かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

あちこちで靖国参拝報道してますけど、アジアの声で中韓しか出てこないのは何故(笑)?

2006-08-15 22:37:56 | Weblog
 休み明けは相変わらず心身共にもう一つですね。休みの日にぐうたらに過ごすから、日常の生活に対応できず、その反動が出てしまうのだ、と思っていたのですが、どうもそういう単純な理由というわけでもなさそうです。ぐうたらに過ごそうが、色々忙しく過ごそうが、等しく休み明けは気力体力ともに落ち込んでいるところを見ると、私の肉体的・精神的調子にはバイオリズムのような周期があって、それがたまたま一週間の流れと合致している、とも考えられそうです。なるべく波の高低を抑え、毎日それなりに過ごせたらいいと思うのですが、一度波が生じてしまうとなかなかそれを鎮めるのは難しいのかも知れません。

 さて、夏コミは終わりましたけど、私の夏はもう少し続きます。というわけで、記念誌の増刷に取り組んでいます。目標は、余裕を見て20部。今日中に表紙の印刷終わりましたので、明日からは中身の印刷にとりかかるつもりです。うまくいけば週末にはそこそこ完成するとは思いますが、夏コミモードで仕事や私生活にしわ寄せかけていた分の反動が来ていますので、必要部数が完成するのはもう少し先になるかもしれません。

 ところで、今日は8月15日、という事で、総理大臣参拝のおかげでどのメディアも靖国一色に染まった感じでした。そんな中、某局のアンケートで、靖国神社に総理大臣が参拝する是非を問うた結果が、若い人ほど賛成が多く、20代、30代は7割が賛成、年寄りほど反対が増え、全体としては賛成6、反対4というのは、まあまあ今の日本人の総意を反映しているんじゃないでしょうか。司会者は世代間の違いを強調しておられたようですが、ネット世代とそれ以外、という分類も有りじゃないのかな? と見ていて思いました。また、世代の差という事なら、番組に出ていたお年寄りの方々は、戦争当時20才前後以下の若者や子供達で、戦争末期と戦後の悲惨きわまる生活を余儀なくされた方々、それ以外は戦争そのものを知らない世代、ということになります。でも、残念ながらあの戦争で中核となって働いた当時の大人達はいません。本当ならそういうヒト達の話も聞いて、靖国問題やら日本の戦争責任について話をすべきだと思いましたが、戦後60年もたっては当然そんなことはできかねるわけで、今の今までろくに戦争の事を客観的に語ったり冷静に考えたりすることを怠った我らの先達たるマスコミや知識人といわれる人種達の罪は相当重いのではないか、というふうにも思えます。
 私自身は、東条英機はじめあの戦争を指導した人々の責任は重大だと思います。あるいは正確な情勢判断をやり損い、無謀な作戦で数多の兵士を死地に追いやった参謀本部や軍令部の高級士官達なども、許し難い連中だと思います。でも、当時の日本国として、例えば東条英機が木戸幸一の期待通り、天皇陛下の意をくんで避戦に奔走したとして、果たしてあの戦争を回避できたかどうか。歴史にもしもは禁句ですけど、部数を伸ばすために国民を煽って止まなかったマスコミの存在や、独断専行を旨とする軍部のあり方を考えますと、とても難しかったのではないか、と思わざるをえません。いまだにマスコミに踊らされて一経済人をスターのごとく扱ったりしている国民を見ておりますと、当時の大人達も自ら積極的に戦争を求めていたのではないか、と思うのです。そんな空気の中で、ヒトラーのような独裁者でもない一軍人や一政治家に一体どれだけの事ができたのか。彼らに責任を押しつけるがごときA級戦犯論議は、すこぶる奇異な気が致します。当時の指導者として責任を取る必要があった、とは思いますが、それも処刑されたりすることで責任を取ったと思いますし、日本人は罪を憎んで人を憎まず、死ねば等しく仏様で、大陸の人間みたいに、死んだ相手の墓を暴いてさんざんにいたぶったり、像を造ってつばを吐きかけたりするような、いつまでもしつこく憎悪を持ち続ける執念深さとは無縁の国民であったはずです。中韓にも、我が国はそういう憎しみを持続できない水に流す国民性なのだとはっきり教えてあげればいいと思うのですが、人間、自分より憎しみの強い人間の事は理解できても、自分より淡泊な人間はなかなか理解できないものですから、判ってもらうのは難しいかも知れません。それをねばり強く説明するのが政治家や外務省の仕事だと思います。代換施設や分詞など些末な論議に時間を費やす前に、自分達国民性のあり方をもっと考えた上で、先の戦争を振り返るべきだと思うのですが、いかがでしょう。

コメント
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