The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
“不二家菓子3工場、ISO再認証されず”とは?
1月31日付け日経新聞に“不二家菓子3工場、ISO再認証されず”との見出しの記事がありました。
他の新聞では“ISO9001の基準を満たさず”という見出しが大勢であったと 思うのですが、“再認証されず”とは どういうことでしょうか?記事内容に関しては いずれの新聞にしても 大差無いようではあるのですが。
この日経の記事を読み進むと “認証を継続するには、指摘された問題点の改善策を示し再審査に合格する必要がある。”とあります。
これは、審査の結果 程度は不明ながら ISO9001規格の要求事項に適合しない“不適合”の指摘を受けた、というものでは無いのかと 思われます。これは どうやら“再認証されず”とは 大きく異なる内容ではないのかと 推測されます。
一般的に “再認証されず”とは “認証の取り消し”を 想起させるというか、“取り消し”そのものであるとの認識を与える表現ですが、実態はそうではないようです。
恐らく、“審査チームからの不適合の指摘を受けて、不二家側が 不適合の是正処置を実施する、或いは その予定であることを 表明し、その是正処置の内容を 審査チームが納得する表現で説明すれば、「認証は継続される」”という表現が正確なところではないのかと 思われます。
つまり、ここまでは 未だ “審査のプロセスの途中経過” であって、審査(監査)結論が 出た 訳ではないものと思われますが、日経新聞の見出しや 記事内容は “一旦、認証の取り消しが 実施され、再審査のための手続きをとった” かのような印象を与えます。
世の中の事件を“正確に報道”しなければならないプロとしては 非常に粗雑な表現です。
このように、表現が不正確では 世の中の事件、特に 時の政府の政策報道などを 国民が 誤解無く理解できるように表現しているのか 不安にかられます。
さて、新聞社はISO9001の認証を取っているのでしょうか?取っていれば 末端の記者とはいえども ISO9001の認証の仕組は知っているはずですし、こんな雑な 表現はしないハズですヨネ。
そう言えば、新聞社は 自分たちの記事の “品質” を一体どのように認識しているのでしょうか?
こんな態度で 不二家の“品質”を 責められるのでしょうか。いつも思うのですが “自分のことは棚に上げて 他人を批判する”報道関係者の 尊大さ、傲慢さは 目に余るような気がします。
関西テレビの一件は こういう報道関係者の傲慢さが生んだ事件だと思います。“お客様”である 読者をも バカにしている心情が透けて見えます。
おまけに 他の報道機関による“いじめ”や“足の引っ張り合い”の構造も 二重写しに見えるのが 大いに不快です。
何となく “強きを助け、弱きをくじく” 姿勢があるような印象も受けます。
“ジャーナリスティック”とは こういう 下品で野卑な 心象風景を 含んだ 言葉なのですネ。
他の新聞では“ISO9001の基準を満たさず”という見出しが大勢であったと 思うのですが、“再認証されず”とは どういうことでしょうか?記事内容に関しては いずれの新聞にしても 大差無いようではあるのですが。
この日経の記事を読み進むと “認証を継続するには、指摘された問題点の改善策を示し再審査に合格する必要がある。”とあります。
これは、審査の結果 程度は不明ながら ISO9001規格の要求事項に適合しない“不適合”の指摘を受けた、というものでは無いのかと 思われます。これは どうやら“再認証されず”とは 大きく異なる内容ではないのかと 推測されます。
一般的に “再認証されず”とは “認証の取り消し”を 想起させるというか、“取り消し”そのものであるとの認識を与える表現ですが、実態はそうではないようです。
恐らく、“審査チームからの不適合の指摘を受けて、不二家側が 不適合の是正処置を実施する、或いは その予定であることを 表明し、その是正処置の内容を 審査チームが納得する表現で説明すれば、「認証は継続される」”という表現が正確なところではないのかと 思われます。
つまり、ここまでは 未だ “審査のプロセスの途中経過” であって、審査(監査)結論が 出た 訳ではないものと思われますが、日経新聞の見出しや 記事内容は “一旦、認証の取り消しが 実施され、再審査のための手続きをとった” かのような印象を与えます。
世の中の事件を“正確に報道”しなければならないプロとしては 非常に粗雑な表現です。
このように、表現が不正確では 世の中の事件、特に 時の政府の政策報道などを 国民が 誤解無く理解できるように表現しているのか 不安にかられます。
さて、新聞社はISO9001の認証を取っているのでしょうか?取っていれば 末端の記者とはいえども ISO9001の認証の仕組は知っているはずですし、こんな雑な 表現はしないハズですヨネ。
そう言えば、新聞社は 自分たちの記事の “品質” を一体どのように認識しているのでしょうか?
こんな態度で 不二家の“品質”を 責められるのでしょうか。いつも思うのですが “自分のことは棚に上げて 他人を批判する”報道関係者の 尊大さ、傲慢さは 目に余るような気がします。
関西テレビの一件は こういう報道関係者の傲慢さが生んだ事件だと思います。“お客様”である 読者をも バカにしている心情が透けて見えます。
おまけに 他の報道機関による“いじめ”や“足の引っ張り合い”の構造も 二重写しに見えるのが 大いに不快です。
何となく “強きを助け、弱きをくじく” 姿勢があるような印象も受けます。
“ジャーナリスティック”とは こういう 下品で野卑な 心象風景を 含んだ 言葉なのですネ。
コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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(こちらは、ISOの補完手段としても有効かも?)
「不二家」もコレをやっておけば、よかったのに・・・。
キーワードは、「情報の公開」 「トレーサビリティ」 「第三者の視点」の3つ。
↓↓↓↓
http://fsr.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_5649.html
TVニュースでの「映像」は、こちら。
↓↓↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=fa9BwUFMOXo
以前にも紹介はされていた様ですが、ISOの補完
手段としては、いかがなのでしょうか・・??
真面目な取組みだとお見受けいたしました。
ですが、ISOと同じような事業モデルの印象です。
つまりクライアントは被審査側ではないでしょうか。
この点が ISOの失敗だと思うのです。
自動車産業向けのISO/TS16949は この点の反省を踏まえて、自動車メーカーの意向が審査に強く反映しています。
会計監査は最近は政府の意向が反映するようになったのでいい加減さが少なくなりつつあるようです。
いずれにしても、オーディット(監査や審査)のあり方の問題だと思うのです。
また どの審査形態にも本当の受益者というか最終顧客の一般消費者の意向が反映されるオーディット形態が 構築されていないという問題が残っているような気がするのですが。