に、目を大きく見開いて口を開け、上半身に力を漲(みなぎ)らせて肩を怒らせたひげ面の官人の姿を描く。脇には「大大論」と記されており、熱を帯びた議論の様を手遊(てすさ)びに描いた戯画(ぎが)であると考えられる。”とある。
一通り見終えて、結構疲れた。館内の土産物ショップのベンチでしばらく休憩してから退館。
東向商店街を歩いた。果物屋で干し柿を買おうと思ったが、休業していたのか残念ながら見つからず、買えなかった。安らぎの道と三条通の交差点北東角に柿の菓子専門店があるのは、知っていたが、正倉院展でくたびれていて、行く元気なく、土産は買わずに近鉄電車でそのまま帰神した。
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