国土交通省の発表する2005年度全国1級河川水質調査結果で、また我が地元を流れる大和川がワースト1に輝いてしまいました。毎年ワースト3以内に入ってしまう「汚れた」川ですが、それでも改善はしていて昔よりはマシにはなっているとのことで、特にここ10年の水質改善はめざましいものがあり、利根川水系の常連と並んで著しくよくなっているのだとか。まあ元々の水が水だから、とも思わないでもないですが、全体的に底上げの状況の中、取り残されることなくそれなりに綺麗になりつつある、というのは、たとえワースト1でもうれしいものです。多分このまま年々ある程度まではよくなってくるのでしょうが、どこかで頭打ちになったとき、更にそれを乗り越えるための改善対策が取れるかどうか。願わくばいにしへの清流を復活させるところまで、行政も地域住民も頑張って頂きたいものです。
さて、自然科学は実にわかりやすく整然とした世界を見せてくれるのに対し、社会学というのはやっぱり意味不明というか、結局何が言いたいのか判らないことが多い気が致します。都立高教師達による国旗国歌を巡る一連の裁判騒ぎ、まさか東京地裁であのような判決が下されようとは、思いもよりませんでした。いや、判決が出た事そのものよりも、判決の結論部分で国旗国歌に対する正しい認識を生徒に持たせ、それらを尊重する態度を育てる事が重要だと言っておきながら、それを指導する側の教師に国旗国歌をないがしろにしてもよい、とお墨付を与えた判決の内容が、根本的に理解できないのです。どう考えても矛盾していませんか? 思想信条の自由を侵害してはならないというのは当然の事だと私も思います。ですので、この教師達が国旗や国家に対してかたくなに偏見を抱いていたとしても、別にそのこと自体をとやかく言うつもりもありません。ですが、公の場や仕事の場にそれを持ち込むのにはちょっと待てよ、と言いたくなります。たとえ法的にもそれが正しいのだとしても、口では尊重しろと言いながら自らは動こうとしない輩に、一体だれがついていくというのでしょう? 判決を下した裁判官は、そういう社会的常識を全く理解していないのでしょうか? それとも法律という奴は、その程度の常識を包含する事も出来ないほど、硬直した役立たずなのでしょうか? 教師達にしても、心の中で何を思おうと勝手ですが、態度はきちんとしかるべく示すのが指導する立場の人間のあり方というものだろうと思います。思想信条の自由というのは詰まるところ私事で、それにふさわしい場面でふさわしく表現されればよいでしょう。でも公の場ではより優先されるべき事があるだろうと私は思うのですが、高裁ではどういう判断が下されるのか、楽しみにしたいと思います。
さて、自然科学は実にわかりやすく整然とした世界を見せてくれるのに対し、社会学というのはやっぱり意味不明というか、結局何が言いたいのか判らないことが多い気が致します。都立高教師達による国旗国歌を巡る一連の裁判騒ぎ、まさか東京地裁であのような判決が下されようとは、思いもよりませんでした。いや、判決が出た事そのものよりも、判決の結論部分で国旗国歌に対する正しい認識を生徒に持たせ、それらを尊重する態度を育てる事が重要だと言っておきながら、それを指導する側の教師に国旗国歌をないがしろにしてもよい、とお墨付を与えた判決の内容が、根本的に理解できないのです。どう考えても矛盾していませんか? 思想信条の自由を侵害してはならないというのは当然の事だと私も思います。ですので、この教師達が国旗や国家に対してかたくなに偏見を抱いていたとしても、別にそのこと自体をとやかく言うつもりもありません。ですが、公の場や仕事の場にそれを持ち込むのにはちょっと待てよ、と言いたくなります。たとえ法的にもそれが正しいのだとしても、口では尊重しろと言いながら自らは動こうとしない輩に、一体だれがついていくというのでしょう? 判決を下した裁判官は、そういう社会的常識を全く理解していないのでしょうか? それとも法律という奴は、その程度の常識を包含する事も出来ないほど、硬直した役立たずなのでしょうか? 教師達にしても、心の中で何を思おうと勝手ですが、態度はきちんとしかるべく示すのが指導する立場の人間のあり方というものだろうと思います。思想信条の自由というのは詰まるところ私事で、それにふさわしい場面でふさわしく表現されればよいでしょう。でも公の場ではより優先されるべき事があるだろうと私は思うのですが、高裁ではどういう判断が下されるのか、楽しみにしたいと思います。
