かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

法律家が平然とへりくつを垂れ流すのは、一種の病気なのでしょうか?

2006-09-07 21:05:30 | Weblog
 運転免許試験場から仮免許証を交付されるという誤りにより、ミニバイクを無免許運転したとの罪を問われた裁判で、検察は公訴取り消しを裁判所に請求し、公訴棄却が決まったというニュースを昼休みに見ました。はじめ、検察が「無免許運転は明らかだ」と公言していたのがやたらと居丈高に聞こえたのですが、どうやら自分達の杓子定規ぶりを反省するゆとりを持っていたのか、公訴を取り消す決断を下したのは何よりでした。明らかにミスを犯したのは運転免許試験場であるのに、そのミスのせいで随分無駄な時間と労力を裂かれる事になるのですから、試験場や検察相手に賠償請求してもよいようにも思えます。一方、仮免許かどうか、交付時に確かめれば判りそうな気もするにはするのですが、実際にはどうなのでしょう? もしあまりに極似したデザインだったなら本人の不注意よりも免許試験場側の過失が大きいと思いますし、そもそも仮免許と本免許をそのようなそっくりデザインにした輩の責任がもっとも重大だと思うのですが、一目で違うデザインと判るのならば、これは一概に試験場側の過失をあげつらうわけにもいかないような気もいたします。仮免許がどんなものだったか、あまりにそれを得たのが昔な私には全く記憶もありませんが、少なくとも、仮免許は丸い形にするとか、真っ赤っかな表にするとか、明らかに本免許じゃない、と一目でわかるデザインを採用すべきなんじゃないかと私は思います。

 さて、お昼のニュースではもう一つ、福岡の飲酒追突事故の犯人に付けられた弁護士が、「追突時も、正常な運転ができない状態ではないから危険運転致死傷罪に当たらない」と主張するのを見ました。それで一言言いたいのですが、正常な運転が出来るのにそれをしようとせず、結果として事故を起こして子供3人を殺害した罪は、正常な運転が出来ない状態よりも遙かに悪質で許し難い行為だと私には思えるのですが、私の感覚はどこかおかしいのでしょうか? 弁護士もそれが仕事だからやっているのでしょうけど、どう考えてもその主張は単なるへりくつ以下にしか聞こえないのですが。何度も飲酒運転を繰り返していたり、水飲んでごまかそうとしたり、この犯人には全く同情の余地もなく、こういう大馬鹿者を厳しく罰してこその法律だと思うのですが、先ほどの「無免許運転」を声高に主張した検察といい、この弁護士といい、法律家という人種には、どうも理解しがたい違和感を覚える事が多いみたいです。裁判員制度なる一種の陪審制が導入されるようですが、私がそんな裁判員の一人に選ばれてたとえばこの追突死事故の裁判に列席するような事になっていたら、無理は百も承知で死刑を求刑するよう主張していたかも知れません(そんな事が可能かどうかも実はよく知らないのですけどね)。

 ただ、一方でそもそも飲酒したヒトが運転できてしまう車の方にも問題が有ると私は思います。一昔前ならいざ知らず、センサー技術が発達し、車にも様々なCPUが搭載される今日、車にはもう飲酒センサーを搭載して酔っぱらい運転を未然に防止するような機構を、メーカーは責任持って開発・搭載すべきではないのでしょうか? 人間は自分勝手に甘い状況判断もすれば、失敗もします。アルコールが入れば、それらはよけいリスクを増す事でしょう。それを全て個人の責任に帰している間は、絶対にこの種の悲劇が無くなる事はありません。飲酒運転も含めて、戦争でもないのに年間何千人ものヒトが命を失うという「異常事態」をちゃんと「異常」と認識する感覚を持っていれば、何だって出来ると思うのですが。大手マスコミ各社も、そういった世論を喚起するような記事をちゃんと作れないものでしょうか?

コメント
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