かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

11.月下の罠 その1

2008-03-15 22:47:24 | 麗夢小説『麗しき、夢』
 鍾乳洞の奥はその入口からは想像もできないほど広くかつ深い。一説に、その底は富士山まで伸びているとも言う。この地に住み着いて以来、崇海もその底を極めたことは無かったが、今、入口より百間ばかり奥に潜む崇海の心は、その底よりも深く暗い穴を穿ち、富士山の下でたぎる溶岩よりも熱くおどろおどろしい怒りと屈辱の膿で溢れんばかりになっていた。
(このわしが、あんな若造の詐術に引っかかるとは!)
 崇海は、鬼童が究極の結界、鬼門遁甲八陣の法を操るほどに長けた術者であることを、見抜けなかった自分に腹を立てていた。だが実際、あの八陣から逃れられたのは僥倖と言うより無かった。口でこそあのような強弁を繰り返してはいたものの、その肝の冷えようは富士山頂の冠雪よりも冷たく縮こまっていたのである。崇海から少し離れたところで、鎧武者が甲冑を着たまま横たわっていた。結界崩壊の衝撃から崇海を守り、全身傷だらけになった身は、薄暗い灯火の揺れる明かりの下でも手ひどい有り様がよく判った。さっそく崇海は回復の法を施したが、所々いかつい甲冑は破壊され、その隙間からのぞく傷はぱっくりと口を開いて裂けた肉を露出していた。また、骨を粉砕された左腕は、しばらくの間使いものになりそうにない。
(時間を稼がねばならぬ。一刻でいいのだ。それまでは何としても凌がないと)
 崇海は、恐らく鬼童等がこちらに向かっているだろうことを確信していた。途中いくつか結界を施してはおいたが、相手の力量が判った今、それらがあまり足止めに役立ちそうにないことが、崇海の気持ちを苛立たせた。
(せっかく徐福の結界を破壊できる方法が知れたのだ。このまま、やられてなるものか!)
 崇海は、八陣すらあっさりと破壊した草薙の剣の力に魅入られていた。これまでちゃんと力を発揮させることができるかどうか、不安もあって使わずに済ませてきたが、これなら自分が苦労の末遂に破れなかった徐福の結界も、突き崩すことができそうではないか。そのためには剣を扱えるこの男を復活させるための時間を、何としても稼がねばならないのだ。
(そのためには、こいつにももう一働きしてもらうとするか)
 祟海の視線の先に、横幅だけは鎧武者とそう変わらない死体が一つ転がっていた。始末する余裕もなく怒りに駆られて駆け出したために残ったものだが、今となっては、これが実に貴重な札となりそうだった。
(始めるとするか)
 祟海は、二人目の死人を蘇らせるべく動き始めた。いよいよ術を施そうという時、傍らの祭壇に立ててあった蝋燭の一本が、その炎をゆらゆらと震えさせたかと思うと、一瞬明るく輝いて、すっと消えた。
「奴らめ、やって来たか」
 結界の状態を示す蝋燭は未だ三本残っていたが、これが消えてしまうまでに、この死体、かつて八条雅房と名乗った脂身に、新しい命とそれをつき動かす非情な悪夢とを植え付けなければならないのだ。
「こいつなら生への執着もまずまずだったから、失敗することもあるまいて」
 祟海は慣れた手つきで、八条の身体に呪文を書き始めた。

 「かぁあっ!」
 シャン! 円光の気合い一閃、突き出された錫杖が見事結界の焦点を射貫き、ねじれた空間がよりを戻した。そこには、これまでと変わり無い森があるばかりである。
「お見事!」
 鬼童が感嘆の声を上げると、榊も手を叩いて喜んだ。榊は生涯数多の合戦に身を投じたが、今日ほど不安を掻き立てられたことも、この二人ほどたのもしい男達を見たこともなかった。特に今の二人の息の合い様には見事なものがある。まず、円光が辺りを支配する不穏な空気を察知する。程なく前方の風景が奇妙にゆがみはじめ、乳白色の粘性を帯びた霧が、ゆがんだ木々をその中に沈めだした。すかさず鬼童が指南盤を取り出し、乱れの焦点を割り出して円光に知らせた。円光は迷わずその方角に突進して霧に飲まれたと思うと、円光の気が爆発し、正常に戻った森に錫杖を抱えた円光が立っていた。榊は、二人があの滝で初対面したとは到底信じられなかった。幼なじみでもこうはいかぬという絶妙の呼吸に、榊は前世の因縁めいたものを感じずにはいられなかった。
(この二人に関わって訳のわからん相手とやり合う羽目になったこのわしも、やはり何かの因縁なのだろうか)
 二人のような特殊能力も無く、武将としてごく真っ当な道を歩んできた積もりの初老にとって、二人との行動は新鮮な刺激に満ち溢れている。榊は、日頃の常識が快く崩壊する驚きに、心身確かに若やいでいくように思えるのだ。
(勝負は時の運だ。しかし、今回は分がある)
 榊は確かな手応えを感じ、心が躍るのを抑えることが出来なかった。
 ただ、更なる罠を警戒しながらの道行きは、どうしても遅くならざるを得なかった。月ははっきりと西に傾き、草木もじっと眠り込んでいるかのように静かである。七人がさらに二つの結界を乗り越え、鍾乳洞の前の広場に着いた時、その静けさはこれから始まる修羅場のことなどまるで知らないかのように、月光だけに満たされていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10.神剣草薙 その5

2008-03-15 22:45:44 | 麗夢小説『麗しき、夢』
 ぴしっ!
 小さな、しかし全員の肝を冷やすには十分な鋭い音が、一番手前の水晶から起こった。途端に残る七つにも次々に亀裂が生じ、完全な球状だった結界の光が、大きく波打ちだした。水晶の振動は益々激しさを増し、最初にひび割れた水晶が、一瞬強い光を発したかと思うと、パン、と小さな砂粒と化して砕け散った。一角が崩れた結界は力の安定を失い、一気に崩壊した。目を焼く閃光が辺りを真っ白に漂白し、鬼童らは視力を失ってただ呆然と立ち尽くした。同時に、三人の耳は天に轟く哄笑に満ちた。
「ふははははは! さらばじゃ! これより徐福の封印した「夢」を解き放ち、その力を手に入れた記念に、まずこの村から血祭りに上げてくれようぞ! おのれら、首を洗って待っているがいい! ふわはははは!」
 やがて辺りが月の柔らかい光を取り戻した時、ようやく見えるようになった三人の目は、崇海と鎧武者の姿を探してしばし虚しくさまよった。
「どうやら、退却したようですな」
 円光のそれは、言外にこれからどうするのか、と言う問いかけも含んでいた。
「追いましょう!」
 断固たる決意で、榊は言った。奴等が一戦もせずに立ち去ったのは、こちらの備えに少なからず動揺した為に他ならない。ここは立ち直る隙を与えず、一揉みに押して叩くべきである。どちらかと言えば慎重派の榊が、あえて主戦論を説くのも事情があった。あの鎧武者がどうも智盛らしいとの疑いが濃厚になった以上、職務から言ってもこれを無視することはできないし、毒に当てられた郎党衆が回復するまで待っていては、逃げられてしまうかも知れない。現有戦力だけでも榊、円光、鬼童、それに佐々木源太を含む四人の郎党と相手の三倍の人数がある。やって勝てないはずはない。鬼童も榊の積極論に同調した。鬼童は崇海の捨て台詞が気にかかっている。できるかどうかは判らないが、崇海は徐福の「夢」なるものを解放すると宣言したのだ。鬼童としては、どうしてもそれは阻止しなければならなかった。対する円光は珍しく慎重だった。草薙の剣の力を目の当たりにした円光としては、今何の策もなく戦いを仕掛けるのはかなり無謀に思えた。そのことを告げると榊は腕を組んで鬼童を見た。鬼童は少し考える風だったが、やがて円光にこう言った。
「先程、御坊はあの鎧武者が生者ではない、と仰りましたね」
 円光はうなずいた。
「確かに。八条殿が事切れたおかげで、はっきりと判り申した。何か怪しげな術に操られているようだと、そう感じた」
「ふうむ」
 鬼童は右手を顎に当てて円光の言葉を反芻していたが、やがてさっきから考えていたことを、二人の前に開陳して見せた。
「円光殿は、反魂の術というのをご存じ無いか」
「反魂の術? あの死者をよみがえらせるという外法のことか? しかしあれは話だけで、実際にはまず出来ぬと師にうかがったことがあるが。まさか!」
「そう、かつて、西行法師が蝦夷地を旅する途中、寂しさをまぎらわすのにかたわらの髑髏を用いて試みたことがあるそうですが、形こそ人になったものの、心が無い獣のようなものになったとのことでした。私もその存在には半信半疑でしたが、上古その成功例が無かったわけではないのです。崇海はもしや、その術を極め、死者を使役しているのではないか?と私は思います」
「うむ、それならあの武者に生気がなかったとしても不思議ではない」
「ならばです」
 鬼童は力強く円光に言った。
「術者を倒せば、自ずと術も解け、鎧武者も再び死人の列に戻るのではないでしょうか?」
「成る程。鎧武者を相手にせず、崇海一人を倒せば、鎧武者も倒れるという訳か。それなら何とかなるんではないか?」
 榊は手を打って喜んだ。八方ふさがりの状況に、わずかながら月の光が差し込んだように思えたのである。
「それに、たとえ草薙の剣を操ったとはいえ、あの結界崩壊の中で無傷でいられるはずはありません。やはり、攻撃するなら今です。円光殿」
 鬼童の言葉に榊も賛同する。二人に迫られては、円光も全く譲歩しないわけにもいかなかった。
「判りました。では参りましょう」
「急ぎましょう! 崇海は、きっとあの鍾乳洞に戻ったに違いありません」
 榊はさっそく馬を用意した。七人が支度を整えて美衆邸を駆け出したとき、月は既に中天から西へと傾いて、一行の足下に僅かに長い影を引きつつあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10.神剣草薙 その4

2008-03-15 22:45:37 | 麗夢小説『麗しき、夢』
「それを、鬼童殿ばかりでなく、あの崇海も狙っていた、と言うことですな」
「そうですね。もっとも私の法螺に引っかかるところを見ても、崇海殿はまだその秘密を解いてはいないのでしょう」
「不老不死の術とは、何か薬でもあるのだろうか?」
 円光の質問に、鬼童は考え込んだ。
「残念ながら、私にもまだ判然としません。そもそも徐福が封印したのが何なのかはっきりとはしないのです。何かがあることには違いないのですが・・・」
 その時だった。三人の耳に、隣山から響くような老人の哄笑が届いた。再び結界に注目した三人に、崇海の罵声が飛んだ。
「ふははははは! 所詮は若造だな。ここに徐福が何を封じたか、そんなことも知らずにやって来たのか! 愚か者め!」
「どう言うことだ! 崇海!」
「貴様に答える義理はない! どうしても知りたくば付いてくるがいい。冥土の土産にとくと見せてくれようぞ」
「何をいっても、そこから逃れる術はありませんよ、崇海殿!」
 鬼童が少しむっとしたのを確かめた崇海は、鬼童らを睨み据えてこう叫んだ。
「だから若造というのだ! わしがいつまでもこんなちゃちな結界に、大人しく捕まっているとでも思ったか!」
「大口を叩くのもいい加減にせんか!」
 榊の怒声をせせら笑った崇海は、手探りで鎧武者を探り当てると、その袖を引いて一言、鎧武者はたちまち手にした大長刀を鞍につけ、腰の剣に手をかけた。
「何だ、あれは?!」
 すらりと引き抜かれた太刀は、鉄とは異質な青銅製の青い錆を身にまとい、その異様な形を見せつけた。剣はまるで蛇を模しているかのようにうねうねと波打っているのだ。だがそれがまっすぐに天に向かって差し上げられたとき、青い蛇はたちまち金色のいかづちと化して光り輝いた。同時に膨大な力が吐き出されたのであろう。途端に結界の光が揺らぎ、水晶が耳につく高音を発しながら、遠くからもはっきりと判るほどに、激しく振動し始めた。
「見るがいい! 草薙の剣の力を!」
 遠く響いた崇海の声に、鬼童は自分の耳を疑った。
「草薙の剣?!」
「いかん! 結界が持たぬぞ!」
 鬼童のつぶやきを、円光の悲鳴に近い警告がかき消した。草薙の剣は、双刃の刀身をきらめかせながら、暴力的なまでに気を放出した。榊のような心得のないものにも、剣から奔出する力と結界がぶつかりあって、金色の火花があちこちではじけるのが見えた。
「草薙の剣とは、一体何なんだ?!」
 事態の急変についていきかねた榊が、鬼童の袖を引いた。鬼童は、さっきまでの余裕もすっかり失せ、緊張した面もちで榊を見た。
「宮家三種の神器の一つ、神剣、草薙の剣です」
 三種の神器と聞いて榊も思い出した。平氏都落ちの折り、わずか御年八つの安徳帝の玉体と共に西国へ持ち出したのが三種の神器である。内、印爾と鏡は壇ノ浦の合戦の際に取り戻すことができたのだが、ただ一つ草薙の剣だけはその行方が杳として知れなかった。恐らく平氏の公達の一人が抱いて入水したのだろうということで、既に朝廷では新しく鋳造することに決定している。それが何処をどうめぐったのか、今この目の前に姿を現そうとは、榊もその奇縁に驚き見入るばかりであった。
「しかしどう見ても曲がりくねった骨董品にしか見えぬのに、あの力は一体どうしたわけだ?」
 榊の問いに鬼童はやや投げやりになって答えた。
「草薙の剣はただの古剣ではありません。元の名を天の叢雲の剣といい、あの形も、上古、素戔嗚尊が八叉の大蛇を退治した時にその身から切りだしたのがそもそもの由来です。その力は、日本武尊東征のおりには一振りで一里四方の草をなぎ倒し、尊に勝利をもたらしたといいます。それ以来草薙の剣と言われるようになったのですが、宮家の血筋で力のある者がその束を握るとき、剣は絶対無敵の神剣としてその威力を発揮するのです。あんなものを持っているとは、崇海め、侮っておりました」
 鬼童は、手の出しようもなく無念のほぞを噛みしめた。
「しかし、そうだとすると、あの鎧武者は帝の血を引く者だと言うことになるのでは?」
「そう考えるより無いでしょう。我ら凡俗が手にしたところで、恐らく絹一枚満足に切ることは叶いますまい。それをあのように使うことができる以上、間違いないと思います。具体的には、宮家の血を引く者・・・。帝の御子か清和帝の血を引く源氏、あるいは桓武帝の血を引く平氏の縁の者でしょうか」
「平氏・・・。智盛!」
「あり得ますね」
 平氏と聞いて榊の眉がつり上がった。勿論その他の可能性も鬼童は並べていたのだが、もう榊の頭に平氏以外の選択肢は残っていない。
「もしそうなら、いよいよ逃がすわけには参らぬ。何とかならんのか、鬼童殿!」
「申し訳ありません。大きな口を叩きましたが、どうもこれまでのようです」
 鬼童は、初めとはうって変わった陰鬱な表情で榊の意気を挫いた。最後の頼みの綱、と視線を向けられた円光も、首を振って榊の期待を裏切った。
「くっそーっ! ここまで追いつめながら、手をこまねいて見ているしかないのか!」
 榊の怒りも虚しく、遂に結界はその最後の時を迎えた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10.神剣草薙 その3

2008-03-15 22:44:24 | 麗夢小説『麗しき、夢』
「すさまじいものですね。鬼門遁甲の術は」
「何、円光殿の法力があったればこその力ですよ。私だけでは、こうは完璧に決まらなかったでしょう」
「いや、拙僧こそこの非力を最大限に引き出して下さる鬼童殿の知識には、感服つかまつりました」
「いやいや」
「何の」
 榊は、ああまた始まったか、と半ばあきれ顔で二人を見ていたが、やがて聞き損じていた疑問を口にして、二人の献杯に割って入った。
「所で鬼童殿、宴席で八条大夫に渡していたもの、あれは一体なんですか?」
「ああ、あれですか」
 鬼童はようやく円光との謙遜合戦を切り上げて榊に答えた。
「徐福が残した秘宝を見つけるためのおまじないです。偽物ですがね」
「偽物?」
 狐につままれたような榊をそのままに、鬼童はいきなり大声を上げて結界の崇海に呼ばわった。
「崇海殿! 私より奪っていった富士文書逸文、少しはお役に立ちましたかな?」
 すると、遠い山からこだまするような声で、崇海の怒りが聞こえてきた。
「よくもたばかったな、この若造が! 何が陰陽寮に伝えられた原文じゃ! ただのぼろ布を掴ませよって、ただでは置かぬから覚悟しろ!」
 更に悪口雑言の限りを尽くして鬼童を罵倒する崇海に、鬼童は愉快そうに呼びかけた。
「それ位無駄口を叩けば気も済んだでしょう? そろそろ観念して、徐福の秘法で何をたくらんでいたのか、白状しませんか?」
「黙れ若造! これで勝ったと思うなよ!」
「なかなか強情を張るご老体だ。だが幾ら無理をなさっても、どうにもなりませんぞ。あきらめて観念なさい!」
 崇海は頭から響く鬼童の声に必死に耐えていたが、追いつめられていることだけは確かであった。降伏を論外とすれば残る方法はただ一つ。しかし、崇海はそれを選ぶのをためらった。崇海にしては珍しく、それを果たして制御しきれるかどうか、自分でもいささか心許なかったのである。
 こうして崇海が逡巡の沈黙に沈んだのを、鬼童は投了前の心の整理だと判断した。土台この八陣を破るなどできようはずはないのだ。可能性があるとしたら、ただ一つ。内外どちらからでもよい、八陣が形成する力の場を上回る力を発生させ、それを強引に叩きつければ、陣の一角を突き崩し、脱出もできるに相違ない。ただしその時には、崩壊する結界の力をまともに浴びることになるだろう。詰まるところ、術者が解かない限り、生きて逃げる方法は無いに等しいのである。
 鬼童は再び榊に顔を向けると、奪われた古文書の話を続けた。
「今話したように、崇海が雅房殿をたぶらかして私から盗んでいったものは、徐福がこの村に隠した秘宝のことが記された、富士文書という古文書です。先日、私はそれが隠されている村はずれの鍾乳洞に行き、そこで崇海に出会いました」
「ちょっと待て。鍾乳洞なんて、私は知らぬぞ」
「崇海が、結界を張って入れないようにしていたのですよ」
(また結界か!)
 榊は、いい加減うんざりし始めた。どうもここで起こることは、自分の常識を越えている。
「そこで崇海は、ここが何もないただの遺跡だと言いました。私にはそれが信じられなかった。半分は信じたくないという願望だったのですが、その執着がある一つの悪戯を私に思いつかせたのですよ。私は崇海に言いました。徐福の秘法を解く鍵を持っていると。その時こそ崇海は一見平静を装っていましたが、明らかに興味を抱いていた様子がありありと手にとれました。だから、崇海が何らかの方法で古文書を狙ってくるのは間違いないと見たわけです。そこで、宴の席で仕掛けられたのをいいことに、偽物をまんまと掴ませました。それを知った崇海が激怒して、寸刻もおかずに押し寄せてきた、と言うわけです。もっとも、あそこで雅房殿をたぶらかしていたとは私も驚きましたがね」
「徐福というのは、千年ほど前の唐の国の陰陽師だそうですな。わが国には不老不死の薬を求めに参ったとか」
「よくご存じですね! 榊殿」
 鬼童が目を丸くして驚いたので、榊は少し気恥ずかしくなった。
「いや、配下に詳しい者がいて、その男の言うのを聞きかじったのだよ」
「いや、それでもなかなかのものですよ、榊殿」
「私は徐福なる者のことは知りません。少しご教授いただきたいのですが」
 円光の素直な問いかけに、鬼童はうなずいた。
「徐福とは、今榊殿が仰った通りの人物です。時に始皇二十八年(紀元前百九十三年)、秦の始皇帝の命により、方士、つまり我が国でいう陰陽師のことですが、その方士徐福がわが国に来たそうです。そして流浪の果て、この夢隠しの郷でついに不老不死の術を会得し、その秘密を封印して登仙したといいます。ただ、わが国には様々な場所に徐福終焉の地というものがあり、私はそれらを一つづつしらみつぶしに調べた末、この地にたどりついたのです」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10.神剣草薙 その2

2008-03-15 22:43:05 | 麗夢小説『麗しき、夢』
「これで良し。ではお二方、私の指図通りに、これを八方に置いて下さい」
 円光と榊は四つづつ石を取ると、鬼童は指南盤を取り出し、二人に指示を出した。
「円光殿、その「生」の玉は真東に置かねばならない。もう少し右へ、そうそう、そこでいい。榊殿、その「開」は北だ。そう、その辺りに置いて下さい。・・・」
 こうして二人がその作業を終えると、丁度中庭はその八つの水晶球に囲まれる形になった。辺りを支配し始めた不思議な気に、初めに気づいたのは円光だった。
「これは、結界?」
「結界ですと? 私には皆目見当もつきませんが」
 円光と榊はそれぞれの感想を口にして、鬼童に振り向いた。鬼童は、まるで悪戯好きな子どものようににっこりと笑みを浮かべ、円光に言った。
「さすがは円光殿。常人には全く感知できないささやかな変化ですのに、よく気づかれましたね。いかにもこれは結界です。ただし、飛び込んだ者を封じ込めるためのものですが」
「封じ込める?」
 榊はまだ色々と聞きたかったが、鬼童はそれを押さえていった。
「まあしばらく待ちましょう。この小半時の内に、かかる者があるはずですから」
 円光も榊も顔を見合わせ、ただ待つしかないことを互いに確認したようだった。
 ほとんど鬼童の予想通りに、村はずれの鍾乳洞から飛び出した騎馬があった。月明かりも避けるように闇を切り裂いていく二騎、前に怒りの炎を彗星のように吹き出して走る墨染めの衣、後ろに白銀の鎧を纏う巨大な影が連なって走る。二騎は瞬く間に森を駆け抜け、美衆屋敷の門前に躍り出た。墨染めの方が顎をしゃくりあげ、鎧武者に合図した。馬上、手にする白柄の大長刀を振り上げた鎧武者は、分厚い門にその刃を叩きつけた。たちまち門は耳をつんざく破壊音を村中にこだまさせて、二人の目の前から消し飛んだ。一歩下がった鎧武者の脇を当然のように墨染めが抜け、みじんになった門の残骸を馬蹄に踏みしめた。
(最初からこうすれば良かったのだ)
と男は思った。
(最初から有無を言わさず皆殺しにしていれば、こんなに苦労せずに済んだのだ)
 男は鎧武者についてくるよう合図すると、ゆっくりと美衆屋敷に馬を乗り入れた。もしや円光とか言う痩せ坊主がいるかも知れない、と言うその一事だけが多少気がかりでになった。慎重に進んで、やがて中庭の宴会場が見えるところまで出る。燃料を新たにくべられぬままうずみ火に変じつつある篝火が、所々を暗く照らしているのが見える。既に中天に差し掛かっていた月が、松明よりもはるかに明るく庭中に転がる男達の姿を浮かび上がらせた。濡れ縁の方に目をやると、二人の男がやや離れたところでうつ伏せになっている。
「よしよし」
 二騎は連れだって中庭を横切った。
「まずあの二人を血祭りに上げるぞ。それからこ奴ら全部にとどめを刺す。一人も余さず、確実にやるのじゃ」
 男は、闇夜もたじろぐほどの黒い笑いを美衆屋敷にこだまさせたが、その笑顔がみるみるひきつり、信じられないと言う面もちで、濡れ縁を見た。
「かかりましたね、崇海殿」
「な、なにっ?!」
 途端に、崇海と呼ばれた老僧は辺りを支配する異様な気配に感づいた。過信と怒りがない交ぜの、平衡を失った心では感知できなかったものが、その一瞬に理解されたのである。
「まさか!」
「円光殿、今だ!」
 崇海の背後で、突然真言の呪文が響きわたった。途端に庭のあちこちから八本の青白い光の柱が伸びた。崇海の顔から血の気が引いた。
「しまった、計られたか!」
 青白い光の柱は徐々に扇のようにその先端を広げ、隣同士交錯し融合すると、そのまま生長して最後には半球状の光の玉に変化した。
「どうです、ご自身で味わう八陣の味は! しかもただの八陣ではありませんぞ、円光殿の法力を加えた鉄壁の鬼門遁甲陣、もはやあなたといえども逃れる術はありません! 観念して降参なさい!」
 崇海はもう幾本もない歯を噛みしめて、鬼童を甘く見ていた己の不覚と用意周到な鬼童の策とを呪った。一方榊は、二人の右往左往する様を見て鬼童に言った。
「あやつらは、一体何をしているんです?」
 榊の目には、半球状の薄い光の中で、崇海と鎧武者が後一歩と言うところまで光の壁に迫っては、また引き返している様が、何とも不思議だった。もう後一歩進めば、出られるではないか、と榊には見えるのである。それに対して鬼童はこの結界の性質を説明した。
「この結界は、外からはまるで何も無いかのように見えます。あの崇海も気がつかなかったように、円光殿位鋭くないと感知できません。しかし一度入ったら最後、視覚、聴覚、嗅覚や味覚に至るまで、全ての感覚が狂います。恐らく今二人は深い霧にでも包まれたかのように感じられて、互いの姿すら判らないようになっているかも知れませんね」
「しかし、あんな小さな水晶だけで・・・」
 なおも疑問を払拭 しきれない榊に、鬼童は言った。
「何、かつて漢の丞相諸葛孔明は、石で八陣を組み、十万の大軍に匹敵する堅陣を布いたと伝わっています。これは水晶球ですが、それぞれの水晶には円光殿の法力が込められて結界を更に強めています。恐らく弘法大師や安倍晴明といえども、逃れることはできますまい」
 ましてや崇海殿では、と鬼童が話す内に、結界を大きく迂回して円光がやってきた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10.神剣草薙 その1

2008-03-15 22:42:50 | 麗夢小説『麗しき、夢』


 円光が屋敷に戻った頃、鬼童は突如わき起こった大量の急病人に忙殺されていた。痙攣する者、辺り構わず吐く者、気を失って転がっている者もあれば、そこまでいけずに七転八倒して苦しんでいる者など、美衆屋敷中庭は、榊の郎党衆で足の踏み場もない。その中で、めざとく円光を見つけた鬼童は、忙しい手はそのままに円光に呼びかけた。
「おう! 御坊は無事か?!」
「拙僧は大丈夫でござる。それよりこれは一体?」
 駆け寄ってきた円光に、鬼童は言った。
「毒だ。誰かが、酒に毒を盛ったらしい」
「毒!」
 円光の顔が、当惑から一気に不安の緊張に包まれた。
「麗夢殿は! 麗夢殿は無事か?!」
「うん。女達には今私の処方に従って薬湯を煎じてもらっている。他に動けるのは、榊殿と郎党衆の佐々木源太殿以下三人、そして御坊の計七人だけだ」
 円光は、鬼童が麗夢を他の女達と百把一からげに論じるのにささやかな抵抗を憶えたが、無事と知れたうれしさに、そんな負の感情はあっさりとかき消えた。第一事態は、円光が自分の気持ちを云々していられる場合ではない。円光は腕捲くりしながら鬼童に言った。
「拙僧も何かお手伝いいたそう。どうすればいい?」
 鬼童は振り返りもせず言った。
「おう、できぬと言っても手伝ってもらうぞ。榊殿の下知に従って、女達が運んでくる薬湯をこの連中に呑ませてやってくれ。どうも様子がおかしい者や、気絶して薬湯が飲めない者がいたら、私に知らせてくれ。頼むぞ」
「心得た!」
 円光は、忙しく自らも薬湯を運ぶ榊に呼びかけると、その指揮に従って薬湯の椀を抱えて走った。
 一通り処置の終わった所で、鬼童は榊と円光を招き寄せた。
「榊殿、腰は大丈夫ですか?」
 鬼童の問いに、榊は笑って腰をさすった。
「おかげさまで。少し痛みが残るが、動く分には差し支えない」
「円光殿は?」
「大丈夫だ。それより何があったのか、もう一度詳しく教えて貰えまいか」
 鬼童は、円光が八条を追った後のことをかい摘んで話して聞かせた。榊の下知に従って追走の姿勢をとりつつあった郎党の何人かが突然倒れたのを手始めに、庭で酒を飲んでいた者が軒並み苦しみだした。それが一種のしびれ薬の類で、酒と共に飲んだせいもあってかなりの重症者もでた。またある下女の話では、八条大夫が宴の直前、酒樽の側で何やらこそこそ動き回っていたらしい。それらのことを知った円光は、改めて八条を取り逃がしたことを悔やみ、鎧武者のことや八条が事切れたことなどを二人に話した。
「八条大夫が・・・」
 榊は目に怒りの炎を吹き上げた。確かに八条はいけ好かない男だったが、こんな理不尽な死を強要されねばならぬほど悪い仁でもなかった。しかも、何か悪辣な術によって殺されたとは! それらのことごとくが榊の逆鱗を刺激してやまなかった。
「八条殿は確かに何者かに操られておいでだった。誰が何のためにそんなまねをしたのか、せめて八条殿を捕らえ、その術を解けば何か判ると思ったのですが」
 面目なさそうに頭を垂れる円光に、榊は恐縮の体で言葉をかけた。
「いや、御坊のせいではない。むしろ御坊のおかげで、漠然としたことがはっきり見えてきた。誰かが、確かに我らの行動を妨害し、飽くなき害意を抱いて挑んできているということだ。しかし一体それは誰なのだ?」
「それは程なく判りましょう」
 湿っぽくなった二人へ、場違いに明るい声がふりかかった。二人はその声の主、鬼童を見た。
「どういうことです、それは」
 榊はやや不満げにその場違いを暗に非難したが、まるで意に介すことなく鬼童は言った。
「犯人を捕まえてみようではありませんか」
「犯人を? 鬼童殿、何か心当たりでもあるのですか?」
 勢い込んで迫る榊をなだめ、鬼童は懐に手を突っ込んだ。引き出された手を広げてみると、小さな水晶玉が八つ、その手の中に転がっていた。
「奴等は程なく攻め込んでくるはずです。それをこれで一網打尽にするんですよ」
「この石で?」
 あくまで不信感を拭えぬ榊に、鬼童はさわやかに笑って見せた。
「そうですよ。結界には結界です。我々は散々苦しめられましたからね。相手にも少しはその痛みを味わわせてやらないと。円光殿!」
 鬼童は円光にその玉を渡した。
「円光殿、この石に御坊の法力を込めて下さいませんか?」
「心得た・・・」
 円光も鬼童が何を考えているのか、もう一つ掴みきれずに戸惑っていたが、言われるままに気を練り上げ、一つ一つにその気を込めた。すると、水晶球は心なしかぼおっと光を放ち、鬼童の手に戻ったそれは、その力の一端を放射しているかのように手のひらに温もりを憶えさせた。鬼童は更に筆を取ると、その一つ一つに漢字を一字書き込んでいった。休・生・傷・杜・景・死・驚・開、墨の色も鮮やかにそう記すと、両手の平に並べて二人を呼んだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

09.死の競争

2008-03-15 22:38:51 | 麗夢小説『麗しき、夢』
 八条は憑かれたように走った。何故に走るのか、本人にも良く分からない。だが、ただひたすらに走らなければならないと言う強迫観念が、八条の足を動かすのである。邪魔する者はなかったが、もし現れても八条の足を止めるのは至難の業であったろう。今の八条にとっては走ることが全てであり、足を折り、腰を挫こうとも走ることだけは止めそうになかった。
 八条の肉体は凡そ走るには向かない作りをしている。体重の大半を占める分厚い脂肪、それを支えるだけでも悲鳴を上げかねない華奢な骨と筋肉。生まれてこの方手足に豆を作ることもなく、翌日に身が入って顔をしかめたこともない。現に、八条の足は既に赤い靴を履いたかのように皮膚も破れ、指の骨も折れて異様な角度で曲がっている。しかし、その激痛でさえ、八条の目を覚ますことは出来なかった。八条は、狂った獣として少しずつその肉体を損じながら、村はずれの鍾乳洞をひたすら目指した。
 美衆家の門を八条が飛び出した際、門番の四人は何も指をくわえていたわけではなかった。勿論その一瞬こそ呆然と走り去る背中を見送ったのだが、すぐに榊の怒鳴り声が耳に届き、取るものも取りあえず一斉に駆け出したのである。が、月と手にした松明だけが頼りの暗闇の中、元々土地勘も乏しいこともあって四人にはほとんど八条の影すら捕らえることができなかった。それに八条の速さは尋常ではなかった。四人のうちの一人は榊の手の内でも一二を争う健脚の持ち主だったが、その男でも八条に追いすがることは叶わなかったのである。が、その傍らを猛然と駆け抜けていった者が一人だけいたことは、崇海の想像外の出来事であった。
 シャン!
 金属の打ち合う澄んだ音が、八条を追い抜いてその先の闇に吸い込まれていった。続いて、土を蹴り付ける音が八条の背後に迫った。もし八条が振り返ったなら、月に美しく照り映える、汗一つ浮かばない無毛の頭を認めたに違いない。
  八条を追うただ一人の男、それは修行僧円光だった。円光が八条の異変に気づいたのは、鬼童の張った結界のためである。それが、麗夢に見とれていた円光の心を刺激し、その一部始終を円光に見せたのだった。そのために円光の反応は、その場の誰よりも早かった。それに、円光の足は馬すら凌ぐ快速である。崇海の術に酔って自分の肉体すら耐えられない力を与えられた八条でも、その足から逃れることはできなかった。
 円光は、美衆屋敷を出て間もなく、新しい血の匂いをかぎとっていた。それは八条に近づくほどに強くなり、走り続けるほどに濃厚に鼻を刺激した。
(早く止めてやらないと、程なく事切れよう)
 そのためには、多少その肉体に傷を増やすことになっても致し方ない、と円光は決心した。円光は、月明かりに遂に八条の姿を捕らえた。ここぞとばかりに円光は、一段と加速して最後の追い込みにかかる。その円光の額を、生温かい物が打った。手で拭うまでもなく、それが八条の血であることを悟った円光は、一刻の猶予もないと、手にした錫杖を八条めがけて投げつけた。錫杖は矢のように八条に走り、狙いあやまたず八条の足にからみついた。降り注ぐ月光の音さえ聞こえて来そうな静寂の森に、眠りこんだ草木も驚いて目を覚ます衝撃がこだましていった。円光はたちまちそれに追いつくと、八条の足をへし折った錫杖を拾い上げた。そのすぐ脇に、今や唯の肉塊に変じつつある八条の姿があった。体力をはるかに超越した激走は、急速にこの男の命の蝋燭を燃し尽くそうとしていた。その顔は既に土気色の死人のようであり、口だけが水面に浮かぶ魚のように、忙しい呼吸を繰り返していた。が、八条の心臓も、肺も、過分の負担に耐えかねて、その職務を放棄しつつあった。血も、酸素も、もはや必要な量の半分もその身体へ送ることが出来なかったに違いない。それでもなお、八条は走る意欲を失わなかった。既に膝から下は砕かれて立つことすらままならぬのに、自分の髪の毛一筋すら支えられなくなった足を懸命に動かし、必死に伸ばした手で地面を掴み、わずかでも進もうと地面をなめるのである。
「無惨な・・・。八条殿、今その悪夢を払って進ぜる」
 円光は息を整えて静かに気を集中すると、ゆっくりと経を誦し始めた。その時である。経のまだ半ばも過ぎぬ所で、円光はぴたりと詠むのを止めた。滅多にないことだが、その額に冷や汗が浮かび、円光は口の中で小さく叫んでいた。
(不覚!)
 突然円光は、強烈な殺気に背後を取られたのである。円光は、まだ修行が足らぬと自省したが、今後修行を続けられるかどうかは、後ろの殺気次第であった。殺気の主は、寸毫の隙を見せることもなく、ゆっくりと円光の前に回った。少しでも動こうものなら、その瞬間円光の首はきれいに動脈血を噴きながら、月めがけて天高く跳ね上がったことだろう。円光はじっと呼吸すら押さえて相手の出方をうかがうしかなかった。すっかり円光の視界に入った相手は、馬上白銀の鎧をきらめかせ、殺気の元である長刀をひらめかせた。
(こいつは!)
 円光は再びまみえることになったその鎧武者をにらみつけた。鬼面の奥でその双眸から怪しい光を放ちつつ、鎧武者はゆっくりと馬を後ろに下げた。円光は、全神経を鎧武者に集中し、その気の奔流に探りを入れる。鎧武者はそんな円光の考えを察したか、少し気をそらして長刀の先にひょいとうつ伏せになった八条の身体を引っかけた。そのまま長刀を跳ね上げると、八条の身体がまるで風船のように軽々と宙を舞い、馬の首根にどさりと落ちた。円光は、その瞬間、か細くも残っていた八条の気がたちまち散じたのを知った。
(亡くなられたか)
 円光は口の中で短く経を一節読んで、その後生を弔った。が、この瞬間、円光は信じがたい事実に直面することになった。目の前の二人の男。一人は、今遠い旅立ちを始めた所だったが、それを抱えるこの鎧武者もまた、既に彼岸の果てに立っていることに、円光は気づいたのである。巨大な暴風のごとき気を発しながら、実はそれが内なる生命の輝きによるものではないという事実。
(一体この男を動かしているのは何だ?)
 円光は何としてもこの事実を榊、鬼童らに知らせなければならないと決意した。それには生きて帰らなくてはならない。円光は錫杖を構えた。生者ではない者が何かの邪法で動いているなら、あるいは何とかなるやも知れぬ。円光は静かに気を集めると、初めは小さく、そして徐々に声を高めながら、般若心経を読み始めた。基本にして究極の破邪の呪文。その二百六十六文字に託された力が、円光の気を高め、肉体にとてつもない力を漲らせた。鎧武者もそんな円光の変化に感づいた。鎧武者の任務は、一刻も早い八条の回収であってこの痩せ坊主と一戦交えることではない。鎧武者には命令に忠実にあることをその主から叩き込まれていた。鎧武者はゆっくりと馬を下げると、あるところですうっと空間に溶け込むように消えていった。
(取りあえず窮地を脱したらしい。この上は!)
円光はほっと一息つく間もなく、その足を美衆屋敷へと振り返らせた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

08.月の狂宴 その2

2008-03-15 22:38:01 | 麗夢小説『麗しき、夢』
 所でこの輪に入り損ねたくじ運の悪い者もいる。いつやってくるとも知れぬ鎧武者に備えて立ち番する羽目になった四人の郎党である。彼等は、
「直ぐ代わってやるから、我慢しな」
と慰めともあきらめともつかぬ言葉一つを頼りに、黙って門前にたむろしていたのである。だが、既にそれも半時もたてばそろそろ限界であった。彼等はほの聞こえる歓声に耳をそばだたせ、風に乗って流れてくる香ばしいにおいに口中を唾で満たしながら、次第に募る不満を雑談に紛らせていたのである。だが、彼らの不満は一事棚上げになった。一番夜目のきく男が、暗闇に動く「何か」を見たのである。手持ちぶさたに矢の羽をほぐしていた男は直ぐに肩の弓を取り下ろした。長刀を手にした男も、緊張した面もちで身構える。やがて、砂ずる様な足音が耳に障り始め、ぼんやりと暗闇にその姿が浮かび出した。
「そこに参るのは何者か、名乗り給え」
 郎党達の誰何に答えた声は、ややしわがれてはいたが、その割には張りのある力強さを感じさせた。
「わしは祟海じゃ。寺の者じゃよ」
(なあんだ)
 郎党達は一度に緊張を解いた。もう十分に祟海と闇とを分別できるところまで近づいた老僧に、佐々木源太が用意の言葉を投げた。
「遅うございましたな。八条大夫がお待ちかねでござる」
 それはどうもと会釈して、祟海は門をくぐった。そのまま奥を目指して、流れ込む瘴気のように祟海は進む。祟海は、宴の席がかいま見える物陰まで来ると、そこに身を潜めてじっと様子をうかがった。遠くに八条の姿が見える。隣にやや冷めた目をしているのは、この間出会った目標、鬼童である。宴は胸を悪くする喜びの気で満ち満ちており、祟海は苦虫を噛み潰してその光景を呪った。
(楽しんでいられるのも今の内よ)
 そして、八条に目をやって青筋を立てた。
(それにしてもいつになったら動くのじゃ。あの愚図めが)
 祟海はじりじりと八条の動き出すのを待ったが、当の八条はと言うとどうも宴に浮かれて大事な要件を忘れている様子である。祟海は思わずかっと怒鳴りつけたくなったのを辛うじて喉元で押さえ込み、軽く気を練って八条に放った。
(何を浮かれておる! さっさと仕事をせんか!)
 その瞬間八条は、耳元で怒鳴りつけられたように感じた。祟海としては十分に抑えたつもりだったのだが、気は正直に今の祟海の気持ちを代弁したようである。八条はふんと鼻を鳴らして若干の不満を訴えたが、それ以上の抵抗はせず、景気づけの一杯を喉に流し込むと、傍らの鬼童に寄り掛かるようにして話しかけた。
「鬼童殿、時に物を訊ねるが・・・」
 鬼童は酌に立ち回る麗夢の姿に気を取られていたが、思いもかけなかった呼びかけに、ああ隣にも人がいたのだな、と今更ながらに驚いた。
「何か?」
 八条はにっこりと笑みを浮かべ、物欲しそうな目で鬼童に言った。
「御身、聞くところによると何とも珍しい物を持っているそうじゃな」
 鬼童はたちまち酒が回ったような酩酊状態に陥りかけた。まさかと思いつつ袖に忍ばせた護符を握り、呪文を誦して小さな結界をこしらえる。途端に熱くなった目頭がすっと冷え、失いかけた意識がはっきりと戻った。だが、影響力が強いのか、一種独特の圧力をその視線に覚え、全身に悪寒が走るのまでは鬼童も抑えきれなかった。
(まさか雅房殿が仕掛けてこようとは?)
 鬼童は、予測通りに反応があったことに満足しつつも、その意外な刺客には驚きを禁じえなかった。が、もはや躊躇しているときではない。鬼童は予定通り相手の手に引っかかっているかの如く自身を装い、八条の動きを待った。
「珍しい物とは?」
 如何にも熱に憑かれてうわごとでも口走るように話す鬼童に、八条はすっかり安心した。
「御身、この山には徐福なる陰陽師が隠したと伝えられる秘宝を探しに参ったそうではないか」
(いかにも)
 鬼童はこっくりとうなずいて、相手の言葉を肯んじた。八条は期待通りの様子に、さらに妖言を紡ぎだした。
「その在処や取り出だすための方法を記した古文書を、その懐にしまっているそうだな」
 鬼童はもう一度こくりとうなずいた。得たりや! と内心ほくそ笑む八条だったが、それでも十分に注意して、そろそろと本題を舌上に載せた。
「少し、見せて貰えぬか?」
 鬼童はもったいぶるように手を懐に突っ込んだ。引き抜かれた手が、四つに畳んだ一枚の布を引きずり出した。
 元は白だったと思しき茶とも灰ともつかぬそれを、鬼童はゆっくりと広げて見せた。八条はそこに、一面びっしりと書き込まれた不思議な文様を認めて首をかしげた。
「これは何じゃ? 鬼童殿。唐天竺の文字とも思えぬが?」
「神代文字と申すもので、唐より漢字が伝わる以前に我が国で使われたと言われる文字です」
「御身、これが読めるのか?」
「大略は」
 ふーん。八条は素直に感心した。
「もそっと、良く見せてくれぬか」
 八条はそろそろと手を出した。さぞかし抵抗するだろうと覚悟していたが、意外にもどうぞと鬼童は自ら八条にその写しを押し付けた。
(長居は無用!)
 一部始終を固唾をのんで見守っていた祟海は、この時とばかりに用意した気を裂帛の勢いで八条に投げた。打ち出された気は一瞬で宴の上を通り越し、八条の額に突き刺さった。八条は途端にぶるっと身を震わせて全身を硬直させたが、直ぐに力を抜いてすっくと立ち上がった。唖然とする鬼童を尻目にものすごい笑みを浮かべると、八条は大音声に言い放った。
「確かに頂いたぞ、鬼童殿! さらばじゃ!」
 捨てぜりふもそこそこに縁を飛び降りようとした八条は、突然のびた太い腕にがっちりと肱をつかまれた。
「どちらに参らせまする、八条大夫?」
 振り向く必要もない、と判断したのだろうか。八条は不機嫌を全てその声に集約して命令した。
「榊殿、離せ!」
「いいえ、主賓がどちらに参られるのか、確かめぬことには宴の奉行、務まりませぬ」
 榊は先程からの二人のやりとりをそっと注目していたのだった。鬼童が突然熱に浮かれたようにうわごとを並べ始めたときはさすがに驚いたが、八条があらぬ方を見たときに突然榊に片目をつむって見せたときにはもっと驚いた。何かある、と警戒しだした矢先に、鬼童から何か布のような物を受け取った八条が急に立ち上がって叫んだので、取りあえず止め立てした次第だった。が、その後の八条の行動は、そんな榊の用意さえ凌駕するものがあった。八条は決して榊が手を離す気のないことを知ると、ええい面倒とばかりにその腕を強引に前に振った。がっちりつかんで離さない気でいた榊は、その急な動きについていけなかった。榊は八条の腕にぶら下がるようにして振り回され、勢い余ってどうと縁の下に投げだされた。八条にそんな力があったとは、と驚き呆ける榊を見下し、八条は今度こそ縁を飛び降り、瞬く間に宴の間を駆け抜けると、屋敷を飛び出して走り去った。榊がようやく起きあがって、
「八条大夫を捕らえ奉れ!」
と一同に下知した時には、既にその姿は闇に紛れて杳として知れなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

08.月の狂宴 その1

2008-03-15 22:37:39 | 麗夢小説『麗しき、夢』


 榊は、今日も徒労に終わった重い足取りで館へと帰ってきた途端、朝とは別人になった八条に振り回されることになった。
「榊殿、今宵はまろの全快を祝い、一席設けることにしたぞ。日頃汗水になって働く麾下のもののふ達も皆呼ぶがよい。それから、寺の祟海和尚にも来ていただく故、誰か人をやってその旨知らせてくれ。分かったな」
 榊は目を白黒するより無かったが、ともかくも下知に従うことにした。美衆も家の子を総動員して準備に勤しんだ。そして麗夢もまた、「正式に」白拍子として出席することを要請され、大慌てで準備を整えるはめになった。八条は奉行役を榊に預けると、自分も準備を称して奥に引っ込んでしまった。
 郎党達も動員しての宴会の準備は、夕方のあわただしさを一段と加速させたが、日も山の端に隠れ、ちらちらと気の早い星々が顔を覗かせるに及んで、ようやく形が整えられた。美衆屋敷の中庭は、各所に立てられた篝火を受けて真昼のように輝き、集まった人々のざわめきで賑わった。八条は、その中庭に臨む濡れ縁に上座を据えて、その中央に当然とばかりに腰を据えた。その直ぐ隣に鬼童がいる。命の恩人と言うことで強引に上座に席を設けられたのだが、大したこともしていないと自覚する鬼童には、少々いづらい場所である。少し離れて、美衆恭章と榊が並ぶ。それ以外は皆庭に思い思いの輪を作ってさざめいた。その中には円光もいる。円光としては修行中ということもあり、この様な席は極力避けたいところだったが、鬼童から、麗夢が一曲披露するそうだと耳打ちされて、とにかく席にだけはついた次第だった。
 こうして、折からの微風が昼間の残熱を薄皮をはぐようにしてぬぐい去っていく中、八条の一声で宴会が始められた。折から一天遥かに澄み渡り、篝火もかすませるほどな見事な月が、その丸い素顔を人々に見せた。八条は感深げにそれを眺めていたが、やがて扇をぱちりと閉じて、榊に呼びかけた。
「榊殿、優なる月のいと清げなるが我が宴へ席を所望しに参ったぞ。御歌一首仕れ」
「わ、私がですか?」
 突然の名指しに榊はあわてた。第一歌など詠んだこともない。榊は逡巡の末、頭をかきつつ恐縮して答えた。
「真に申し訳ございませんが、私は武偏一倒にて歌を詠むなどとてもできません」
「ふん、無骨者よな。よいわ、誰ぞ一首詠んでみよ。出来不出来に関わらず、褒美をとらすぞ」
 八条は、高いところから満座をぐるりと眺めたが、或いは下を向き、或いはそっぽを向いて八条の視線をかわすなど、まともに目を合わす者は一人もない。八条は、気難しげに唇をへの字に曲げた。
「全く、揃いも揃って歌一つ満足に出来る仁はおらんのか。お前達の祖たる八幡太郎義家の朝臣も、源三位入道頼政卿も、文武に優れ剣を取れば並ぶ者無き勇者、筆を取れば公家も欺くばかりな名首を歌う優なる男であったと聞くぞ。御辺等にはその一滴でも同じ血が流れておらんのか」
 口を開くほどに不機嫌さを増していくような八条にたまりかね、鬼童が軽く横槍を入れた。
「雅房殿、一首浮かんだので披露してよろしいか?」
八条は途端に顔を明るくして、鬼童へ振り向いた。
「おう、さすがは鬼童殿じゃ! とうとう、苦しゅう無いぞ」
「では、つたない作で恐縮ですが・・・」
 こほん、と空咳一つした鬼童は、静まり返った満座を前に、きれいに通る澄んだ声で朗々と一首披露した。
「ぬばたまの 月に移ろう 夢隠し 宴ことほぐ 富士山のすそ」
「うむ。見事じゃ!」
 八条は一つ手を打って満足げな笑みを浮かべた。
「ではまろも一首返そう」
 八条は少し頭をひねったが、直ぐ何か思いついたと見えてかしこまった顔つきで歌いだした。
「天の原 富士嶺のすそに 失える 伊勢の瓶子を 月よ浮かべよ」
 はは、なかなかの御作ですな、伊勢の瓶子とは智盛卿のことですね、と世辞を言う鬼童に、いや、即興の駄作よと口には言いながら十分に得意の鼻を伸ばす八条。榊は半ばあきれつつ二人の献杯を眺めていたが、八条続けて宣うところの
「さあ飲め、食え、踊れ、歌え、楽しめ」
の号令には特に異を唱えることもなかった。郎党衆もようやく本領を発揮できると言わんばかりにたちまちかわらけに濁り酒を満たし、大いに喜んで月夜の晩を明るくした。やがて酒も一巡した頃、八条の合図で一人の天女が宴に舞い降りた。薄絹の真白き水干に身を包み、烏帽子の中にその黒髪をまとめて、薄化粧に朱をさした口へかすかな微笑みを浮かべながら、「白拍子」という名の天女は、腰に挟んだ一差しの扇を取り出してふわりと軽く広げて見せた。その足どりはまるで宙を舞うかのようであり、その姿の気高き美しさの前に、騒ぎざわめいていた宴の場が水を打って静かになった。天女は一足二足進み出て、宴の中に身を置くと、山に湧く清水もかなうまいと思われる透き通った声で、人々の耳をしびれさせた。
「麗しき 月のお庭に 寄り集う 強者達の かわらけに 満たせる夢は 輝ける 手柄の山よ」
五七調、四段の今様を、押し返し押し返し二編歌えば、八条榊鬼童を始め、この様な都歌に一向なじまぬ土地の者や郎党衆も、まるで極楽往生を遂げたかのような幸せな心地に酔いしれた。円光までも、まるで観音が瑠璃の声もて究極の仏法を説教しているかのように錯覚し、麗夢を見ながら随喜の涙に咽び泣いた。続けて麗夢はまた別の今様を一節歌い、都踊りに一指し舞って、その姿を人々の目に焼き付けた。舞い終わってその妙なる調べが収まった時、一時の桃源郷に迷い込んだ一同は、やんやの喝采でその神技を褒め称えた。麗夢は軽く一礼してひとまず下がったが、その後の宴の盛り上がり様は、この村開闢以来の賑やかさで、終わりも知らず続くかのようだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

07.奸計

2008-03-15 22:36:13 | 麗夢小説『麗しき、夢』
 屋敷に戻った鬼童を迎えたのは、血相を変えて飛び出してきた榊の巨体と、新しく誕生した一人の病人だった。取るものも取りあえず八条の脈を取った鬼童は、心配げに覗き込む榊の顔から、さっとその影を払い去った。鬼童は念のため手足をはじめその身体をあちこち丹念に見て廻ったが、特にどこが怪我をしていると言うわけでもなく、全く単に失神しているのみであるとを榊らに告げたのである。次いで鬼童は、起こそうと思えば今起こせないこともないが、と皆に諮ったが、全員の首が横に振られて、その動議はごくあっさりと却下されることになった。命に別状ないなら、敢えてうるさい口を開かせる必要はあるまい、というのが、一致した皆の思いだった訳である。鬼童もそうですか、と軽くうなずいただけで、直ぐに怪我をした郎党の手当に取りかかった。榊も、主だった者を集めてさっそく防備の算段に奔走し始めた。
 その鎧武者襲撃から三日。未だに八条は床を離れることが出来なかった。既に鬼童の見立て通り、身体には何の異常もない。しかし、頭をもたげるとたちまちにめまいが襲い、割れ鐘を耳元で乱打されるような頭痛が八条を床に押し戻すのである。それすら無理して起きようものなら、心の臓が悲鳴を上げ、何も見えない目を見開いて、数瞬で卒倒してしまうのだった。鎧武者の正体を智盛と信じて疑わない八条は、この原因を全て智盛の呪いに帰した。それが鎧武者に対する恐怖から起こる、今日でいう心身症の類であることは、鬼童にも容易に知れている。従って八条の物言いも、あながち間違ってはいないのだが、だからといってどうなるというものでもない。鬼童も滋養を勧めるばかりでほとんど匙を投げていたし、邪気や妖気を感じない円光も、自ら加持祈祷を行おうとはしなかった。
 今日も朝早くから榊等は鎧武者を捜しに山狩りに出かけていた。村人達も皆日々の生活に勤しみ、この半病人を気にかける者はほとんどいなかった。本人も病気を理由に決して部屋を出ようとせず、誰が来ても追い返すように厳命していたこともあって、誰もがこのわがままな貴族のことを忘れ去ったようだった。
 そこに、思案の末、この男のことを敢えて思い出した人物がいた。今、その人物が美衆屋敷の門前に立つ。見るからに年古りた水気ない皺だらけの顔。骨皮ばかりでどうして動くのかと不思議な気持ちにさせられる指。その指に大きな玉を連ねた数珠を下げ、墨染めの衣を纏う老人、すなわち祟海である。門番をする榊の郎党は、当然の如く訪問の意図を問いただし、それを知るや「主人」の意を告げて、帰るようにとすげなく言った・・・筈だった。それは、もし榊が見ていたら、たちまち駆け寄って郎党の頬をしたたかに一発、張り付けたに相違ない。門に集まった数人の郎党達は、その瞬間、全く思いもよらない激しい睡魔に心身を侵された。が、寝てしまったわけではない。半分眠ったような目のまま、では通るぞと軽く会釈した祟海に、どうぞと道を開いただけである。屋敷の中にも榊が特に選りすぐった一騎当千の強者どもが五人詰めていたが、そのことごとくが祟海の足を止めることが出来なかった。中の一人は、何も意識しないまま八条の部屋まで案内するていたらくである。こうして、何の障害もなく目指す部屋にたどり着いた祟海は、すっとふすまを引いて中に流れ込んだ。
 八条は、あの日以来夢とも現ともつかない中を、夜具の中でたゆたっていた。故に突然ふすまが開いたのも夢なのか、現実なのか、八条は直ぐには判断できなかった。が、半分開いた眼にその閻魔庁の獄卒の如き顔を認めた時、遂に自分にも迎えが来たかと恐怖の余り跳び起きた。
「お目覚めかな? 八条大夫」
「お、お、おお、・・・」
 お前は! と言いたい口が顔ごと震えて言葉を紡ぎだすことが出来ない。祟海はそんな八条を睨み付け、真言の呪法を一口口に含むと、八条の限界まで開かれた小さな目を覗き込んだ。すると、たちまち八条の緊張が解け、眠るようにその体が崩折れた。祟海は仰向けに寝込んだ八条の耳に手を伸ばし、口を寄せて用意した妖言を二言三言、八条が眉をしかめて祟海の術を受け入れたのを確認すると、再び入ってきた通りに、流れるように部屋を出た。その背後で音もなくふすまが閉まり、祟海が屋敷を離れるまで、美衆屋敷は蝉すら騒ぐのを遠慮したのではないかと思われるほどの静寂に包まれた。やがて郎党達の意識は元に戻ったが、誰もこの半時にもみたぬ時間に何があったのか、覚えている者はなかった。中にはそれを妙に感じる勘の鋭い者もないではなかったが、敢えてそのことを榊に報告しようとはなかった。自分自身も疑うように、「大方居眠りでもしていたのだろう」と仲間に言われるのが嫌だったからである。それに彼等には、これについてあれこれ考えているようなゆとりは与えられなかった。八条が目を覚ましたのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

06.祟海 その3

2008-03-15 22:02:28 | 麗夢小説『麗しき、夢』
(この男、一体何を言いたいんじゃ?)
 崇海は、黙って聞きながら、鬼童の真意を計りかねた。さっさと帰るがいい、と思いつつも、まさかそのように言うわけにもいかず、しょうがなしに黙って聞いているのである。それをよいことに、鬼童は長広舌を止めなかった。
「私は、初めてこの文書を手にしたときから、実はこれは、相当部分を後代になって誰かが削り落としたのではないか、という疑問を抱いていました」
「それで?」
「勿論確証はありませんでした。ですが、あの、夢守と解釈される文字、前後の文脈からしてもその文字の場所は余りに唐突ですし、あれだけの文書でわずか一カ所しか文字が残っていないというのも妙な気がします。崇海殿は、あれをどう解釈なさっておられるのか、一つ先達としてご意見を拝聴したいのですが」
(妙なことを考える奴もいる)
 崇海も無論鬼童の言う富士文書逸文の写しを持っている。徐福を研究する者として当然手になくてはならない物である。だが、今の今まで鬼童のような疑問を抱いたことなど唯の一回もなかった。崇海にとっては徐福の「秘宝」の方が圧倒的に大事であったし、崇海がこれまで集めてきた資料の類には、一つとして「夢守」という文字が記されている物など無かったせいもあった。崇海は、今度こそはっきりと己の心中を露呈させて、うるさげに鬼童に言った。
「あんなもの、写本の時に字を間違えたのじゃろう。第一、夢守と読む解釈自体、怪しいものではないか。いちいち気にかけるにはおよばんよ」
 そっぽを向いて話す崇海は、この瞬間、鬼童の目がきらりと光ったのを知らなかった。
「では、崇海殿は逸文の原文はまだ、ご覧になっていないのですね?」
「原文?」
「かの安倍晴明が書き写し、陰陽寮に伝えられてきた、富士文書逸文の原文です」
(何だそれは?)
 祟海は少なからず動揺した。徐福の富士文書に、原文が残されていたというのか?! それが陰陽道の神様、安倍晴明によって伝えられていたというのだ。
「ほう、それで、何が書いてあったね」
 崇海は内心の動揺を隠すように努めた。対する鬼童は、気づかれぬよう注意しながら、目の前の老人を監察した。話の内容は勿論、言葉のふるえ、顔色、目の動き、呼吸、身ぶり、凡そ見て分かるもの全てを吟味する。
「ええ、実はこれまで徐福伝説に一点の不思議を残してきた夢守の正体と、徐福の秘宝を封印する結界の解除法が記されているらしいのですよ」
「らしい、とはどういうことかね」
「まだ、未解読の所も多いため、はっきりしたことが言えないのです」
 言えるはずがない、と鬼童は思っている。口からの出任せである。が、そんなことは勿論おくびにも出さない。
「お主はどこでそれを・・・」
「都の典薬寮におりましたとき、ある縁で当代の陰陽寮頭、安倍康親様より教わりましたが」
「今晴明、指すの神子か・・・」
 祟海の知る徐福の典拠は、富士文書を除けば、その出自から仏教系が主である。地方の風説がそれに次ぐ。皆苦労して集めてきた貴重な資料だが、中にはかなり強引に奪い取ったものもある。だが、この国を支えるもう一つの精神的支柱、陰陽道については、残念ながら手が延びなかった。無論祟海もそれを入手しようと努力してきたが、強力な霊的守護の元にある京の陰陽寮に忍び込むなど到底かなうものではない。ましてやその頭は、晴明の再来と言われ、判らないものを、たなどころを指すかのように軽々と当ててみせるところから付いた「指すの神子」なる令名を歌われる、当代随一の実力者である。幾ら見たいと思っても、それは絶対にかなえられることのない望みだったのだ。祟海は、たちまちにわき上がった、「見たい!」という欲望を悟られまいとして必死で心を落ちつかせた。
「しかし、折角の秘本もここでは役に立たぬな。何しろ、何もないのじゃから」
 崇海の装う平静さは、一見巧くいっているように見えた。恐らく、今崇海の内心を襲う暴風雨をその外見から読みとれる者は、幾らもいないに違いない。だが、鬼童は、医者が患者を診る目でじっくりと目の前の冷静さの裏側を探った。そして、「天才」の異名はそこに、ある真実を確信したのである。鬼童は言った。
「そうですか、いや、そうですね。崇海殿がおっしゃる通り、夢守も徐福伝説も、この地では唯のおとぎ話に過ぎません。では私は、また次ぎの所を探しにいくといたしましょう。失礼します」
 初めの落胆ぶりとは別人のような落ちつきできびすを返す鬼童の背中に、祟海の動揺はいや増しに増した。何とかして、その秘密を知りたい。これまで何をしても決して破れなかった結界の解法が、その部分にあるのではないか? 是非とも見たい。是非とも! 祟海の頭は、すっかり原文一色に染まってしまった。
「ま、待ちなされ!」
 何でしょう、と振り返った鬼童に、すがりつくようにして祟海は言った。
「わしも同好の士と会うのは初めてなのじゃ。どうじゃ、これからわしの寺に参らぬか? あんたの話も聞きたいし、お互いの持っている物をつきあわせれば、何か新しい発見が生まれるかも知れぬぞ」
 鬼童は少しばかり考える風を装ったが、直ぐに朗らかな笑顔を見せて祟海に言った。
「いや、お招きは大変かたじけないですが、待たせている者もありますし、今日の所は引き上げるとしましょう。また後日改めて此方からうかがわせていただきますよ。では」
 鬼童は今度こそ振り返ることもなく、まっすぐに森へ向けて歩き出した。入る者を拒んだ結界は、出る足を留めることはなかった。祟海は、自分の知らなかった新たな知識をちらつかされて、耐え難い不満の思いにむしばまれつつ、若者の背中を見送った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

06.祟海 その2

2008-03-15 22:02:12 | 麗夢小説『麗しき、夢』
 日常滅多に心中の波風を表に出さない鬼童が、滅多にない醜態をさらして驚き狼狽した。八条が見ていたら大いに留飲を下げたであろうが、驚かした主も計算通りの反応に十分満足して笑い声をたてた。
「やあ失敬した。そんなにびっくりなさるとは、この祟海、少々いたずらが過ぎたようだの」
 鬼童は数瞬かけて呼吸を整え、祟海に挨拶した。しかし、たとえ目の前の事象に気を取られていたとはいえ、こうもあっさりと背後を取られるのは鬼童としてもいい気持ちとは言えなかった。あるいは結界の主かも知れない、と鬼童が警戒したのも、無理からぬ所である。
「祟海殿でしたか。少し夢中になりすぎて驚いてしまいました」
「それは済まぬことをしたな、許されよ」
 祟海は、骨皮ばかりな手に外見はその腕と何ら変わらない節くれだった杖を持ち、水気のない愛想笑いを浮かべながら鬼童に言った。
「所で、何にそんなに熱中していたのかな?」
 鬼童は直ぐには答えられなかった。目の前の老人が、軽々に目的を明かして良い人物とは鬼童には思えなかったからである。だが、結局鬼童は言葉を慎重に選びながら、自分の目的を祟海に話して見せた。勿論、肝心なところはぼかし、相手の真意を探るのを目的にした話である。すると、以外にも祟海はあっさりと鬼童にこう言った。
「ほう? するとあんたも徐福の事跡を追ってここまでやってきた口か?」
 鬼童はうなずいた。
「足かけ、三年になります」
「三年か・・・」
 祟海は遠いものを見るように目を細めた。
「わしは三十年ほどになるかな。一生の大半をつぎ込んだわ」
「すると、御坊も徐福を追ってらっしゃるのですか?」
「左様」
 うなずく祟海に、鬼童は警戒していたことも忘れて思わず勢い込んだ。
「では、ここはどうなんです? 何か、ありましたか?!」
 祟海は、逸る鬼童を押さえ込むように右手を上げ、しかつめらしい顔を作って鬼童に言った。
「待ちなされ、そう先を急ぐものではない。年を取ると、何事もおっくうになってしまうものでな。実は、まだ肝心なことを言ってない」
「何です? それは?」
「ここには何もない。唯の遺跡だった、と言うことじゃ」
 祟海の言葉に、鬼童はがっくりとうなだれた。徐福の墓と伝えられる遺跡は、日本中に数知れない。しかしそのほとんどは、肝心の徐福とは何の関係もない。時間とともに本来の姿が忘れられ、弘法大師や徐福のような有名人にあやかった名もない遺跡が多かったのである。それだけに、鬼童がこの夢隠しの郷に賭けた期待は大きかった。それがたった今、同好の先達によって無惨にも無駄足だったという宣告を受けたのである。心中急速に冷えこごえつつある様子を隠そうとしない鬼童を、祟海は満足げに眺め、表面だけは気のいい年寄りを装って哀れんでみせた。
「そう肩を落としなさるな。あんたはまだ若い。わしなどどうやら本物には会えずじまいに世を去らねばならないが、あんたならまだまだ探し続けられるじゃないか」
 これで若者は肩を落とし、悄然としてこの地を去る。同時に祟海の懸念も、今頃始末されているはずだった。昨夜、大将を襲ったときには訳の分からぬままに失敗して逃げ出す羽目になったが、今度こそ脚本は見事に幕を迎え、祟海は誰にも邪魔されることなく安心して研究に没頭できるはずだった。
(あやつめ、随分になるが、ちゃんとあのおこ面をやっただろうな)
 祟海の意識は、既に目の前の若者を離れ、もう一人の邪魔者、八条大夫の最後に向けられていた。
(望みの男と会うことが叶ったのじゃ。安堵してあの世に旅立てようて)
 それはこの老人のせめてもの茶目気だったかも知れない。もっともそうして始末される八条にしてみれば、こんな皮肉なこともないであろう。ただし、祟海はまだ目標の男が、一人の少女と、榊、円光等によって一命を取り留めたことを知る由もない。必勝を期した切り札が、かえって厄介を増幅させていようとは、今の祟海には想像の端にすら上っていなかった。もう一つ祟海が知る由もなかったのは、目の前の若者が今何を考えているかである。
「祟海殿、後学に一つお聞かせ願えまいか?」
「え? な、何じゃな?」
 鬼童の呼びかけに、祟海は明らかに虚を突かれた。
(未だおったのか、この男は!)
 あわてて振り返った祟海に、鬼童は言った。
「徐福の選と伝えられる古史、富士文書の逸文にあるあの謎の言葉、「夢守」の文字の解釈についてです」
 何だ、そんなことか。祟海は安堵するとともに、しつこい鬼童の存在が疎ましくなった。
「あれが、どうかしたのかね?」
 少々ぶっきらぼうに崇海は言った。鬼童は相手の機嫌の傾きようには一向に頓着しない。
「ご存じの通り、富士文書は漢字が唐から伝来する以前我が国で使われていた、神代文字が含まれています。おかげでその解釈には様々な見解があり、読み方によっては、中身ががらりと変わってしまいます」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

06.祟海 その1

2008-03-15 22:01:53 | 麗夢小説『麗しき、夢』
 美衆屋敷がすさまじい嵐に襲われていた頃、一人鬼童は、深い木立を手にした山刀で切り開き、村はずれの鍾乳洞目指して歩いていた。鬼童がこの人も通わぬ山里にわざわざ出向いたのにはもちろん訳がある。京を捨てて既に多くの星霜が降り積もったが、この間ある一つのことがらを追いかけて日本中を歩き回っていたのである。途中の薬草探しは、かつての職が求める余技に過ぎない。
 鬼童は、額に浮かんだ汗を拭い、道に沿って細く区切られた空を仰いだ。太陽を探し、その高さを確かめる。そして、おかしい、とそれまで心の隅に巣くっていた疑問を改めて意識に上げた。太陽の位置を見ても、また鬼童の感覚から言っても、既に美衆屋敷を出てから二刻を数えているはずである。が、鬼童の調べによれば、今目指している場所は屋敷からならどんなにゆっくり歩いても、一刻を経ずして着ける距離の筈だった。
「おかしい」
 鬼童は遂に疑問を口に乗せた。背中の荷を降ろし、紐を解いて手の平ほどの道具を一つ取り出した。指南盤という一種の方位磁石である。その指針は常に南を指し、決して狂うことがない。上古、中国の始祖、黄帝が宿敵蚩尤と決戦した時、邪術を使って方角を狂わせた蚩尤に対して、この指南盤を使って見事相手を探り出し、遂に討ち取ったといういわれがある。素養のある者が使えば、唯の磁石の域を越える力を発揮する、呪術道具である。さて鬼童の腕前はと言うと、鬼童にその手ほどきをした陰陽寮の友人ならば、この手さばきぶりを見れば舌を巻いて仕官を進めたに違いあるまい。おかげで鬼童は、忽ち指南盤の異常に感づいた。
(何者かが結界を張っている!)
 美衆邸でさりげなく聞いた時、誰一人として鍾乳洞の存在を知らない様子だった。加えて昨日の夢隠しの郷入り口の結界! そこから導き出される答えは一つ。誰かが意図的に他人を遠ざけようとしているのだ。が、近づくなと言われて、はいそうですかと引き下がる位なら、鬼童はここまで辛い旅を重ねてはいない。ましてやこれ程まで厳重に隠蔽していることから見ても、この先に何かあることはいよいよ確信できるというものである。ここは、何としてもこの結界を突破しなければならない。円光のような法力もない鬼童としては、頼れるのはこの手にある指南盤ばかりである。鬼童は注意深く指南盤を動かし、ある地点で、針が急に大きく異常な動きを示すのを見た。
(ここだな)
 鬼童は道の真ん中で、結界の焦点を探り出した。この焦点を通ると、人は次元の狭間に誘い込まれ、方向感覚を失って同じ所をぐるぐる回ってしまうのである。ここで円光なら、付近を精査して隠された符を探り出し、気合い一閃で術そのものを破るだろうが、鬼童はそこまで頑張る気はなかった。既に時を随分無駄にしているし、出来るかどうかもあやしい結界破壊にこれ以上手間をかけてもいられない。とすれば、ここは何とかすり抜けるしかない。鬼童は改めて荷を作り、指南盤の動きにいよいよ注意しながら結界の焦点の直ぐ前で忙しく足を動かした。禹歩という呪術である。
「急々如律令!」
 鬼童は、一声鋭く呪を唱えると、えいと結界に飛び込んだ。途端に鬼童は泥の中を無理矢理進むような感覚を全身に覚えた。空気がとりもちの様に粘性を増し、鬼童の侵入を拒もうと抵抗を強くする。それを鬼童は無理矢理に押しのけた。一歩、二歩、三歩と左右交互に足を出し、四歩目の右足を前に突き出した時、突如として見えないとりもちが姿を消した。森はいつのまにか背中に遠くその姿を下げ、鬼童は背丈の十倍を越える崖の前に広がった、中庭のような広場の真ん中に突っ立っていたのである。
(ここがそうか)
 鬼童は、目の前の崖に騎馬でも十分に中に入れそうな洞窟の口がぽっかりと空いているのを見た。鬼童は懐から四つに畳んだ布を取り出した。既にほこりや汗にまみれて往事の美しさはかけらも残らない白絹だったが、その中身は、外見からは想像もできない重要な文字が連なった、富士文書という古文書の写しだった。
 富士文書とは、別名徐福文書、または後世発見された家の名を取って宮下文書と通称されている。古事記、日本書紀より古いとされる、世に言う「記紀以前の書」の一つである。著者は秦の方士、徐福である。日本上陸後、富士山を仙人の住まう蓬莱山と信じた徐福は、山嶺にあったと言われる富士高天原王朝を訪れてそこに定住し、この書を残して世を去ったと言う。内容は多岐に渡るが、基本的には富士高天原王朝の誕生と盛衰の歴史が中心である。現在の学会では偽書としてほとんど省みられることはないが、富士山の地質学的記録の正確さなど、無視できない部分もあるとされ、現在も精力的に研究する在野の民間歴史家も多い。鬼童は、そういう愛好家達の先駆けと言えるだろう。但し、鬼童が興味を持っているのは、そういう富士文書の世に知られている部分ではなく、逸文という現代に伝わらなかった部分である。平安時代には、そういう部分がまだ残っていたものと理解されたい。
 さて、鬼童は丹念にその中身を確かめ、身中静かにわき起こる興奮に身をゆだねた。
「間違いない、ここだ」
「何が間違いないのかね?」
「!」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

05.襲撃 その4

2008-03-15 21:57:25 | 麗夢小説『麗しき、夢』
 八条の頭脳は、ようやく金縛りから恐怖へと染め上げられながら、必死に回転を再開した。巨大な「それ」は、好意とは対極にある色でその目を輝かせながら、八条の足ほどもある右腕をぐっと伸ばした。その先端の切っ先は、触れただけで岩すら豆腐の様に両断するのではないかという位に研ぎ澄まされ、見る者の命を文字どおり吸い尽くすべくぎらりと光を反射した。その光が、八条に異様な腕の正体を思い出させた。
「な、何者じゃ!」
 八条は気丈にもかき集めた勇気を総動員して、今は明らかに自分以外に使うつもりはないだろう長刀を構える鎧武者に叫んだ。が、鬼を模した面の奥に光る双眸は、血走った危険な色をして八条の勇気に答えることを拒絶した。八条は相手の、角のような鍬形打ったる兜の形、白銀で彩った鎧の輝き、そして何よりもその背に負うた真っ赤な吹き流しに、ある人物を直感した。
「と、と、と、智盛?!」
 八条は他愛なく腰を抜かした。全身、特に足にまるで力が入らなかった。心臓だけが全力で逃げるように警告を発して高鳴ったが、それ以外の八条の肉体は、細胞まで痙攣してしまったように一切その警告を無視したのである。  
 鎧武者の右手がゆっくりと上がった。長刀が、その刃をきらめかせつつ振りかざされる。八条に、一歩間合いを詰めた足がずしり、と畳にめり込んだ。八条の目は大きく見開かれていたが、その直後にうなりを上げて落ちてきた長刀の切っ先を見てはいなかったろう。八条は生き延びることをあきらめたように、既に気絶していたのである。
 ドーン! 間違いなく八条の肉体を粉砕した筈の長刀は、八条が今さっきまで占めていた空間を二分し、その座っていた床を大音響と共に破壊した。猛然たる埃がたって差し込む日光の旅程を描き出し、手応えの異常に驚いた武者の身体に丸い小さな日溜まりを拵えた。必殺の一撃をかわされた目が、怒りに満ちて右に回る。その先に、既に失神して久しい八条の肉塊と、その重い体を跳ね飛ばして、武者の鋭鋒をかいくぐった一人の少女の姿があった。
 少女は、腰をも隠す緑の黒髪を美しく扇に開き、武者の瞳をにらみつけた。その眼光に武者は少しばかりたじろいで、第二撃を繰り出すのをためらった。少女は少しずつ身体をずらし、やがて武者と正面切って相対するように身構えた。少女の決意の前に、武者の勢いは完全に削がれた。殺意に渦巻く視線が次第に弱まり、破壊することしか知らない刃が一時その力を失って、垂れ下がった右腕の先で畳をなめた。蝉時雨が、巌と化した二人の身体にしみ通り、舞い上がった埃が静かに落ちつくかと思われる静寂の中、世界は凍り付いた。
「何者だ!」
 誰何する間もあればこそ、武者に打ち下ろされた錫杖の勢いが、固化した二人を一気に昇華させた。武者は、その巨体からは考えられない身軽さで円光の鋭鋒をかわし、たちまちふすまを蹴破って外へと躍り出た。そこへ榊の一隊が駆けつけ、突如現れた「化け物」を剣戟の中に取り囲んだ。
「何者だ! 長刀を捨て、大人しく縛につけ!」
 円光のカモシカの脚に追いつけたのは榊以下わずかに十名に過ぎなかったが、後詰めの強者の数は九十余人、間もなく追いついてくるはずである。尋常でない相手の様子に戸惑いながらも、絶対有利を確信した十人の士気は高かった。武者もそれに対して傲然と手を大の字に広げて見せた。隙だらけなのに、その大きさも相まって相手の力量が読み切れず、榊らは容易に手が出ない。じりじりと包囲の輪こそ一寸刻みに縮めてはいるが、榊はもう少し味方の勢が揃うまで、極力足止めする方針を取る積もりだった。
 が、郎党衆の中でも一番若い秋野宗元という若者は、そういう老練な手管を弄するには少々経験が足りなかった。自身の太刀さばきに過剰な信頼を寄せていたこともあって、焦れる心に堪えきれず、大上段に振りかぶった愛刀を、叩き折れよとばかりに相手の肩口へ打ち込んだ。
(あっ! たわけがっ!)
榊の感想がその口をつく間もなく、武者はこの機会を逃さなかった。自信過剰の一撃をひらりと身をねじって難なくかわすと、体勢を崩した若者の頭を、のばした左腕で鷲掴みに捕らえた。そのまま回して軽く後ろに放り投げる。秋野宗元は、自らの暴発の報いとしてしたたかに対角の同僚と衝突し、鼻血にまみれて悶絶することになった。武者はそんな若者の結末を見ようともせずに、切れた包囲の一角へ、即座にその巨体を飛び込ませた。続けて左右から前を遮ろうとした郎党をはり倒した武者は、一足飛びに近くの林へと身を躍らせた。
「追え! 逃がすな!」
 榊はまだ動ける六人へ指示を出し、自らも林に駆け込んだ。が、一体何処に行ったのだろうか。あれだけの巨体が通ったというのに草の踏まれた跡も見えない。六人に加え、ようやく追いついてきた郎党衆にももう少し探索の網を広げるよう下知すると、榊は単身美衆屋敷へと引き返した。
 八条の部屋は、ふすまも畳も襲撃のすさまじさを物語る惨状を呈して、榊の不安を高めた。が、それも数瞬とは続かなかった。榊は目指す八条の身体を、部屋の隅に発見したのである。
「おお、御無事か?」
八条は、泡を吹きながら少女と円光に抱きかかえられていた。
「気を失っているだけで、命には別状なさそうでござる」
 円光の診断に、そうか、とひとまず安堵した榊は、傍らの少女にもけがはないかと問いかけた。少女はにっこりと笑顔を返し、その落ちつきぶりで榊を驚かせた。榊は取りあえず部屋以外に傷ついたものがないことを悟ると、円光に言った。
「取りあえず大夫を別の部屋に移しましょう。それから念のために鬼童殿に診てもらいたいが、まだ戻られませんか?」
「まだのようですな」
「ええい、このようなときにどこにいらしたのか。おお源太、その方、何人か連れて鬼童殿を探して参れ」
 鎧武者を見失うとの知らせに飛んできた佐々木源太を、榊はもう一度林の中へ追いやった。勇躍してまた元の道を帰る佐々木源太の背中を眺めながら、榊は、これは厄介なことになりそうだと言う漠然とした不安を覚えずにはいられなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

05.襲撃 その3

2008-03-15 21:57:06 | 麗夢小説『麗しき、夢』
「そちと、逆賊平智盛との関係を話して聞かせよ」
 少しは動揺するか、と八条はかなりの期待を持って目の前のつむじを注視した。が、期待は見る間もなく幻滅に変わった。少女はその瞬間も別に何の感興も催さなかったらしい。静かに、落ちついて口を閉ざす姿に失望した八条は、少し語を強めてもう一度同じ質問を繰り返した。その結果は、八条の期待よりも失望の方へ味方した。
「先程からの大夫殿の申し様は、私には何のことだかさっぱり判りません」
(ふん、白を切るか、小賢しい奴め)
 八条は舌なめずりをして麗夢を見据えた。
(もう少し揺さぶってみるか)
 八条は居住まいを正して、改めて居丈高に麗夢に言った。
「そちが寝言した、先の四位の少将、平智盛卿について聞いておるのじゃ」
「智盛様ですか?」
「そうじゃ」
「私も白拍子を生業として都にあったこともございます故、平家の公達の中でも殊の外華やかで知勇兼備の美男子を知らぬ訳がございません。良く笛を愛され、昔日の名人、上手も及ばぬ秘技を操られたとか」
「それくらいまろも知っておるわ!」
 八条はむっとして麗夢に言った。
「まろの知りたいのは、そちと、その智盛との関係じゃ! 寝言に名のこぼれる程のことであるからには、全くの無関係ではあるまい。さあ、白を切らずに正直に申して見よ!」
 元々八条は、雅味も興趣も乏しい男である。つまり、人としての余裕が余りない。狭量を人に固めたような人物である。それがここまで我慢できたのは、ひとえに麗夢の美しさに目がくらんだ為である。しかし、この余りにもとりすました麗夢の応対ぶりに、早くも八条はその浅い底を露呈しつつあった。それを見すかしているのか、麗夢の態度はあくまで冷静である。
「先程から、大夫殿は何やらあらぬ想像をたくましゅうしておいでのようでございます。しかしながら、私は一介の白拍子、片や智盛様は今をときめかれた雲上人、正直に申しまして確かにその宴の席へお招きに預かり、一差し舞ったことはございますが、かの平相国清盛公が往時妓王、仏といった白拍子にかけられたような情けを私が頂戴したことはございません」
「では何故寝言にその名を呼んだ?」
「智盛様は都中の女の心を惑わされた方にございます。恥ずかしながら私もその一人。夢にその姿を見、御名を口に致しましても、なんら不思議はございません」
「麗夢、嘘戯れ言でまろを欺こうとしても無駄じゃ! もう一つ聞く。その方、何をしにこの様な街道もはずれた山深き所に参ったのじゃ? さしずめ智盛の消息を知り、追って参ったのであろう!」
「それこそとんだ誤解かと存じます。鎌倉に呼ばれて興業に参る途上、一人病を受けて途中で置いて行かれ、急ぎ追いつかんものと近道を探して踏み惑ったのでございます。そこを忝なくも大夫殿に御救い頂いた次第。第一智盛様は壇ノ浦にてはかのうお成り遊ばしたと聞きます。どうして智盛様が、この様な鎌倉も近い、源氏の手が満ち満ちている場所までやってこられるはずがありましょうか? 大夫殿」
 いちいちもっともな物言いに八条はぐうの音も出なかった。八条とて、智盛の生存を確信しているわけではなかったのである。有力な情報だと思ったればこそ、自身都を離れて東国の山深く分け入ったのであるが、美衆にまず否定され、今また麗夢にも返す刀に袈裟がけされて、その思いは千々に乱れざるを得なかった。
 このままむなしく都に帰ることはできない。ようやくここまで成り上がったというのに、都中に愚か者と嘲笑われる事になるだろう。そして出世への扉が、音高く目の前で閉じられる。後は死ぬまで使い走り同然を甘受して都にしがみつくか、名ばかりの栄転でこのような田舎を転々とするかである。考えれば考えただけ暗雲がたれ込めてくる状況に対処できるほど、八条には度胸も知謀も持ち合わせがなかった。こんな時八条のような男が取る道は、一つしかない。
「ええいもう止めじゃ!」
 八条は突然投げ出すように大声を出した。
「おい、誰か酒を持て! 麗夢、その方も白拍子なら、今様の一つも歌って舞って見せよ!」
「私とて拙いとはいえ芸にて身を立てる者でございます。歌い、舞えと仰るならその様に致しますが、このような格好ではご容赦願います」
 あくまで慇懃に、しかしきっぱりと麗夢は八条の「逃避」をはねつけた。よもやそれまで拒絶されようとは思いも寄らなかった八条は、再び沸点の低さを露呈した。燃え上がる怒りを隠そうとしない目で麗夢をにらみつけた八条は、その視線の端で後ろのふすまが勢い良く鴨居を走るのを認めてふと思った。
(あな珍し。早や酒を持ってきたか?)
 殊勝なことじゃと珍しく相手をほめたその思考が、鴨居の向こうに認めた冷たい輝きに一瞬完全に停止した。
 初め、八条は熊が出たと思った。熊など市の見せ物に繋がれていたのを垣間みた位の記憶しかなかったが、八条の無学さでも熊が山深き所に生息する位のことは即座に思いつくことができた。相手はそう八条をして発想させるほど、大きく、黒々として八条を圧倒したのである。が、相手が豪勢な造りで高さも十分なふすまの枠を、足りないとばかりにかがんでぬっとその頭を部屋に突き入れた時、熊だという第一印象はもろくも崩れさった。八条はその頭に、金色に輝く角を発見したのである。
(な、何なんだ、こいつは?!)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする